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12、最強の盾VS最悪の鉾



 裁判長である老貴族はこの時点で頭を抱えた。

 

 開廷前からこの裁判が荒れるどころではなく、誰の予想もしない方向に元気よく転がり続け、悪魔の口の中にぱっくりと飲み込まれるような結果になると予測したからだ。


 メフィスト・ドマの登場は、法の番人たるゲルト・ケプラー公爵が鋭い一撃で厚かましいトマス・ウォールを撃退する、清々しい舞台になると期待していた聴衆に恐怖と拒絶感と絶望を与えた。


「……名前はお聞きしたことがあるけど…………手ごわい相手なの?」


 貴族たちの反応を見てヴィオラが眉を顰める。ゲルトは眉間にしわを寄せ、メフィスト・ドマとトマスの方をじっと見つめていたが、ヴィオラに顔を向けるときにはその表情は彼女に不安を感じさせるものが一切取り払われている。


「……事実のみを告げるとすれば、これまで法廷で私とあの男が争ったことはない」

「……つまり?」

「メフィスト・ドマという男を知る者、あるいは関わったことが一度でもある者は、悪魔の姿を思い浮かべるときにあの男の姿を思い浮かべるそうだ」

「…………」


 ゲルトの扱うものは貴族間の「権利をどちらが有しているか」「法的にこの〇〇は適切か」など。損害賠償請求や個人/貴族/商会などの争い、つまり民事訴訟裁判が専門である。


 それに対してメフィスト・ドマは窃盗や殺人などの犯罪行為を扱う、いわゆる刑事裁判を専門としていた。つまりメフィストのこれまでの相手は騎士団や検察だった。


 ここでドマについてヴィオラは自分の知識を確認する。


 ドマ家。


 ヴィオラでも知る有名な一族だ。爵位は気付くと伯爵だったり公爵だったりとよくわからないが、現在はメフィスト・ドマは子爵家の当主をしているという。とにかく古い一族で、ドルツィア帝国ではドマ家と同じくらい古い家門は王家くらいらしい。

 

 ヴィオラの認識では、関わってはいけない貴族の闇、悪の中の悪で、真っ当な道を歩みたいのならドマ家に関わるなと言われているほどだ。


「貴方の認識は間違っていない」


 ゲルトはヴィオラの認識を肯定しつつ、補足した。


 ドマ家の人間は「欲」に忠実だ。

 まず、共通して「他人が苦しんだりもがいたりする姿が大好きだ!」という、一般世間からすれば迷惑極まりない欲が、ドマの一族に生まれた者は漏れなく皆持っている。彼らは世間一般の常識や美徳、他人の不幸や苦しみを手を叩いて喜ぶことは「よくないことだ」と理解しながらも「それはそれ」と全力で他人を墓穴に落として、這い上がってくるのをニコニコと眺めるような連中なのである。

 

 そしてさらに厄介なことに、各個人に様々な欲がある。

 例えば何代か前の当主は宝石に関して執着心があったが、「他人が所有している宝石が欲しい。他人から手に入れたい」という欲だった。同じ宝石への執着にしても別のドマは「鉱山から原石を見つけ、自分の考える最も美しい姿に加工したい」と職人への道を目指す者もいた。

 

 ちなみにドマは国外にもいるらしく、とある国のドマは「ドマなら一度は企みたい国家転覆!」をスローガンにして実際に国家転覆させたらしい。


「なんで滅ぼされないの……?」


 ゲルトからドマについて説明を受け、ヴィオラはとても常識的な反応を返した。ゲルトも頷く。残念ながら滅ぼそうとしてものらりくらりと躱される上に、敵意を向けて逆に滅ぼされる可能性の方が高いと国が判断したのだ。共存するより道はない。ゲルトもこれまでの自分の人生に関わってこなかったので特に気に留めていなかったが、まさかこのタイミングでドマと争うことになるとは思わなかった。


「……でも、民事訴訟なら貴方の方が詳しいでしょう?」

「無論だ。民事だけではなく刑事裁判であっても私はあの男に引けを取ることはないだろう」


 だが、と、ゲルトはそこで目を伏せた。


「……」


 ヴィオラに不安を与えたくないのはゲルトの本心だった。だが、事実を彼女に伝えることは必要だ。


 まずそもそも、ゲルトとメフィストは「やり方」が違う。


 ゲルト・ケプラーはあらゆる裁判、あらゆる相談事に対して、まず法的に「適しているのか」で判断を行う。例えば「とある女性が男性を刺した」とし、ゲルトは傷害事件として扱い、適した刑罰が科せられるようにする。問題となるのは「Aという人間がBに対してどのような加害を行い、その結果Bがどのような損害を被ったか」それに対しての償いと保障がそれぞれAとBに降りるようにするのが法であると考えている。


 だがメフィスト・ドマは違う。


 実際にメフィスト・ドマが対応したこの裁判では、とある男Bの出生や家族関係から暴かれ、その途中でBの母親が不倫をしており、Aが生まれたのだがそれを知らずAとBは交際関係となり、二人は結婚を考えた。だが秘密を知るBの母親がAに対し、なんとかBと別れさせようと実際に行われてもいないBの不義理をAに吹き込み、それを真に受けたAが意趣返しに自身も不貞を働いてBの友人と一晩を共にしたのだが、それを知ったBが友人と口論になり、実はその友人はかねてから同性であるBに思いを寄せていたことが法廷で告白され、友人の子を身ごもっていたAはBに対し嫉妬心から傷害事件を起こしたということが…………半年がかりで法廷で暴かれた。


「……昼ドラ?」

「当時の検察側と裁判官は胃痛と精神的な負荷により頭部の毛髪がかなり後退したらしい」

「……」


 実際にゲルトはその裁判を傍聴したことはないが、知識として裁判記録を読み、冷静に事実を記録するはずの書記官の文字が荒れるに荒れていた具合から、阿鼻叫喚を極めた裁判だったのだろうと推測している。


 つまり、誰もに平等に悪夢を見せて、抱えた秘密や隠し続けたい本心を「法の光の下にさらけ出しちまおうぜ」と、腕を掴んで引きずり出してくるのがメフィスト・ドマという男のやり方なのである。


 ここまで聞いて、ヴィオラは「……それ、悪魔の話?」と、もっともな疑問を口にした。


 ちなみにメフィスト・ドマは趣味で他人の弁護人を引き受けている。





 メフィスト・ドマの登場に慌てた聴衆たちは、しかし、裁判官が朗々と開廷を宣言する頃には落ち着きを取り戻していた。見方によってはこれは大変「見物」なのではないかという物見高い下心を抱く余裕がある者もいる。


 何しろ理路整然と、法という絶対の盾を持ち他人の権利を守り獲得する手助けをする法の番人たるゲルト・ケプラー公爵と、他人の心に無遠慮にズカズカと入り込みズタズタに引き裂いて笑って血塗れの心臓を掲げるような悪魔メフィスト・ドマの法廷対決である。


 見たいか見たくないかと言えば、とても見たい。


 法廷の三階部分にて、傍聴している皇后エレオノーラは兄とヴィオラを応援したい気持ちは真実なのだが、メフィスト・ドマが兄を追い詰める姿も見たかった。

 颯爽と騎士が戦場を駆け抜けて勝利を捧げにくる騎士道物語を観に来たら、ドロッドロの人間劇場を観せられることになったことを受け入れる潔さがある。


「よ、よし……!!ふ、ふふん、皆……僕の弁護人に恐れをなしているな……!?」

「任せてくれよ、依頼主。この俺が付いたからには、間違いなくアンタを勝たせてやる」


 静寂に包まれる法廷で、トマスのびくびくとした、だが妙に勝ち誇る声が静かに流れた。


 貴族たちは、トマス・ウォールは自分がこの場で唯一の勝者になれることを夢見ていることを知った。だが、そんなことには万が一にもありえない。


 全員もれなくズタズタにされる。


 この場で最もそれを予期しているゲルト・ケプラーは、せめてヴィオラだけは守ろうと手を強く握りしめる。


「…………でも、私たち、暴かれて困るような秘密なんてないわよね?」

 

 そのゲルトの様子に気付いたヴィオラは、この戦いという山が予想と少し違う名前の山だったとして、それが自分たちになんの不利になるのだろうとゲルトを励ます。


 ヴィオラはメフィスト・ドマについて、知った情報から確かに「厄介な人物」であることは理解した。だが、この十年、ヴィオラは社交界でありとあらゆる屈辱を味わったし、様々なうわさや憶測に振り回されてきた。


 今更自分に暴かれて困るような「隠し事」など一つもない。そもそもそれはトマスの方が色々と都合が悪い事実の方が出てくるだろう。


 ヴィオラは「貴方もそうでしょう?」とゲルトに微笑みかけた。

 清廉潔白に生きてきた、貴族の手本のようなひと、それがゲルト・ケプラー公爵だ。彼は僅かの隙もなく、いつも堂々としている。彼の法に則った模範的な姿は誰もが知る所で、だからこそ「法の男」と敬意を込めて称されてきたのだ。


「…………あぁ」


 ゲルトは頷いた。だが、無論だ、とはいつものように言わなかった。


 そのことに一抹の不安を感じながらも、裁判が始まることになったので、ゲルトが前に進み出るのをヴィオラは見送った。





 裁判は形式的な開始の宣言が行われ、事務的なやり取りがそれに続く。そして次に、ゲルト・ケプラー公爵が今回の軸である『ヴィオラ・ウォール伯爵夫人による、トマス・ウォール伯爵に対しての離婚訴訟』について触れた。改正された帝国法第52条により、トマス・ウォールの十年の家棄は十分に二人の婚姻解消の理由足り得ることを主張する。


 ゲルトはまず揺るぎない十年の空白の事実を盾にした。これはどんなにトマスが吠えようと、メフィスト・ドマが違う角度から揺さぶって来ようとしても、絶対的に変わることのない「事実」である。帝国法は長期的な夫の不在は妻からの離婚要求を認めるものになっている。この「長期的」というものはあいまいで定義されてはいないが、十年という年月は共通認識として「短い」ものではない。


 彼女の戦った十年に、無遠慮に触れさせないというゲルトの決意を込めた声は静かだったが、はっきりと法廷に響いた。公爵家の黒と金の礼装で屹立するゲルトの赤い瞳は、自身が悪魔を相手にしようが己の行うことを間違えない確固たる意志の強さが宿っていた。


 対面したトマス・ウォールは公爵のその強い瞳に萎縮し、青ざめて縮こまった。そんな情けない依頼人を背後に庇うように前に進み出た黒衣に黒ぶち眼鏡をかけた、一見するとどこの銀行にもいそうな出で立ちの男、メフィスト・ドマの口元には不敵な笑みが浮かんでいる。


 メフィスト・ドマは軽やかな足取りで法廷の中央に進み、周囲をぐるりと見回した。彼の声は厳粛なゲルト・ケプラー公爵とは異なり、まるで舞台の役者のように明るく、そして軽薄だった。だが、その眼鏡の奥の金色の瞳には冷酷な計算が潜んでいる。


「親愛なる紳士淑女の方々、まぁ、どっちつかずもいるかもしれねぇが、それはそれとして。さて、法廷という場所は良いところだ。俺はここが好きでね」


 この辺りでメフィスト・ドマは口調を裁判官から咎められる。が、メフィストは「この記録は多くの人間を楽しませるんだ。誰が何を言ったか、読んでわかりやすい方が良い」と、もちろんこの後の口調は正しく適したものに変えたが、新聞社はメフィスト・ドマの語り口調を軽薄なものに編集して公表することにした。(※そのため、ここからの記録もメフィスト・ドマの口調の表現は変わらない)


「つまり、法廷ってのは真実を明らかにする場であるべきだ。真実ってのはいいね。もちろん誰にとっても大切なものだからこそ、大事な場では皆がちゃんと知っておく必要がある。たとえそれが、清廉潔白な法の男の仮面を剥がすものだとしても、だ」


 メフィスト・ドマはゲルトに視線を向けた。


「そもそもだ。ゲルト・ケプラー公爵。アンタは今、その場にいるのに適した男なのか?」

「質問の意図が掴みかねるが。私は貴方と同じく弁護人の資格を有し、そして依頼人であるヴィオラ・ウォールの要請により彼女の弁護を行うことが法的に認められている」

「あぁ、違う。そりゃ疑っちゃいねぇさ。そうだろう?誰もがアンタを立派で素晴らしい法律家だと認めてる。俺だってそうだ。アンタは憧れだよ。だが、今のアンタは正しくただ冷静で法を振るうのに適した弁護人なのかって、そこが問題なんだ。―――何しろアンタは、俺の依頼人を殴っただろう?」


 傍聴席がざわめいた。


 メフィスト・ドマはにっこりと、悪魔のように美しく整った顔で微笑む。


「事実の確認だ。アンタの好きなことだろう?ゲルト・ケプラー公爵。アンタは××月〇日、俺の依頼人であるトマス・ウォールに暴力を振るった。これは事実か?それともトマスの虚言か?」

「………事実だ」


 ゲルトが認めると、トマスが「そうだ!こいつは僕を殴った!」と叫んだ。もちろんこの喚きは裁判官に咎められ大人しくさせられるが。


 メフィストはうんうん、と頷く。


「アンタは事実を否定しない。立派だな。そのついでにもう少し付き合ってくれ」

「私はトマス・ウォールに対して暴力を行使した。これは紛れもない事実で、それを私は認めた。――暴力行為、加害による賠償責任については理解している。貴方が私に要求するのがこの場での拘束であれば私は示談による解決を提案する」

「あぁ、いいんだ。そんなの。あとで適当にいくらか包んでトマスに渡してやってくれ」


 ゲルトは自分をヴィオラから引き離すことがメフィストの目的であると考えた。だがメフィストは首を振ってそれを否定する。「アンタに今退場されちゃ困る」とも。


「俺が問いたいのは、アンタがヴィオラ・ウォールを「弁護する」資格が本当にあるのかってことだ。だってそうだろう?自分で自分の愛人を弁護するなんざ、正しい判断がされてるなんてどうにも信用がならねぇ」


 愛人。


 この単語が出た瞬間、ゲルトは法廷の机を強く叩いた。


 怒鳴らなかっただけ、彼の忍耐の強さが窺えるが、その顔はこれまで誰も見たことがないほど強く怒りの感情が浮かんでおり、真正面からそれを見てしまったトマスは震えて悲鳴を上げた。


 トマスと同じくその怒りを正面から受けたはずのメフィスト・ドマは、いっそ慈愛に満ちた優しささえ感じる顔で目を細める。


「帝国法52条は不貞をおかした配偶者を許さない。トマス・ウォールを殴った事実をアンタは認めた。その真実は、愛人であるヴィオラ・ウォールを守るためだ。アンタとヴィオラ・ウォールは協力して離婚を成立させ、晴れて結ばれてハッピーエンドを目指してる。だがそれは、法的にどう考えても、適切じゃあねぇだろう?」


 メフィスト・ドマは、依頼人であるトマス・ウォールは「寛大にも」自分が家を空けたことで、妻であるヴィオラが不貞を侵す選択肢を取ってしまったのだと、自身の行動を反省していることを告げた。そして、その上で「法的に正しい夫婦であるトマスとヴィオラ」が、十年のお互いの誤解を解くために、この後も婚姻関係を続け、お互いの信頼を築き上げる時間を作ることこそ「法の下正しい姿」であると主張した。



メフィスト「皆で地獄に落ちようぜ!!」


***********


このメフィスト・ドマは私の作品で毎度おなじみ「ドマ」の人間ですが、メフィスト君の初出は「王太子殿下、貴方の破滅させた悪役令嬢は~」です。この話が完結したら、そちらの連載の完結のロードを目指すのでもしよかったらご覧ください。

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これは、メイフィス君ではないのかな。 読みにいってみます。 ドマ家関連纏めとかあるのでしょうか。
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