*閑話*ゲルト・ケプラー公爵の決戦前夜
ケプラー公爵の書斎は夜の静寂に包まれていた。窓の外では星々が煌々と瞬き、月明りは公爵家の庭を銀色に染めていた。蝋燭の炎が揺らめき、ゲルトの赤い瞳を鋭く照らし出していた。彼の長身は金と黒の礼服に包まれている。普段、法律家としても紳士としても知性的な彼の瞳は今、戦場に立つ騎士のように燃えていた。
「……」
書斎の重厚な木製の机には帝国法の条文集、判例集、ウォール家の財産記録、そしてトマス・ウォールの裏切りを暴く証拠書類が、まるで戦の準備のように整然と並んでいた。公爵の手は羽ペンを握りながらも剣を持つような鋼の決意があった。
ゲルトの脳裏にはヴィオラ・ウォールの緑の瞳が焼き付いている。
『私を助けてくれる?』
その言葉を自分がどれだけ長い間待っていたのか、彼女は知らないのだろう。
トマス・ウォールと戦う決意をしたヴィオラはこれまでで最も美しかった。自分が夫の付属品ではなく、一人の人間としての人生を勝ち取りたいと決意し、その戦いのパートナーとしてゲルトを選んでくれた。
これほど名誉なことがあるだろうか。
彼女の要請はゲルトの胸に燃えるような決意を呼び起こしていた。
この世で最も美しいものは法だと、これまでゲルトは考えていた。
褐色の肌を持つ自分は、元々公爵家では異質な存在だった。母は不貞を疑われ、父はゲルトを愛そうと努めたが、最期まで難しかった。だが法はゲルトを守った。間違いなく、ゲルトは「公爵家の人間」であることを保証され、ゲルトは自分が「何者なのか」の答えを法に求め、答えを得ることができた。
法とは正しいもの。
法とは、全てを決めるもの。
そのようにゲルト・ケプラー公爵は考え、法律家として生きる道を選んだ。
『法律は、人を幸せにするものだと思うわ』
いつだったか、ヴィオラはゲルトにそう話した。
法が彼女の立場を縛り、彼女の行動をウォール家に押し込めたことを顧みて、ゲルトはヴィオラに法律について疑問を感じているのかと、理不尽に思わないのかと、そう問うたあとの言葉だった。
ゲルトは、自分が誰かを幸せにできるような器用で陽気な男ではないことをわかっている。
ヴィオラとはそれなりに長い交流があるが、それでも彼女にどんな花を贈れば彼女が笑顔になるのか、未だにわからないようなつまらない男なのだ。
「……」
ゲルトは書類のページをめくった。
明日の法廷はヴィオラの自由と尊厳をかけた戦いであり、一瞬の油断も許さない覚悟だった。
ゲルトは帝国法の細部を掌握している。その中でゲルトは帝国法第37条の条文を暗誦するように読み返した。婚姻は公的登録と証書のみによって成立する。トマスはエヴァージェンという女性との「先行婚姻」を主張するだろう。過去の判例を調べ直した。トマスの主張を一撃で粉砕する証拠を積み上げる必要がある。書類の山に埋もれながら、ゲルトの赤い目は一文字一句を見逃さない。
誓いはただ一つ。
法の光のもとに、彼女に勝利を。
贈る花の名がわからずとも、ゲルトは彼女の為ならこの帝国全ての法を武器にできる。
侯爵「好きって言ってしまえー!!公爵ーーー!!!」