侍女A「魔族怖ぇぇぇっ!」(後)
『アプリコッタ』を読んで聞かせて欲しい。そういうアンジュに、
「殿下、文字を読む練習にどうですか?」
「う……」
「わたくしもぜひ、聞いてみたく思います」
「……仕方ないな」
辿々しいながらギードタリスが「昔むかし」と読み始めた。
子ども向けのわかりやすい物語なのだが、進むにつれて、リーズは考え込むような表情に、アンジュは愕然とした表情になっていく。
「めでたし、めでたし。……どうだ?」
「少しつっかかりましたが、だいぶ上手に読めるようになりましたね」
「そうか? ふむ、なら良かった」
「…………こんなの、アプリコッタじゃないです。てかこの怖い話、なんなんです!? 何一つ『めでたし』じゃないです!」
「おや、アンジュ嬢。やはり内容が違いましたか?」
「違うなんてもんじゃないです! アプリコッタがた、た、食べられ……っ」
魔族2人は涙目でガクブルするアンジュを不思議そうに見ているが、リーズにはその気持ちがわかる。本当は怖い御伽噺……というか、本当はやっぱり怖い魔族。カルチャーショック極大だ。
人間の国に伝わるのは、聖なるアプリコットの実から生まれたアプリコッタが、悪い魔物を退治し財宝を手に入れて、育ての親と幸せに暮らす話。勧善懲悪で親孝行を貴ぶ内容になっている。
けれどギードタリスが読んで聞かせてくれたのは、魔族の住処に押し入り悪事の限りを尽くしたアプリコッタという人間一味が、勇敢な魔族に捕縛され、最終的には魔獣の餌にされて一件落着……という筋だった。勧善懲悪で因果応報な話である。
「アプリコットから生まれたからアプリコッタだったんですか。知りませんでした。……これは人間側から流れて来た物語である可能性が濃厚ですね。あ、だから、表紙がアプリコットで、アプリコッタの亡骸を打ち捨てた場所にアプリコットの木が生える描写があるのか……」
「ひぃ……っ! ちょ、そんな猟奇的な話、聞きたくないですっ!」
「アプリコッタは人型のアプリコットなのだろう? 食べても問題ないと思うが」
「ううぅ……アンジュ、今日からアプリコット食べないです」
殿下とアンジュって何だかんだで仲イイよね、と微笑ましく眺めていたリーズだが、一つ、どうしても訊いておきたいことを思い出した。
「あの、このページなのですが……」
そこは絵本の最終ページ。アンジュが鳥肌を立てたご馳走が並ぶページだ。案の定、「姫様!? こんなの見ちゃダメです!」と騒いでいる。
「魔獣の餌、となっていますが、なかなか立派なお料理として調理されていますよね? ということは、魔族の方々も人間を食べたりするのでしょうか?」
「えっ!?」
ズザザザザ……ッ!! と音を立ててアンジュが後退った。少年のような外見に合わせてパンツスーツタイプのお仕着せを着ているためか、動きが素早い。
「殿下の気分を害してしまったようでしたら、申し訳ございません」
嫌そうに顔をしかめたギードタリスに、リーズはすかさず謝罪する。
「オレは食べん」
「リーズ様……アンジュ嬢も。誤解して欲しくないのですが、人間は美味しくないので、非常事態にならない限り食べません」
苦笑を浮かべたディニムーの言葉に、遠くから「なんの安心材料にもなんねーし!!」と高い声が反論した。キャパオーバーのあまり、アンジュの素がこぼれ出ている。まぁ、激しく同意につき、咎めはしない。
「上流階級では、食肉といえば草食獣の肉です。もちろんその中でもピンキリですがね。庶民は、肉食獣も食べます。害獣として駆除した後の肉が安く出回っているのだそうですよ」
「それは人間も同じ……だと思います。ムエサ牛やトッキョ豚など王宮御用達と呼ばれるA5肉は全て草食獣ですもの」
確か、寒冷地から献上されてくる珍味には僅かに肉食獣の肉もあったはず。しかし、物珍しさがイイのであって、普通は好まれない。
「『アプリコッタ』の世界では、アプリコッタ一味のせいで魔族も魔獣も飢え苦しんでいます。そこまで追い詰められなければ、例え吸血族でも人間なんぞは食べませんよ」
「……つまり、人間は美味しくない非常食、ということですのね。納得致しました」
「味の問題じゃねーし! ゲテモノ食いは一定数絶っっってぇいるしっ!!」
「万が一にもこのお城で出されることはないと安堵致しましたわ」
「食べられるのも食べるのも嫌あぁぁぁっ!!」
遠くがやかましいが、リーズの聞きたいことは聞けた。これで日々安心して生活できそうだ。この城から出なければ。
「わかってもらえたようで何よりです。ね、殿下」
「うむ。……しかし念の為、気をつけておくべきだな。ごく一部には若い人間の女を好む吸血族もいると聞く。ディニムー、一応配慮を頼む。リーズとアンジュはあまりオレ達から離れないように意識しておけ」
「わかりました。城内に念の為お二人のこと、周知徹底しましょう」
離れるべきか近付くべきか悩みに悩んだあげく、アンジュはぴったりとリーズの背中に貼り付いた。その正直な反応にコロコロと笑った後、
「お手数おかけ致します。
それにしても、ギードタリス王子殿下は、お歳のわりに物知りと申しますか……魔族と人間の情操教育の差異も気になるところですわ」
リーズは優雅に小首を傾げた。
子どもに対して性教育は行わないのに、わりと残忍な物語は平気で読ませる。それにギードタリスはライシーン王宮で癇癪を爆発させた時も、それなりに筋の通ることを言っていた。どことなく、成長のアンバランスさを感じる。
「失礼ですが、殿下はおいくつですの? 5歳……いえ、実は8歳くらいにはなられているのでしょうか。参考までに、わたくしは間もなく17歳を迎えますが……」
女に歳を訊くものではないが、自己申告する分には問題ない。相手にばかり訊くのも悪い気がして、リーズはさっさと自分の年齢も相手に告げた。
暗に、「だから年下はお断りよ」と匂わせたのには気付いてもらえるだろうか。
「ははっ! 何を言っている? オレは先日25歳になったぞ。さすがリーズ、なかなか微妙なところを突く冗談だな」
「え……?」
「……あ、そうか。殿下、我々と人間では歳の取り方が違うんですよ。リーズ様は本当に16歳なのですよね?」
「え? えぇ、左様ですわ」
「はぁ!? 赤子ではないか!!」
……えー…………。25歳って言うのこそ冗談じゃないんだ……?
「うっそ! このガキんちょがアンジュより年上!?」
「アンジュ……言葉遣いが崩れていてよ」
衝撃も動揺もわかるが、さすがに主に対してその言葉遣いはいただけない。まがりなりにも年上らしいし。
「ちなみにアンジュ嬢は何才ですか?」
「13。です」
「アンジュ嬢とリーズ様だと見た感じ十は離れているのかと思っていました。人間は難しいですね」
いや魔族のがおかしいでしょ、です。というアンジュの呟きは誰からもツッコまれることなく聞き流された。童話といい年齢といい、お互いにカルチャーショックが大き過ぎて……リーズとギードタリスは唖然として、ディニムーは研究者スイッチオン。それぞれにうまく言葉にできないでいる。
……とりあえず。
「わたくしが老婆になっても、殿下は子どものままなのかもしれませんわね……」
「は? ……それは嫌だな」
魔族からすれば、人間など蝉と同じレベルの儚さなのかもしれない。
それはリーズにとって、思ってもみなかった大きな大きな気付きだった。
夏の間にうるさいくらい鳴き騒ぎ、繁殖相手を見つける蝉。忙しなくも潔く情熱的な生き方だと思っていた。
けれど、別の立場から見れば自分達も蝉と同じ……。
魔王国に来て、生きるのも悪くないと思えた矢先に知らされた、自分達の限界。
今まで、一度たりと思ったことはなかったけれど。
蝉のように一生懸命生きないと、あっという間にこの人生は終わってしまうのかもしれない。
せっかく楽しくなったのに──。
一生懸命に、生きないと……。
次話、ようやく!
魔王様に萌えます!