08.また明日も
もちろん私は嬉しいけど……でも、グレン様も本当はフルーツケーキが食べたかったんじゃないのかしら?
「うん、噂通り美味い!」
グレン様が満足そうにベリータルトを一口食べる。その姿を見て、私は少し戸惑った。
「……」
「どうしたんだい、ローナ。食べないのかい?」
「いいえ、いただきます」
グレン様が優しく問いかけてくれた声にはっとして、私は笑みを浮かべた。
そして、目の前にあるフルーツケーキにフォークを伸ばし、一口食べてみた。
「ん~~!」
なんて美味しいの!
噛んだ瞬間、瑞々しい新鮮なフルーツの果肉が口の中でじゅわっと広がる。
クリームの甘さとフルーツの酸味がよく合っていて、スポンジ生地がとってもやわらかくて本当に美味しい!
「こんなに美味しいケーキ、初めて食べました!」
「よかった。それにしても君は本当に美味しそうに食べるね」
「ふふふ、本当に美味しいので」
私は照れながらも素直に答えた。嘘でもお世辞でもなく、本当に美味しい。
こんなに美味しいケーキが食べられる日が来るなんて、思ってもみなかったわ。
これも師匠のお店で働かせてもらっているおかげね。
ちょっと高いけど、これからも頑張って働けば大丈夫。
今まで頑張ってきたご褒美よ。
それくらいの価値があるくらい、美味しいわ!
「……」
「本当に美味しい……ん? なんでしょう?」
私が夢中でケーキを味わっていると、グレン様がじっとこちらを見つめていることに気がついた。
「ああ、じっと見つめたりしてすまない。君があまりに可愛い反応をするから、見ていて飽きなくて」
「か……っ!?」
その言葉に、私の心臓がドキリと跳ねる。
また、グレン様は〝可愛い〟なんて言葉を口にした。
……でも、違うわ。落ち着いて、ローナ。
これは冗談……ううん、お世辞よ。貴族の間ではこういう言葉は平気で交わされるのよ。
社交の場にはあまり出たことがないから慣れていないけど、私も少しは免疫をつけなくちゃ!
「ふふふ、ありがとうございます、グレン様もとっても素敵ですよ」
「……君に言われると、お世辞だとしても嬉しいよ」
「お世辞じゃありませんよ、ふふふふ……」
グレン様は頰をほんのりと赤く染めながら返してきた。その姿がまた一段と魅力的で、私の胸が高鳴った。
結局私はそれ以上上手い言葉が出てこず、笑って誤魔化すだけ。
なぜかしら……。
どうしてか、グレン様にはいつものような上手い言葉がすらすら出てこない。
グレン様の瞳に見つめられると、鼓動が少し速くなって、上手に思考を働かせなくなる。
こうして客観的に見ても、グレン様の見目がよすぎるせいかしら?
でも落ち着いて。この人はお客様よ。それを忘れてはだめよ、ローナ。
『――やっぱりそうよ』
『でもあの子は誰……?』
ヒソヒソヒソ――。
「……?」
気持ちを落ち着けようとハーブティーを一口飲み、ふぅと息を吐いた。けれど、また周りの女性たちの視線を感じた。
何か、私のことを話してる……?
でも目が合うと、さっと逸らされてしまうし、知っている顔はいない。
何かしら……?
それが少し気になったけど、グレン様と楽しくお話をして、ケーキとハーブティーを飲み終えた私たちはお店を出ることにした。
「――グレン様、ケーキ代は私が!」
私が申し出ると、グレン様は優しく微笑みながら首を横に振った。
「いや、無理をして付き合ってもらったんだ。当然俺が払うよ」
「ですが……!」
フルーツケーキ代だけではなく、グレン様はハーブティー代もすべて支払ってくれた。
「本当に気にしないで? 俺はこれでも、一応それなりの給料をもらっているし」
「それはもちろんそうでしょうけど……でも、それとこれとは違います!」
「君が一緒に来てくれて助かったんだ。だから本当に気にしないでくれ」
とても爽やかにそう言って、スマートにエスコートしてくれるグレン様に、私はこれ以上食い下がるのも逆に失礼かと思い、素直にごちそうになることにした。
「……わかりました。ごちそうさまです。本当に美味しかったです!」
「よかった」
グレン様に、また借りを作ってしまったわ。
これからしっかり返していかなくちゃ。
「あ、このクッキー、ジャムが乗っていて美味しそう……」
お店を出る前に、陳列されたクッキーを見つけて思わず足を止める。
「付き合ってくれた礼にプレゼントするよ」
「いえ! これは私が自分で師匠にお土産として買っていきます」
「え? ジョセフ殿に?」
「はい。師匠は一人で店番をしてくれているので」
今日は私にお休みをくれたし、師匠にはいつもお世話になっているから。
それにこのお店のクッキーなら、きっと美味しいに違いない。師匠にも食べさせてあげたい。
「君は優しいね。だが、元々あの店はジョセフ殿の店なんだよ?」
「もちろんそうですけど、たまには師匠にお礼をしなくちゃ」
師匠が店番をするのは当たり前かもしれないけれど、今の私には師匠が唯一の家族のような存在。
こうして誰かにお土産を買っていくという行為も、少し憧れていた。
実母が生きていた頃は、父が私によくお土産を買ってきてくれたわね。
お父様は、元気でやっているかしら?
「……たまに、ではないと思うけどね」
「え? どういう意味ですか?」
「ううん。本当に仲がいいんだね」
「師匠は私の恩人ですから!」
「羨ましいな」
「?」
何が羨ましいのだろう。
意味深に呟かれたグレン様の言葉に、私は首を傾げたけれど、グレン様は「なんでもないよ」と言って微笑んだ。
もしかして、グレン様もクッキーが欲しいのかしら?
そんなことを考えながら、私はお土産用のクッキーを二つ購入した。
「――今日はありがとうございました」
別れ際、改めて感謝の言葉を述べると、グレン様は穏やかな笑みを浮かべてくれた。
「それはこっちの台詞だよ」
「あの、これ。よかったらどうぞ」
「え? 俺に?」
「はい」
帰りもホーエンマギーまで送ってくれたグレン様に、私は先ほど購入したクッキーの袋を一つ渡しした。
ケーキをご馳走してもらったし、グレン様は『羨ましい』と呟いていたから。
「二つ買ったのは、ジョセフ殿と君の分だと思っていたのに……」
「ふふふ、私は師匠と一緒に食べますから」
「……ありがとう、君は本当に優しいね」
グレン様は少し戸惑った様子だったけど、その瞳には喜びが満ち溢れていた。
彼は優しい微笑みを浮かべながら、クッキーを受け取ってくれた。
「いいえ。こちらこそ、美味しいケーキをありがとうございました」
ふふ、グレン様が喜んでくれてよかったわ。そんな思いが胸に広がる。
「またうちのお店にも来てくださいね」
「もちろん、明日も行くよ」
「ふふふ、では」
感謝されたところですかさず営業したけれど、言われなくてもグレン様は最近毎日お店に来るんだったわね。