*閑話*トマス・ウォールの困惑
話は少し、ヴィオラが倒れた日の夕方に戻る。
*
トマス・ウォールは苛立っていた。
自分がなぜ、こんな扱いをされなければならないのか?
トマスはヴィオラが倒れたと聞き、父ロバートに「ヴィオラは当分まともに働けないでしょうから」と自分が顧客とのやり取りを行うと伝えた。父はそんなトマスに「当主としての自覚が出来たのか」と喜び、リストを渡してくれた。得意先は十年前のウォール家では考えられない程の名家が名を連ねていた。
ウォール家の代表として訪問すると、どこも丁寧にトマスを迎え入れ、最上級のもてなしをしてくれた。だが、それは最初だけで、少しも待たされることなく当主や取引相手が応接間にやってくると、トマスを見て「……ヴィオラ様では?」と訝った。トマスはそのたびに、ヴィオラが病床にあることを告げると、相手は決まって見舞いをしたいと申し出るが、トマスはそれを断った。誰もがヴィオラの容態を聞きたがり、自分達が手配できる最大の治療方法を提供したいと強く求めてきた。段々と、トマスは苛立つ。そんな平民女の話題などより、自分が伯爵になったこと、今後は自分が投資クラブの主催者になることを話したかった。
「……貴方が?」
「えぇ、当然でしょう。僕はヴィオラの夫ですし、何より彼女と違って正真正銘の貴族ですからね」
と、ここでウィンクをする。うまいユーモアのつもりだったが、なぜか毎回、この次にトマスは冷笑された。なるほど、まだ伯爵としての実績がないからだろうとトマスはあえてその評価を受け入れてやったが、今後の商売の話をしようとしても、誰もそれ以上トマスと会話をしたがらなかった。
「話は全て、ヴィオラ様と行いたい」
「先ほども申し上げましたが、僕が帰って来た以上、ヴィオラはただの従業員です。もちろんヴィオラには引き続き業務をさせますが、大事な話は代表である僕を通してもらわねば困ります」
「なるほど、貴方は何もわかっていらっしゃらないようですね」
何人目かの顧客。侯爵家の嫡男が、トマスに微笑みかけた。三十になるトマスからすれば若造の、まだ二十代前半の青年がトマスに対して呆れたような顔をする。
「誰も貴方の話には興味がないのですよ。貴方が何者であるのか、貴方が我々に何をするのか、我々は少しも関心を持っていない。それより我々はあの緑の瞳の美しいヴィオラ様が、次にどんな面白い提案をしてくれるのか、それを楽しみにしている」
「あの女はただの従業員ですよ」
「彼女はヴィオラ・ウォールですよ。この十年、彼女はまさに生ける伝説だ。特に、彼女と法の男のじれったい様子は我々にとって最も興味のある……え?ご存知ない?あぁ、そうでしょうね。ダイヤモンドを欲するのは教養がある者だけでしょうから」
教養のない者、下品な者はただキラキラした石ころとしか思わないのだと、公子はトマスを揶揄する。トマスは立ち上がり、契約を打ち切ると叫んだ。この無礼な若造が何を言ったところで、ウォール家の事業は全てトマスのものなのだ。
「えぇ、勿論、構いませんよ。トマス・ウォール伯爵」
「ふん、負け惜しみを……」
「私は泥船に興味はありません。貴方がこのままヴィオラ様にとって代わって君臨できると、ウォール家が判断するのなら、つまらない場所に関わりたくはない。ヴィオラ様が打ち勝つのなら、貴方のこの決定は何の意味もないことですしね」
トマスは無礼な公子に怒鳴り続けた。だが若い貴族は涼しい顔で、トマスをにこにこと眺めている。
何もかも、トマスの思い通りにはならなかった。
トマスは十年前、自分がこの社交界で「英雄」扱いされていたことを知っている。金持ち女の鼻を明かした勇気ある行動を、誰もが褒めそやしたのではなかったか。トマスは自分が社交界に戻れば、誰もがトマスを丁寧に扱うと信じていた。十年間、ウォール家を平民女に任せる英断を下し、見事にウォール家を復興させたのはトマスの判断があったからだ。そして十年経ち、見事にトマスは凱旋する。自分が伯爵家の守護者気取りの女から、何もかも取り上げて、貴族として正しく運営する姿を見せれば、誰もがトマスの有能さと貴族らしさを尊敬するはずだった。
だが、貴族たちはトマスに対してまるで他人のような反応だった。トマスを貴族の仲間とは思っていないような目で、ヴィオラと話したいとそればかりを求める。
こんなはずじゃなかった。
トマスは焦る。
ヴィオラが、あの女は金を稼ぐために周囲に媚を売るのが上手いのだろう。だから、取引先の男たちはヴィオラに執着しているのだとトマスは考えた。
だからトマスは、そんな彼らに思い知らせてやろうと思った。
ヴィオラは自分の女なのだ。
もちろんトマスの妻は、最愛の女性はただ一人、エヴァージェンだけだ。それは間違いない。だが、ヴィオラはトマスのものだった。
貴族の男たちを誑かしたヴィオラを自分の思い通りにする。女なんてものは、抱けば言うことを聞くようになるのだ。そしてこの国の法律では、女の方から離婚はできない。
トマスはヴィオラを手放すつもりはなかった。貴族の男たちはヴィオラに執着しているのか、なら、それをうまく扱ってやればいい。ヴィオラは金の生る樹だった。トマスが手放せば、今日訪問した男たちの誰かの元に走るのだろう。そうすればトマスは笑い者だし、ウォール家のためにヴィオラには働いてもらう必要があった。
そうだ。さっさと抱いてしまえばよかったんだ。
トマスは自分の考えがとても素晴らしいものだと思った。
ヴィオラが反抗的な目をしていたのを思い出す。あれは自分が誰のものなのか自覚していないからだ。殴って言うことを聞かせ、たまに抱いてやれば大人しくトマスに従うようになる。どのみちトマスに抱かれた平民女を公式な妻に迎えることをする貴族などいるわけがない。トマスは楽しくなってきた。愛しい大切なエヴァージェンにはできないようなことも、平民のヴィオラにならしてもいいだろう。生まれの卑しい女だから、そういう乱暴な抱き方の方が好むかもしれない。
トマスは酒を煽り、むしゃくしゃする感情をさらに暴れさせながら、ヴィオラの寝室の扉を開けた。
〇んでくれ、頼む。




