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11、トマスの弁護人



 女性が、それも元平民が貴族の夫を訴え離婚と財産を要求している。

 その上その内容を公器である新聞を使い、大々的に「自分はトマス・ウォールより不当な扱いを受けてきた」と告白するなど、前代未聞のことだ。ドルツィア帝国の首都は目下、ヴィオラ・ウォールと十年ぶりに首都に戻って来た夫トマスで持ち切りとなり、今日から始まる裁判では傍聴席を求めて人が押し寄せた。


「……いよいよね」


 緊張した面持ちでヴィオラは扉の前に立つ。戦いに挑むにあたり、睡眠と休養はしっかりとるべきだと考えているので、昨晩は早くベッドに入った。だが、これまで多くの商談をまとめ、多くの人間に自分の意見を伝えてきたヴィオラでも今日という日を、裁判を、これからどう乗り切って行けばいいのかは経験がない。


(前世の記憶も……前世の私自身が戦った記憶はないしね……)


 こう生きていきたかったという願いはあったが、知識は得ていたが、実際に声を上げて戦うことなく死んでいった前世の女性をヴィオラは思う。


 前世の自分は「もう遅かった」と後悔していた。


 この十年をヴィオラは考える。この十年は自分にとってどうだっただろう。もし、時間が巻き戻せたとしたら、それを望むか?たとえばお伽噺のように、自分だけがすべての記憶を持ったまま、この十年を巻き戻すことができたら?


(……しないわよ。そんなもったいない)


 ヴィオラにとって十年前にトマスが結婚式に来なかったことは、もちろん素晴らしい出来事ではなかった。その後、右も左もわからない、受け身の取り方すら知らない場所に飛び込み、負った傷は一つや二つではなかった。だがそれらは間違いなくヴィオラを強くした。積み上げてきた積み木が不格好で色が揃っていなかったからといって、それをなかったことにして、きれい積み上げたそれをヴィオラは望まない。


 ヴィオラにとって最も重要なことは、物事を「うまくやる」ことではない。自分で選択して、自分で勝ち取ることが大切なのだ。


「ヴィオラ殿?」


 扉の前に立ったまま動かないヴィオラを、隣に立つケプラー公爵が訝る。緊張、あるいは恐怖から動けずにいるのかと気遣う赤い瞳にヴィオラは微笑した。


「怖がっていると思う?」

「いや。それはないでしょうな」

「どうして」


 やけにはっきり言うのでヴィオラは首を傾げた。するとゲルトは少し巡回するように沈黙してから、こほん、と軽く咳払いをする。


「貴方は私の能力を理解している。つまり、貴方は自身が鋼鉄の鎧をまとっていることをわかっているはずだ」


 これはヴィオラの現状を言い当てているわけではなく、ゲルトなりの励ましであることをヴィオラは察した。


「貴方を頼りにしていいってこと?」

「……そのつもりで隣に立っている」


 ヴィオラは自分でも、隣にゲルトが立っている事が「当然」だと感じていた。困った時、誰かの助けが必要な時、必ず隣にはゲルトがいて、それに対してヴィオラはもう違和感を覚えない。


 だがヴィオラは、自分の隣に立つ公爵に対してこれまでとは違う感情を自覚してしまった。法廷に赴くため、黒と金の礼服を纏ったゲルトはトマスと比較してもさらに背が高い。それでも話をするときはヴィオラの声が聞きやすいよう、ヴィオラが首を傷めないようにと屈んでくれるのでこれまで背の高さを強く意識したことはなかった。


 なんとなく、ヴィオラはゲルトに対してこれまでと違う見え方がしてくるような気がして、自分の思考を遮る。そして次に考えたのは、自分はこれまで公爵に頼りすぎているんじゃないか、迷惑じゃないか、そもそもなぜ、彼がヴィオラに誰よりも協力的なのか。書斎に行けば当然のように迎えられ、彼に助言を貰うのが当たり前になっていたことにヴィオラは今更ながらにショックを受けた。


 裕福で社会的地位もある公爵であるゲルトに、何かお返しできたことが今まであっただろうか?


 この裁判にしても、すでに法律家として大成しているゲルトに得るものはないはずだ。つまらない男女の関係に彼の貴重な時間を費やす必要があっただろうか。


 ヴィオラは急に怖くなった。ゲルトという武器を当たり前のように自分が振おうとしていることが酷く傲慢で厚かましく、まるでトマスのようじゃないかと、自分が醜く感じる。


「……ケプラー公爵」

「何か?」

「わたしが貴方にできる事って、何かある?」

「……と、言うと?」

「今考えるべきことじゃないかもしれないけど、貴方がわたしを助けてくれる理由をこれまで考えたことがなかったの。トマスのように、自分のものじゃないものを、自分が利用して当たり前になりたくないわ」

「……」


 隣に顔を向ければ、ケプラー公爵が見たこともないような、微妙そうな顔をしていた。わたしの必死の懺悔に対し、その顔はないんじゃない?と、ヴィオラは眉を跳ねさせ、首を傾ける。


「……失礼。……コホン。いや……確かにこの話は………………今、ではない」

「そうよね。ごめんなさい」

「いや、話をしたくないわけではないのだが…………貴方はその……例えば、役に立つ品であれば日常的に傍に置きたくならないだろうか」

「?」

「例えば、それが不格好で……貴方が揃える美しい調度品や、部屋の内装に調和していなかったとしても。本来なら貴方の傍に置かれることがないくらい貴方に相応しくないものでも……触れて日常的に使用しても良いと、思わないだろうか」


 ぽつぽつ、と、ケプラー公爵は話す。なぜ今急に文房具か何かの話をするのだろうか。自分の先ほどの言葉を思い出しながら、ヴィオラは自分が公爵にとって本来相応しくない一品でも、何かしらの利用価値があるから今日まで一緒にいてくれたという、そういう説明をしてくれているのだろうか?


「コホン、コホン、あのですね。申し訳ございません。そろそろ入室していただけないでしょうか」


 扉の前で妙な顔をする男女に、控えめな係の男性の声がかかった。







 愉しい傍聴席のチケットを手に入れた幸運な貴族、あるいは平民たちは皆、開廷するのを今か今かと待ちわびた。

 先に、右側のヴィオラとゲルトが座る。左側はトマスとその弁護人の席だが、まだ来ていないようだった。


 ドルツィア帝国の裁判制度は貴族社会の名誉と階級秩序が基盤となっている。

 帝国法は皇帝と貴族、帝国議会にて制定され、貴族の権利と義務を保護する一方、昨今では皇后をはじめとする個性の有力者の影響により、伝統的な男性中心の法体系から市民階級や女性の権利を徐々に認める方向へ変革がもたらされている途中だった。


 裁判は貴族間の紛争や、貴族と市民の重要な訴訟を扱う帝国法廷で行われる。この法廷は皇帝や高位貴族が後援し、法律家が審理を主導することで公正さを保っていた。


 今回のヴィオラ・ウォールとトマス・ウォールの離婚訴訟のケースは初めてだったが、ヴィオラ・ウォールが新聞を使用して大々的に公にしたこともあり、公開審理として行われる。判決や途中経過は随時帝国第一新聞を通じて民衆にも広く報じられることになるだろう。


 そして、法廷は名誉と正義を試す場であると同時に、貴族社会の価値観や政治的影響を反映する舞台でもあった。


 裁判所は石造りの荘厳な広間に、ステンドグラスの窓が配され、差し込む日の光が審理の雰囲気を厳かで、神聖なものとして高める。


 審理を監督するのは高位貴族の老紳士だった。彼は公正な裁判をすることで有名で、今回初めて施行されることとなった「女性側からの訴え」を扱うことが初めてであっても、冷静に状況を分析し、正しく判決を下すだろうと皇帝からの推挙だった。


 法家団としてはケプラー公爵も知る、法学の専門家が集められ、弁論、証拠審査、法律解釈を担当する。証拠書類や証言を記録する法廷書記は中立性を保つため皇帝直属の官僚が選ばれた。


 そして貴族席、民衆傍聴席には限界まで人が詰め込まれており、この裁判の世間の関心度の高さを表している。


 待ち構える観衆より、ヴィオラ・ウォールとゲルト・ケプラー公爵が入廷した際に自然と拍手が上がった。そしてまだ裁判が始まる前から、裁判所お抱えの法廷画家が二人の姿のスケッチを始める。それらの余韻が収まると、次第に次の関心はトマス・ウォールが「誰を連れてくるか」だった。


 貴族、そして民衆たちはこの裁判を「ゲルト・ケプラー公爵がトマス・ウォールを法の鉄槌の元にコテンパンに、再起不能なまでに叩きのめす舞台だ」と考えている。三流役者以下のトマスがどんなみっともない姿を晒し、精悍なゲルト・ケプラー公爵の前に敗れるのかと、彼らはそれを見に来ている。


 結果はわかりきっていることだが、だが、わかっているからこそ見てみたいのも人の心だ。そうなると、ちょっとしたスパイスとして、前菜として、どんな弁護人を連れてくるのかとそれが気になるのも仕方ない。


「いやぁ~、すいませんねぇ。遅れちまったかな?ああ、まだ大丈夫。そうだろうよ、遅刻なんてのは裁判官殿の心証を悪くするだけだ。時間を止められない限り、そんな選択肢は取るわけにいかねぇ」


 開廷予定時間ギリギリになって、妙に軽薄な声が広間に響いた。


 コツコツコツと、靴の音を鳴らし、黒衣に黒ぶち目が目をかけた貴族男性が入ってくる。その後ろには、周囲の視線を受け、きょろきょろと不安そうな様子を隠せないトマス・ウォールが引っ付いている。


「…………あれは」

「知ってるの?」


 入室してきた黒衣の男に、ゲルトは軽く目を見開いた。ヴィオラは初見だ。これでも公爵のお陰で有力貴族のほとんどとは面識があるのだが、入って来た男性には覚えがない。


 トマスと共に左側の席に立った男は、ざわめく傍聴席や、眉間の皴を深くしているケプラー公爵をぐるりと眺め、目を細めながらゆっくりと腰を折った。


「メフィスト・ドマ。――こんなに面白いもの、傍聴席で観るだけなんてもったいねぇ」


 トマス・ウォール伯爵の弁護人として、楽しい裁判にしようと、メフィスト・ドマはゲルト・ケプラー公爵に告げた。




やめて!スターシステムで採用されたメフィスト・ドマのやりたい放題で、法廷を玩具にされたら、彼に人生をかけているトマスの精神まで燃えカスにされちゃう!

お願い、死なないでトマス・ウォール!あなたが法廷で散ったら、殴り足りない公爵や息子との約束はどうなっちゃうの?

希望はまだ残ってる。ドマ家でも設定次第で耐えられれば、致命傷程度で勝てるんだから!


次回「トマス死す」デュエルスタンバイ!


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― 新着の感想 ―
「ドマかよ(喜びと絶望の入り混じった声)」  本当に声に出して言ってしまいました。  音声でお届け出来ないのが残念な位のすんごい声出ました。  次が楽しみで夜しか眠れません。
作者様…いつも楽しく最後のコメントまで読ませて頂いてます(○´人`○)
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