89、終わりと始まり⑥
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ラゼは副官のクロスにその場を託し、一足先に司令部の置かれた拠点へと転移する。
クーデターの話が出てから、この戦場は決して負けてはいけないものとなり、拠点にも重鎮が足を通わせていることを知っていた。
幻術やら結界が貼られた空間の中に飛ぶと、ラゼは一際警備の厳しいテントを前にする。
戦闘直後のことなので、自分の汚れた格好で申し訳ないところだが、これくらいは目をつぶっていただこう。流石に服の汚れを魔法でどうにかする気力は残っていない。
彼女は一息つくと、入り口に立っている兵に声をかけて許可を得てから、一歩足を踏み込んだ。
そして、
「…………!?」
ラゼはそこにいた学生服の少年少女に、息を飲んで目を見開く。
しかし、驚きを露わにしたのは一瞬で。
彼女はガイアスを視認した瞬間にその場へ跪いた。
「皇上陛下に報告申し上げます。――敵勢力の殲滅を遂行致しました」
偉い人がいるだろうとは思っていたが、皇上本人が来ているとは思ってもみなかった。
……他の生徒たちも同様に。
(落ち着け。私は、もうラゼ・オーファンなんだ)
ガイアスの前で無礼を働くわけにもいかない。
ラゼは跪いて、視線を床の先の方に落としながら、心の内で動揺する自分を必死に隠した。
「顔を上げろ」
言われるまま、ポーカーフェイスを貼り付けて、ガイアスとあいまみえる。
「ご苦労だった。近日中に祝勝会を行う。それまで、しばらく体を休めておけ」
「御意に」
端的に返事を返しながら、ラゼはテントの中に漂うなんとも言えない空気を感じていた。
ガイアスも、その理由をわかっている。
「優秀な金の卵たちの特別授業だそうだ。改めて自己紹介でもするといい」
彼にそう言われれば、ラゼも応えるしかない。
彼女は目が合わないように、視界から外していたセントリオールの仲間たちを捉える。
彼らの固い表情からは、自分のことをどう思っているのかは、うまくわからなかった。
ラゼは重い口を開く。
「シアン皇国軍魔物討伐部所属中佐、ラゼ・オーファンと申します。先日まで身分を偽装し、セントリオール皇立魔法学園にて、ラゼ・グラノーリとして活動させていただいておりました。これまでの非礼を、深くお詫び申し上げます」
彼女は視界の中心にルベンを見据え、頭を下げた。
その冷静で他人行儀な振る舞いに、誰かが一歩足を引いた音がする。
しばらく待っても返事がない。
ただ、ラゼはルベンの許しが出るまで頭を上げることはしない。
「……いや。謝る必要は、ない……」
何も言えないでいたルベンが、それに気づくまで数秒だった。しかし、その時間はとても長く感じた。
「寛大なご理解に感謝します」
学園でカーナやフォリアをいじって笑っていたラゼはいない。
すらすら口から出て来る畏まった口調は、それが付け焼き刃ではなく、日頃から行なっていたことなのだと語っていた。
「疲れているところ、時間を取らせて済まないな。もう下がっていいぞ」
ガイアスが、返り血や泥にまみれたラゼに告げる。
身体に損傷はなくとも、クーデターや最後の戦闘に尽力したのだ。彼女も人間。疲れていないわけもない。
「かしこまりました。――皇国に天の導きがあらんことを」
ラゼは最後の挨拶を述べると、すっと立ち上がって彼らに背を向ける。
「ま、待って!」
それを引き止めたのは、フォリアだった。
彼女は走ってくると、ラゼの腕を掴んだ。
何をするのかと思えば、治癒魔法を発動しようとするのがわかる。
自分の傍にいた人が傷ついていたら、助ける。フォリアはそういう子だ。ラゼも知っている。
でも、
「私は大丈夫です」
それを――ラゼは拒んだ。
そっと、掴んだ腕を引き剥がされ、拒絶されたと思ったフォリアが泣きそうな顔になる。
ラゼに何かを否定されたのは、それが初めてだった。
「治療を優先して欲しい兵士は、まだたくさんいるので」
ラゼも彼女の表情にツキリと胸が痛んだが、自分の中にある軍人としての信念がそれを受け取れない。
「気持ちは、嬉しいです。……でも、あなた方はここにいるべきではない」
そう。ルベンはともかくとして、彼女たちがこんな暗い所に来なくていいのだ。
早く学園に戻って、学生を楽しんで欲しい。
その平穏を守るために、自分が仕事をしているのだから。
ラゼは自分の腕を掴んだせいで、服についていた汚れが移ってしまったフォリアの手を見つめる。
「汚れてしまいましたね。すみません。後できちんと洗ってください。…………それでは」
それだけ言うと、ラゼはもう彼らを振り返ることはせず、テントを出た。
もうすぐ日が沈む。
赤く熟れた太陽が、夜を呼んでいる。
今日は風呂に入って、清潔でふかふかのベッドで寝れるだろう……。
「…………」
じわり、と。
目にゴミでも入ったのか、瞼が熱くなるから。
彼女は手の甲でごしごし目を擦った。
◆
2日後。
大きな任務を終えて、束の間の休息でラゼが最初に足を向けたのは、皇国病院。
彼女と五三七大隊の数人は、汚れた戦闘服ではなく、軍服をまといそこを訪れる。
彼らの足取りは、重い。
広い病院の敷地は、入り口までも遠く感じた。
それが疲労のせいなのか、ビクターがもう目を覚さないかもしれないということへの苦しみのせいなのかは、判別できない。
それでも、彼には会いに行かねば。
小さな体のラゼを先頭に、彼らは病院の入り口を目指す。
彼女は被った帽子で、民間人から自分に向けられる視線を遮って歩いた。
「代表ッ!!」
だから。
ラゼは、数日ぶりに聞こえたその声が一瞬、空耳だと思った。
しかし――。
「お疲れ様です!!!」
確かに、ビクターの声がして。
ラゼはハッと顔を上げる。
「――――ッ!」
そこには、入院着姿で敬礼する部下の姿があった。
これは、夢でも見ているのだろうか?
彼は重症だった。身体中に黒傷が浮かぶほどの。軍医からも、もう助からないと言われていた。
彼女はその場に立ち尽くす。
到底、これが現実だとは思えなかった。
背後にいた部下たちは、そんな彼女を置いて、もう二度と言葉を交わすことができないと思っていた仲間の元へと一斉に駆け出していく。
「おまぁえぇえ〜〜ッ」
「心配させやがってッ!!!」
男たちは遠慮なしに、ビクターを抱き潰した。
その場から一歩たりとも動けずにいたラゼはぼうっとそれを見つめて、彼らの後ろにいる人かげに気がつく。
「ラゼちゃん!」
「ラゼ!」
ずっと嘘をついて一緒にいた友が、いた――。
「なん、で…………」
フォリアも、カーナも。
こちらに向かって走ってくる。
すぐにわかった。
フォリアが、浄化魔法でビクターを助けてくれたことを。
どうして助けてくれたの?
なんで、何も言わずに消えて、突き放した自分の名前を呼んでくれるの?
視界が霞んで、前がよく見えない。
本当にこれは現実なのだろうか。
もしこれが夢ならば、自分も今すぐに駆け出して、フォリアとカーナの元へと行きたかった。
嘘をついていてごめん。
勝手にいなくなってごめん。
突き放してごめん。
そう謝りたい。
でも、そんな資格が自分にあるのだろうか。
彼女たちは、許してくれないかもしれない。怒っているかもしれない。人を殺して生きてきた自分を、受け入れてくれないかもしれない。
ラゼ・グラノーリでいた自分を大切にしまっておきたかったから。
今まで積み上げてきたものが崩れていってしまうのが怖くて、ラゼは動けなかった。
ふたりはもう、すぐそこまで来ている。
何か、言わなきゃ――。
でも、何を?
ラゼには一気に色々な感情が押し寄せていた。
「ラゼちゃん……」
しかし、そんなラゼの元にたどり着いたフォリアとカーナの顔には、怒りの色なんてひとつも見えなくて。
「ッ……」
ふたりの泣きそうな顔を見たら、本当に何も言えなくなってしまった。
助からないと思った、家族を助けてくれた。
またこうして会いに来てくれた……。
もう、込み上げてくるものを我慢することができなくなる。
色んな感情がぐちゃぐちゃになって、瞼からは涙が溢れ落ちてきた。
彼女は顔を隠すように、帽子の鍔をつまんでグッとそれを深く落とす。
「……り、がと、う。ありがとう――」
震える喉から出てきた、精一杯の言葉。
肩を丸めた小さな身体で、上擦りそうになる声を耐えて、ラゼはぼろぼろと大粒の雫を落としていた。
ラゼが泣いている。
ふたりが、彼女のそんなところを見るのはこれが初めてだった。
くぐもった声に感極まったカーナとフォリアも、涙を流す。
「――っ!! ラゼッ」
「ラゼちゃんのばかあぁああ〜〜」
二人とも綺麗な顔をぐちゃぐちゃにして、泣きながらラゼを抱きしめた。
腕の中に収まってしまう彼女が、どんな苦労をしてきたのかと想像すると、涙は止まらない。
生きて帰ってきてくれたことが、本当に嬉しかった。
もしかしたら、もう会えなかったのかもしれないという不安も拍車をかける。
「なんで、何も言わないで、いなくなっちゃうの〜〜ッ」
「本当に心配して。みんなで探して。そしたら、ラゼ・グラノーリは死んだって言われて。意味がわからなくて、もうッ」
ラゼは胸がいっぱいで、俯いたまま、何も言い返せずにただ二人の言葉を受け止めるしかない。
怒っているのがわかったが、軍人である自分をこんな風に抱きしめてくれるふたりは温かかった。
「でも、それでもっ。とにかく、“ラゼ”が生きててくれてよかったッ」
カーナが紡いだその言葉に、ラゼは帽子から手を離す。
抱きついていたふたりがそっと離れると、涙でぐちょぐちょになった顔のラゼと初めて目が合った。
ラゼは眉毛を八の字にして目を細め、震える口を開く。
「……幻滅、した、でしょう……? ラゼ・グラノーリが、本当はこんなやつで」
不安で押しつぶされそうな心で、彼女はふたりに問う。
「するわけないよ」
「しないわ」
それを即座に否定されて。
また、涙腺が刺激される。
「幻滅なんてしないし、嫌いにもならない」
フォリアは強く告げた。
「ビクターさんに聞いたの。ラゼちゃん、軍に戻ってくるとわたしたちの話を楽しそうにするんだって……。わたしたちのことを大事な友人だと思って頑張ってくれてるって知って、早く会いたくてたまらなかった」
彼女はそう言って、ラゼを見つめる。
ふたりが、“自分”のためにここまで来てくれたという事実が、ラゼはどうしようもなく嬉しくて。
「私もっ。本当はこうやって、またみんなと会いたかったッ――」
今度は自分から、大きく手を広げてフォリアとカーナを抱きしめた――。




