はじめの話
サクッと読めるを目指して書いていきます。
山の麓の屋敷には物の怪が棲んでいる。
この田舎では大人から子どもまで知っている言い伝えだ。
だがそれも昔の話であり、今は遅くまで外で遊ぶ子どもへの言い聞かせ程度にまで規模は小さくなった。今やその存在を信じているのは妹だけだろう。
「本当にいるのに」
妹が不貞腐れたよう言うが、そればっかりはしょうがない。縁側に座る彼女に、機嫌を直せという意味で団子を差し出せば、すぐに機嫌よく団子を頬張った。こういう所はまだまだ子どもだ。
でも、妹の言っていたことは正しい。
きっとどれだけ季節が巡っても、俺達は忘れることはないだろう。
この屋敷に棲んでいた、紫月という不思議な人外のことを。
人ならざるものでありながら、戸惑いながらも俺達を育ててくれた日々のことも。
全部俺達の大切な宝物なのだから。
だから宝物を守るために、少しでいいから昔話を聞いてほしい。
「——形は違えど、私達は家族だよ」
——…彼との出会いは今でも鮮明に覚えている。
それは六月頃のよく晴れた日の午後。人見知り真っ盛りの妹と二人、俺達は父親の運転する車に揺られて、とある日本家屋に連れてこられた。祖父が管理していた家だが、俺達は一度も戸を潜ったことはなかった。
俺達の家よりも何倍も広いその家に、萎縮しながら玄関に立つと、隣で父さんはチャイムを押した。ジーッというどこか古めかしい音が響いてから、少しして、ドアではないガラスの引き戸がガラガラと開いた。
戸が開いたことで、妹が俺の背中に隠れる。その様子にくすりと笑いながら、俺は出てきたその人を見上げた。
一目見た感想は、『この人はどっちなんだ?』だ。
どっちというのは性別のことで、その容姿に思わず首を傾げ、まじまじと見つめた。夜空のような、青の溶けた濡羽色の長い髪。子供の目から見ても分かる整った顔立ちは、人当たりの良さそうな笑みを浮かべている。父さんよりも少し低くて細身の身体は、洋服ではなく着物を着ていた。
「あぁ、お待ちしていました」
声で分かるかと思っていたが、聞き心地はいいその声は中性的で、男女の区別がつかないものだった。…まぁ、着物は男物だった為、脳内で勝手に男と位置付ける。
その人は父さんと一言二言言葉を交わすと、俺達に視線を合わせるためにしゃがむ。その拍子にさらさらとした髪が流れ落ち、髪と同じ色で縁取られた深い藍色と目が合った。
「初めまして、私は紫月。今日からキミ達の面倒をみることになりました。どうぞよろしくお願いします」
「じ、じゃあ自分はこれで失礼します……この方に迷惑かけるんじゃないぞ」
紫月と名乗ったその人に被せるように父さんは俺達にそう言うと、いそいそと…まるで恐ろしい怪物でも見たというように、逃げるように車に乗り込んで去っていってしまった。紫月さんは小さくなっていく父親の車を一瞥するが、すぐに興味を失ったのか、再び俺達に笑いかけた。
「キミ達のお父上は随分とせっかちなようだね。どれ、外で話すのもあれだから中にお入りなさい」
「…お邪魔します」
「……ます」
俺の真似をして挨拶をした妹のことを見て紫月さんは微笑ましそうに笑うと、玄関を入って少し進んだ所にある居間へと案内してくれた。家の中は夏なのにも関わらずひんやりと涼しい。畳の上にひかれた座布団に正座すると、紫月さんは奥の台所からお茶と三角に切られた茶菓子を持ってきてくれた。
後々調べた所、それは小豆の乗った水無月と呼ばれる菓子ということが分かった。
「さて…改めて自己紹介の続きですが、私は貴方達のお祖父様である、真山十蔵氏の友人です」
真山十蔵は父方の祖父で、一年程前に持病で亡くなった。父さん達は「変わりもの」だと言っていたが、俺にとっては優しくて面白いお爺ちゃんだった。この家から少し離れた家に住んでいて、俺達が遊びに行くと「よく来たな」と笑っていた。
「貴方達のお名前は既に十蔵さんから伺っていますが…念の為自己紹介をお願いできますか?」
菓子に手を伸ばしかけた妹は、視線を向けられたことに気付くと、ぱっと手を引っ込めてモジモジとしだす。しょうがないから俺から自己紹介するしかない。
「真山暁…」
「暁君ですか。うん、利発そうでいいお名前ですね」
にこにこと微笑む紫月さんの視線が、俺から妹に移る。「ゆっくりでいいですからね」と促された妹は、視線を彼から外した。
「……蛍」
隣から聞こえたのはほとんど消えそうな自己紹介で、蛍の顔はりんごのように赤く染まっている。
「蛍さんですね。しっかりお名前が言えるいい子ですね」
褒められた蛍は更に顔を赤くしたが、口元は嬉しそうに持ち上がっているから大丈夫だろう。自己紹介を終えて安心したのか、先程食べ損ねた菓子を手に取ってチラッと俺の方を見上げた。
「いただきますだぞ蛍」
「いただきます…」
「はい、召し上がれ」
もぐもぐと食べ始めた蛍の頭を撫でると、俺は紫月さんにとあることを聞いてみることにした。生前爺ちゃんが言っていたこと、この家に住む物の怪のことだ。
「…一つ聞いてもいいですか」
「なんでもどうぞ」
「祖父が言っていた…『物の怪』というのは本当にいるんですか?」
俺の質問を受けて紫月さんはにこりと笑う。その笑顔は綺麗なものだったが、同時に先程までとは違う得体の知れない何かを感じた。雰囲気の変わった室内にブルリと震えると、紫月さんは酷く静かな声で言った。
「えぇ、ここにいますよ。正式には物の怪ではありませんが」
「え…」
「さぁさ、細かいことは一先ず置いて、一旦キミ達のお部屋の場所を決めましょう」
意味が分からなくて唖然とした俺を置いて紫月さんは立ち上がると、俺達に立ってと促す。どうしようかと悩んでいると、菓子を食べ終わった蛍は、俺の手を取って立ち上がる。
「お兄ちゃん…このお兄さんなら大丈夫だよ」
緊張もだいぶ解けたのか、はたまた別の何かを感じたのか、蛍は俺の方を見て笑う。まだ彼が危害を加えてくるか否かは不明だが、今の俺達には帰る場所はここしか無かった。暫くは警戒し、蛍を守りながら様子を伺うしかなさそうだ。
「お二人は部屋は隣同士…なんなら一部屋を区切ることもできますよ。一階か二階かも選べますので」
「お部屋…沢山あるの?」
「三人でも広すぎるくらいですね」
二人の話を聞きながら、俺も後に続いて居間を出る。今後のことに頭を抱えて、ぼんやりと浮かんだ両親に溜め息を吐く。これから大変な日々になりそうだ。
———これは人と、人ではないものが、共に日々を過ごす物語
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