83、学園祭⑦
彼女が降り立ったのは、突然現れたバケモノに恐怖する広場。
数多くの生徒や祭りの参加者が騎士団員や教師の指示に従って、一斉に転移装置のあるホールに誘導されていた。
「バケモノね……。カーナ様に言われた時から考えてたけど、やっぱりこういうことか」
ひとりだけその場に立ち止まって、原型を失ったソレを見つめる。
カーナが破滅と口にする度に、ラゼはそれがどんな要因で起こることかを考えていた。
害獣でもなく、人がバケモノになる。
そう聞いて心当たりがあったのは、ひとつだけ。
「魔物の液体を過剰摂取することによる、魔物化……」
ラゼは無意識に、自分の脇腹に残る黒い傷を服の上からさすった。
彼女が軍大学時代に提出した論文がある。
それは軍の中では高い評価がされているが、今も公に発表されていない。
理由は、バルーダで任務を遂行する軍人たちを守るためにあった。
ラゼが書いた論文は、魔物が人体に及ぼす影響についてを取り上げていた。
その内容は、黒傷が残っている軍人ほど、身体能力が高いということ。それがある一定の割合を超えると、魔物に近くなっていく。
そして、自分の肉体や体液を摂取された魔物から採れる魔石は、適合率が著しく向上し、魔石の力を従来の数倍引き出すことができるようになることの二点だった。
これについて広く発表することができないのは、この世界にはフォリアも所属している星教というものが、害獣や魔物などの穢れを嫌うことにある。
だから、何も知らない民間人たちは、今ここに現れたアレを、バケモノと表現するより他の言葉を持ち合わせていない。
この件も、呪いやらなんやらで、適当に原因は誤魔化されるだろう。
「落ち着いて、こっちへ!!」
「押さないで!! 順番に引くんだ!!」
大人たちの声と、暴れるバケモノの声が混じる。
数名の騎士が、魔物化したソレと対峙しているが、未知の獣に剣が悲鳴をあげていた。
騎士たちでは、弱すぎる。圧倒的にソレを相手にする経験が足りていない。
そして、ソレが何かも理解していないものに、倒させるのは嫌だった。
ラゼは視界の端に、自分の部下たちがいることに気がついて、腹を括る。
彼らにアレを相手させるのは、上司としての心が許せない。
「OOOOFAAAAAGAAAA!!」
鳴き叫ぶそれと、彼女の視線が交差する。
ラゼはそれで、魔物になったのが誰なのか、理解してしまった。
「オルサーニャ……」
決して仲は良いとは言えないが、同じ軍の仲間だとわかって、彼女の脳裏に魔女の言葉が反芻する。
(苦しんで長生きしろよ。か……)
あの女は感謝の言葉を口にしていたが、自分を恨んでいたことは嫌でも察した。
こんな風に、これからも汚れた仕事をやる人生かと。ラゼは自嘲気味に息を吐く。
(それでも、カーナ様やフォリアのためなら、それも悪くないか)
彼女は煌びやかに飾られた校舎を見て、これ以上ここを破壊されてたまるかと、一歩踏み出す。
「特待生!?」
自分の名前だからだろうか。
この騒ぎの中でも、聞き慣れた声が拾えた。
「ラゼ!? 早くこっちへ!!」
「カーナ、出るな!!」
何故、一番この場から逃げなければならない人たちが、まだそこにいるのか。正直よくわからなかったが、生徒全員が無事に学園生活を過ごせるようにすることが目的なのだから、誰であろうと護衛対象に違いはない。
守り切れば良い話だ。
彼女は今にもバケモノに噛まれそうになっている騎士に向かって、距離を詰める。
制服のスカートがふわりと揺れたかと思うと、大きく踏み込んだ足が力強く地面を打った。
次の瞬間には、回し蹴りがバケモノの頭部らしき場所を穿つ。
「GAッ!!」
魔物化したオルサーニャは、生徒たちが逃げる方向とは逆側に吹き飛んだ。
ラゼは間髪入れず、飛んで行ったオルサーニャに合わせて自身も移動する。
倒れ込んだ魔物にトドメを刺そうと、彼女はナイフを振りかざした――。
「――待って!!!」
その手を止めたのは、鈴の音が鳴るような綺麗な声。
「やめてっ、ラゼちゃんッ!!」
脳震盪でも起こしたのか、動かなくなった魔物から目を離して、ラゼは後ろを振り向く。
こちらを見ていたのは、新緑の瞳を持つ少女。
ラゼがこの学園で一番一緒に時を育んで来たフォリアだった。
彼女は大人たちの制止を振り払い、こちらに向かって走ってくる。
「わたし、見たの! その人は人間だった! 殺しちゃダメ!!」
どうやら、フォリアは彼が人から魔物に変わるところを目撃してしまったらしい。
人であるそれを殺そうとするラゼを、彼女は止めに来ていた。
しかし、ラゼはフォリアから顔を背け、再びナイフに力を込める。
ここまで魔物化が進んでしまえば、もう人間には戻れない。黒傷を治す方法がないのと同じだ。
ゼルヒデ・ニット・オルサーニャは、もう死んだのだ。
これ以上、彼を苦しめる必要はない。
同じ軍人として、引導を渡さねばなるまい。
「ラゼちゃん!?」
いつもなら自分の話に、必ず返答をしてくれるラゼに無視されたのはそれが初めてで。
フォリアの表情には焦りと戸惑いが浮かぶ。
ラゼにはその声が聞こえていたが、他の誰かに処理されたくないというエゴが勝った。
嫌われてもいい。許さなくてもいい。
でも、命のやり取りをする今だけは、軍人の自分でいさせて欲しい。
ラゼの瞳が、細くなった。
躊躇はいらない。一瞬だ。
ナイフを握った手が、再び急所を狙う。
「ダメ!!!!」
悲痛な叫びが聞こえて、ナイフがその額にあたろうとする刹那。
ゴウっと音を立てて、強風がラゼの身体を宙に浮かせた。
二度目の妨害に、彼女はすぐさま犯人の姿を探しながら、身体が浮き上がるほどの強風から逃れて地面に足をつく。
(――この魔法は……。アディス様か)
こちらに照準を合わせているアディスを見つけるが、ラゼの表情は一向にポーカーフェイスのまま。
「やめてよ、ラゼちゃんッ」
その間に走り込んで来たフォリアに押し倒されるように、抱きつかれた。
こんな危ないところに突っ込んでくるのは、さすがに感心できない。
「離れてて。危ないから」
ラゼはフォリアの言葉は聞かず、彼女の肩を押す。
「信じられないかもしれないけど、この人は人間だったの。だから、殺しちゃダメッ」
フォリアはラゼの腰に抱きついたまま離れようとする気配がない。
彼女を預けられる騎士はいないのかと、ラゼは周囲を確認するが、こちらに割かれた騎士たちは負傷してぼろぼろである。
「違うよ、フォリア。これはもう人間じゃない。もう、人には戻れないんだよ」
ラゼは幼い子どもに言い聞かせるように、フォリアに言う。
聞いたことのないような冷たい声音に、フォリアはぶるりと肩を震わせて彼女を見上げる。
「どうして……」
失望の色が、綺麗な瞳を濁していた。
「治す方法がない。仕方ないんだ」
既に諦めているラゼに、フォリアは怒りを隠せない。
ラゼは相手が人間だとわかっていながら、殺そうとした。そのことが、フォリアには信じられなかった。
「そんなの、やってみないとわからないじゃん!! なんで人の命を勝手に諦めるの!?」
フォリアはいきなりラゼから離れると、倒れたままぴくりとも動かなくなったソレに両手をかざす。
「治って!! お願い!!」
ラゼが止めようとしたときには、フォリアの魔法が眩い光と共に溢れて。
今までの人生で見たことのない、繊細で大きな魔法陣が、オルサーニャの身体を囲うように現れた。
ミルクティー色のふんわりした髪は、強力な魔法によって浮いている。
フォリアが放つ魔法は暖かかった。
その光景はとても眩しくて、ラゼは糸のように目を細める。
「――ッ!」
次に彼女の目に光が戻って来た時。
目の前にいたはずのバケモノはどこかに消え、いつもラゼを挑発してくるゼルヒデ・ニット・オルサーニャが安らかな顔で眠っていた。
「最上級の浄化、魔法……」
ラゼは愕然として、その状況に言葉をこぼす。
「……だから、待ってって、いった、でしょ」
フォリアは全ての力を使い果たしたのか、そうラゼに言い残してその新緑の瞳を閉じていく。
衝撃でその場で動けなかった彼女だが、ハッと我に返って倒れていくフォリアを受け止めた。
腕の中で気を失ったフォリアに、ラゼは呆然と、驚きで見開いたままの瞳を注ぐことしかできない。
カーナが心配していたので、ヒロインが主人公をサポートしてくれるとは知っていたが、まさかこんな力を見せつけられるとは。
初めて見るその能力に、ラゼは驚きを隠せなかった。
「――特待生! おい、グラノーリ!」
「アディス、様……」
フォリアと共にすぐ傍まで来ていたアディスが、心ここに在らずの彼女を呼ぶ。
「どうして君はこんなことばっかり……」
彼はそう叱りながら、腰を下ろしてラゼを覗き込む。
すると、そこには戸惑いの表情を浮かべるラゼがいるから、アディスは眉を顰める。
「大丈夫?」
「――は、い……。フォリアも私も、大丈夫、です……」
この状況が飲み込めない。
彼女の顔には、そう書いてあった。
ラゼはフォリアを寝かせると、オルサーニャの横に行き、脈を確認する。
「生きてる」
彼女はぽつりと呟いた。
「その人……」
アディスは見覚えのある顔に、言葉を失った。
事実、ラゼは彼を殺そうとしていたのだとわかって、アディスは沈黙する。
「あなたたち! なんて危ないことを!!」
そこに医務室長のメリルが駆けつけ、騎士の迎えが来た。
メリルはすぐに、オルサーニャやフォリアの状態を確認する。
大人たちが集まってくると、その中にはハーレンスの姿があった。
「グラノーリ。君はわたしについて来なさい」
目が合ったかと思うと、ラゼは名前を呼ばれる。
彼の表情が今までになく硬いのを見て、彼女は何となく自分がここにいられるのも、あと少しなのではないかという気がした。
「――ハイ」
ラゼは返事をすると、その輪の中から抜け出す。
最後にそっと振り返ると、アディスと目が合った。
彼の銀色の瞳は不安げに揺れている。
「フォリアのこと、よろしくお願いします」
それだけ言うと、彼女はもう後ろを振り返ることはしなかった。
◆
フォリアによって脅威から救われた学園は、騎士団たちの尽力もあって無事に怪我人を出すことなく学園祭1日目を終えた。
原因の解明、保護者への説明などの必要により、学生だけで行われる2日目は延期が決定。
同時に、警備の問題を問われた学園は一度休園することになり、学生たちは自宅での自主学習を余儀なくされる。
「またしばらくのお別れだね」
「……うん」
いつも通り、転移装置があるホールに集まる学生たち。ラゼは少し遅れて隣にいるフォリアに頷く。
フォリアの意識が戻ってから、ふたりの間には少しの間気まずい空気も流れそうにもなったが、フォリアの器が大きかった。
彼女は「とめてよかったでしょ?」と言って、ラゼの判断を笑って流してくれた。
ハーレンスとの話を終えた後、重い気持ちでフォリアと顔を合わせたラゼとしては、拒絶されなかったことが本当に救われていた。
「いつになるかまだ決まってないみたいだけど、はやく学園祭できるといいなぁ」
そうとは知らないフォリアは、楽しそうに笑っている。
「カーナ様とラゼちゃんが考えた後夜祭も、楽しみ!」
「そうだね……」
前方で、ルベンと一緒に転移の時間を待つカーナを、優しい眼差しでラゼは見つめた。
事故があったあの日、カーナとルベンが抱き合っていたという噂は瞬く間に広がり、陰鬱な空気を払い去っていった。
(時期はズレたけど、カーナ様の破滅イベントが終わった。同時に、殿下とカーナ様が結ばれて、対象は違うけれどシナリオ通りのハッピーエンド。これまでのことを考えても、もう、これ以上危ない乙女ゲームのイベントは存在しない)
ここがひとつの大きな節目だった。
無事に、厄介な乙女ゲーム『ブルー・オーキッド』のイベントを変えて、カーナの幸せいっぱいな表情を拝むことができた。
これ以上、望むことはない。
イレギュラーだらけの学園生活だったが、自分がこなすべき学生たちの見守り役というのは、全うすることができただろう。
「そろそろ時間みたい」
フォリアが、ステージにいる教師たちがこちらを向いたのに気がつく。どうやら準備が整ったようだ。
「じゃあ、また今度だね」
優しい新緑の瞳には、学生姿の自分が写っている。
転移装置が起動して、ホール全体が光に包まれていく。お別れの時間だ。
「元気でね!」
ラゼはくしゃりと笑って、この学園に潜入してから一番同じ時間を共有したフォリアに別れを告げた。
そして、一週間後。
安全の確認が終わり、授業は再開する。
セントリオール皇立魔法学園は結界の強度を増し、守衛のレベルもあげたそうだが、一見すると大きな変化はなかった。
ただ、ひとりの美術教師と、とある二年の特待生が跡形もなく消え去っていることに気がつくまで、そう時間はかからなかった――。




