閑話・化けない猫の話(前)
それはずっと昔のお話
その日は随分と寒い日だった。空からはふわふわと白いものが降ってきて、それが毛に纏わりついて離れない。舐めて取ろうとしても冷たくて、舌が凍りそうだったから止めてしまった。
なんとか温まろうと人間がいる所へ行ってみたりもしたが、気味が悪いと追い払われた。
中には石を投げてくる人間もいて、その度に体に傷が増えた。
怖くて、痛くて、寒い。
もう何日もご飯を食べれていないせいで、お腹も空いた。
そして一歩も動けなくなって、あぁ自分は死ぬんだなと何となく思った。
自分は何もやってないのに悪者扱いされて、こんな寒い中で一人で死ぬのか。
暗くなってきた空をぼんやりと見上げる。
寒々とした空に降る白い物。
人の声も段々と散っていき、自分の瞼も下がってくる。
もう駄目だ。
せめて来世はもっといいことがあるようにと祈りながら目を閉じる。
「おいお前、生きてるか?」
ふいにそう聞こえたと思ったら体が持ち上げられる。浮遊する感覚の後、何かに抱きしめられた。
「まだあったかいな…大丈夫かー?」
うるさいなぁ…。こっちはもう死にそうだって言うのに、一体何なのだ。
そう言ってやれば、ソイツは驚いた後に急に走り出した。
「ちょっと待ってろ、まだもってくれよ…!」
お前は何をしたいんだ。
もう長くないんだから、うるさくしないでくれ。
どうせお前も他の人間のように石を投げるのだろう。
もしかしたらもっと酷いことをされるかもしれない。
「あ、ちょっとお前!無理するなって!」
最期の足掻きをしてみたが、あまり効果はない。むしろ丁寧に抱えなおされてしまった。
「ほら着いたぞ。えーっと…取り敢えずここにいてくれよ?」
結局ソイツの住処に連れてこられてしまった。
しょうがなくこれから起こることを受け入れようと目を閉じる。
すると、予想に反して温かいものに包まれた。
「熱くないか?怪我が酷いな…薬とってくるから」
2、3度体を拭われ、不思議な匂いのする何かを傷に塗られる。それが傷にしみて思わずソイツのことを引っ掻くが、ソイツは「ごめんな」と言いながら手を止めない。
痛かったのはそれだけで、それが終われば体は少し楽になった。
「痛かっただろ、よく頑張ったな。ご飯も食べれるようなら食べような」
差し出されたそれはとてもいい匂いがする。
でも、まだこの人間が何をしたいのかが分からない。
「一口でもいいから食べてみないか?」
ソイツは手で少しだけ掬うと、こちらに差し出してくる。
いい匂い。
でも危険かもしれない。
そんな二つが合わさって、相手のことを睨みつける。
「ほら、大丈夫だって。結構美味しく出来たんだぞ?」
ズイッと更に近付いてきたいい匂いに、お腹が空腹を訴える。
しょうがない。コイツが何かをしてきたら指を噛みちぎってしまえばいい。
そう思ってゆっくりと近付く。全部空腹のせいにして、うるさくなった腹の虫に文句を言いながら口をつける。
「ど、どうだ…?」
静かに見守っていたソイツが神妙な面持ちで聞いてくる。
恐る恐る覗き込んできたソイツを無視すると、器に顔を突っ込む。
美味しい。
柔らかくってあったかくって、熱くなくって美味しい。
変な匂いもしなければ、変な味もしない。
夢中になって食べていれば、ぽんぽんと軽く頭を撫でられる。
「お前行き先あるのか?ないならここで暮らせよ、ご飯食べるの好きな奴は大歓迎だぞ」
お前は信じていい人間なのかわからない。でも、他の人間みたいに石を投げたりはしない。
ちらっと見上げれば、真っ黒な目と目が合う。こちらを見る目は今まで見た人間達のものとは全然違う。
「お?おぉ!?」
控えめに擦り寄れば、間抜けな声が返ってくる。
勘違いしないでほしい。これはご飯が美味しかったというののお礼であって、まだ信用したわけではないのだから。
「お前可愛いな!そうか…一緒に住むなら名前が必要だよな……」
こちらを見たソイツは唸りながら考える。
何をしているのだかと首を傾げて見ていると、急にソイツは大きな声を上げた。
「『雪』ってどうだ!?安直だけど今日雪降ってるし、お前のしっぽ、先っぽの方が白いからな!」
そうか。あの空から降る白いものは“ゆき”というのか。
「お前の目が月みたいにきらきら光って綺麗だから、他のと迷ったんだけど…やっぱ響きは雪が可愛いよな!」
目か…。月とは空に見えるあの丸いののことだろうか。綺麗だと言われたのは初めてだ。
この目は気味が悪いと言われることが大半で、月みたいと言われたことはない。
勿論、人間のいう気味が悪いという言葉が、良い言葉でないことは知っている。
「黒くて綺麗だから、漆とかも良かったかもな…でも雪の方がなー」
迷うソイツの膝に手を乗せる。
「どうした?」
もう一度手を乗せ直す。
「……雪?」
にゃあ。
「そうか!雪か!!」
もう一度返事をする。
それがいい。アタシはその雪がいい。
「おっとそうだ!俺も名前言わなきゃだよな!」
そうだ。アタシはまだお前のことを知らない。
人間というものには名前があるのがほとんどだ。
文句を言う時にはその名前を呼んでやるからアタシにさっさと教えろと、ソイツの足をべしべしと叩く。
すると、アタシのことを抱き上げたソイツは、アタシを膝の上に乗せる。
「俺は六助って言うんだ。六人兄弟の一番下だから六助な!」
六助。
まだ小さいソイツは六助という名前だった。
六助はにこにことご機嫌に笑っている。
「これからよろしくな!雪!」
その言葉に、アタシはにゃあと一声鳴いた。
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