契約
僕が色良い返答しようと思った矢先だった。
ノーヴィスは一枚の紙を手のひらに顕現させた。羊皮紙のようで、黒インクで字が綴られている。
「これは天理くんの安全を保証するものだ」
そう言いつつ、ノーヴィスはその紙をよこした。
どれどれ何を書いてあるんだ?
うわぁ、ルーン文字で綴られてる。ギリギリ解読できるか?
『ノーヴィス・デルタロック』『あなた』『危険』『与る』『ない』『誓い』『破る』『死』『与える』
こんな感じのワードで構成されてるぽい。なんか物騒なのがいくつか混じってるけど。
訳すると、ええと……。
「ノーヴィス・デルタロックは契約者に対し一切の危害を加えることはなく、この誓約が破られたならば死の償いが与えられることをここに宣する」
ナイス翻訳ですノーヴィスさん。
っていやいやヤバいでしょこの内容!?
「そして、これを〜こうだ!」
謎の管理局局長は契約書に人差し指を押し付けた。その跡は、血が出たわけでもないのに血判をしたみたいになっている。いわゆる魔力で押す魔判だ。すげぇ初めてみた、めちゃ強度の高い契約でしか使わない代物だよコレ!?
ノーヴィスは胸の内ポケットを徐ろに探った。
白衣からだと一層目立つ黒い物体。決して大きくはないのに心臓が止まるような重々しさがある。
彼は銃口をこちらに向けた。
「いや、ちょっ何を!?」
本性表しちゃった感じ!?
「するとこうなるワケだ」告げた彼の目から赤黒い血涙が流れていた。冷や汗がだらりと頰を伝い、銃身を握る指先は震えている。
もはや怖いとかそういう次元じゃなくて呆気に取られてしまう。思考がまるで追いつかない。
そんな中ノーヴィスは数秒の後に銃を再び胸に隠した。
まもなく顔面蒼白でマジでもう死ぬ5秒前みたいな健康状態もみるみる回復してゆく。
「ふぅ、これで納得してくれたかな?私も本気なんだ」
僕は早い段階で彼に協力するつもりだったのだけれど、
この時の彼の表情には狂気にも似た執念を感じて、
正直むしろ恐ろしくなった。
とはいえこちらの決断が揺らぐことはない。
「──どのみち滅ぶのなら僕の瞳《力》を存分に利用して下さい」
「ありがとう、おかげで僅かだが希望が出てきた。
早速で申し訳ないけれど、私について来て欲しい」
促されるまま白の塔内部に案内される。
この学校は基本的に階段を使わず(ないわけではない)テレポート式で各層に移動する。
今回も御多分に漏れず玄関にある波打つ空間を用いるワケだが。
ぴーーー!と言う音が小さく鳴った。なんだろう今までの学校生活でこんなことなかったけれど。
『生体認証完了』
テレパシー音声が頭に届く。
『私と隣の彼を予定地Aに転送』とこれまたテレパシー的な声で今度はノーヴィスが指示を下した。
『承認』
『よし、それじゃあ行こうか』
いやそこまではテレパシーじゃなくても良くない?と言うか念話なんて僕できませんからね!
いつも通りに転移装置を潜ると、そこは教室でもなく最下層(出口)でもなかった。
病院施設、いやこれは研究施設かな?
見るからに高そうな謎の機器が並んでおり、ノーヴィスみたいに白衣の人々が10人ほどいた。
ここどこ?と言う問いかけより先に、回答は齎された。
「外を見てごらん?」
視線を窓に向けると、馬鹿でかい富士山が目前にあった。遠近感なんてないくらいには近いしデカい。
「ここは富士山付近の高原にあるウロボロス監視施設だ」
「ウロボロス、それってあの竜の」
「ああ。そして彼女はここからそう遠くない位置にいる」
「彼女……?」
「ああ」とノーヴィスは呟いて、施設にあったデバイスをいじってから一つ手渡した。
そこには動画──いや中継か──が映し出されていた。
何もない草原の上を、銀髪の少女が一人歩いている。その女の子は今時珍しいくらいのシンプルな白いワンピースを着ており、それがかえってどことない違和感を感じさせた。
「彼女がウロボロス。どういう訳か人の姿をとっているけど、正真正銘の竜王だ」
はい???
こっちの視線に動じることもなくノーヴィスは「ふふ」と口角を上げた。
「極秘だけれど、竜形態から人形態へと擬態した瞬間もしっかりと記録されている」
「ホントに……」
「でも、この姿なら対話できそうな気がするだろ?」
「それは、確かにそうですけど。。。」
「大丈夫さ。キミの目の力ならウロボロスを救える」
救う、そのワードにこちらの認識とのそこはかとないズレを感じる。まあ大した問題でもないか。
それより詳しく聞いてなかったけど、僕の目とウロボロスとどんな関連性があるんだろう。
「あ!これは失礼。たしかに教えていなかったね。っていうか天理くんそれを聞かずにOK出したのかい?すごいねぇ」
むむ、確かにそれは僕が浅はかだったな。やっぱり今から断ることってできるんです?
「ウロボロスの二つ名は『無限竜』
それは彼女の竜王としての特性がそのまま『無限の魔力』だからだ。そしてこの特性こそが、彼女を災害と同義にせしめているものでもある。
だって移動する無限の魔力源なんて碌なもんじゃあない。生命は死滅する、死は裏返る、物質と精神の境界は消失する。
これは『その気になれば』で済む問題じゃない。出来てしまうだけで許されないほどの脅威なのさ」
ごくりと生唾を飲み込む。大層ヤバヤバしいものなのは分かった。なんだよ死が裏返るって。
「けれど、其れに打ち克つ方法がある。天理くんの異能『底無しの瞳孔』だね」
「へ?」
キョトンとするこっちをよそにノーヴィスは微笑む。
「キミの目、底無しなんだろ?」
「いやまぁ」
「大丈夫、理論上はね。ウロボロスがキミの目と接続すれば無限の魔力は無限の穴で打ち消されるはずなんだ。うん、理論上はね。」
なぜ理論上を強調したのか一晩問い詰めたい。
ここからばつの悪そうな顔でノーヴィスは続けた。
「つまり、だね……察したかもだけど天理くんは竜王と対話をする、だけじゃあホントは駄目なんだ。そこから契約を結ばなければいけない。その無尽の魔力を封印する契約をね。
そのための『対話』は真実を話しても嘘で騙してもいい、あるいは全く別の手段でも。その選択は天理くんに委ねるよ、いずれにせよ我々は最大限バックアップしよう」
おいおい話すだけじゃなかったんすかお兄さん。
俄然きつそうに思えてきたなあ。そっかぁ契約かぁ。
「──いいかい?今ならまだ引き返せる。命の保証はないし、そもそも天理くんには1ミクロンたりとも責任なんてない。その上世界は滅びるかもしれないだけだから、キミは無意味に危険を背負う羽目になるかもしれない」
相変わらずノーヴィスの表情は余裕綽々といった感じだけれど、その眼差しは真摯なものだ。
やーめたってなっても責めたりはしなさそう。でも僕としては今更引き返すつもりはない。
そりゃ世界を救うんだ!なんて高尚な願い僕にはない。ヒーローじゃあないからね。救助活動に身を粉にできるナイスガイじゃあないのだ。
でももしも僕が未来を変えれたかもしれないのに、挑戦もせず世界がむざむざ滅んだのならきっと後悔する。僕のせいで数多の人の未来を奪ったと後悔する、例えそのことを誰も責めなかったとしても。
「人生は一度きり、なら最善は選べずとも後悔のない選択をしたいんです」
こっちの言葉にノーヴィスさんは目を丸くしていた。
「まったくキミに責任なんてないって言っているのに。
懐かしいな…………人は最善を選べない、か(嫌な言葉だ)」
彼はどこか嬉しそうに僕の肩をポンと叩いてきた。
「なら私はもう止めないよ。
全てはちょっとした偶然さ。竜が目覚めたのも、それに対抗できる天理くんの能力も。たまたまタイミングが重なっただけ。だから気負わず軽い気持ちで、サクッと世界を救ってきて欲しい」