とある化け猫の話
猫とて恩は忘れないのです。
「ねぇねぇお兄さん。この前はどこまでお出掛けしたの?」
あの雨の日から数日。暫く続いた雨は止み、久方ぶりの晴れ間が覗いた。
洗濯物がよく乾きそうだと思っていた矢先、蛍はあの日の外出先を紫月さんに聞いた。
「あぁ、あの日は下にある喫茶化け猫という店に行ってきたんですよ」
「猫さんがいるの?」
「化け猫って…ヤバそうな名前の店だけど本当にそんな所あるの?」
二人揃ってそう言えば、クスクスと笑った紫月さんはいいことを思いついたと言うように人差し指を立てた。
「じゃあ、今日はみんなで行ってみませんか?」
***
「……本当にあるし」
目の前にあるのは木目の目立つ木の看板に、達筆な字で書かれた『喫茶化け猫』の文字。
紫月さんはニコニコと、蛍はキラキラと目を輝かせて看板を見上げる。
「さ、入りましょうか」
鈴の音を響かせながらドアを開けると、その音を聞いて奥から「はーい!」と元気な女の人の声がする。少しほっとしたのは、パタパタと駆けてきたその人は普通の女の人だったことだ。
「いらっしゃいませ〜…ってなんだ紫月さんじゃん」
「こんにちは。今日はうちの子達を連れてきました」
紫月さんがそう言うと、女の人は今気付いたと言ったようにこちらに向けた金色の目を丸くした。
「え?え!?本当に子供育ててたの!?」
「本当だと言ったでしょう?信じていなかったんですか貴女」
「いや冗談言えるような性格してないけどさ!まさかこんな小さい子と暮らしてるとは思わないって!」
紫月さんは信じられていなかったことに対して凹んだようで、しょぼんと肩を落としている。そんな紫月さんのことを華麗に無視した女の人は、目線を合わせるためにしゃがむと、俺達にニコッと微笑んだ。
「はじめまして!あたしは雪!この店の店主代理で紫月さんは恩人でいつもお世話になってるんだー!」
「真山暁。こっちは妹です」
「…蛍って言います」
人見知りが発動したのか、あれだけ目を輝かせていた蛍はモジモジと紫月さんの後ろに隠れてしまった。まぁ、挨拶出来ただけいいか。
「ありゃ、あたしなんか怖がらせちゃった?」
「人見知りなんです。貴女はグイグイ来ますから」
「だってこんな可愛い子達なんだもん!」
人に好かれるような明るい笑みを惜しげもなく振り撒きながら、雪さんは僕達の手を引くと席へと案内する。そうして少し高めの椅子に座ると、目の前にメニューが差し出された。
「怖がらせたお詫びに、好きなの頼んでいいよ!勿論あたしの奢りだから安心して!」
パチンとウインクした雪さんを横目に、紫月さんは俺達に遠慮しなくていいと言う。
二人がそう言うならお言葉に甘えようと、蛍と共にメニューを覗き込む。
餡蜜や羊羹、お饅頭などと餡子ものが多いが、中にはプリンアラモードといったハイカラなものまである。見た感じ本当にただの喫茶店のようだ。
「俺はみたらし団子で。蛍はどうする?」
「じゃあプリンがいい!」
「はいはーい!お団子とプリンね!」
「私は羊羹をお願いします」
「りょーかい!少々お待ちくださいね!」
雪さんが奥に走っていくのを見送ると、俺は紫月さんに視線を向ける。
「普通のお店だけど、なんで化け猫なんて名前つけてるの?」
「あぁ、この店の店長さんは化け猫さんとお友達だからですよ」
「え?」
平然とそう言い切った紫月さんに俺は間抜けな声を出す。
「なんでも昔飼っていた猫が化けて、恩を返すためにお店を手伝っているとか」
「まさか」
「お待たせしました〜!お団子とプリン、それに羊羹ね!」
お茶と共にそれらを机に置いた雪さんの顔をまじまじと見てみるが、小首を傾げるだけで何もない。他の従業員か、はたまた紫月さん達の作り話か。
どちらにしても今こうして目の前にいる雪さんは普通の人に見える。
「あ、お雪。貴女またお湯の温度をぬるくしましたね?」
「わ、バレた!いいじゃん、子供にあまり熱いの出したら火傷しちゃうでしょ」
「だとしても適温より下がっていますよ。これでは…」
「わーわー!もう分かったって!お姑みたいな言い方するんだからもー!」
パタパタと走って戻ってきた雪さんの手には新しくお茶が淹れられている。
が、今度はさっきよりも熱く飲みにくい。
「さっきのお茶の方がいい…」
「俺も」
「おーゆーきー?」
紫月さんに詰め寄られると、雪さんは気まずそうに視線を逸らす。
「だってぇ…お湯の温度管理難しいんだもん」
「まぁしょうがないとも言えますが…六助さんに美味しいお茶を淹れるんでしょう?」
ぷくーっと頬を膨らませた雪さんは、六助という名前にピクリと反応する。
「貴女は頑張り屋なんですから大丈夫、落ち着いてやってみなさい」
頷いた彼女はまた奥に引っ込んでいく。その後ろ姿を紫月さんはじっと見つめていた。
少しして戻ってきた彼女の手には三人分のお茶をのせたお盆があって、緊張した面持ちでそれを俺たちの前に置いていく。
「美味しい…」
「えぇ良い温度ですね」
熱すぎず、ぬるくもなく丁度いい。お茶そのものも良いものを使っているんだろうけど、団子とよく合って美味しい。
雪さんはパッと顔を上げると、安心したように微笑んだ。そして期待するように紫月さんに視線を向ける。
「紫月さん、じゃあ…!」
「そうですね。お茶は合格です」
「やった〜〜!!」
ぴょんっと飛び跳ねた雪さんを見て、蛍はニコニコとご機嫌に笑っている。
「お姉さん嬉しそう」
「彼女は熱いお湯が苦手ですから。結構苦戦していたんですよ」
「紫月さん!約束覚えてるよね?!」
「はいはい。覚えていますよ」
喜びもひと段落したのか、雪さんは紫月さんにずいっと顔を近付ける。
そして紫月さんの返事にまた彼女は目を輝かせた。
「ですが、それはまた今度ですね」
「分かってるよー!あ!六助が帰ってきた!」
雪さんが突然ドアの方に走っていく。すると、少し遅れて鈴の音と共にそのドアが開く。
入ってきたのは杖をついたお爺さんで、杖を持っていない方の手で雪さんの頭を優しく撫でた。
「六助―!おかえり!」
「あぁ、ただいま。紫月さんもいらっしゃいませ」
「お邪魔してます六助さん」
「ねーねー六助、喉渇いてない?」
にこにことご機嫌な雪さんのことを見ながら、俺は考える。なんで彼女はドアが開く前に気付くことが出来たのだろうかと。単純に考えれば、これぐらいの時間に帰ってくると知ってたってところだろうけど、そういう感じではなかったし。
「二人とも、私達はそろそろお暇しましょうか」
「え、あ、うん。分かった」
はしゃぐ雪さんを微笑ましげに見た紫月さんは、蛍が食べ終わったのを確認すると席を立つ。奢りと言われたのにも関わらずしっかりと会計をした紫月さんに、六助さんは深々とお辞儀をした。
「またお越しくださいませ」
「約束忘れないでねー!」
わざわざ見送ってくれた二人に手を振ると、俺は紫月さんを見上げる。
「結局化け猫なんていなかったじゃん」
「おや、暁くんはそう思いましたか?」
「そう思ったも何もその通りでしょ?」
そう言った俺に、紫月さんはそっと後ろを見てみるように促してくる。仕方なく後ろを振り返ると、俺は思わず「えっ」と声を上げた。同じように振り返った蛍からは喜びの声が上がる。
「猫さんだぁ!」
店に戻っていく六助さんの隣に雪さんの姿はない。代わりに足元に寄り添うようにしていたのは一匹の猫で、猫は一瞬こちらを見てその目を細める。
「にゃあ」と一声鳴いた猫は、ご機嫌に尻尾を振って去っていく。
「雪お姉さん可愛いね!」
「いやいや…流石にただの猫でしょ…」
はっきり雪さんと言った蛍に、あり得ないと抗議する。しかし蛍は絶対そうだと譲らない。
「だって同じだったもん!」
「何が?」
「きらきらのおめめ!お月様みたいだったから間違えないよ」
まるで肯定するように、紫月さんは楽しそうに笑った。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
面白いと感じたらいいねしてくれると嬉しいです!
感想等も受け付けております。