70、学園祭準備④
「うわっ」
「えっ?!」
「あれ。あの子さっき、大ホールにいたような?」
「俺は職員室で見たぞ」
「わたしは三年C組で見た」
「「「……?」」」
転移魔法で飛び回るラゼを見かけた生徒たちは困惑する。
魔石を起動するのには、脳を使う。慣れない作業と同時に魔法も使ってしまうと、脳への負担が増えて体調は崩れやすい傾向がある。
が、しかし。少数精鋭の運営委員の中には、厳しい訓練を超えて〈影の目〉と呼ばれる特殊部隊に選抜された軍人がひとり混じっている。
いわずもがな、ラゼがその人で。彼女は学生たちとは比べ物にならない持久力を所持していた。
「ヒューガン先生。音響照明について確認終わりました。あすにでも新しいものを用意します」
「……グラノーリ。お前って双子だったりしないよな?」
「何おかしなことを仰っているんですか?」
真面目に仕事をしているラゼは、冗談を言うヒューガンに怪訝な表情で返す。
「いや、だってな……。お前、ついさっきまで全然違う作業してたよな?」
「それはもう終わったというだけですよ」
彼女はヒューガンに備品についての申請書を渡した。
「転移魔法をそんなにぽんぽん使って、何で事故らないんだよ……」
彼は資料を受け取りながら、不思議に思っていたことを問う。
「普通、転移先がわからないで飛べば、人にぶつかったりモノに着地したりするだろ?」
ラゼはヒューガンの話にきょとんとする。
「ぶつかる前に、違うところに飛べばいいだけですよね?」
それを聞いたヒューガンは絶句した。
「お前、それ本気で言ってるのか?」
「そうですが」
つまり、移動した場所に着いた瞬間、彼女はその刹那で状況の把握をして安全な場所に転移をしているということになる。
瞬きをするような時間だけで、そんな芸当ができるとは、到底信じ難いことだ。
しかし実際、ラゼのことについて注意をしてくる生徒はいないし、事故も全く起こっていない。
「……そうか。さすがだな、特待生。安全には気をつけて頑張ってくれ」
ヒューガンは考えるのを放棄すると、何か吹っ切れた様子でそう言った。
「もちろんです!」
ラゼは激しく彼に同意する。
なぜなら、
(お偉いさんの子供を怪我させるなんてっ。考えただけでも震えるわっ!)
護衛対象を自ら傷つけるなど、彼女からすれば論外もいいところなのである。
*
「戻りました」
「ん。おかえり」
運営室に戻ると書類にペンを走らせたまま、アディスが適当に返事を返した。
集中しているのだろう。全くラゼには見向きもせずに作業を続ける。
(おかえりって久しぶりに言われたな……)
彼女は言われる機会が少ない挨拶に、ちょっと驚いた。同室のフォリアには言ってもらえることもあったが、まさかアディスに言われるとは。
彼からすれば、何とも思わない挨拶だとしても、帰る家に誰もいないラゼにとってその言葉は少しだけ特別だった。
「どうしたの。ぼーっと突っ立って」
アディスは、立ち尽くしていた彼女に気がつく。
「いえ。何でもないです」
ラゼは首を横に振る。
ちらりと横を向くと、クロードはぐっすり寝ていた。
(まだ三十分くらいしか経ってないもんな)
ラゼは時計を見て時間を確認してから、そっと椅子を引いてカーナの机に座る。
「外で作業しなきゃいけないことは、大体終わらせて来ました。後はこの資料を終わらせてしまいますね」
「あれだけ量のある作業をどうやったら、三十分足らずで終わらせられるわけ?」
アディスは自分が終わらせた資料に目を落としてから、ため息混じりに尋ねた。
「移動時間を省けば、これくらいで終わりますよ」
ラゼは答えると、整頓しておいた資料に手をつける。
「……君って、本当に謎が多いよな」
アディスはポツリとそう溢した。
「そうですか? 普通の特待生だと思いますけど」
ラゼはフォリアのように図星を突かれて慌てふためくなんてことはせず、落ち着いて返事をする。
「普通の庶民なら、まず特待生にはなれないと思う。冒険者だったみたいだけど、移動魔法の使い手で君の特徴に当てはまるような存在は噂にすらなっていない。そして、一番気になるのはゼーゼマン様とのことだ」
「ああ〜……」
ビーハムでのことを言われて、ラゼは渋い顔になった。
ゼーゼマンはラゼが学園に通うことを、最後まで認めなかった男だ。
あの時の彼は、冗談半分本気半分でラゼの正体をバラすつもりだった。
きっと今でも、ラゼを軍団に引き戻したいと思っていることだろう。
(あの人、何だかんだで私を贔屓にしてくれてるからな)
ゼーゼマンは能力主義者だ。ラゼが女だろうと、幼かろうと、実力に見合っただけの対応をしてくれる。彼女が舐められて上手くことが進まない時には、まず彼が最初に目をかけてくれていた。
あれでも恩義を感じている人なので、ゼーゼマンを本当に嫌うことはできない。
案外、わがままも聞いてくれるので、ラゼにとっては厳格な祖父のような存在なのである。
「あの方は、シアン皇国軍大将だ。知り合いだってことの方がどう考えてもおかしい。一体どんな仕事をしていたら、ゼーゼマン様と交流があるんだよ」
痛いところを突かれて、彼女は冷静になった。
「彼が支援してくださった孤児院でお世話になったことがあって。その縁でお仕事をいただいているんです」
後付け感が否めないが、軍に頼めば辻褄は合わせてくれるだろう。
ラゼはここが全寮制の学園で、簡単には自分の情報を集めることが出来ないことに感謝した。
アディスは考え込んだ様子で、書類にスタンプを押す。
少しの間、紙をめくる音と、ペンを走らせる音だけがその場を支配した。
ラゼは少しぎこちない雰囲気に、知らないフリを決め込んで書類に目を落とす。
「君さ……」
アディスが珍しくためらった様子でそう口を開くので、彼女は視線を上げた。
「運び屋って言われてたけど。もしかして危ないものでも運ばされてるんじゃないの?」
銀色の瞳が、真剣にこちらを向いていて。
ラゼは表情には出さないものの、一瞬息を止めた。
「別に何をしてるか言わなくていい。でも、危ない仕事をしてるって自覚がもしあるなら、辞めなよ」
アディスは今まで聞いたことがないような、冷静な声色だった。
そしてラゼもまた、今までになく悲しい顔つきに変わる。
(危ない仕事は、辞めろ。か……)
ラゼは軍人だ。
アディスが想像しているであろう、その場限りの契約でモノを運んだり、誰かを助けたりするような仕事はしていない。
軍団は、騎士団のように民間人と関わることはほぼない。きっとどんな仕事をしているかなんて、よく知らないだろうし、興味だってないだろう。
騎士は花形。軍人は裏方、汚れ役。
そう言われるのは今に始まったことではない。
しかし、それでもラゼは自分の仕事を誇りに思っていた。そしてその仲間たちのことも。
(結構、くるな……)
今、危ない仕事は辞めろといった彼を含めた国民を守るために、自分たちは時に命をかけて任務に臨んでいるのに。
そう簡単に辞めろと言われると、悲しくもなる。
アディスがそれを知らないとはいえ、正直胸に込み上げるものがあった。
「ハハ。心配してくれてるんですか?」
無理やり乾いた笑みを浮かべ、ラゼは言う。
「平気ですよ。ゼーゼマン様がそんな仕事を私に振るわけがないじゃないですか」
彼女は努めて明るく振る舞った。
これ以上、彼の口から自分の仕事を否定されるような言葉を聞きたくない。
「確かに大変なこともあるけれど、今の仕事、嫌いじゃないんです。心配しないでください」
仕事に関することを拒絶するように、ラゼはそう言って話を切った。
「私、ちょっと抜けますね」
気持ちの切り替えがうまく出来ず、彼女は失態を犯す前にと運営室を出た。
◆◆◆
パタンと、ラゼが出た後、扉が音を立てて閉じる。
「アディス。今のは良くないですよ」
「……起きてたのか。クロード」
「はい。すみません、寝てしまって」
クロードがソファから起き上がり、アディスは小さなため息を吐く。
「俺、間違ったことは言ってないと思うけど」
そう言ったアディスに、クロードは目を伏せた。
「じゃあ、さっきの言葉。危ない仕事なら辞めなよって、わたしにも言えますか?」
クロードはいつもつけている手袋を見てから、彼に問う。
アディスはその様子に言葉を失った。
クロードが皇族を守るために裏家業で暗殺をしていることを、アディスは知っている。
自分の手を汚しても、ルベンを守っているクロードに、その努力を否定する言葉をかけられるはずがなかった。
「憶測だけで、仕事を辞めろなんて言わないでください。もうラゼさんにこういう話をするのはなしですよ。わたしも人に言いづらい仕事をしている身として、詮索されたり口を出されたりするのが嫌なの、わかります」
アディスは自分が良かれと思って言った言葉が、ラゼを傷つけた可能性を知って、グッと歯を食いしばる。
軽率だった。いや、きっとクロードに言われなければ、彼女にこの場から出て行くほど嫌な思いをさせたことに気がつけなかっただろう。
それは令嬢相手であれば、全く考える必要のない気遣いで。
アディスの握ったペンに、力がこもる。
いつもお読みくださりありがとうございます。
今、ラゼさんに振り回されながら、一生懸命書籍準備中です。
どうか、これからも応援お願いいたしますっ。




