09.その頃レイシー家では ※ガス視点
「え~!! 私はピンクがいいって言ったのに……! ブルーは嫌! 取り替えてきてください!」
ジーナの高圧的な声が、家の中に響き渡っていた。
「我儘を言わないでくれ……、ジーナ。ピンクはもう売り切れていたと言っただろう?」
「私はピンクじゃなきゃ絶対嫌!!」
「ジーナがこう言ってるんですから、なんとかしてくださいよ。あなた!!」
「……ううん」
ローナとの婚約を破棄して、数週間。
その日レイシー子爵家を訪れた僕の耳に飛び込んできたのは、不満そうなジーナの声と、困ったような子爵の声に、ジーナの味方をする刺々しい母親の声だった。
僕はその場面をただ静かに見つめていたが、ジーナは頑固な態度で我儘を通そうとし、手を振り回していた。
まるで自分が世界の中心であるかのように振る舞う彼女に、子爵は困惑と疲れの入り混じった声を漏らしている。
さすがに、見ているのは少し辛いものがある。
「あら? ガス様ではありませんか。いらしていたの?」
「ガス様! 聞いてくださいよ! お義父様ったら、今度の夜会に履いていく靴、私はピンクがいいって言ったのに、ブルーを買ってきたんですよ! 信じられます!?」
「……」
話はすべて聞こえていたよ。
僕の腕に飛びついてきたジーナにそう言ったのは心の中だけにして、そこで項垂れている子爵に視線をやる。
「……しかし、ピンクは売り切れていたんだろう? では仕方ないじゃないか」
「ええ!? ガス様までそんなことを言うんですか!? 信じられない! 酷いわ! 私は絶対ピンクがいいのに!!」
「そうですわ、可憐なこの子にはピンクが似合いますのに……まったく」
「……」
ギャーギャーと甲高い声で喚くジーナに、母親の嫌みったらしい溜め息。
子爵は何も言い返せず、ただ項垂れて小さくなっている。
「本当に可憐で可愛らしいジーナになら、ブルーでも似合うんじゃないかな?」
僕は皮肉と同情を混ぜ合わせた言葉を口にした。ジーナはその言葉に一瞬考え込み、次に満更でもなさそうに笑った。
「えっ? ……まぁ、そうね。そうかもしれないわ。もう、しょうがないからブルーで我慢してあげます!」
「あらぁ、この子ったら、なんていい子なのかしら。だめな義父を許してくれるなんて。きっと神様は見ているわよ」
「うふふ、そうよね!」
「…………」
僕のお世辞に簡単に心変わりしたジーナと、それを大袈裟に褒める母親に、思わず子爵を気の毒に感じる。
そもそも、この家は夜会のためにいちいち新しい靴を買えるほど裕福ではないだろうに。
彼女たちはいつもこうなのだろうか?
僕とジーナが婚約を結び直してからの数週間、何度もこのような場に遭遇している。
〝新しいドレスが欲しい〟
〝ドレスに合うアクセサリーが欲しい〟
〝新しく出来たレストランが評判だから行きたい〟
〝そこのアップルパイが食べたいから買ってこい〟
――などなど。
ジーナの要求はエスカレートし、家計はどんどん逼迫していった。僕も最初は、彼女の笑顔のためならと思っていたが、次第にその笑顔が薄っぺらく感じられるようになってきた。
ローナがこんなことを言っているのは、一度も見たことがない。
ローナはミルキーブロンドのやわらかな長い髪に、ストロベリーピンクの可愛らしい瞳をした女性。
その見た目同様に、心優しく可愛らしい女性だと思っていたのだが……僕はその見た目に騙されていた。
しかし、我儘を言って義父を困らせるジーナと、甘やかし肩を持つ母親。
何も言えずにしょんぼりする子爵を見て、少し混乱した。
その姿を見せなかっただけで、ローナは我儘で傲慢な、腹黒悪女なんだよな?
ジーナは思ったことを口にする、裏表のない素直な女性なんだよな?
だから、ジーナのほうがいい子……で、間違いないんだよな……?
「ガス様、今度私にピンクの靴を買ってくださいね!」
ジーナの言葉が耳元で響く。
「え? 僕が?」
「ガス様は私の婚約者なんですから、当然でしょう!」
「しかし、先週も君にせがまれてイヤリングを買ったじゃないか。あれ、結構高かったんだよな……」
「何をケチケチ言っているのですか! ガス様は伯爵家のご子息なんですから、お父様に頼んだらいいじゃない!」
気の強そうな真っ赤な瞳を向けて、癖のある同色の髪を振り乱しながら喚くジーナに、僕は内心で溜め息をついた。
「……わかったよ」
「やったぁ! それじゃあ向こうでお茶にしましょうか!」
「先に行っててくれるかい? 僕は少し、子爵と話があるんだ」
「ふぅん。わかりました。でも、早くしてくださいね?」
「ああ……」
ジーナと母親が部屋を出ていくのを見送って、僕は子爵にそっと声をかける。
「……大変ですね」
「ローナは、絶対にあんなこと言わなかった」
「え?」
「こういうとき、あの子なら『ブルーも素敵だわ、お父様ありがとう』そう言って笑ってくれる。たとえそれが本心ではなかったとしても……ローナは我儘一つ言わずいつも私を支えてくれていた……。ローナは本当にいい子だった……」
ぶつぶつと、独り言のように呟く子爵の言葉には、怒りや憎しみ、後悔の念が感じられる。
「しかしローナは僕のことを金づるとしてしか見ていなかったんですよ? いい子なのはふりだけで、あなたのことだって、頼りない父親だと思っていると、ジーナが言っていました!」
「……そうだな。まったくその通りだよ」
「子爵……?」
はぁー、と深く息を吐き、子爵は思い詰めた表情でふらふらと部屋を出ていった。
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