11.紹介って、まさか…!
それから一週間はあっという間に過ぎていった。
この一週間、私はいつもと変わらない生活を送っている。
お店に来る常連さんたちもいつもとほとんど変わらない。
師匠もいつもと同じ。
……でも、グレン様はこの一週間、一度もホーエンマギーにやってこなかった。
一体どうしたのかしら? 何かあったの?
私はそんな心配をしてしまったけれど、師匠は「なんでもないさ」と軽く笑っていた。
私が来てから、グレン様がこんなに長い期間お店に来ないことはなかったのに。
もしかしたら、訓練中に怪我をしてしまったのかもしれない。
そんなことも想像したけれど、やきもきしていた私に、夜会の二日前にグレン様から手紙が届いた。
手紙には、夜会当日は馬車で迎えに行くと書かれていた。
それから、とても楽しみにしているとも。
怪我をしたとか、病気になったというようなことは一切書かれていないし、二日後の夜会には予定通り参加するそうなので、師匠が言ったように何もないのかもしれない。
だからほっと胸を撫で下ろしたけれど、元気なのに来てくれなかったのかと思うと、それはそれで少し寂しく感じる私がいた。
……あれ? でもどうして寂しいのかしら。
別に、一週間くらい来ない常連様は他にもいるのに。
「――おお、ローナ。見違えるようだな!」
「ふふふ……そうでしょうか?」
そんなもやもやした気持ちを抱えながらも、夜会当日を迎えた。
その日は、師匠の家の使用人がわざわざやってきて、私をドレスアップしてくれた。
夜会に着ていくドレスがないと困っていた私に、師匠は奥様が使っていたものを貸してくれると言ってくれたから、ありがたくお借りすることにしたのだけど……。
まさかこんなに高級そうなドレスに、煌びやかな装飾品まで持ってきてくれるなんて、想像していなかった。
「よく似合っているよ。サイズもちょうどよさそうだな」
「……ですが、やっぱりこんなに高価なもの、お借りできません」
「いやいや、家で眠っているだけではかわいそうだ。君に使ってもらえて、妻も喜んでいるよ」
「……そうでしょうか?」
統一感のある、紫色の宝石がついたネックレスとイヤリングは、なんとなくグレン様の瞳の色を連想させる。
なぜ、この色を選んだのかしら?
社交界では恋人や婚約者の瞳や髪の色の宝石を身につけるのが流行ってることは知っているけれど、私とグレン様はそういう関係ではない。
誤解を与えるようなものを身に付けて、グレン様にご迷惑ではないかしら?
「とにかく、今日は楽しんでおいで」
「……はい、ありがとうございます」
いつもお店に立っているときの服装とは全然違う私の姿に、グレン様はなんて言うだろう。
そもそも、いつもはしていないお化粧もしっかりされているし、髪も結い上げているし、すぐには私だとわからなかったりして……?
「すまない、待たせた――」
そんな不安を抱きながらグレン様を待っていると、扉が開いて一週間ぶりにグレン様の声が店内に響いた。
「グレン様」
「――ローナ」
よかった。やっぱりお元気そう。
ほっとしたけれど、次の瞬間にはグレン様のあまりにも美しい姿に、私は息を呑んだ。
濃紺の髪と紫色の瞳によく合う、黒を基調とした正装姿。
背が高くて、姿勢がよくて、がっちりとした体躯にすらりとした長い脚。
堂々とされているその姿は、まるで絵の中から抜け出してきた王子様に見えてしまうほど、美しい。
「グレン様、ごきげんよう。本日はよろしくお願いいたします」
「……」
「……? グレン様?」
「あ、ああ、こちらこそ、よろしく」
一週間ぶりに会うせいか、今日のグレン様が素敵すぎるせいか、ドキドキしてしまう。
そんなグレン様に相応しく見えるよう、淑女としての挨拶をしたけれど、なんだかグレン様は少しぼんやりしている様子。
やっぱり、体調がよくないのかしら?
「大丈夫ですか?」
「……すまない、君があまりにも美しいものだから、見とれてしまった」
「えっ?」
「では、行こうか」
「はい……」
頰をほんのり赤く染めてそう言ったグレン様のほうが、何倍も美しいんですけど……?
心の中でそう思いつつも、貴族のお世辞にいちいち動揺しないよう気合いを入れて、差し出されたグレン様の手に応える。
「それではジョセフ殿、いってきます」
「ああ、ごゆっくり」
師匠はそんな私たちを見て、小さく微笑んでいた。
「――さぁ着いた、どうぞ。お姫様」
「もう、グレン様ったら……」
馬車が王宮に到着すると、グレン様が先に降りて私に手を差し出してくれる。
ふざけてそんなことを言うものだから思わず笑ってしまったけど、グレン様の手を取って馬車を降りた直後、辺りを歩いていた貴族令嬢たちが立ち止まり、一斉にこちらを見たのがわかった。
『――ねぇ、見て』
『まぁ、あの噂は本当だったの?』
ヒソヒソヒソヒソ――。
「……?」
「行こう、ローナ」
「はい……」
グレン様は何も気にしていないように私のことだけを見ているけれど、口元を扇で隠しながら、ひそひそと話をしている彼女たちの視線が痛いほど刺さる。
「……あの、グレン様」
「大丈夫。あんなの気にしないで」
「はい……」
グレン様に聞いてみようとしたけれど、すべてを言う前に、彼ははっきりとそう答えた。
やっぱり、グレン様も気づいているわよね?
王宮騎士様だし。私が気づいているのに、グレン様が気づいていないわけがない。
でもわかっていて、あえて気にしないふりをしていたのね。
社交の場は不慣れだし、こういうときどう立ち回ればいいのかよくわからない。
でも、とにかく今日はグレン様に恥をかかせることのないよう、淑女としてしっかりやらなければ……!
改めて自分にそう活を入れて、私はしゃんと背筋を伸ばした。
「――おお、グレン! ローナちゃん! 来たか!」
「エディ様、こんばんは」
会場内に入ると、既に大勢の貴族たちが集まっていた。
そんな中、私たちを見つけて真っ先に声をかけてくれたのはエディ様。
「今日のローナちゃんはいつにも増してとても美しい。ぜひ後でダンスの相手を申し込みたい」
「ダンス……?」
「エディ!」
「はは、グレンが妬くからまた今度ね。それじゃあ、早速王女様にご挨拶に行くか」
「ああ」
「え? 王女様にご挨拶?」
ちょっと待って、聞いてない。
「王女様って、アルマ王女のことですよね……?」
「そうだよ」
アルマ王女――。
国王の末娘にして、ただ一人の王女様。
晴れた日の青空のような色の美しい髪に、エメラルドのような瞳を持つ、現在十三歳。
国王陛下のご寵愛を一身に受けていて、とても大切にされている王女様は、それはそれは可愛らしい方だと有名。
……そして、超我儘だとも、言われている。
「私は、ご遠慮しておきます、どうぞお二人でいってきてください……!」
最初から私のような下位貴族は絶対に参加しなければならないわけではないし、こんなにたくさん招待客がいるのだから、王女様だって全員と挨拶する時間はないだろう。
そう思って尻込みした私に、エディ様は言った。
「そういうわけにはいかないよ」
「え……? なぜでしょう」
「だってアルマ様はグレンの相手に会うことを楽しみにしているんだから」
「…………」
グレン様の相手に会うことを楽しみにしている?
「それはどういう意味でしょうか……?」
「すまない、ローナ。実は今日の夜会にどうしても君と一緒に参加したかった理由は、王女に君を紹介するためだったんだ」
「紹介って……」
なんて紹介するんですか?
まさか、恋人とか婚約者ではないだろうし――――あ。
「わかりました! ホーエンマギーを王女様に紹介してくださるということですね!」
「いや、そうじゃな――」
「ああ、そうなんだ」
一瞬、エディ様が何か言ったような気がするけれど、グレン様が笑顔で頷いてくれた。
やっぱり! そういうことだったのね。
師匠は奥様を亡くされてからずっと社交の場に出ていないようだし、王女様とは私のほうが歳も近いし、同性だし、紹介しやすいものね!
「ふふふ、そういうことでしたら最初からおっしゃってくださればよかったのに!」
「そうだね、すまない。さぁ、行こうか」
「はい!」
「……まぁ、いいか」
やっぱりエディ様が何か言いたげな視線を向けてきた気がするけれど、小さな声で納得したみたい。
もし王女様がうちのお客様になってくれたら、とんでもない太客だわ……!
気に入られるように頑張らなくちゃ!