耳年増は「愛」を語る。
ヒトが暴走してるのを見ると、自分は普段と違ってストッパーに回ってしまう……なんてことありますよね
その日、朝からギードタリスはイライラしているようだった。
そして、彼の八つ当たりに晒され続けたディニムーが限界を迎えたのは、夕方のこと。
「……もう結構です」
夕飯前の一時、部屋で魔術の勉強をしていたギードタリスが、ちょっとした躓きで癇癪を起こし、分厚い本を投げつけた。ゴンっと鈍い音がしたと思った次の瞬間、リーズが目にしたのは、左の口元を手でおさえたディニムーの姿。
あの分厚さが唇なんて弱い場所を直撃したのだ。魔族といえど相当に痛むだろう。
手加減のできない幼子。加えて力の有り余る次期魔王だ。自慢じゃないが、リーズなら即失神する自信がある。
「何をそんなに苛立っているのか知りませんが、感情の制御は上位魔族にとって必須技能です。魔力が暴走し兼ねません。
ですから、課題を変えましょうか。……殿下が落ち着いて謝りに来ること。それまで、私は下がらせていただきます」
「な!?」
かつてなく平淡なディニムーの様子に、リーズも思わず目を見張った。
これは……よほど腹に据えかねたらしい。つい最近、「ワガママ王子の側近はキツいから短期入れ替え!」みたいな話を聞いたばかりなせいもあって、「ついに最長記録もストップか!?」と不安になってしまう。だって……この状況で取り残されるのはちょっと困る。というか、現在進行形で困る。
大人げなさすぎ!
「ふざけるなっ! …………クソ……っ」
不満を存分に湛えたボーイソプラノが、無情に閉まったドアに跳ね返された。
悪態をつき、ギラギラと怒りを燃やしながら、ギードタリスはその場で盛大に地団駄を踏む。魔力が洩れているのだろうか。部屋がガタガタと音を立てて、棚からバラバラと物が落ちた。
石造りの堅牢な城を揺らすとは、さすが次期魔王。とんでもない。
「アンジュ、とりあえず温かいお茶と甘いお菓子をお願い。甘過ぎるくらいでイイわ。あ、カップに入れると零れるかもしれないから……ポットのまま机に置いてちょうだい」
「は……はいぃ……っ」
「ゆっくりでイイわよ」
青ざめて震える少女に指示を出し、ハァ、と溜め息。ディニムーには後で貸しを突き付けるとして、とりあえず駄々っ子の相手をしなくては。
リーズはソファーから立ち上がると、床に散乱する物を避けて、先程までギードタリスとディニムーが掛けていた丸テーブルに向かった。強制ティーブレイクにするため、残されたままの勉強道具を手早く片付ける。万が一インク壺が倒れたりしたら大変だ。
「クソっ……クソっクソ……っ」
微震動はまだ続いているが、大きな揺れはおさまっている。
見ればギードタリスは床に大の字に寝転がり、ブツブツと文句を言い続けていた。お言葉が非常によろしくないが、今は触らぬ神に祟りナシ。
リーズが席についてしばらく経った頃、恐る恐るといった様子でアンジュがテーブルセッティングをしに戻ってきた。
薫り高い紅茶がたっぷり入ったティーポットと空のカップ。それからクッキーに、糖衣のかかったカップケーキがずらりと並ぶ。
その香りに気付いたのだろう。むくれたギードタリスが不機嫌を隠さず、
「主人がこんなに……っ……なのにおまえらは優雅にティータイムか!?」
珍しくリーズに吠えた。
ひぃっ! とガクガクするアンジュを下がらせ、リーズはわざとらしくにこり、微笑む。
「ですから、こうして殿下のツラいお気持ちをうかがうために用意しておりました」
放任な母と甘ったれの弟がいるからわかる。癇癪を起こしている最中の子どもに何を言っても無駄だ。対処法は放置一択。
でも、こうして周りを気にする余裕が生まれれば、あとは少しずつ落ち着かせてやればイイ。
「殿下をお待ちしていたのです。温かいお茶はいかがですか? 夏場とはいえ、魔王国は涼しいお土地柄ですからね、床は冷とうございます」
「……」
「風邪を召されて殿下が苦しむようなことがあれば悲しいです。わたくし、殿下が苦しむのは嫌ですわ」
「…………チッ」
渋々、という姿を存分に見せ付けながら、弟と同じくらいの外見の王子が席につく。
リーズはポットから紅茶を注ぎ、「よろしければ」とそっと差し出した。
個人的な経験ではこういう場合、正論を説くより、感情に訴えた方が反応がイイ。だから敢えて、自分の感情を曝して着席を促した。
やはり、実年齢より見た目年齢の方が、彼の心の発達具合に見合っている。
「わたくしもお相伴、失礼致します」
ゆっくりと、自分のカップに口をつけた。しばらくそのまま、見るともナシにギードタリスを眺めていると、居心地悪そうに身動ぎしたあと、
「……フンッ」
目をそらして、クッキーを口に放り込んだ。
「体調が優れないわけではないようですね。食欲はあるようで、良うございました。心配しておりましたから」
「…………別に。具合は悪くない」
ツンケンしたまま返事をよこす王子に内心苦笑しつつ、リーズはまた一口、お茶を飲む。
なんてわかりやすい反応。これは、放っておけば勝手にあれこれ自白するに違いない。
「…………リーズはオレの味方か?」
ほら。
「わたくしはギードタリス殿下の玩具ですわ」
「……そういうことじゃない」
わかってて敢えて答えたリーズは意地悪だろうか。けれど、分かりやす過ぎるから、つい恥ずかしくなってしまった。
……昔の自分を見ているみたいで。
「殿下の仰る『味方』の意味はわかりませんが、少なくともわたくしはギードタリス殿下が大好きです。それではダメですか?」
だから、彼の欲しい言葉も手に取るようにわかる。理屈じゃない。王族の在り方は時折、子どもの不安感な心にとってすごくすごくツラいのだ。
「殿下はわたくしにとって、魔王国においての大切な家族のようなものですから」
愛情が欲しい。温かな関係が欲しい。
そんな単純な事実を自覚もできないままに、王族の子は理想を押し付けられ、理屈で姿勢を矯正されながら育つ。
リーズだって、昔は純粋だったし、親といられないことを素直に寂しいと感じていた。けれどそれを自覚できる年齢になった時にはもう、手遅れで。気付けばこんなひねくれ者になってしまった。
今だから思うが、どこの国に生まれたって、王族の子には必ず、この苦労がついて回る。国を代表し、国を背負うのだから、普通の子と同じであることは許されない。それが当然、そう思って育ったけれど、育ってみれば自分の歪さに気付くのだ。子ども騙しでもイイ。ぬくもりが欲しかった。
きっとギードタリスはまだ、自分の抱える孤独がわかっていない。それでも、感じているのだろう。幼い日のリーズが抱えていた気持ち。
「……家族?」
「わたくしがこの国に来てからずっとそばに置いてくださいます。殿下と……アンジュやディニムー様も、家族に近いかもしれません」
「……リーズはまぁイイ。ヨソの姫だ。でも、アンジュやディニムーは違うだろ?」
「なぜでしょう?」
「当たり前だ。身分が違う」
ツンツンしながらもギードタリスはお菓子をつまみ、返事を寄越す。
「左様ですね。けれど、身分では愛情は測れないのでございます。わたくしも……最近、気付きました。もう少し、女官達と打ち解ければ良かったかもしれない……少々後悔しております」
「女官?」
耳慣れない単語なのか、逸らされていた瞳がこちらを見た。ほんのり覗く好奇心に、珍しくリーズは素で、柔らかく微笑んだ。
「っ」
リーズの無自覚な儚い笑みに、ギードタリスが頬を染める。同時に、見映えだけではない何かに惹かれた。
「わたくしの国では、王家の子は5歳で独立致します。自分の宮……小さな城のようなモノを与えられ、女官と呼ばれる側仕えの女性達を取りまとめて、暮らして行くのです」
無意識に座り直した幼い王子に、リーズは初めて、自分のことを語って聞かせる。今が楽しいから、あまり思い出したくない昔のことは話さないまま今日まで来た。
でも今は……共感し合うのが一番な気がする。
「わたくしの女官は、他の子らの女官に比べて頻繁に入れ替わりました。ですから、名前も覚えていません。いなければ困るけれど、誰がいても同じ……所詮、女官ですもの」
幼いながら26年生きた彼にはわかる部分が多いのだろう。小さく頷いているのが見えた。
「けれど、こちらに来て、アンジュやディニムー様と接するうちに気付いたのです。アンジュはいつでもわたくしのことを一番に考えてくれます」
「それは主だからだ」
「うふふ、そうですわね。けれど、アンジュはわたくしの思っていた女官と一つだけ、違うところがございました」
「?」
「命じられてわたくしに仕えているのではないのですって。アンジュがわたくしに仕えたいと思って、努力して、一緒にいられらるようになったのだそうですわ」
下働き出身のアンジュはいつでも真っ直ぐだ。それが、今まで接して来た女官達との一番の違い。
「だからでしょうか。アンジュはね、しょっちゅう言うのです。『姫様大好きです!』と。ふふ、吃驚しますでしょう? わたくし達が習う駆け引きの囁きではなく、ただの愛情表現なのですって。疚しいことはまったくなくて、『大好き』は家族や親しい相手に伝えるべき言葉なのだそうですわ」
世界は広い──。
アンジュと二人で話しただけなのに、そう感じさせられた驚きは、今でも鮮烈にリーズの中にある。
「愛」なんてモノは後宮では安いモノだ。そこら辺にたくさん転がっていて、けれど油断すれば罠のように食らいついてくる、汚い欲望の名前。有利であるための道具。
「わたくし、アンジュにそう言われて嬉しく思いました。だから、殿下にもお伝えしたいと思ったのですわ。アンジュがわたくしに言ってくれるように、わたくしは殿下を家族のように親しい方として、大好きです。きっと、ディニムー様も殿下を大好きだからこそ、きちんと向き合っていただきたいと思ったのではないでしょうか」
キョトン。
幼い王子の表情は、まさに「キョトン」としていた。
自分も馬車の中、アンジュと話した時はこんな顔をしていたのだろうか。無性におかしくなって、リーズは笑いを噛み殺す。
「ギードタリス殿下、大好きです」
ぶわわわわ……っ!!
目を合わせ改めて言えば、少年は今度はおもしろいくらい真っ赤になった。アンジュなら「かわいいっ」と悶えるだろう。
慌てたようにそっぽを向き直したギードタリスを静かに待つ。
さて、これでディニムーへの謝罪に付き添えばミッションコンプリート。思いがけず飛び込んで来たイベントだったが、リーズにしても有意義な時間だった。ギードタリス殿下という魔族の権力者が、自分と変わりない等身大の男の子として感じられた。
進んでお節介を焼くなんて、リーズにとっても初めての経験。本当にこの国に来て以来、刺激の多い毎日だ。
「……がう」
「え?」
謎の達成感に弛む口元をティーカップで隠していると、ふいにギードタリスが呟いた。
「……父上は……違う。父上はオレを好きじゃない。家族だと思ってた父上は、じゃあ……なんなんだろうな……」