ローカルルール
それは引っ越したばかりでまだ近所の道になれないころだった。
古い町だったので入り組んでいる道も多かった。見通しの悪さに辟易しながら、事故に気をつけて慎重に車を走らせた。
道にもなれてきたころ、近道を探して新しいルートを開拓することが帰宅中の楽しみになっていた。
住んでいるアパートを目指して車を走らせていると、向こう側からエプロン姿のおばさんが走ってくるのが見えた。
細めの路地だったが、端によればすれちがえると思いながら徐行した。しかし、そのおばさんはよけるどころか車をとおせんぼするように立ちふさがってきた。
なんだこいつはと思いながらブレーキを強く踏んだ。変なヤツにからまれたと思っていると、フロントガラス越しにすごい剣幕で何かを叫んでいた。驚きは怒りに変わり、怒鳴り返そうと窓を開けた途端にその声が車内に響く。
「あんた逆走!! ここは一方通行だよ!!」
路地に入るとき道幅ばかりを気にしていたせいで見落としてたのか。おばさんの勢いに面喰らいながら、何度も謝ってからアパートに帰った。だが、落ち着いてから思い返したが、あの道が本当に一方通行だったかと首をひねった。
次の日の帰り、道の入口を確認したが一方通行も進入禁止の標識も見当たらなかった。地面を見下ろしても路面表示はない。疑いながらも別の路地からアパートに帰るようにした。だけど、それを数日続けるうちに腹が立ってきた。
警察署の交通課に問い合わせればはっきりする。もしも違っていれば、あのおばさんに事実をつきつけてやろう。
電話をかけてみるとやわらかだが聞き取りやすい声で警官が対応してくれた。あの道について質問すると、予想通り一方通行でもなんでもない場所だった。これで大手を振って通ることができると思いながら、あのおばさんのことも話すことにした。もしもこじれたら仲裁を頼むことになるかもしれない。
記憶にあるとおりのことを伝えた。親切そうな警官なので多少の同情をしてもらえるかもと思ったが、その反応は違っていた。
『実は、似たような相談がいくつかありまして』
電話口から聞こえる声はどこか戸惑ったような、困ったように感じられた。同じように注意してくるおばさんのことを相談されて、現場に行ったが見つけることはできなかったらしい。
話はそれで終わらず『あまり公にできることではないのですが』と続く。
あの小道では5年ほど前に車同士の事故があった。スピードをだした車との正面衝突だったらしい。そのとき、運悪く近くにいた一人の女性が巻き込まれてしまった。
『その日以来ひとけの少ない時間で車でその道を通ろうとすると声だけがする。事故にあったはずの女性の姿も見えるという目撃もあるそうです』
事故以来、地元では暗黙の了解であの道を一方通行にしているらしい。
最後に住所や名前を聞かれ、『また何かあれば相談して下さい』と言われた。聞かされた内容に戸惑いながら礼を言い、警官も最後まで対応に困っていたように電話を切った。
今日も小道を逆側から入った。警官の話を思い出すが、馬鹿馬鹿しいと笑ってみせる。今度こそあのおばさんに文句を言ってやろうとハンドルを握る手に力がこもる。
「あんた逆走!! ここは一方通行だよ!!」
そうらきたぞ、と車を止めておばさんを待った。しかし、その姿はどこにもなく声だけが響く。まさかと思っていると、何かが車のボンネットを叩く音がした。
その日はすぐにバックでその場を逃げ出した。それ以来、ないはずの一方通行を守りながら小道を通っている。あのおばさんを見ることはなかった。