69、学園祭準備③
前世の記憶を頼りに立案した文化祭は、学園始まって以来の試み。
本番が近づけば近づくほど、様々な問題が発生し、運営委員たちは目まぐるしい日々を過ごしている。
「グラノーリ」
「はい」
廊下を歩いていたところ、担任のヒューガンに引き止められ、ラゼは立ち止まった。
「リハーサルで照明器具が壊れたらしい」
「えっ! 本当ですか? 今、確認しに行きます」
ホールの舞台に設置されていた機材が壊れていたらしい。学校の備品を購入するのは運営の仕事であるため、彼女は自らホールへと向かう。
それから状態を見て、使えないとわかると急いで申請をせねばとラゼは再び来た道を戻った。
が、その途中。
「あ、グラノーリさん。当日の食堂についての案内はこれでよかったかしら。確認してもらっていい?」
「わかりました。ありがとうございます」
と資料を渡されたかと思えば、
「おっと、いいところに! グラノーリくん。三年C組と一年B組で使う備品が被っていたらしいんだ」
「え」
「代用できるものを私も探しておいたから、代表たちと話を通してくれ」
「……すみません、ゾーン先生……。助かります」
「いや。ミスは仕方ない。頑張りなさい」
「はい」
といったように、次から次へとやることが舞い込んでいた。
これが猫の手も借りたいという状況なのかと、ラゼは思う。
委員長であるカーナも、確認事項が書かれた紙がてんこ盛りになった机で格闘しているし、フォリアはその美的センスを活かして学園を彩る装飾関係全ての管理を任されている。
(魔法が使えるからって……。ひとりがこなすべき仕事量がえげつないよな……)
前世と比べれば、ひとりがこなせる作業量は何倍にもなる。だが、これはあまりにも運営側に事務的処理が偏りすぎたのではないかと、今更ながらに後悔しながら、ラゼはあっちこっちに飛び回った。
そんな矢先だ。
「ラゼちゃん大変! カーナ様が倒れたって!!」
酷く慌てた様子でフォリアに、そう言われたのは。
「え……」
ちょうど職員室を出たばかりだったラゼを見つけたフォリアが駆け寄ってくる。
ラゼは資料を手に抱えたまま、目を見開いた。
「お手洗いに行くって言って、戻ってこないと思ったら……廊下で倒れたって……。今は保健室に」
「殿下は?」
「もう駆け付けてると思う」
「……そっか……」
ラゼは今までになく、暗く真剣な表情でそう呟く。
(見込みが甘かった……。クロードくんにも言って、ちゃんと休憩を挟んでもらっていたはずなんだけど。私がついていながら、女神を無理させてしまった……)
人にはそれぞれキャパシティというものがある。
つまりは、同じ時間机に向き合っていてもこなせる能力には差があるし、体力の限界にも差というものがある。
戦場でまともに寝れない中、任務を遂行してきたラゼ。その体力と精神では、カーナのような令嬢の限界を正確に推し量ることができなかったようだ。
軍では部下の体調管理は、生死を分つほど重要なこと。
自分がいながら、こんな根本的なミスをしてしまうとは。
ラゼは思わぬ不意打ちにショックを受ける。
「カーナ様にはゆっくり休んでもらおう。フォローは私がする。フォリアも今日は……遅くても六時に切り上げて、モルディール卿のところに行くこと」
「ふえっ?!」
最後に思わぬことを言われたフォリアは驚いた声を上げた。
しかし、ラゼは大真面目に話をしている。
「絶対ね。守らなければ、私が強制送還するから」
「ええっ」
フォリアは口をパクパクさせ、言葉が出ないようだ。
ラゼはそんな彼女の様子は横に置き、これからの仕事について思考を巡らす。
学園祭本番まで、あと一週間。
カーナ以外のメンバーにも疲労が見えている。ここからが正念場だろう。
だが、準備に疲れて本番を楽しむことができないなど、断固あるまじき事態だ。
(……さて。ちょっと、頑張っちゃおうか)
今でも普段と変わらぬ作業効率を保っているのは、ラゼくらい。体力自慢のイアンですら、慣れないことばかりで眠そうにしている。
(あんまり私ばっかりやるのも、青春を邪魔するからやめようと思ってたけど)
彼女が本気を出せば、ひとりで運営を回すこともできなくはなかった。移動や伝達を統制してしまえば、より効率的に問題が片付くからだ。
そして、仲間たちが全力を尽くして頑張っているのに、自分だけ余裕でいるのも、少し心苦しく思っていた。
「よし。カーナ様が戻ってくるまでに、たまってる仕事は全部片付けよう」
「え?」
これが後に起こる「ラゼ・グラノーリ分身事件」の始まりだった。
*
カーナの代わりになると決めたラゼ。
自分の持っていた仕事をちゃっちゃと片付けると、彼女は運営室に戻る。
「クロードくん。ご無事でしたか……」
「……それ、なんと答えるのが正解なんでしょうか……?」
そこには、疲労と心労がたたったのか、決して良いとはいえない顔色をしたクロードがいた。
つい先程までカーナが座っていた椅子は、主人を失いぽつんとしている。その斜め横に陣取っているクロードの仕事机は、几帳面な彼にしてはモノが散乱していた。疲れているのだろう。伊達眼鏡の下にはうっすらクマも出来ている。
「……その。とにかく生存を確認できて安心しました」
ラゼは冗談半分、本気半分でそう声をかけた。
彼女がカーナの体調に気が付けなかったことを後悔するように、クロードもまたそれを気に病んでいることは考えるまでもない。
側でずっと仕事をしていて、その相手は慕っている殿下の寵愛を受けている者とくれば……。
クロードには大きなダメージが加算されたに違いなかった。
「殿下には何か?」
「……いえ。『お前も無理はするな』と。殿下は今、招待客の接待について、カーナ様の代わりに理事長と会議中です」
「そうですか」
ラゼはそれを聞いて少しホッとした。
(殿下はカーナ様のことになると熱くなっちゃう属性の主人公サマだからな。クロードくんに被害がなくてよかった)
あの性格は若気の至りというより、彼の本質に近い。その独占欲の強さにラゼは正直なところ本気で引いてしまうのだが、お相手の女神は異様に自己肯定感が低いため、お似合いなのだろう。
そこで、背後の扉が開いてアディスが姿を現す。
「あ。特待生。今までどこに行ってたの? こっちは大変なことになってるのに」
彼は怪訝な顔でラゼを見た。きっと、アディスがカーナの穴埋めに入ったのだろう。
「遅くなってすみません。ひと通り自分の仕事を終わらせてきたんです。私もカーナ様のフォローに入ります」
時刻は午後四時。活動時間はまだこれからだ。
しかし、とりあえず……。
「ふたりとも、まずはひと休みしましょう。疲れた顔してる。今、お茶を淹れますから」
「「え?」」
「……なんですか、二人揃って?」
どうしてそこで驚いた顔をする?
ラゼは訳がわからずキョトンとする。
「その、今はそれどころではないというか……。いや、それよりも、ラゼさんがそう言うのが珍しくて驚きました」
クロードに言われて、ラゼは確かにと思う。
いつもはカーナやフォリア、クロードがお茶を用意してくれる。ラゼは机の整頓や、後片付けをすることがほとんど。
女神や天使ファーストの彼女が、自ら彼らに何かを振る舞うことは、実はとても珍しいことだった。
「私だってお茶くらい淹れられますよ。一人暮らしも長いので、自炊とか普通にしますし」
そんなことで驚かれるとは思わなかったラゼは、少し不満気に答える。
「まあ、私の話はどうでもいいですね。フォリアにもルカ様とイアンくんと息抜きするようにお願いしておいたので、ふたりも休んでください」
ラゼはカーナが部屋の端に作った給湯スペースに立つ。机の上にポットやカップ、茶葉、それからちょっとしたお菓子が置かれているだけだが、魔法を使えばここでもお茶を淹れることができる。
今日は特別に、自分が寮で使っている茶葉と、
(昨日、またユーグ先輩に差し入れもらったんだよね。お裾分けするか)
ユーグからもらったチョコレートの入った箱を転移させる。
それから、ぽとととと、と。カップに茶を注ぐ音が部屋に響いた。
「どうぞ。チョコは貰い物ですけど」
準備を終えると、クロードやカーナが作業をする机とは別に置いてあるローテーブルを片付けて、彼女はふたりにお茶を出す。
作業をしていたアディスとクロードは顔を見合わせると席を立った。
「ありがとうございます。もしかしてわたしは疲れで幻覚でも見ているんですかね?」
「貰い物って。このチョコ、有名ホテルのやつだけど。誰から?」
どこからかクロードが手配してきたソファーに座り、彼らはそれぞれ口を開く。
「幻覚じゃないし、疲れてる自覚あるなら休んでください。それと、このチョコは私の敬愛するユーグ・ミュンヘン先輩からの頂き物なので、もし会えたら是非お礼を言ってくださいね」
ラゼは空いていたクロードの隣に腰掛け、両方に答えた。
「ミュンヘン。商会のひとり息子か……。最近餌付けされてるでしょ、君」
「差し入れですが、そうとも言えますね」
彼女は前に座ったアディスの目が細くなるのを軽く無視して、選んだチョコレートを口に入れる。
「ん〜。おいひぃ」
さすが高級品。頬がとろけるのではないかと思うほど、美味しい。
「ラゼさんって、甘いもの好きですよね」
クロードはラゼの顔が緩むのを見て、思わず笑った。
アディスはどこか面白くなさそうにして、カップに口をつける。
「カーナ様の仕事は、私に任せてください。これでも一応、副委員長なので」
しばらく嗜んだ後、ラゼは今日この後の予定を発表した。
「いいけど。フォローはいらないの?」
「そうですね。アディス様にはお願いしたいことができたら、頼みます」
比較的余裕があるアディスに言われて、彼女は頷く。
「クロードくんは、引きつづ」
続き仕事を。と、言おうとしたところ、ラゼの肩にずしんと重みがかかった。
「なっ」
アディスが驚いて声を出すのに対し、彼女はシィーと口に指を当てる。
そこではクロードが、ラゼの肩にもたれかかって寝ていた。
「クロードくんもかなり疲れてるみたいですね……。アディス様は、彼の分の仕事を頼めませんか? 寝かせてあげたいんですが」
全く動じないでラゼがそう言うので、アディスはグッと息を飲んで「……わかったよ」と承諾する。
「ありがとうございます。本当はベッドで寝かせてあげたいんですけど……」
保健室にはカーナがいる。彼にとっては気が休まらないかもしれない。
彼女は魔石を起動すると、クロードを起こさないようにそのままソファへ横たえた。
「あ。眼鏡は邪魔か」
ラゼはクロードの顔を覗き込み、そっと眼鏡を抜き取る。
(相変わらず、乙女ゲームキャストの顔は整ってるなぁ)
そんなこと思いながら、魔法で取り寄せた枕や毛布をかけた。最後にサービスでホットアイマスクも目の上に乗せれば、お休みセットの完成である。
「こっちは任せて、ゆっくり休んでくださいねー」
そう言って、ラゼは立ち上がった。
「よし。じゃあ、ふたりで頑張りましょう。アディス様」
「………………うん」
アディスの反応が遅い。
彼女は小首を傾げる。
(まさか、アディス様も体調悪いとか?! どんなブラック企業だよ! 「異世界の文化祭がブラック過ぎて、過労で倒れて転生しました」とか笑えないし、全く売れなさそう! って。そうじゃなかった!)
慌ててアディスの額に手を伸ばした。
「?!」
「熱なし。脈も安定」
額で熱を測ったかと思えば、ラゼはそのまま首元に手を滑らせて脈を取る。
アディスはギョッとして言葉も出ない。
「どこか具合が悪いんですか? 無理してません?」
自分に向けられた、真剣に心配する彼女の顔に、目を見開く。
「だっ、大丈夫だから」
アディスは咄嗟にラゼの手を掴んで首から離した。
「そうですか? なら、いいんですけど。あ、すみません。突然触って。反応が鈍かったから、熱でもあるのかと思いました」
ラゼ・グラノーリは平常運転である。
しかし、
(もしかして、首で脈を取るのはよくなかったか?!)
そう考えついて、彼女はさあっと顔色を変える。
「本当にすみません! 不快でしたよね。もう二度と首に手を置くなんてまねはしません!」
「……もういいから。早く作業に戻るよ」
アディスは一瞬何かを悟った目になると、気が落ち着いたのだろう。冷静に返事をした。
「はいっ。さっさと終わらせます!」
ラゼは頭を縦に強く振る。
彼女からすれば、これ以上アディスの機嫌を損ねるわけにはいかない。
彼はあの死神宰相ウェルラインの息子なのだ。
(いや、お母様に言いつけられてもやばい!!)
庶民に首を絞められるかと思ったんだよー、なんて言われたら一体どうなることか。
ラゼは戦力が減った運営委員よりも、気の緩みが招いた事態に対して頭を悩ませる時間を過ごすことになる。
(……生存確認!)
評価、ご感想、誤字報告、いつもありがとうございます!




