4、任務のはじまり
「……代表。今日、出発ですよね?」
クロスは既視感を覚える光景に、戸惑いの眼差しで口を開く。
今日から聖女の視察に同行するため席を空けるはずの人が、何故か普通に仕事をしている。
普段と違うのは服装だけで、冒険者の娘に扮したラゼは黙々と仕事机に向かい合っていた。
「おはよう大尉。出発は十時なのに早く目が覚めちゃったから暇になってね。つい……」
目が覚めて自分の支度を整えてしまったら、時間を持て余して、自然とここに来ていた。
ラゼは苦笑して書類から目を上げる。
長期の任務に就く前には、何となく職場に来たくなるのは、自分以外誰もいない寝泊まりするだけの家が寂しすぎるからだ。
彼女は副官のクロスに挨拶して、彼との会話に満足すると、せっせと机に広げた書類を片付ける。
机の上を何も置かないように整頓すると、最後に布巾で綺麗に拭く。
「掃除なら、わたしが……」
クロスはどう振る舞うべきか悩みながらラゼに声をかけた。
昔からラゼは自分のことは自分でやるからと言って、自身だけに関する雑用を振ることはしない。
そうと分かっているから、彼はどう対応するのがいいのかいつも悩んでしまう。
「私が次に戻ってくる時には、もしかすると大尉がここに座ってるかもしれないからね。綺麗に片付けておかないと」
そして、彼女から返ってくるのは、そんな言葉だ。
柔らかな物言いで笑っているから軽く流しそうになるが、冗談にしては少々タチが悪い。
「そこは代表の席です。そして、それを守るのは副官の役目です。……無事に帰ってきてください」
笑い流さず、クロスは真面目に答えていた。
彼女は自分の肩書きや権威を、全くひけらかさない。
それどころか、まるでその名声に価値はないとでも言うような振る舞いで、どんなに位が高くなっても下級の軍人がやるような仕事をこなしている。
彼女の所属が特別枠で、ウェルラインの指令をすぐに対応できるよう身軽さを持っているが、それにしたって変わらなすぎる。
自分よりはるかに若い上官が、任務の前に身の回りの整理をする姿を何度見てきたことか。
「ありがとう。大丈夫だよ。報告があるから、定期的にちゃんと帰ってくるしね!」
ラゼはきょとんと目を丸くした後、あどけない笑みを浮かべた。
変装と相まって、それがとても可愛らしく目に映るから、クロスは息を呑む。
その瞬間、今まで抱いていたものとは違う種類の心配が彼によぎった。
――聖女の護衛には、男が多かったはず……。
「……代表、本当にその格好で行くんですか?」
「え? うん。そうだけど……。どこかおかしいかな?」
長期任務となれば自分で変装できなくては意味がないのだが、どこかに問題があっただろうかとラゼは自分に視線を落とす。
確実に準備を整えた上で、この部屋に来たのだから、不備はないはずだった。
「夜の街をひとりで出歩いたらダメですよ。代表も年頃の女性ってことを忘れないでください」
そして、クロスは大真面目に告げた。
「――はは。分かってるよ。リッカのキャラに合わないことはしないようにする」
世間一般的な女子が持つ感覚のズレについては、ラゼにも自覚がある。学園潜入時代には、きちんと同じ年頃の少年少女を観察していたから、そう大きなミスはしないだろう。
それに何かあっても、「冒険者だから」という伝家の宝刀を抜けば何とかなる予定だ。行くのがマジェンダなら、そう簡単に身元も調べられないし、色々と都合がいいことばかりである。
「……それも、そうなんですが……」
これだけストレートに言っても、ちゃんと伝わっているか分からないのだから、クロスとしては不安だ。
ラゼが任務を遂行することについては信頼があるが、世間から見れば花盛りの可愛らしい女性だという自覚があるのか怪しい。
彼女のことだから変装中に好意を向けられても、他人事にしか思わなそうだ。
「心配しないで。――フォリアの前で、無様な姿は晒さない」
ラゼからは、芯の通った眼差しが向けられる。
彼女がもう仕事を――フォリア・クレシアスを守ることだけに集中していることを知って、クロスはそれ以上言葉を探すのをやめた。
片付けを終えたラゼは、椅子をしまう。
「何かあったら、あの戦闘馬鹿を使ってください。……初めて代表とコンビを組むから浮かれてないといいんですが……」
「心配ないよ。頼りにしてる私の部下なんだから。もちろんボナールト大尉もね」
「……はい」
もう行くのだと分かって、クロスは背筋を伸ばす。
「留守を頼む。――天の導きがあらんことを」
「ハッ。天の導きがあらんことを」
ラゼの足元に魔法陣が現れる。
またしばらく、この職場とお別れだ。
彼女はビシリと敬礼を決めて転移した。
◆◆◆
そこは、シアン皇国とマジェンダ共和国の国境。
リッカ・バウメルは、シアン皇国での運び屋としての技量を買われて聖女の視察に同行することになっていた。
彼女の得意とする魔法は、収納魔法。
どんなものでも収納して、たったひとりで何百、何千人分の食糧や武器を運ぶのだって可能だ。
駆け出しの冒険者で、パーティに下っ端として入れてもらったことがある者なら、彼女の魔法の便利さが分かるだろう。
ただ、まあ。危険を犯して冒険し、価値あるものを獲得するのが目的の冒険者にとっては、「得意型」としては持ちたくない魔法ではあった。
結局、自分の身を守れるだけの力がなければ、冒険などできない。
――荷運び役は、特に死亡率も高いポジションだ。
「あんたが荷運び役か」
突如として、人の住む大陸オルディアナに侵攻してきた魔物化の危機。
その悲しい運命から人々を助けるため立ち上がった聖女――に、同行することになってしまった、使い勝手のいい荷運び役の娘。
それが、リッカに対して、マジェンダ共和国側から派遣された護衛たちの持つ感想だ。
「降りるなら今のうちにしてくれ。こっちはいつバケモノが出るか分からない状態だから」
今回、視察団の実働部隊で聖女一行をまとめる隊長を務めることになっているのが、この男。シュカ・ヘインズだ。
(ちょっと、驚いたな……。きっとカーナ様が見てもびっくりしたと思う……)
黒い髪に、黒曜石の瞳。
リッカの記憶にある異世界の民族と同じ色合いの容姿をしている。
話には聞いていたが、まだ二十代前半なのに仲間の命を背負う、責任感の強い人みたいだ。
嫌味ではなくて、リッカが逃げ出すことによって仲間が危険に晒される危険性の配慮と、自分の身を案じている可能性もあるので、リッカは不快になどならない。
「ご心配ありがとうございます。この度、視察隊に同行する名誉をいただいた、荷運び役のリッカ・バウメルです。冒険者になった時にやらない後悔は捨ててきました! よろしくお願いします!」
少し勢いが良すぎる気もするが、これくらい分かりやすい反応のほうがいいだろう。
彼女はハキハキ答えて、ぺこりと頭を下げた。
「あたしには贅沢にも専属で護衛さんをつけてもらっていますので、部隊の足手纏いにはならないように頑張ります!」
リッカはチラリと横を見て、戦力外の荷運び役を守るためにシアン皇国が用意した専属の護衛を捉える。
「彼女のサポートはオレがやりますから、こちらのことは気にせず聖女サマを頼みます」
彼女に付けられたのは、ハルル・ディカード中尉だ。
魔物の大陸バルーダで何百ものバケモノを倒してきた愛剣と共に、軽装に身を包んでいた。
シュカはハルルを一瞥し、ふいと顔を逸らしてリッカを見る。
「何かあれば言え。……聖女も同郷の娘がいたほうがいいだろうしな」
ぽそりと小声で呟くと、彼は外套を翻してリッカに背を向けた。
「なんかオレ、嫌われてるっぽいっすね。リッカさん?」
「……あたしが来る前に何かやっちゃったのでは?」
「それはないです。さっき喋ったのが初めてなんで」
話す内容とは反対に、ハルルはにこにこ笑っている。
――信頼している部下が側にいてくれるのは嬉しいはずなのだが、何だかあまり幸先がいいとは言えないスタートだ。
リッカ・バウメルとして荷物持ちになったラゼ・シェス・オーファンの視察団参加1日目は、そうして幕を開けた。




