004『はらへった』
私はあぐらをかいてその上に彼女を乗せて両手で上半身と脚を支えていた。
その位置関係上、見下ろせば胸が視界に飛び込んでくるので、胸が視界に入らないようにしながら彼女の顔を伺った。
身動いだ彼女は痛みを我慢するように唸り眉間にシワを寄せて目を強く瞑り、その反動だと言わんばかりの勢いでまぶたを上げる。
ほんの少し無言で見つめ合った私達だったが、その状況も彼女の方から動いて一変した。
「がぁ!」
「んんっ!?」
突然、彼女は叫び声をあげ、動きは緩慢ではあったが手足をジタバタと動かし身をくねらせて暴れ始め、私も驚いてしまって思わず地面の方に転がしてしまった。
背を私に向ける形で地面に転げた彼女は震える手足で四つん這いになり、唸りながら頭を上げた。
私からは癖っ毛が邪魔して彼女の顔を見る事はできないが唸り声から予想はできる。
機嫌がかなり悪いようだ。
思わず彼女へ伸ばした右手が空中で止まってしまう。
確かに起きたら知らない男に抱かれていたら良い気分にはならないだろう。
しかも、その男が全裸で激しい運動でもしたかのような汗まみれで荒い息をしているなら貞操の危機だと思われても仕方ない。
客観的に見れば事後と言われても文句の付けようがない。
相手が私のような肥満醜男ならばなおのこと。
言い訳をするならば怪物が出るこの洞窟に彼女を置いていく訳にはいかないし、人一人を抱えて走り疲れたとは言え、恩人を冷たい地面に寝かせるなんてもってのほか。
問題は私には言い訳さえ言えないのだが。
そもそもの話ではあるが、異世界の住人であろう彼女が日本語を理解するとは思い難い。
異世界言語と日本語が一致するなんてどれだけ小さな希望だろうか。
もはや、奇跡と呼んでもおかしくない。
そんな事を思っていると彼女に動きがあった。
彼女は身を乗り出して伸ばしていた右腕を両手で掴まってきたのだ。
私は急に掴まれて驚いている内に彼女はそのまま私の方へ倒れ込んできた。
もしかしたら、気絶する前に行った事を思い出したのかもしれない。
私も怪物に頭から喰われていたから顔を見ただけじゃ分からなかったのだろう。
なんで掴まってきたのか分からないが、異世界の風習だろうか。
謝罪の為に頭を下げるみたいな感じなのかもしれない。
なかなか良い文化ではないだろうか。
異性に対して抜群の効果を発揮する事だろう。
「んっ!?」
右手の指先に何かに挟まれたような鋭い痛みを感じて右手を動かそうとしたが、彼女にがっちり掴まれて動かせない。
だんだんと痛みが強くなって、ようやく彼女が私の指を噛んでいると悟った私は左手で彼女の顔を押し退けようとしたが、指先の痛みは増すばかり。
涙と悲鳴の止まらない私の事など知らないとばかりにに指を噛み続ける彼女。
これは貞操を奪ったと勘違いでもされたのだろうか。
怒りと憎しみでも込められているのか、どんなに暴れても私の力では彼女を引き離せず、気付けば動けないように馬乗りにされていた。
そして…痛みとは別の感覚に襲われた。
その時に聞こえた何かをクチャクチャと咀嚼する音が妙に耳に響いた。
彼女が私の手から少し顔を離す度に指の感覚がなくなっていき、その度に私は強烈な恐怖に襲われた。
自身が喰われる事を間近に見せつけられる。
こんなに恐ろしい事は私は知らない。
まるで指と一緒に心まで喰われていると錯覚する。
時折、下から見えた彼女の顔は怒りや憎しみなんていう負の感情は読み取れなかった。
いや、相手を傷つける喜びも見えなかった。
彼女は私に攻撃しているのではなかった。
食事をしているに過ぎなかった。
私の事を餌としか認識していない。
人を食べるなんて創作でしか知らない私には己よりも小さな彼女を怪物としか思えてならない。
彼女を恩人としてはもう見れなかった。
彼女は怪物、食人鬼だ。
犬の怪物よりも彼女の方が恐ろしく感じる。
それは人の姿をして人とかけ離れた行為をしているからだろうか?
痛みと恐怖に負けていつの間にか私は気を失った。