88、終わりと始まり⑤
(後書きに大切なお知らせがあります…)
戦地に送られたルベン一行が見たのは、魔物と人が戦う戦場。
一度はバルーダ遠征を必ず経験したことがある軍の兵士たちにも疲労の色が見え、ただ襲ってくるバケモノたちとの戦況は泥沼化していた。
「帝国では先程クーデターが終わり、新勢力のリーダーが降伏を宣言した。後はここの掃除だけだ」
彼らの隣でそう言ったのは、ルベンを呼び寄せた張本人。皇上ガイアス・レジェン・アンク・ローズベリだった。
「すべてが終わる前に到着できてよかったな」
ガイアスは何も言えずに、戦場を見下ろす子どもたちに言う。
「終わるとおっしゃいましたが、戦況は厳しいのでは……」
ルベンは均衡状態の戦場を見て、訝しげに尋ねた。
相手の数がまだ多い。到底、すぐに終わるとは思えなかった。
「問題ない。そろそろやつが来る」
ガイアスは特に焦った様子はなく、落ち着いている。
後方にいる指示を出す側の人間たちにも、緊張感はあったが、焦りは見えなかった。
「やつ……?」
「お前たちもよく知ってるやつだ」
ガイアスは戦場から目を離さずに応える。
何かに気がついたようだ。
「よく見とけ。――でないと、見失うぞ」
困惑するルベンたちを置いて、彼はスッとそこを指を刺した。
火、水、風、土――あらゆる魔法が飛び交い地形が変わった戦場を越えた先に、鮮明な青が揺れる。
『皇国軍に告ぐ! 帝国は死んだ! ――さっさと後始末を終わらせて帰るぞ!!』
ガイアスが見据える先にいたのは、大きな旗を握る一際小さな身体の軍人。
拡声器から放たれるのは、聞いたことのある若い女の声だった。
「いま、の……」
――フォリアが、その声に目を見開く。
他のメンバーも反応は同じで、愕然としている。
そんなわけがあるか。
何かの聞き間違いでは?
顔にはそう書いてあった。
その軍人は、手に持った青い旗を両手で握りなおすと、敵陣“だった”その地に深く突き刺す。
強い風が吹いて、皇国軍の旗が兵士たちに顔を向けた。
その戦地で戦ってきた軍人たちに、勇ましい少女の声が誰のものなのか知らない者など、もういない。
「――代表だ」
「狼牙が。狼牙が帰って来たぞ!!」
気がついた男たちが、ざわめいた。
彼女が終わりを告げる。
それがどれだけ心強いことか、その喜びは計り知れない。
彼らにとって、『狼牙』は終わりの象徴だ。いつも、争いを早く終わらせるために彼女は自ら危険に飛び込んで、自分たちを守って来てくれた。
終わりの見えないこの戦いに、やっと光が差した瞬間だった。
「「「オオオォォーーーッ!!!」」」
男たちは吠える。
この戦いも、もうじき終わる。
兵士たちの目に、熱い炎が灯った。
「ッ……」
その燃え上がった炎を地肌に感じて、ルベンたちにはびりびりと鳥肌が立つ。
彼らは今、何が起こっているのかを必死に理解しようとしていた。
しかし、思考は追いつかずに、答えを求めて視線はガイアスへと向かう。
そして――。
「『狼牙』ラゼ・オーファン。シアンにやつがいる限り、この戦いに負けはない」
ガイアスが告げた事実に、彼らは言葉を失った。
「……ラゼ・オーファン……?」
彼女の真の名を、アディスが初めて口にする。
どうして今回の戦争が始まったのか、彼らは知っている。
どこで戦闘が起き、どのような戦況なのかも、紙に綴られた情報を読んで知っていた。
ただ、それは結局どれも、自分の生きる世界とは一枚壁を隔てた違う世界の話のようで、他人事にしかすぎなかった。
しかし、その現実が今になってこの身に押し寄せてくる。
「ラゼが、軍人? 『狼牙』……?」
カーナは手で口を覆った。
ずっと、自分を守るために、彼女は動いてくれていた。
それはラゼが軍人だったから。
もしかすると知らないだけで、彼女はもっと努力をしていてくれたのかもしれない。
高難易度な魔法が使えたのも。
あれだけ対人が強かったのも。
ゼーゼマンと知り合いだったのも。
それぞれが、彼女が軍人だという事実と思い当たる節を擦り合わせていく。
「わたし、何も知らないで……ラゼちゃんのことを傷つけてた――?」
今にも消え入りそうな声が、フォリアからぽつりとこぼれ落ちた。
彼女は一番命と向き合って来たであろうラゼに言ってしまった言葉を思い出す。
一体どんな気持ちで彼女が仲間にナイフを向けていたのかを考えもせずに、当然そうあるべきだという理想を押し付けた。その理想が叶わない世界にいたラゼに。
「自分を責める必要はない。あいつが軍人だということを隠させたのはわたしたちで、オーファンは諜報のプロ。お前たちが何も知らなくて当然だ」
ガイアスはそう言うが、知ってしまった以上、仕方のないことだった割り切れるはずもない。
「いつからですか。彼女は、いつから軍に?」
いつも飄々としているアディスは、そこにいなかった。
昔からルベンと遊ばせていた友人の息子である彼を、ガイアスも咎めはしない。
「先の攻防戦で家族を失ったオーファンのことを、ゼーゼマンが拾ったと聞いている。十年近く軍にいることになるな。彼女は軍大学も卒業している」
明らかになったラゼの過去に、絶句する。
人生の大半を国に捧げて働いてきたなんて、想像を遥かに越えていた。
「ラゼ・グラノーリは役目を終えた。今のあいつはラゼ・オーファンだ。お前たちも彼女のことを友だと思うなら、過去を悔やんでないで勇姿を見届けてやれ」
国の長として、数々の選択をして来たガイアス。
彼の眼に映るのは、ひとりの軍人として力を振るうラゼだ。
男たちの声を聞いた彼女は、それを合図に青い旗を背にして魔物たちに突っ込む。
「「GARGG!!!」」
後ろを取られたことに気がついた魔物たちが、ラゼに一斉に飛びかかった。
手始めに魔物たちの位置を瞬時に把握すると、そこにナイフを転移させる。
襲おうとする魔物は、攻撃が届くことも許されず、彼女を中心に倒れて行く。
その戦法はあまりにも静かだった。
敵が倒れる音で、やっと誰かがやったのだと気がつく。そんな戦い方だ。
「っ、すごい……」
クロードから、驚きの声があがる。
「わたしたちと戦っていた時とは、全く動きが違います」
「お前たち相手では目的が違う。守るために学園にいたあいつが、学生に手加減しないわけもない」
どんな訓練をすれば、あんな風に敵を倒すことができるのか。
クロードはじっと彼女の戦闘に見いる。
ラゼはマーキングの済ませてあるナイフを、移動という魔法の範疇を超えた応用で何度も敵の身体に移していた。
任意の位置に武器を刺すことができるなど、反則技もいいところだ。あんなものをどう防げというのだろう。
ラゼが戻ってきてから、戦況は明らかに優勢だった。
「彼女が『狼牙』……」
いつだったか、バネッサに言われた言葉がアディスの脳裏に蘇る。
戦争の中で生まれた幻想の話ではなかった。
その存在は、ずっとすぐ傍にいた。
特待生と聞いてから、興味を持った彼女。
庶民なのに同級生の誰よりも頭がよくて。だからといって貴族を馬鹿にすることはせず。
かと思えば勉強だけではなく、剣術もできて。
優等生ぶった固いやつなのかと見てみれば、フォリアやカーナには特別甘くてニコニコしている。
彼女たちのためなら、自分に不都合があっても全く気にしない。
後から知ったが、カーナの予知を変えるために協力していて、自分も消えてしまうかもしれないのに人のことばかり心配する。
一見しっかりしてそうに見えて、危なっかしいところがあるが、なんでも結局は自分で何とかしてしまう彼女が『狼牙』だった。
ラゼは中遠距離からの攻撃に対応しながら、手当たり次第敵を削っていく。
だんだんと、襲いにくるのを待つ方が時間がかかるようになると、直接それを捌きに走る。
一秒でも早く。一匹でも多く。
ひとりでも多く負傷者を出さないように。
自分がどんな状況になっても、目の届く範囲にいる仲間を必ずフォローするラゼは、アディスの知っている“ラゼ”だった。
彼女は戦っているのに。
どうして、自分は何もできずにここで見ているだけなのだろう。
アディスの中で、自覚していなかった感情がふつふつと湧き上がって来る。
学園にいる時は、自分にも彼女のことを守れる力が少しはあると思っていた。
でも、それは間違いだった。
騎士団に入る? 軍人になる?
自分がそれなりの位に就く頃には、彼女はどうなっているだろう。
それでは遅いし、彼女が『狼牙』である限り、武人として守るなんてことはそもそも可能なことなのか。
「…………俺は――」
アディスはグッと歯を食いしばる。
今まで、騎士になることを目指してきた。
そうすれば、誰かを守れる力が得られると思って。
しかし、守りたいと思う人は、あまりにも遠くにいて、それでは手が届かない。
なら、どうすればいいのか。
何を目指すことが自分の中でのベストなのか。
彼はその答えを、ずっと近くで見てきたから知っている。
彼女が戦わなくてもいい道を選ぶ。
父親のウェルラインが、宰相として国の方針を舵取りしてきたように、自分も政界に飛び込むしかない。
アディスは音が減って行く戦場を奔走するラゼを見つめた。
彼女のことはきっかけにしかすぎない。
これは、自分のためだ。
自分が後悔しないために、進路を決めるだけ。
でも、もしこの先彼女を守れる選択ができる未来があるなら、喜んでそちらを選ぼう。
別にそのことを彼女が知る必要はない。
彼女が正体を黙って自分たちを守ってくれたように、次は自分が彼女を守る番になるだけなのだから。
彼の銀色の瞳に、もう戸惑いや迷いの色はなかった。
◆
『狼牙』ラゼ・オーファンがやっと足を止めたのは、彼女が戦場に降り立ってから約四十分後。
立っているのは、ついに皇国軍の仲間だけだった。
「代表!」
彼女の元には、見知った部下たちが駆け寄ってくる。
ラゼはグローブを外すと、顔についた返り血を拭った。
「帰ろう。みんな、よく生き残った」
――全てが終わった。
彼女の宣言に、部下たちは肩を組んで勝利を噛み締めた。
ラゼはそれを遠目に見て肩の力を抜く。
なんとか、被害を抑えて処理を終えることができた。
隣国との長きにわたる因縁もここで断ち切られ、これからまた違う時の流れが生まれていくだろう。ルベンが皇上になるときには、きっと今よりいい時代になっている。そう思いたい。
「テリア伍長にも、勝ったことを報告しないとな……」
視線を上げると、敵陣に自分が突き刺した旗がはためくのを見つめる。
彼女の目の前に広がるのは、魔物の独特な血の匂いが漂う荒れた地だった。
伝令役が帰還命令を出しているのを頭の隅で理解しながら、ラゼはそちらに黙って敬礼する。
――自分が軍人であるその姿を、“彼ら”に見られていたとは知らずに。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ここまで、長かった…。身バレ、一体どうなることかと……(汗)
色々なご意見ご感想はあるかと思いますので、コメントいただけたものは、有り難く拝読させていただきます!
そしてお知らせなのですが、
『軍人少女〜』のコミカライズの連載が始まります!!
来月号の「ぱれっと」から、syuri22先生が担当してくださいます。
「書籍化?コミカライズ? そんなの聞いてませんけど?」な感じで作者も驚いておりますが、嬉しい限りです。たぶん一生分の運は使い果たしました。
本当に推してくださる方々のおかげです。
どうか、Web版も最後までお楽しみいただけますように…
よろしくお願いします。