*番外*とある夜会にて
「駄目です。皇后陛下。あの二人。椅子一つ分を丁寧に空けて座りますよ。具体的には長椅子の端と端に二人して。ついでに完璧な二人っきりにならないようにヴィオラ様の片手が気を利かせて退散しようとしたロバート・ウォール伯爵の服の裾を掴んで離しません」
千里眼の異名を持つ侯爵の実況中継に、テラスから優雅に本日一番の観測対象を見ていた皇后エレオノーラは「んっ、もう!!」とじれったくなる。
今夜は王家主催のパーティーだった。投資クラブのための営業や繋がり作りに余念のないヴィオラ・ウォールは絶対に参加したい集まりだっただろうし、彼女のためにケプラー公爵が招待状を手に入れるのもわかりきったことだった。会場は離宮を使った。詳しく言えば、騒がしいパーティー会場から、ひっそり男女が抜け出すと「いい雰囲気になれる東屋」がある。会場の熱気と人との交流に疲れたヴィオラ・ウォールの疲れを感じ取れるような器用さのない男でも、一定時間が経過すれば人間には休息が必要であることを思い出し、彼の記憶にある東屋に彼女を案内することくらいできるはずだ。
そう見込んで、実際に有力貴族たちへのあいさつ回りが一通り済んだヴィオラをゲルト・ケプラー公爵は会場からそっと連れ出した。
もうその瞬間、会場の参加者たちは皆心の中でガッツポーズをしている。
この十年、ゲルト・ケプラー公爵とヴィオラ・ウォール(あえて誰も彼女を「夫人」という敬称で呼ばない。彼女がトマス・ウォールなどというつまらない男の妻であって欲しくないからだ)を見守り続けた筆頭である皇后エレオノーラは侍女長に命じて会場から「ちょっとかすかに二人に聞こえる良い感じの音楽」を細かに指示しつつ、観測手に任命した侯爵の実況中継に耳を傾ける。
「この前の作戦もうまくいかなかったですわよね」
「えぇ、二人がお互いに手を繋いでお互いへ日々の感謝を伝えないと出られない部屋、というのを作ったのですが……一定時間密室にヴィオラ様と二人だけでいることを彼女の名誉を汚す行為だと考えた公爵が首を吊って「死体といたのだから彼女の貞淑は守られている」と法的に証明しようとされたので断念しましたね」
「我が兄ながら本当に……呆れますわ」
ふぅ、とエレオノーラは美しい顔に何とも言えない表情を浮かべた。
「君の義兄上への愛情はとても素晴らしいけれど、あまりやりすぎてはよくないよ、エリィ」
「えぇ、もちろんわかっていますわ。ジル」
お転婆な皇后を窘める、わけではないが、放っておくと国を巻き込んで暴走しかねない彼女をよく知っている皇帝ジルベルトは妻に念のために釘を刺しておく。
ドルツィア帝国皇后エレオノーラはケプラー公爵の令嬢だった。そして三年前に即位したジルベルトは本来なら玉座に座ることのない、継承権こそ持っていたが母親の身分も低く、これと言った目立った実績のない皇子だった。
それが今や、皇帝夫妻として、宮殿の主として君臨している。この座に就いていなければジルベルトは自分の兄弟に殺されていただろうと、今でもそう思っている。二人はそれがヴィオラ・ウォールのおかげであると考えていて、そしてそれは紛れもない事実だ。
ジルベルトはヴィオラの投資クラブ設立時に参加した唯一の皇族だった。当初は失敗するだろうと思われていた彼女のこの「考え」に対し、エレオノーラはジルベルトを説得した。「あの兄が協力すると決めたのだから、失敗する方がおかしい」という言葉は、後で聞くところによると「人が恋に落ちる音を聞いた」ためだと言う。
とにかく、ジルベルトはヴィオラのお陰でかなりの資金を得ることができ、それらは財政難だった皇家にとってとても重要なものになった。もちろんたったそれだけで熾烈な皇位をかけた争いに勝ち残れたわけではないが、ヴィオラ・ウォールに対して友好的な姿勢を示したジルベルトをゲルト・ケプラー公爵が推した。法の男と名高いケプラー公爵の後ろ盾を持つことは宮中で強い意味を持ち、ジルベルトとエレオノーラは即位式に主役として参加することができたのだ。
「あっ、皇帝陛下、皇后陛下、同志が二人に向かっていますよっ!」
「なんですの?」
「ほら、あれ。あぁ、見えません?まぁいいか。手首に我らゲルヴィオ同盟の秘密のリボンをつけているので間違いありませんね。何をする気……はっ!あえて!!あえて同志が!!ヴィオラ様をダンスに誘う!!」
「聞こえるのか?」
「侯爵家の人間たるもの、唇くらい読めますって。――勇気ある同志!ヴィオラ様を公爵が引き留めるのを狙っている!!公爵!!彼女は疲れているのだからと……それは引き留める理由としては甘い!!あぁああ~~~~!!ヴィオラ様が立ち上がった!」
「もうお兄様の唐変木ッ!自分と話しているんだから、くらい言えませんの!!?」
「はは、言えたら二人はもうとっくに恋人同士だろうねぇ」
熱心に実況する侯爵と、やきもきしてそれを聞く皇后に、皇帝はのんびりと答えた。
残念ながらヴィオラ・ウォールはケプラー公爵を残し、会場に戻ってしまった。そして残された公爵は彼女が座っていた椅子をじっと眺め、それを「は、話を聞こうか……?」と、老伯爵が気遣って声をかけている。
バッ、と、皇后は会場に合図を送った。
「失敗!失敗ですわ~~~~!!次のプラン行きますわよ!」
「「「「「はい!皇后陛下!!」」」」」
戦場できびきびと指揮をする将軍だって、帝国のクセの強い貴族たちをこれほど完璧に統率することなどできないんじゃないだろうか。
「ははは、我が皇后は頼もしいなぁ」
侍従が淹れてくれるブランデー入りの紅茶を楽しみながら、皇帝は楽しそうな妻の姿を眺めた。
この状況でトマスの弁護人を引き受けてくれる人間がいるんですか?
→ います。