26.特別なお客様ですよ
「――それじゃあローナ、また店に行くから」
「はい。今日はありがとうございました」
グレン様が手配してくれていた馬車まで送ってもらい、私は一人ホーエンマギーに戻ることになった。
でもここまで用意してくださるなんて、グレン様は本当に優しい方だわ。
「本当は俺が店まで送っていきたかったけど」
「そんな、グレン様はお仕事中ですから。ここまでしていただけただけで十分です」
「……」
本心でそう言ったのに、どうしてかグレン様は不満そう。
「グレン様?」
どうしたのかしら? もしかして私、グレン様に何か無礼を……?
「あの、私何か失礼なことを――」
超常連客であるグレン様に嫌われてしまったら一大事!
もうお店に来てくれなくなっては大変だわ!
そう思って焦った私に、グレン様は小さく息を吐いた。
「他の男にあまり可愛い笑顔を振りまかないでほしいな」
「え?」
ずいっと近づいてきたグレン様は、手を伸ばして私を馬車越しに追い込み小さく囁いた。
なんですって……?
「妬けるよ」
「妬けっ!? ……またまた、グレン様ほどの方が、何をおっしゃっているのですか」
グレン様ほどの方ならば、欲しいものはなんでも手に入るだろうに。
先ほども、先日の夜会でも、ご令嬢たちはグレン様に熱い視線を向けていた気がする。
だからきっと冗談を言っているのだろうと、ふふふふ、と笑って誤魔化してみたけれど……グレン様は私の髪に触れるほどの至近距離で、見つめてきた。
「俺が見ているのは、君だけだよ?」
「…………」
そしてとても甘い表情で、この囁き。
こんなに素敵な方に、そんなことを言われるなんて。
やっぱり慣れないから、なんと返したらいいかわからずに口ごもってしまう。
「いくら払えば、君の笑顔を俺のものにできるのかな?」
「……えっと」
笑顔は販売しておりません。
そう答えようとして、思いとどまる。
グレン様がそんなこと、真面目に言うわけないじゃない。
きっと冗談で言っているんだわ。
「ふふふ……私の笑顔でよければ、いくらでも差し上げますよ」
「俺だけの笑顔が欲しいんだけど」
「え……?」
それは、どういう意味でしょう……?
グレン様だけの笑顔。他のお客様には見せない、とびきりの笑顔とか?
「…………」
「……なんてね、ごめん。困らせる気はなかったんだけど――」
「グレン様! いつもご贔屓にしてくださって、本当にありがとうございます!」
意を決して、これまでにないくらい、とびきりの笑顔を作って顔を上げた私に、グレン様は驚いたように目を見開いた。
「……」
「あれ……? お気に召さなかったでしょうか」
「…………プッ!」
「え?」
「ははははは――! いや……、ありがとう、嬉しいよ」
グレン様の微妙な反応に余計なことをしただろうかと慌てた直後、彼が突然吹き出したかと思ったら、大笑いされてしまった。
「確かに今のは俺だけの笑顔だね……いや、そういう意味じゃなかったんだけど、今はそれでいいや」
「……? うふふ」
とりあえず私もグレン様に会わせて笑っておく。
ぶつぶつと何か言っているグレン様の真意はよくわからないけど、喜んでくれたのよね?
「君は本当に可愛いな」
「え、かわ……っ!?」
「ありがとう、元気が出たよ。気をつけて帰ってね」
「は、はい……」
まだ混乱している私の髪を一束取ると、グレン様はその毛先に口づけを落とした。
それだけで私の鼓動はドキドキと大きく脈を打つのに、グレン様はとても楽しそう。
……もしかして、グレン様は自分が一番の常連だから、焼きもちを焼いたのかしら?
あんなに立派な方でも、特別扱いしてほしいと思うのね。
ふふふ、でも大丈夫ですよ。私も師匠もグレン様にはいつも感謝してます。
ホーエンマギーにとって、グレン様が一番の常連様ですからね!!