湯の川まで
人間は一生、人間の愛憎の中で苦しまなければならぬものです。 太宰治「升青」より
妻の墓を別府に作るといったら、電話の向こうで娘の真実が狂ったように叫び出した。
「お母さんが元気でいるあいだという約束でそっちにマンションを買ったのでしょ。もとはといえば、おとうさんのわがままからじゃないの。お母さんが亡くなったからといってすぐにマンションを売り払えとはいわないけれど、お墓をそんなところに作ってしまったら、これからお墓の面倒は誰が見るの。お彼岸の度にわざわざ東京から身寄りのない九州の墓守に帰るわけ!」
「そげえいわんでもええじゃろ。お母さんと暮らしたこの五年あまり、今までにない思い出がたくさんできたんじゃ」
私は正直に答えた。定年を迎えるまでの四十有余年、人でむせかえる大都会で暮らしてきたが、所詮、性根は九州人。元々、都会に骨を埋める覚悟などさらさらなかった。
「すっかり言葉まで、そっちに戻ってしまったねぇ、そりゃ別府はおとうさんの生まれ故郷だということはわかっているわ。でもついこの間まで東京で暮らしていたじゃないの。そっちに今は身寄りもないし、一人にしておくのは心配です。お墓はこっちに作ります。おとうさんも早くこちらへ帰ってください」
娘の気持ちがわからなくはなかった。七十を過ぎた老人を身寄りのないところに一人で置いておくのは心配であろうし、他人様に対してみっともないという見栄もあるだろう。私の孫二人を生み育てまもなく五十路を迎える娘のいうことに感心はするものの、どうしても九州を離れる気になれなかった。
「わかった。考えておく」
「百ヶ日法要はそちらで行って、遺骨は東京に持って帰ります。こちらのお寺の永代供養の納骨堂におさめてもらえるよう話を進めていますから」
妻に苦労をかけ通しだった私は、どこの家庭もそうであるように、娘には頭が上がらなかった。それでも娘のあまりの独断に私は怒った。
「誰がそんなことまで勝手にしろといった。納骨堂が、貴様の言う墓か? 形ばかりの供養でお母さんが浮かばれると思うのか!」
情けなさで電話を持つ手がブルブルと震えた。
「数百万円かかる費用はどちらもかわらないし、朝晩のお勤めや先祖供養も心配いらないのよ。都会では常識よ、常識。そんな田舎の霊園で無縁仏の墓のように野ざらしにでもなってみなさい、それこそお母さんが可哀そうよ。いままでさんざんお母さんを一人にしておいて、死ぬ間際のほんの数年一緒に暮らしただけのお父さんにいわれたくありません。マンションを買うことはお母さんも賛成したことなので了承したけど、墓を別府の霊園に作ることだけは絶対承知しません」
何もいわず私についてきた妻と、娘はまったく性格が違っていた。いい出したら他人のいうことを聞かない頑固なところは、私の若い頃を見ているようだった。
「もういい!」
鼓動が早鐘を打ち始めた私は、精一杯の啖呵をきって電話を放り投げた。
私は家庭を省みず仕事ばかりをしてきたその罪滅ぼしに、妻とゆっくり余生を送るつもりでいた。それが定年を目前に控えた歳の暮れ、妻の様子が少しおかしくなった。買い物へ行くときまって同じものばかり買って帰って来た。やがて毎日通っていたスーパーで迷子になり、家に戻れなくなるという事件が起きた。何の前触れもなく妻は進行性の痴呆症を発病していた。やがて記憶がわずかずつだが失われていった。
あの日、病院で不治の病を宣告されても妻は平然としていた。
「そうですか」
妻は少しだけうつむいて口を閉ざした。
「家内をよろしくお願いします」
私は医師に頭を下げながら、これまで妻に一度も優しい言葉などかけたことのない男が、今更、医者に何をお願いするのかと思った。昨日まで無言で妻を責め続けた自分をつくづく身勝手だと思った。
診察室を出て、ナースステーションの前を通り過ぎ、エレベーターに乗る間、私も妻も当然のように一言も話さなかった。
扉が閉まり、行き先階のボタンを押していると妻がつぶやいた。
「これでやっと『あの子』に会える。大きくなっているでしょうね」
失った子の歳を数え続けて生きてきた妻を不憫だと思った。
「おとうさん、ごめんなさい……これで許してください……」
妻は言葉を詰まらせ、後ろから私の背中に手を置いた。やせ細った腕のそのあまりの軽さに、私の眼頭は熱くなっていた。
「もういい、もういい」
妻が大病を患うその時になって、私は妻の人生の大半を台無しにしたことを激しく後悔した。
六人姉弟の末っ子だった私は学校を卒業すると故郷を飛び出し、神戸にある機械部品の製造会社へ就職した。すでに両親も亡くなっており、勝手気ままな行動を責める人もなかった。慣れない都会暮らしであったが、寂しさはまるでなく、稼いだ金はすべて遊興費に使い果たすという無鉄砲な生活を何年も続けた。貧乏が当たり前の時代。私もご多分にもれず、四畳半一間のアパートで夢だけかじっていた。
そんな折、私は元町商店街にあった台湾人の経営する料理店に住み込みで働いていた妻と知り合い、会社の上司の仲人で結婚した。
「一緒になりたかったら酒とバクチをやめなあかんぞ。一年やるさかい、結納金をなんぼでもええ、つくってこい。あとは俺が話をつけたる」
上司のキツイ一言で目覚めた私は、キャバレー通いと好きなパチンコも封印し、生まれて初めてお金を残す生活をした。料理屋に勤めている妻は朝と昼の握りメシを作ってくれた。夜は店に通い、妻が他の客にわからぬよう大盛りにしてくれた定食を食べ続けた。
「あんた、煙草はやめんでもええんよ」
気がきく妻は帰り際、私に『新星』を一箱くれた。
一年後、食堂で祝言をあげ、手鍋と洋服ダンス一つの質素な暮らしをスタートさせた。何もなかったが、なにも不自由を感じない不思議な時代だった。頑張れば頑張っただけ報酬が得られるという、いたって単純明快な世の中でもあった。
二人で真剣に働いた。給料も月を追うごとに増え、気が付けば一間のアパートから二間に広い台所がついた部屋へ越していた。生活が落ち着いた頃を見計らったように妻は妊娠した。それを機に妻は仕事を辞めた。
翌年出産。幸福の絶頂だった。
そんな折、あの事件が起きた。第一子の長女「真美」が、あっけなく死んだのである。一歳の誕生日を迎える前日だった。幼児の突然死は、その当時めずらしくなかった。誰のせいでもないことはわかっていながら、私は日毎に募る哀しみと幼子への憐憫から、同じように苦悩しているはずの妻を非情にも責め続けた。そして自分が生まれてきたことすら後悔した。以前より生活が楽になったとはいえ、墓や仏具を揃える余裕はなく、簡単な葬儀を済ませたあと、遺骨を神戸の須磨寺に引き取ってもらうことにした。
時を同じくして東京工場への転勤命令が出た。真美を神戸に残して異郷の地へ移ることを拒む妻の意見を無視して私は即決した。やがて製造部から営業部へ転属となった私は気狂いのように仕事に没頭し、単身で全国を駆け回った。家庭のことは妻にすべて任せた。次女が生まれた時も家にはいなかった。名前をどうするか相談された時も応えずに放置した。第二子に「真実」と名付けた妻の無神経さには開いた口が塞がらなかった。家に帰ることも少なく、娘を一度も抱いたことはなかった。
私の妻に対する冷たい仕打ちを不憫に思った神戸の実家の両親から小言を言われることもあったが、やはり仕事を理由に取り合わなかった。
「あの子を、許して、あげてください……」
義母はそう言い残してこの世を去った。義父は死ぬまで私と口をきくことはなかった。
無言の生活に慣れているはずなのに、妻の命が何かしら制限された途端、今まで当然であった沈黙の時間が息苦しく感じ始めていた。互いに受け止める気のない言葉の応酬は、所詮、意味はなく、言葉がなくても生活は成り立っていくが、一旦、受け止める気になると相手の言葉が待ち遠しくなるのである。その気持ちが続けば続くほど息苦しは募る。それを通り越してもなお、私の傍に居続けた妻の苦悩はいかばかりか。私は妻に対し日を追ってやさしくなっていく自分の醜さに耐えられなくなっていた。
痴呆が重度となり入院が必要になると何処へも行けなくなるので、旅へ連れて行ってあげたい一心で、妻に尋ねると、新婚旅行で訪れた別府温泉へ行きたいと言った。
新婚旅行で泊まったホテルはすでになくなっていたので、鉄輪の湯治客が利用する小さな温泉旅館に連泊することにした。
羽田から空路伊丹へ、大阪から山陽電車で神戸の須磨寺に参拝。真美の供養を済ませ、姫路から新幹線で小倉へ。大分へは日豊線のソニックを使い別府へ帰省した。帰省とはいえ、すでに兄たちは亡くなっており、元気な姉たちは他県に嫁ぎ、大分に親類はなかった。
新婚旅行の時はフェリーでの船旅だった。情緒感はまるで違うが、時間の短縮は目を見張るものがあった。妻は病気とはいえ、身体的に異常があるわけではなかったので、交通機関を乗り継ぐ強行スケジュールも難なくこなした。
翌日、新婚旅行の時と同じコースをたどりたいという妻のリクエストにこたえて、地獄めぐりの一日バスツアーに参加した。湧き出る湯気と地獄の様子は、四十年前と変わることなく、連綿と続く生命の息吹を感じさせた。妻は色とりどりの地獄模様を見つめながら目を輝かせていた。
二泊目の朝、目が覚めると、妻は窓辺にある籐でできた応接の椅子に腰をかけて、山間に立ち込める湯けむりを眺めていた。いつから降り出したのか南国の淡い雪が、いたるところに沸き立つ湯けむりに溶けていく。見つめる先には別府湾が一望できた。コの字に抉れた湾岸中央あたりに、スキージャンプ台の傾斜面のような美しい稜線を描いた高崎山が見えた。対岸となる大分市街を灯していた夕べの残光がまだらに霞んでいる。大型フェリー着岸の銅鑼の音が聞こえてまもなく、妻が口を開いた。
「おとうさん、散歩しませんか」
「いまからか」
「そう」
「そうやな、雪降る温泉町も悪くないな。でも身体にさわるぞ」
私は布団の上に胡坐をしながら答えた。
「大丈夫よ、今朝は。すごく気分がいいの。それにおとうさんが一緒にいてくれたら心配ないし。大げさなようやけど、今日まで生きてきてよかった。こうして二人で旅することなんか死ぬまでないと思っていたから。それにふたりで初めて旅した所にまたこうして来られるやなんて、まるで夢を見ているようよ」
妻はまるで一人芝居のように一気に話すと、突然、肩を震わせ涙した。
「ごめんなさい……」
妻は窓の外を見つめながら詫びた。ガラス窓に妻の潤んだ瞳が映っていた。
一昨日、須磨寺で卒塔婆に水を差すあいだ妻は亡くなった娘の名を呼び続けた。
「どうして謝るんだ。もうそのことは口にしない約束だぞ。それにお前だけが謝ることじゃない」
病気になってから亡くなった娘のことばかり話す妻を不憫だと思いはしたが、うとましく思うこともあった。
「謝ったのはあの子を死なせたことだけやないの。今までにあなたを恨んだことが何度もあったからよ」
私は妻がこんなに話をすることを忘れていた。能面のように無表情で口を開けずに言葉を話す。長い間、すべてが私の神経に障る生き物でしかなかった。どうしてついてくるのか不思議でならなかった。さっさとどこかへ消えていなくなって欲しかった。互いに愛しあってもいないのに影のように付きまとう。殺してやりたいと思ったこともあった。それほどまで私は妻を嫌悪していたのである。妻が私を恨むのは至極当然のことだった。
朝食を少し遅らせてもらうようフロントにお願いして表に出ると、落ちては溶ける南国の淡い大きな雪が依然降り続けていた。
「下駄は滑るから気をつけて下さい」と注意を受けたが、新婚旅行で来た時のことを憶えていた妻は、あの時と同じように下駄を鳴らしたいと駄々をこねた。浴衣姿の相合傘で旅館の裏側に出て、石畳の坂道を下ることにした。妻は戸惑うことなく私の手を握り、覚束ない足取りながら私を急かすように歩いた。
数年ぶりに肌を合わせたことで、不思議なことに互いの恩讐は失せていた。一夜の契が及ぼす奥深い男女の意義を、この歳まで気が付かずにいた自分がやっぱり情けなかった。折れるような細い指でしっかりと私の手を握る老いた妻に、私は今更ながら純真無垢な乙女心を感じた。それを持ち続けていた妻に敬服すると同時に、相愛だった若い頃を思い出して少しだけ胸が躍った。
「調子に乗るとあぶない」
私はそういって妻の手を少し強く引いた。妻は立ち止まり、鳥の翼を模した扇型の高層ビルを指差して言った。
「ここやね、たしか」
旅行で泊まった旅館は改築され、診療、介護も充実した分譲の温泉付きマンションになっていた。地獄から湧き出る湯けむりに包まれながら余生を送るには申し分のない所に違いない。しかしそんな贅沢な恩恵を受けることができるのは、増え続ける高齢者のほんの一握りに過ぎないだろう。
妻は将来を誓った想い出の旅館の前で、突然、合掌した。
「なにをしてるんや? はずかしい」
私は妻の奇行に驚いて辺りを見回した。朝風呂に向かう浴衣姿の私たちと同年代のご夫婦が、雪よけのためにタオルをかざしながら、別段、不思議がった様子もなく、私たちの後ろを通り過ぎて行った。
「ひとつひとつが、あたしの想い出の積木になってくれたのよ。だから、あたしの記憶がすべてこわれてしまうまでに、それぞれにお礼をしようと思っているの」
進行する痴呆の末路を妻は自覚していた。砕け続ける脳細胞は再生することはない。すでに直近の記憶はほとんど脳にと留め置くことができなくなっていた。行為の内容ではなく行為そのものを忘れてしまうこともあった。
哀しい話だが、妻の記憶喪失の速度は、彼女が自覚している以上に著しく速い。それはすなわち、今になって妻への孝行を思い至った私のこれからの行為のほとんどは記憶されることはなく、妻を苦しめ続けた日々の記憶だけが、妻の想い出の積木となって最後まで残り続けるのだろう。
再び合掌し始めた妻の背に、依然雪は降り続けていた。時折吹く横風が、私がさす傘の下を通り過ぎていった。一筋目の交差点、手前信号傍の石碑の道しるべに赤い字で『みゆき坂』とあった。
「おとうさん、ここはね、いつもは美しく幸せの坂と書くのよ、でも今朝はね、美しい雪の坂、そしてこの交差点が地獄の一丁目」
妻は突風に舞い踊る雪に動じることもなく、大きな声を上げて一人芝居を続けていた。私は観客に徹し、妻の少しばかり異常な行為を制止することはなかった。むしろそのあどけない行為に見惚れていた。もっと自由にさせてあげたかった。道路の向かい側のアーチ型標識には『いでゆ坂』とある。そういえば今降
りてきた坂道とくらべ立ち上る湯煙の量が半端でなく多い。石畳の両側にある細い側溝からはまるで燃え盛る炎のような勢いの煙が噴き出していた。
私は再び妻の手を取り交差点を渡った。下り坂右手の懐石料理屋と並んで一戸建て住宅のような小さな公共温泉がひっそりと湯けむりに包まれていた。
『上人湯』
そのたたずまいは、近代的で瀟洒な建造物ではなく、白壁に瓦屋根の古き良き日本家屋の香りを漂わせていた。それは近代構造物の上に装飾したものであるかもしれないが、歴史の風情を後世に伝えたいという思いがにじむ心温まる演出でもある。
鉄輪温泉は一遍上人が地獄を鎮めて温泉地に変えたと伝えられていた。悪行をなした輩を懲らしめる為のたぎり湯を天の恵みに変えた一遍上人を、別府の人々は今も敬い愛し続けている。
「気安く温泉がつかえてしあわせやねぇ、それに湯が多い」
妻は銭湯入り口に飾られている一遍上人の祭壇に賽銭を投げいれ、手を合わせながら言った。
「別府温泉の湧出量は日本一だろ。たしか世界でも二番目の量だったと思う。百円程度の入湯料で誰もがこんな素晴らしい恩恵にあずかれるところは、全国津々浦々どこを探してもそうはない」
「地獄のこんな近くに極楽があるやなんて、良いことも悪いこともすべて背中合わせなんやね」
妻は振り向いて伏し目がちになってそう言った。私は妻の問いには答えず、上人湯を少し下ったところにある広場に向かった。『地獄蒸し工房』という黒地に白抜きののぼりが施設を取り囲むようにたなびいていた。工房は蒸気で料理ができる大きな蒸し器が備えてあった。早い時間なので客もなく店も開いてはいない。
「わ~ 鬼さんの口から御湯がでてるわ」
妻は料理工房でなく、飲泉場の鬼が気にいった様子だった。
「おとうさん、あったかい、あったかいよ」
妻は至極当たり前のことを言った。そして柄杓で湯を掬うと、私に差し出した。私は妻から柄杓を受け取って言った。
「まるで毒見やな?」
「違います。おとうさんには長生きしてもらいたいから」
私は一気に湯を飲みほした。無味であるはずの湯が、やけに苦かった。
「もう少し下ってみるか」
私は妻に傘をさしかけながら言った。
「そうやね。もうすこしだけ、ここの石畳を歩きたいな。もう来ることもないだろうし……」
私は返事をせずに妻の手を取り、坂道を黙して下った。カランコロンと下駄が鳴った。
少し下ると、旅芸人の三度笠姿を描いた芝居絵が目に飛び込んできた。派手な色合いが不思議に温泉町の風情に調和していた。そこは演芸場に温泉施設を備えた娯楽センターだった。
「おとうさん、ここ、たしか、来たよね?」
妻は私の手をしっかりと握りしめ、私の顔をのぞきこんだ。
「そうやな。作りは変わったようだけど、地獄めぐりの後、ここで芝居を見て温泉に入ったなぁ」
「あの時の、芝居、おぼえていますか」
妻は私から離れ、劇場入口の菩薩像から湧き出ている温泉に手をつけた。
「そんな昔のこと、忘れたなぁ」
「うちはよくおぼえてるよ」
今、ここからホテルへ帰ることすらできないであろう妻が、四十数年前の芝居はおぼえているのである。不思議な気持ちと同時に過去を鮮明におぼえているという事実にやっぱり胸が痛んだ。
突然、妻は菩薩像に合掌しながら、五木の子守唄を口ずさんだ。
「おどま、盆ぎり盆ぎり、盆から先ゃおらんど、盆が早よ来りゃ、早よもどる(わたしがいるのはお盆までだよ。盆から先はつらい子守り奉公に出ていないよ。お盆が早く来れば家に早く帰れるのに)」
演目は『守り子唄~子別峠』だった。
私が覚えていないといったのは、子別れを描いた切ない内容の芝居であったからである。
五木の子守唄は熊本県の中南部、山間にある渓谷集落、球磨郡五木村に伝わる哀しい物語から生まれた子守唄だった。厳密には守り子唄という。貧しい村娘たちは十歳を迎える頃、口減らしのために地主たちの子守りに出された。奉公とは名ばかりで粗末な食事を与えられるだけの労働だった。子別峠は、見送る親と、何も知らず連れて行かれる子が別れる峠のことだった。守り子唄は、そのつらさを歌にしたものだった。
「おどんが、打ち死んだら、道ばた生けろ、通る人ごち、花あぐる(わたしが死んだら道ばたに埋めてください。そうすれば道を通る人が花を供えてくれるでしょう)」
妻の肩が震えていた。
「もう、帰ろう」
私はたまらず妻の背に声をかけた。
「どこに?」
振り向いた妻が物悲しい瞳で返事をした。
「どこって、旅館だよ、旅館」
私の口調が自然ときつくなった。
「ここは、どこでした? 有馬、城崎?」
少し妻の様子がおかしくなってきた。
「別府、別府だよ」
私は精一杯の笑顔を作った。
「そうでした。地獄……温泉、そうそう。おとうさん、もうすこしだけ下りましょう、この石畳が切れているあの交差点まで」
再び私の手をとった妻は早足で下り始めた。意識とは別に身体に異常はなく歩く姿も普段と全く変わりはなかった。
粉雪がボタンのような大きな雪に変わった。不思議に寒さを感じなかった。無邪気な妻の手の温もりが愛おしかった。
「ここが地獄と極楽の境目よ」
「どうして?」
「あそこを見て」
妻はおどけてバス停の標識を指差してにっこり笑った。
「地獄原? こりゃいいわい」
私もつられて笑い声をあげた。
「あそこ、あんなに、湯気が!」
妻はバス停から百メートルほど先の道路を横断している小さな川からわき出す湯けむりに驚いていた。温泉が流れ込む川は湯気が霧のようになって道路まで立ち込めていた。天から降り注ぐ雪が湯の川に溶けて行く。
「おとうさん、あそこまで、あそこまで行って戻りましょう。あれが三途の川にかかる善人だけが渡ることのできる橋よ。違いない」
三途の川には、生前の業によって三つの道がある。善人は橋を、罪軽き者は浅瀬を、罪深き者は流れの速い深みを渡らなければいけない。五十年近くにわたり愛すべき妻を苦しめ続けた私は、当然逆浪の中で互いを食い合う畜生道を行かねばならぬだろう。
妻は川幅十メートル足らずしかない橋のたもとまで来ると、しゃがみ込んで橋脚に刻印されている完成年度を見た。
「この橋、昭和三十五年十二月二十五日にできたのよ。まあ、偶然、私たちが出会った年ですよ、おとうさん、ねえ、おかしい、はは、おかしいわね。偶然よ、偶然、ねぇ、おかしいわね」
妻は逆巻く湯の川の爆音に負けないくらい大きな声を張り上げて何度も同じことを言った。私は湯の川に溶けていくはかなく淡い雪の姿を妻の生と重ね合わせていた。
その年の暮れ、私は妻と相談して別府湾が一望できる国際観光港近くのマンションを購入した。妻の病状は時と共に進行していたが、私が一緒にいることで普段の生活を続けることはできた。
上人ヶ浜と呼ばれる美しい海浜を散歩し、近くの美術館にもよく鑑賞に行った。記憶が乏しい妻は、何度も美術館を訪れ、自分と同郷の神戸出身の洋画家小磯良平の『人物』と題された作品を長い時間鑑賞しては、私に小磯の絵画と出合った頃の話をした。『人物』は、白いドレスをまとい椅子に腰をおろした優雅な女性の姿を描いたものだった。虚ろな顔をした女性の横顔からは馥郁とした気品が漂っていた。
「俺はやっぱり福田平八郎だなぁ。この『桃』のみずみずしさを見てごらん。これは例えようがない美しさだ」
私は洋画好きの妻に負けまいと、日本画の大家で郷土画家の福田平八郎を絶賛した。『桃』は、この美術館の開館記念に平八郎が寄贈したものだった。
別府で暮らし始めて三年目の夏、妻は介護を必要とする重度の症状が出始め、やむなく入院することになった。それから私は病院に通い続けた。明確な意識と生命を併せ持ちながら、身近なことを認知できない妻のあわれな姿を見るのは正直忍びなかった。でも傍にいることができる嬉しさもあり、このまま月日が流れて行くことを自分自身は苦労とは思わなかった。
「小磯先生、今日も来てくださったの」
冗談なのか正気なのか、私を見るたび妻はそう言った。
入院して丸二年。体力が落ちてきた妻は肺炎を併発した。やがて意識は混濁し、酸素吸入器をつけたまま眠り続ける日が続いた。
別府国際観光港に停泊する大型客船サンフラワー号にめずらしく雪が降り積もった冷たい朝、妻は私が買ってあげた小磯良平の画集を抱いて眠るように旅立った。私はフェリーの汽笛を聞きながら、私の頬を伝う涙が、たぎる湯のごとく熱いことに気付いた。そしてそれが妻を愛し続けた証しだと自分に言い聞かせていた。
娘の真実が電話をよこした次の週末、婿の京平を連れて帰って来た。
「見もしないでお父さんのいうことを聞かないのはいけないと京平がうるさいから、今から墓苑へ行ってみたらどうかしら。正直なところ私は反対です。でも一度、墓苑の関係者から話は聞いてみる」
血相をかえた娘は、マンションの玄関先に立ったままそう言った。
「そんなところで話すことじゃないだろ、それより孫たちはどうしたんだ」
私は気ぜわしく物事を進めようとする娘の姿を見て、時が駆ける都会暮らしから抜け出した自分に何故かしら安堵した。
「私の実家に預けていますから大丈夫です。もう春とはいえ、まだまだ寒い日が続いていますけど、お義父さん、かわりはないですか」
おとなしい娘婿はそういうと娘を玄関に立たせたまま、自分は部屋にあがり、仏壇に手を合わせた。
娘婿の運転する車で九州横断道路を走り、墓苑を目指した。湯けむりに包まれている地獄地帯を越え、幹線から分かれて明礬温泉郷の急な坂道を登り始めたあたりから硫黄独特の匂いが漂ってくる。別府に住みなれた人は別段気にならないが、よそから来た人は苦手らしい。
「この卵が腐ったような臭いは何度来ても慣れないわ」
娘の口癖だった。
「僕は温泉に来たという実感がするよ。こんな豊かな湯を毎日いただけるお義父さんが正直うらやましいな」
娘婿は私を気遣って言った。
車を墓苑の駐車場に入れ、私は二人を連れ広大な敷地の中を歩いた。
「お義父さん、いい眺めですね」
娘婿は眼下に見える別府湾を指差して目を輝かせた。
「ほんとうね。美しいところね」
普段は否定的な意見しか口にしない娘がめずらしく婿の意見にうなずいた。
私は無言でいた。娘が「美しい」と言ったその一言で充分な気がした。この若い二人が良いといえばここを妻と私の住処とするし、もしダメだというなら、東京へ連れて帰ってもいいと思った。
「あれはひょっとして、お義父さん、うちのマンションじゃないんですか。ねえ、そうでしょ。あそこ!」
娘婿が目を丸くして大きな声をあげた。
「どこよ、どこ?」
娘も婿が指差す方角を真剣に見つめていた。
「あそこだよ! あそこ、どこを見てんだよ、港が見えるだろ。フェリーが泊まっているじゃないか、あの少し左、左手前だ」
娘婿はいつになく強いしっかりとした口調で言った。
「あーっ! えっ! まあ」
娘は感嘆の声をあげた。
「お父さん……」
娘がしばらくして私の背中越しに話し始めた。
「わたし、お父さんに抱かれた記憶がないの。もちろん写真も残っていないわ。お父さんはいつもお母さんと私に背中しか見せなかった。真正面から向き合ってくれなかった。お母さんは『それでもいいの』っていったけど、わたしは正直さみしかったよ。だって背中の向こう側で抱きしめているのは、ねえさんだって知っていたから。どうして生きている私でなく、この世にいないねえさんがお父さんを一人占めするのかわからなかった」
娘は一息のむと、再び話し始めた。
「でもね、今日ここへ来てわかったわ。お父さんがお母さんを大切にしていたということを。なんだか悔しいけど」
私は妻と暮らした部屋に向かって手を合わせた。
「ここにお母さんを眠らせてあげたい。そう思ってここを選んだ。あとはお前たちで決めてくれればいい」
私は振り返らず、見慣れた湯けむりを眺めながら、安らかな眠りについた妻の顔を思い浮かべていた。 〈了〉