老人と話すのは疲れるし禅問答に似ている
踵を返して、足早に歩きはじめたシンにゲンが後ろから声をかける。
「なんだよ、わざわざここまで来てもう行くのか。」
「早く帰れって言ったのはお前だろ。」
シンから見たサイは、自分とはまったく別の生き物のように感じた。
サイが描いた空絵を見続けると何かが自分の中に入ってくるような不安と不気味さがあった。
よくも無邪気に見物できるもんだ。
歓声を上げた見物人たちと同じように楽しめない自分に苛ついているのかもしれない。
屋敷の門をくぐり玄関の戸を開けると正面にセンが正座して待ち構えていた。
「お待ちしておりました。先代がお呼びです。」
センは静かに、しかしはっきり聞こえるようにシンに言った。
「知ってるよ。だから帰ってきただろ。」
吐き捨てるように言うと屋敷の奥の祖母の部屋へ真っ直ぐ向かった。
祖母は、部屋で骨と皮だけになった皺だらけの手で煙管に火を入れていた。
騒がしく部屋に入ってきたシンの方を見ようともせず、長々と煙を吸い込んではゆっくりと吐き出している。
「用があったんじゃなかったのか。」
待ちくたびれたシンは先に口を開いた。
「何の用だと思う?」
ようやく声を出した祖母は、未だシンに一瞥もくれようとしない。
「めんどくせえのは無しにしてくれ。」
祖母は小さく鼻で笑った。
「愚かな子だよ。それでほっつき歩いて空絵師が何しに来たか分かったのかい?」
「さあな、観光じゃないのか。」
「使者が来た。」
シンの軽口には答えず、短く祖母はそれだけ言った。
「それはそれは。じゃあ、何しに来たか分かったわけだ。」
いきなり接触してきたのか。あまりにも直球。目的を隠す気もないわけか。
シンの感覚から言えば、目的達成によほどの自信があるのか、もしくはとてつもない馬鹿かのどちらかに思える。
祖母は言葉を紡ごうとしない。いつものことだ。
「で?なんて言ってきたんだ?」
「あんたを名指しで会いたいんだと。用件は会った時に直接言うそうだ。」
「俺を名指し?」
「今、そう言ったろ。」
「何の用で?」
「それもさっき言ったはずだがね。」
そう言うと、祖母はため息をついてまた煙管をくわえた。
結局、会いに来るということだけで何も分かっていないのと同じだった。
「使者はどこだよ。」
「誰かさんがほっつき歩いている間にとっくに帰ったよ。来たのは三時間も前だ。」
いちいち苛つかせる老人だ。
だが、この老婆はわずか二年前にシンに当主を譲るまでは、現役で数々の武家の猛者たちを震え上がらせていた。
現在の人形使いの家の評判を作り上げたのは、他ならぬ祖母その人と言っても過言ではない。
「会うって言ったのか?」
「それ以外にどんな返答がある?断るなら面と向かって自分で言いな。」
なんて言い草だ。だが、文句言ってもしょうがない。
「いつ来るんだ?」
「夕刻だそうだ。ちゃんと面会の準備をしておくだね。」
言われなくても分かっている。そんなことより自分の考えがまとまらない。
「なあ、何しに来ると思う?」
「さあね。お前は何だと思ってるんだい。」
「知るかよ。空絵師の考えてることなんて分かるわけがない。」
それを聞くと祖母は小さく喉を鳴らして笑った。
「じゃあ、そういうことだよ。」