003『ゆれるゆれる』
私は死んだ。
これは決して比喩表現ではない。
怪物から逃げようとしたが転けて頭から丸噛り。
それが私の死因だ。
頭が砕ける感覚のなかで、とっさに思った事は今は夢ではなく現実なのだということだけ。
脂肪に埋もれた脆弱な本能でさえも死の経験というものは間違えないようだ。
私は死んだ、そのはずなのだが…私は生きている。
人間、頭から喰われれば死ぬという自然の摂理に反して私は生きていた。
もちろん、喰われたはずの頭は新しく生えたのか、ちゃんとある。
触って確かめたがブヨブヨとした、顔を洗う際にいつも触れていた、あの感触を確認できた。
ここにはないが水面か鏡でもあれば毎朝見ていた太った醜男の顔が見れる事だろう。
なぜか着ていた服が全て消えていたが私は生きてる。
周囲も変わらず、化け物に喰われた薄明るい洞窟だ。
異変と言えば事案不可避な事が一つだけある。
側に裸の少女が居た。
うつ伏せの私に覆いかぶさって居た。
意識がないようで私が起きた時に背中から落ちた。
モサモサの癖っ毛、幼さが残るアジア系だが日本人とは少し違う可愛らしい顔つき。
背丈や顔から考えて年下だろう事しか分からない。
見た目のみで外国人の年齢を言い当てられるほど私は外国人と接していない。
経験と言えば英語の先生ぐらいで彼は禿頭で小太りでクォーターだったから大きな鷲鼻を除けば日本人と外見は変わらなかった。
少女を揺すってみたが起きない。
怪物が現れた事を考えるとここに居続けるのは得策ではないだろう。
安全を保証できない。
例え洞窟全体が淡く光って怪物が現れようと、ここは現実だ。
死の経験が如実に語っている。
あのテンション高めなアレも本当に神だったのだろうし、異世界に連れて来られた事も現実なのだ。
…胸がトキメクが今は冷静にならねば。
それに、彼女は私の命の恩人の可能性もある。
怪物を倒して私を蘇生させた。
そんな突飛な可能性だってあるのだ。
怪物と魔法。
片方があればもう片方もあると思うのは私が期待しているからだろう。
神も私に能力を授けたと言っていたではないか。
彼女が意識を失っていて両者とも裸なのはそんな魔法の代償だろうか。
なんてエロ…ううん、献身的なのだろうか。
己を犠牲にして見知らぬ男を助ける。
まるで物語のワンシーンのようだ。
ここは危険だ。
いつ、あの怪物の仲間が来るか分かったものではない。
私には神からの贈り物があるようだが、使い方が分からないし、頼みの綱である彼女は意識を失っている。
こんな洞窟で怪物と遭遇すれば今度こそ死んで誰からも蘇生されないだろう。
人里に、せめて安全な所まで逃げるべきだ。
だから彼女をだっこしているのは決して肉欲に従っている訳ではないのだ。
今だって彼女を抱えて洞窟内を走っている。
恩人である彼女を置き去りにしない為に必要な事なのだ。
…本当はおんぶの方が安定するのだが、私の脂肪が邪魔して意識のない相手を背負えなかった。
だっこもだっこで脂肪が邪魔な事と私自身の筋力が弱い為、不格好で安定しない。
それに肌が密着するのがどうしても気になる。
女体に密着するなんて幼い頃の母親以来。
緊張によるものと運動による汗で全身ベチョベチョで申し訳ない程だ。
恩人に対して不埒な真似はしないつもりだが、これは客観的に見られればアウトではなかろうか。
彼女には早く起きて歩いてほしいが、二人とも全裸で今の状況下では十中八九騒ぎになるだろう。
しかし、これまでの運動不足が祟って足と腕が限界に近い。
まだ、数分も経ってないだろうに我ながら情けない。
こんなことなら早めにダイエットでもするべきだったか。
体力を回復させる為に壁に寄り掛かって座り込む。
恩人を冷たい地面に降ろす訳にもいかず、抱えたままだ。
息を整える為に休んでいると彼女が少し動いた。
どうやらこのまま休む訳にはいかないようだ。