14話 弱者の意地
大分走ったけど、まだ走れる。
師匠の言いつけサボらないで頑張ってきてよかった。
でも、まだ後ろに結構な人数いるんだよなぁ……、それに残ってるのが体育会系ばっかりだし。
このまま鬼石家に向かって何をすればいいんだろう?
もしかして師匠に助けを求めに行けばいいのか?
「神流待て、お前一人が犠牲になれば俺達は助かるんだぞ!」
返事はしちゃダメだ、少しでも体力が減ることは避けないと。
「頼むよ、俺達まだ死にたくない!」
これ、結構辛いなぁ……。
本気の懇願って心に響くんだよな、思わず止まっちゃいそうになる。
でも、そうしたら向こうの思うつぼだ。
百目木姉妹の言うことは絶対に嘘だ、僕が捕まっても、みんなが助かるとも限らない。
全員が生き残るには、焔さん達が勝たないとダメだ、そのために僕は絶対に捕まったらダメだ。
焔さん達なら僕が足手纏いにならなかったら、絶対に百目木姉妹を倒せる。
それで、今回の事件は終わりになる。
そろそろ鬼石邸が見える。
そう思った時、僕は壁にぶつかる。
これは領分の端……、そんな……、後少しなのに?
「やっと観念したか、お前には悪いと思うが、学校を守るために――」
急に背中に悪寒が走る。
この感じはこの二週間何度も感じてきた。
「みんな、逃げて!」
「何を言ってるんだ? そんな嘘に騙されるはずないだろう?」
ぬっと、曲がり角から一体の黒い靄が姿を見せる。
「お前、あいつらの仲間か? 今から俺達が捕ま――」
視界から一人の男子生徒が消え、同時に壁が壊れる音が響く。
やっぱり、最初から僕達を生かすつもりなんてない。
「み、みんな、そいつから離れて、こいつは僕を狙ってるんだ」
怖い怖い怖い怖い怖い怖い……。
少しでも、みんなが逃げる時間を稼がないと、そうしないとみんなが死んじゃう。
それは嫌だ! 絶対に嫌だ!
ここで誰かが死んだら、焔さん達に顔向けができなくなる。
「こ、来いよ! 僕はここに居るぞ!」
どこが正面かわからないカルマが、僕を見た気がした。
関節があればできないぬるぬると気色悪い動きで振り返る。
普通であれば届かないと思う程に離れた場所で、それは腕を振る。
当然のように伸びる腕を避けると、遠くにいた誰かの悲鳴が聞こえる。
「もっと遠くに逃げて! これは僕が引き付けるから!」
視界からようやく誰もいなくなったが、僕の劣勢は変わらない。
二本の腕が、距離を無視して連続で打ち込まれ、僕には避けることしかできない。
走っている時間よりも圧倒的に短い、それなのに僕の体力はかなり削られた。
ふと視界の上から透明な雫が見えた。
じわりと視界を侵す汗は、やがて眼球に触れる。
急激に左目の視界が滲み、平衡感覚を狂わせ足を滑らせた。
不味い、これは直撃する。
右目が映す情報を脳がどれだけ解析しても逃げられないと断定する。
「中々に成長したじゃないか」
「師匠? どうやってここに?」
直撃するはずの攻撃は師匠によって止められた。
「おい、秋良くんを頼んだ」
「わかってます。秋良くん、私の後ろにいてくださいね。絶対に安全ですから」
気づかなかったけど、師匠だけじゃなく椿さんも来ていたらしい。
「カルマの相手は久しぶりだ、最近は孫娘に頼りっぱなしだからな」
「いや、なんで手を離したんですか?」
「稽古のついでに決まってるだろ」
折角カルマの厄介な手を止めたのに、わざわざ手を離して稽古だと言い始めた。
それ今じゃなきゃダメなの?
さっき受け止められ、カルマの動きが変わる。
伸縮自在の腕が激しく動き、腕が軌道が残像を作り、ドーム状に見え始めた。
段々と広がるドーム状の攻撃は徐々に僕達に近づいてくる。
もう逃げ場がなさそうに見えたそれは、師匠によってあっさりと止められた。
「目に見えない時は、相手の肩の動きを見れば捕らえられる」
それは前に教えてもらったけど、今の速度はそれでも反応できません。
「その後、相手の体勢を崩して一気に畳みかける」
師匠はそう言って、目で追えない程に滑らかに、それでいて素早くカルマの姿勢を崩し、その頭部を地面に殴りつける。
ドンと鈍い衝撃音と共に、カルマは弾むほどに強く、地面が揺れる程激しく叩きつけられ、そのまま黒い霧になって消えた。
「師匠、今のは僕には無理です」
「そこまでは期待してない、今くらい滑らかに動けるようになれ。理想は防御から攻撃、攻撃から防御をスムーズに移行できるようになることだな」
それはそれでかなり難易度が高いんですけど。
「おい、クソ爺! お前何してんだよ、あいつが神流を殺せば俺達は助かったんじゃないのか?」
血の気が引いた顔で名前も知らない男子生徒が、そう叫んだ。
周りで隠れていた他の生徒たちも、そうだそうだと声を上げる。
「そいつが捕まれば――」「そいつさえいなければ――」「そいつを渡せ――」「そいつは役に立たない――」
そんな言葉を吐かれているのに、なぜか傷ついていなかった。
彼らの言葉は怯えた言葉だ。
僕が助けてと叫んでいるのと変わらない。
恐怖を強い言葉で打ち消そうとしているだけだ。
「身を挺して庇ってくれた人に向ける言葉じゃないな」
師匠も僕と同じことを思っているらしく、怒りよりも憐れみを向けている。
「師匠、僕があの人達と戦ったら勝てると思いますか?」
「負けるだろな。秋良くんのレベルだと大人にも勝てないだろう」
「そうですか、それならよかったです」
僕が一歩踏み出すと、罵詈雑言がぴたりと止んだ。
「一ノ瀬先生って確か柔道部の先生ですよね?」
「あ、ああ、それがどうかしたのか?」
「僕と勝負してください。それで、もし僕が勝ったら、焔さん達の戦いが終わるまで待っていてくれませんか?」
「そんなことする必要がどこにあるんだ? それにお前が負けたらどうするつもりだ?」
「百目木虚の元に行きます」
「それなら俺がやる。教師だと手加減する可能性もあるからな。俺はまだ、鬼石さんとお前が付き合ってるなんて認めてない」
名乗り出たのは前にカルマを宿していた揖斐川だった。
「僕も負けるつもりはないです」
†
絶対に負けない。
そう思い挑んだ戦いだったが、まるで歯が立たない。
「まだ諦めねぇのか?」
「当然……、諦めない……」
十分にも満たない時間の間殴られ続けた所が熱い、口の中が血の味でいっぱい、足も立ってるのが精一杯なほどに震えてる。
「根性は認めてやるよ。だがよ、弱すぎるだろ」
「百も承知、だよ……、でもさ、わかるでしょ……、負けたくない戦いがあるのはさ、それが、僕には今なんだ……」
「そうか。そこまで言うなら手加減はしねぇ。歯、食いしばれよ」
今までにない大振りは、僕の顔面を殴るのがわかる。
わかるけど、それを防ぐ術を僕は知らない。
硬い拳が僕の頬にめり込み、衝撃が骨を伝い全身に響く。
視界が明滅し、倒れそうな体を何とか耐える。
「まだ僕はやれるよ」
僕は軋む腕を持ち上げ、構える。
「もういいや、お前の勝ちでいい」
「えっ、何で……」
「ふざけるな!」「勝手に喧嘩始めたくせに!」「それじゃあ、私達はどうなるのよ!」
「文句があるなら出て来いよ。俺に勝てたらお前らの言う通りにしてやるよ」
いきなりの敗北宣言でざわめく人達を、たった一言で黙らせた。
「僕は、助かるけど、いきなりどうしたの?」
「お前の目は殺しても絶対負けを認めない。そんなのと喧嘩しても決着はつかねぇからな。そうなったら結局はお前の望んだとおりになる。だから俺の負けだ」
「ありが、と……」
勝負がつき、緊張の糸が切れた僕はそのまま倒れ込み、気を失った。
焔さん、氷美湖さん、僕今回は、少しでも役に立てたかな。




