学生なので学校に通っています。
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21年12月25日21時くらい
「ふわぁーあ」
キーンコーンカーンコーン、とホームルーム開始の合図を告げるチャイムが鳴り響く廊下を、俺はだらだらと歩いていた。
あの後色々あった。
自転車を取りに駐輪場まで戻ると、そのすぐ傍に便所があったことに気付いたり。
ゴブリンが振り抜いた爪に掠った頬の傷が想像以上に深かったり。
パンツの中が小学生時分猛犬に吠えられた時以来の正体不明の湿り気を帯びていたり。
バイトでこっぴどく叱られたり、だ。
……バイトに関してはいつものことなんだけど。
そんな困難を幾度乗り越えた後、初めてのダンジョンに想像以上の疲労が心身を蝕んでいた俺は、アパートに帰った直後とてつもない倦怠感を感じてそのまま玄関で寝てしまった。
そして気付いたら朝になっていたと思ったら既に遅刻確定の時間、とてつもないほどの筋肉痛を添えて……ってなわけだ。
ホームルームのチャイムが鳴ったのは今だが、うちの学校には朝読書なるものがあり、それが始まる時間までに席についていないとどの道遅刻扱いだ。
走る力もなければ意味もない俺がこうしてのんびり重役出勤を決め込んでいるのは、至極合理的な判断と言える。
本来遅刻するときは学校に一報入れなければいけないのだが、俺は昨日の戦闘でスマホをなくしている。
ボロアパートに家電なんてあるわけもないし、このご時世公衆電話なんか探してたら日が暮れる。
以上の理由から分かるようにこちらも合理的な判断を以て学校への連絡をしないことを選んだのだ。
決して面倒だったからではない。
……そう、決して。
そんな自分への言い訳を捏ね繰り回しているうちに、一年三組と書かれた学級札が目に入る。
「おはよーございまーす」
生まれてこの方一度も遅刻なんてしたことがない素行優良児な俺は、緊張した面持ちで扉を開けると元気な挨拶をする。
「もう、龍宮くん……また遅刻ですか
事情があるのはわかりますけど、ちゃんとしてくれないと困ります。入学してから何回目ですか?
内申にも響くんですからね
……ってどうしたんですかその格好?」
恐らく素行優良児である俺が珍しく制服をキチンと着ていないのが原因だろう、生憎だがブレザーは緑の窃盗犯がどっかに持って行ってしまったのだ。
俺を見てため息をつきながらそう眉を顰めるのは、俺の在籍する一年三組の担任、琴桐恵那。
ふわふわとしたパーマと雰囲気が魅力的で生徒たちから可愛がられているドジっ娘教師だ。
「恵那ちゃん先生、おはよー
今日も髪の毛くるっくるっすね」
「もう!何言ってるんですか!
ていうかその頬のカンパンマンの絆創膏もなんですか!?
かわいいですね、じゃない!
もうホームルーム始まってるんですよ、早く席に座って下さい!」
おお、この絆創膏の良さがわかるのか、流石恵那ちゃん。
これは頬っぺたの裂傷丸出しで学校に向かおうとした俺を引き留めた同じアパートの一〇三号室の住人、さえっち。(本名 田原佐枝子 御年七十五歳)
彼女がイマドキ女子のトレンドだと言って付けてくれた国民的アニメカンパンマンの絆創膏だ。
絆創膏一つで収まるほどの傷じゃないためカンパンマンキャラが俺の顔にに五体ぐらい引っ付いているが、彼女曰くそれもそれで乙なモノらしい。
感心したような表情をしていると恵那ちゃんの頬がどんどん膨らんでいくので、流石に席に着こうと俺は教室内を見やる。
もう慣れたが相変わらず冷ややかな目だ、恵那ちゃんとの軽快なトークを繰り広げたんだからもうちょっと場が和んだりもしていいと思うんだけど。
まあしゃあねえか。
坊主ピアスの風貌に相応しい成績と素行を誇っている俺の存在は、そこそこのお嬢様お坊ちゃま学校である私立我仙高校においてあまりにもミスマッチ、正直浮きまくっている。
貴族社会と繋がりのあるであろう生徒の多いこの学校ではコネを疑う声も多い。
というか数日前にそんな噂を又聞きし、ショックを受けた俺は二日学校を休んだ。
顔は厳ついと言われることもたまにあるが、心は繊細なのだ。
まあそんなことはどうでもいい、何故かって、俺は今日から変わるのだから。
消えかかっていた情熱の残り火は豪火へと変貌したんだ。
命を懸けた本気のバトル、スコールが如く降り注ぐ魂の慟哭、粉骨砕身全身全霊ぶつかり合うことでしか得られない高揚感。
昨日のことを思うとまだ鼓動が熱く脈打つ。
あんなもんを一度味わっちまったら忘れることなんてできやしない。
誰が何を言おうと人生の選択のツケを払うのはいつだって自分自身、結果なんていつだって後悔の後付けだ。
もううじうじと燻るのはやめる、ダンジョンには未知のアイテムがまだ沢山ある。
一般人にも召喚獣の使役を可能にするアイテムだってあるかもしれない、そんな時のためにどんな準備も欠かさずに備えることこそ今の俺がやるべきことだ。
決意を新たに、俺は筆を取って黒板に目を向ける。
「だめださっぱりわかんね」
四限の終わりを告げるチャイムが鳴った瞬間口をついて出たのはそんな言葉だった。
流石はお嬢様学校と言うべきか、授業の進みがとてつもなく早かった。
入学してから一か月とちょっとしか経っていないのにも関わらず完璧に取り残されてしまった俺は頭を抱える。
「だーれだ?
……なんてね」
お先真っ暗な現実に打ちひしがれていると、物理的な視界まで黒く染まると同時に聞き心地のいい可愛らしい声が耳を擽る。
「玖倫だろ、俺に話しかけてくる物好きお前しかいないし」
目を覆う手を取り外すと、ふわっとしたいい匂いが空気に流れた。
こんなの健全な男子高校生からしたら戦略兵器に等しい、俺は探索者(予定)なので効かんが。
「何その判別方法、虚しくない?
ウケる」
ちょっぴりセクハラじみたことを考えながら振り返ると、セミロングの綺麗な茶金を胸元あたりの位置まで伸ばした少女がケラケラと笑っていた。
一年四組玖倫響子、彼女は金のない俺に重箱弁当を作ってくれるとても優しい女の子。
身長は160には届かないくらい、漢であれば誰でも特定の一部分に目が行くであろう絶対的なプロポーションには先公に目を付けられない程度を見極めたコーディネートで、その同年代と比べて抜きん出て整った目鼻立ちには少し濃い目の化粧で武装している。
その容姿とコーディネートの組み合わせは鬼に金棒オーディーンにグングニル。
俺の顔面偏差値スカウターは二万四千を超えたところで故障した。
因みにこの学校は髪染めも化粧も禁止されている
彼女も最初は完全な茶髪を引っ下げてこれは地毛と言い張っていたものだが、段々髪色が明るくなっているのはどういう了見なんだろうか。
というかなんで許されているのだろうか。俺なんて高校デビューと称して校則もろくに知らないままモヒカンで入学式に出た結果、生徒指導の鬼巻に一瞬で坊主にされてしまったというのに。
顔が良ければすべてが許される、なんて残酷な格差社会なんだ。
ピアス?耳から生えてきましたって言ったら許されたよ。
「うーん、相変わらず触り心地サイコー!
流石龍宮、今日も手入れバッチリじゃん」
「やめろ触るな、坊主に手入れも何もないだろ」
坊主は常に許可も意味もなく頭を触られるという憂き目に合う、俺も勿論その例には漏れない。
頭を撫でてくる玖倫に対して為す術もなく全面降伏である。
「にしても珍しいくない?
教科書なんか開いちゃって、どういう風の吹き回し?
いつもだったらぐーすか寝息立ててる頃じゃんに」
まるで珍妙なものでも見たかのように眉をひん曲げながらも柔らかく笑った姫乃。
後ろでは俺の隣の席の田崎くんが鼻血を噴き出している。
俺の見立てだと彼の童貞力は五十三万だ。
「いや、なんだ、玖倫。
俺実はな……真面目に勉強することに決めたんだ」
喉元をつっかえた昨日の体験のことは直前で押し留めた。
こう見えてこいつ、オカン気質だからな。
ちょっと仲がいいからと言って自己顕示欲に負けて口を滑らせようものなら鬼の形相で叱られるに違いない。
俺は隣の席の田崎くんの鼻血の雨を浴びながら思った。
「……
へー、まあ程々にしときなよ」
目の前の美少女は俺に鼻血を吹きかけた田原くんに冷たい視線を浴びせた後、複雑な表情で言う。
こいつめ、自分の成績が悪いからって勉強できない仲間が減るのに焦っていやがるな、勉強に程々ってどういうことだ。
彼女もその所々からギャルギャルしさの垣間見える風貌からも分かるように、素行成績共に壊滅的である。
すまんな玖倫、俺は先に行くぜ。
「てゆーかさ、その絆創膏なに。
随分と可愛らしいじゃん?
あんたがそんなもん自分で買うわけないし、もしかして……」
「ああこれ、同じアパートのさえっちがケガした俺見て貼ってくれたんだ。
流行の最先端らしい、どうよ?」
まるで、お前のせいで玖倫さんに睨まれてしまったではないか、と言わんばかりの壮絶な殺気を背中に感じながら俺は答える。
絶対俺のせいじゃないだろうが。
「さえっち……ねぇ
どうせあんたのことだから子供にもらった奴でしょ、カンパンマンの絆創膏だし。
子供にだけは好かれるもんな~龍宮は」
どことなくトゲのあるようなセリフを言い出す玖倫。
おい、あんたのことだからとはなんだあんたのことだからとは。
全く失礼しちゃうわ。
「いや、違うぞ。
さえっちはうちのアパート(平均年齢六十三歳)のファッションリーダー的な存在かつ皆のお姉さんだからな!」
「……ふーん。
でもそれってヤバくない?不純異性交遊じゃないの?コーソクイハンじゃん?
っていった!愛海!?」
校則ブレイカーの分際で何が不純異性交遊だどの口が言いやがる。
目を細める校則ブレイカーに対して文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、ひょっこり顔を出した出てきた女子生徒が玖倫の頭を軽くチョップしたのでタイミングを逃す。
「まあ、落ち着きなって響子。
こいつのアパートってあのおんぼろでしょ、こいつ以外おじいちゃんおばあちゃんしか住んでないんじゃないの?」
玖倫と同じく一年四組、千弦原愛海。
腰手前まで伸ばした艶のいい自然な美しさのあるストレートの黒髪に、アクセントとして引き立たせ合うように染められた群青のインナーカラー、同年代の女子と比べても際立って健康的な太ももとヒップ、大きすぎるそれに違和感を持たせない程の長い脚。
玖倫とは系統が違いダウナー系という感じではあるが、こちらも天に恵まれし容姿を持っているという点では同じだ。
制服の着崩し方は度を越えている。
恐らく指定のものでないシャツ、アレンジしすぎて原型を留めていないブレザー、禁止されているはずのカーディガン、整然とした規律を守る校内で一人だけスカート丈が尻に埋まっているのを初めて見たときは現実世界にもバグは起こり得るものなのかとまで思ったほどだ。
どうしてこれが許されるのか全く理解できない、俺の予想だと鬼巻は胸より尻派のむっつりだ。
そうに違いない。
因みにインナーカラーについては未だ教師たちとの係争中らしい。
気付かれるたびに何度も生徒指導室送りになって黒染めされているのをよく見かける。
最近はそのことで呼び出される回数も減り、本人曰く忍耐の勝利だの訳の分からないことをほざいていたが、教師陣からしたらたまったものではないであろう。
……初日に私服登校してきたことを思えば、相当マシになったと言えるけど。
「別に……落ち着いてるし」
俺の目にも落ち着いてるように思えるけどな。
何故だかこう、いつもの元気さが鳴りを潜めたときは、大抵おいしいおいしいお弁当のおかずが減るのだ。
千弦原には何か玖倫レーダーなるものでも付いているのだろうか?
俺は付き合いも浅いから分からないけど、いつか付くかな?付いたらどこに着けようかな?髪飾りにでもしようかな。
俺坊主だけど。
「まあなんにせよ不純異性交遊を疑われるようなことなんてする訳ねえだろ、鬼巻の説教は懲り懲りなの!
……ああ、考えるだけで寒気がする」
俺はやれやれと言った感じに大げさに肩を竦める。
あいつはここの、いやこの世の教師の中でトップクラスに厄介なんだ。
ゴリラのような強靭な肉体に加え、容姿に似合わない論理力と語彙力、生徒への説教に対して妥協を許さない容赦のなさ、真偽は不明だがうちの生徒をカツアゲのターゲットにしていた他校の不良生徒を五十人斬りしたという噂も流れている。
奴がいる限りこの学校の風紀が乱れることはないだろう。
「そうか、龍宮。
そんなお前に一つ最悪なお知らせがあるぞ」
「いやいや、鬼巻の説教以上に最悪なことなんてねえよ。
なあ?」
「あ、いや、うん」
「……まあそうかもねー」
どうしてか二人の反応が鈍い。
苦笑いのような哀れみのような、そんな目線を向けてきている。
それに心なしか視線が俺を見ていないような……どちらかというと俺の禿げ頭、いやもっと上か?
違和感を感じた俺は彼女らの視線の方向に目を向けてみる。
「琴桐先生から連絡を受けてきた。
どうやら遅刻をした上連絡も入れず挙句の果てにブレザーも失くした大バカ者がこのクラスにいるらしいな」
見上げるとシャツを引き千切らんと膨張する筋肉を携えた、筋肉ダルマ星の筋肉ゴリラ人が、殺気を宿した目で俺を見下ろしていた。
「あと、鬼巻先生、な」
威圧感を更に膨れ上げさせるゴリラの姿を視界に入れるのは一瞬でいいのだ。
すべき事は理解しているのだから。
俺はゆっくりと椅子を降り、腕を捲る。
そして手を床に着き、膝を立て、踵を上げ、一呼吸を遅れてケツを持ち上げる。
玖倫と千弦原に向き直り、一言。
「必ず、生きて戻る」
「待て龍宮----!!」
逃げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!
顔を見合わせ呆れる千弦原と玖倫を尻目に、俺は五十メートル七秒台の俊足?を唸らせ、廊下を駆け抜けるのであった。
「……」
「どしたん?愛海」
「バカだなーって」
ドタバタドタバタ
「捕まえたぞ龍宮!お前性懲りもなく梃子摺らせやがって!」
「やめてください先生!僕は反省してるんですよ!」
「反省してる奴は逃げたりなんかしないだろうが!このバカタレ!」
「あと僕ご飯食べてないんですよ!昼食を取らせないなんて体罰じゃないんですか!?」
「うるさいんだよ都合のいいときに体罰だのなんだのほざきやがって!お前みたいなのは路傍の石でも食ってろ!」
「ひ、ひどすぎる!鬼!畜生!筋肉!尻フェチ!」
「なんだと貴様!指導室に来い!」
「助けてー!玖倫!千弦原!」
「あいつそこまで脚速くもない癖して毎回逃げて捕まってるのマジ笑うよね」
「……」
「響子?」
「え、いや、そうだよね!アホ臭いわー、まあ見てるほうはウケるからいいけど」
「……今日は時間なくてお弁当あげれないかもだから残念だな~……って感じ?」
「ち、ちげーから!何急に!アイツも反省が必要だし!昼時間過ぎたら弁当あげないから」
「ホントに~?じゃあ勿体ないしこれ、私が貰っちゃってもいい?」
「そ、それとこれとは話が別じゃんか!」
「あーはいはい、わかったわかった」
「愛海ー!」