耳年増は斜め上の恋を覚えた。
自分が声フェチだとは知らなかった。
だって、絶対音フェチではない。咀嚼音とか本気で不快。育った環境のせいもあるけど、自分の咀嚼音ですら気になってしまう。
……あ、でも、魔王様の咀嚼音なら多分聞いてられるかも。
ちなみに、自分が手フェチかもしれないということも初めて知った。
男性の手は往々にして厳つい。大きさだけじゃなく、なんというか、硬そうだ。外見の良さで売っているライシーン王家の男性陣は少し大きいだけでそこまで女性と変わらない柔らかな手をしているが、王宮勤めの官吏や他国からの客人を見る限り、ゴツゴツしていて触ると痛そう。
なのに、魔王陛下の手はしっとりと滑らかだった。
冷たく乾いた手は、指が長くて節が目立って、女性の手とはまったく別物。けれど、そこらの男共ともまったく違う。
指先に色気を感じるなんて初体験だ。ハァ、素晴らしい経験だったわ……っ!
自室として割り当てられた客室で就寝前のゆったりとした時間を過ごしながら、リーズはほんわりと幸せな気分でここ数日の出来事を回想していた。
魔王陛下が実は子煩悩なんじゃないかと気付いて、さらにそのギャップに萌えて、すでに一週間ほどが過ぎている。
何かと口実を付けてはギードタリスと一緒に城内を練り歩き……有り難いことに、何とか1日一回は神の姿を拝見する機会を得ている。一週間前までとは行動原理が全然違う自分に、我ながら笑ってしまった。
最近、毎日が楽しくて仕方ない。張り合いがあるというか……むしろ、今までの日々は死んでいたも同然。
この興奮と幸せを知ってしまったからには、もはや知る前には戻れない。
薔薇色の頬で目を輝かせて歩くようになったリーズに、面食いギードタリスはもちろん、ディニムーや他の魔族達も目を奪われることが増えて来ていた。三国一の美少女が華やいだ雰囲気を醸し出しているのだ、老若男女問わずつい目を惹かれるのも当然だろう。
だが、有象無象からの視線に慣れきっているリーズはそんな変化に気付かない。そして……魔王も、相変わらず我が子しか眼中にないせいで、そんな城内の空気にまったく気付いていなかった。
「明日も晴れるかしら……」
ふんわりとしたソファーから立ち上がり、リーズはカーテンの隙間から外を覗く。
庭園を照らす灯りがポツリポツリ。遠くで動いている光は、城壁を警邏する衛兵だろう。空にはゆらゆらと明るい星が輝いている。
良かった、明日も中庭に出れそうだ。
「あら……? …………っ!!」
ふと、少し離れたバルコニーにヒトの影を見た気がした。
入り組んだ造りの城だ、少し奥まったリーズの部屋の窓からは、いくつかの塔や私室のバルコニーが望める。その一つにスラリと黒いシルエット。
「……魔王様っ!!」
かなり距離がある。
なぜ魔王だとわかるのかと問われれば「恋する乙女の勘」としか言いようがない。……恋する乙女!? キャーーーーッ!! ヤダ、何その自分にこの上なく似合わないセリフ! ぐふっ素でそんなことを想うあたり、末期だわ。
きっと、魔王はギードタリスの部屋でも見ているのだろう。リーズの部屋からはちょうど真上にあたる子ども部屋は見えない。
それにしても、子煩悩を隠す理由はなんなのだろうか。
確かに「魔王」という名称の持つイメージにはそぐわないが、少しくらい正直になったって、別に「親子だしな」と思われるだけで済む。あそこまで徹底してツンツンする理由は……?
ホントはデレデレ溺愛してるくせにっ。
とりとめもなくそんなことを思って、リーズはハタと重要なことに気付いた。
……魔王陛下がいて溺愛する王子殿下がいて……魔王妃殿下は……???
ギードタリスの母親。我が神の嫁。そういえば、見たことどころか、存在を聞いたことすらない。
……え、魔族だって生殖行動は基本的に人間と同じよね? 無性生殖や分裂増殖だなんて噂は聞いたこともないし……。
……やっぱり神には嫁がいる…………?
うわっ! ショック! ……でもないか。むしろ、魔王様も結局は「男」だって言うことじゃない!?
うわっ、ソレヤバいっ!!!
息子が誕生してるということはつまり、最低でも一度はそういうことがあったわけで……。はわわわわわっ!
あの端正な顔が熱っぽく上気したのだろうか。
熱い視線で眉間を寄せて……息を荒げたりしたのだろうか……。
あの……蕩けるような裏の顔で女性を見て、果てにはその精を…………?
ぅあああああっ!!
想像しただけでお腹のあたりがキュンキュンする。萌えが子宮に突き刺さるっ!
カーテンを掴んだままあられもなく身悶えて、リーズは大きく息をついた。
──羨ましい。
あの魔王陛下の冷たい美貌に隠された愛を向けられる女性。
誰も見たことのない、色気溢れる神の素肌を見た女性。
後宮教育で教え込まれたあらゆる閨事を実際に、魔王の神秘に施せる女性!!
「わたくしだって……っ!」
いただけるものならぜひいただきたい。崇拝する推しの子種。
受けられるものならこの身にぜひ。
溺愛機能のついた魔王陛下の愛の一端だけでも……いや、できれば溺愛されてみたいけど……。
スッと夜闇に消えたシルエットの残像を見つめたまま、リーズは後宮英才教育の内容を反芻する。
伊達や酔狂で受けさせられたわけではない。ライシーンの王族として、必須技能。義務。運命。国を存続させ、発展させるための使命。
「うふ……うふふふふ…………」
しばしの後、リーズの潤んだ大きな瞳が光った。
そうよ、王族の使命じゃない。
正妃がいたって構わない。一夫一妻の王家なんて聞いたことがないのだから。
わたくし、何が何でも魔王陛下と契ってみせる……っ!!
そこに愛があろうとなかろうと、契ってしまえばこっちのモノ。ライシーン王家の秘伝をとくとご覧に入れよう。実践するのは初めてだけど、そこはきっと大丈夫。知識は十分以上に詰まってる。
それに、もし愛してもらえなくったって、自分が魔王を溺愛している。なんなら、「溺愛」の見本を見せて差し上げよう。
愛なら余って垂れ流すくらい、リーズの中に溢れている。二人分なんて余裕余裕。リーズ一人で賄える。そのうちきっと、魔王陛下もリーズへの愛を錯覚して、刷り込まれ……それもいずれ、本物の愛に変わるだろう。うふふふふ。
決めた。
わたくし……魔王陛下を陥としてみせる……っ!!
そして最後は溺愛させる!!
女は度胸、猪突猛進。
今更ですがわたくし……ライシーンの姫らしく恋に生きます!!