11話 秋良、クラブに行く
「焔達に聞いたが、ワシに武術を習いたいらしいな。この前はあんまり乗り気じゃなかったみたいだが、どういう心境の変化だ?」
「今日、三毒に会いました。焔さん達が、何とか追い払ってくれましたけど」
「それで、家の孫娘達と一緒に戦う力が欲しいのか?」
「違います。それができたら一番ですけど、僕は二人の邪魔をしたくないんです。二人とも強いのに、僕がいるから本気を出せない。そんなのは嫌です」
「つまり、逃げるのが上手くなりたいってことか」
「そんな感じです」
「安心したよ、あいつの話を聞いて、自分にもできると思ったのかと」
爺ちゃんのことか。
「僕には戦う度胸なんてないですよ。今日だって、何度腰が抜けそうになったか」
たぶん二人がいなかったら、逃げる事すらできなかった。
そんな二人の邪魔をこれからはしたくない。
「やはり、あいつには似ていない。秋良くんは秋良くんだ」
「そうみたいです。きっとこれからも、僕は僕のままなんだと思います」
「そういうことなら、秋良くんには氷美湖と同じ柔術がいいな。たぶんだが、君は打撃よりも投げの方が良さそうだ」
「その辺はよくわからないので、おススメでお願いします」
「怪我をしているようだし、今日は軽く動く程度で終わろうか」
当然、軽くで終わるはずはなかった。
肩に負担を掛けないように、下半身を重点的に鍛えさせられた。
前回で身に染みていたが、やっぱり僕には体力がないらしい。
「まずは基礎体力だな。まだ無理はしなくていいが、なるべく走る習慣を身に付けろ。秋良くんの目的からしてそっちがメインだ。技はその後だな」
「ありがとう、ございました……」
ああ、しんどい。
このまま眠ってしまいたい。
「お疲れね」
「氷美湖さん、どうかしたんですか?」
「飲み物持ってきたんだけど、いらないの?」
「ください。貰いに行く体力もないので」
ペットボトルがひんやりして気持ちいい。
一気に飲み干すと少しだけ体力が回復した気がする。
ゲームとかの回復薬とかもこんな感じなのかなあ。
それはそうと、なんで氷美湖さんは僕の隣に座ったままなんだろう。
飲み終わったペットボトル渡した方がいいの?
「肩、悪かったわね」
「えっ? ああ、氷美湖さんのせいじゃないです。寧ろ氷美湖さんがいたからこの程度で済んだんですよ」
そうじゃなかったら、僕はきっと何度も殺されている。
黒虎にも土蜘蛛にも、誰が来ても死んでいる。
それを想えば、この程度は傷とも言えない。
「僕よりも二人は平気でしたか? 結構傷を負ったと思いますけど」
「明日には治ってるわよ。私達は人間よりも頑丈なの」
「たとえそうでも心配しますよ」
「今日は晩ご飯食べていくの? お姉ちゃんはあんたの分も作ってるから、帰るなら今伝えてくるけど?」
「いただきます」
†
鬼石家でのけいこは週四日、火木金土で平日は放課後で、金曜と土曜は泊まり込みで日曜には家に帰っている。
そんな生活を始めて二週間が経ち、その間百目木姉妹の嫌がらせも無く、姿を見せるのはコベットが二体だけと落ち着いた時間が流れていると僕は信じたい。
「氷美湖さん、僕は今どこに向かってるんですか?」
「クラブよ。あんたは大人しく付いてきなさい」
夜のクラブって、僕みたいのは明らかに浮いている気がするんだけどいいのかな?
勝手なイメージだけど、パリピみたいな人達が集まって騒ぐ場所で、僕みたいなのには恐ろしい場所だ。
「そういうのって僕みたいのが入れるんですか?」
氷美湖さんは、見た目からして大人っぽいから違和感はないかもしれないけど、僕みたいな平凡な中学生は、入ることさえできそうにない。
「普通なら追い出されるでしょうけどね」
普通じゃないんですね……。
「この辺にコベットがいるのよ」
「その退治なら、僕はなんで連れてこられたんですか?」
僕がいない方がやりやすいはずだ。
「逃げるのに必要なのって何かわかる?」
「逃げ足ですか?」
「胆力よ。何が目の前にいても動けること、それが一番大事。どんなに足が速くても、足がすくんだらそこで終わり」
そう言われればそうかも。
恐怖で足がすくむってのは何回か経験してる。
「だからコベットでもカルマでも三毒でも、ひるまない心を作りなさい」
「わかりました」
そう約束したけど、早速怯んでしまった。
氷美湖さんの領分ですんなり入場したクラブの中は、騒音と異臭に溢れていた。
目が潰れそうなカラフルな光線がその辺を駆け巡り、会話なんて聞こえない程の爆音で音楽が流れ、香水とお酒の匂いが鼻を刺す。
慣れない空間に体が緊張で強張る。
「お姉さん一人? よかったら俺達と一緒に遊ばない?」
おお、流石氷美湖さん、ナンパもされるんだな。
でも、これって面倒な展開になる気がする。
「ごめんなさい。私、連れがいるの」
腕を抱かれ、ふよんと柔らかい感触に包まれる。
幸せな感触もあるが、お約束としてその断り方って余計なトラブルの種になる気がする。
「なんだよ、彼氏持ちか。その彼氏と別れたら今度は遊ぼうね」
「その時になったら考えますね」
なんのトラブルも無く、お兄さんは人の群れに混ざって行った。
なんか想像と違う。
「何キョトンとした顔してるのよ」
「いえ、ここからトラブルが起こるのかと身構えてて」
「ここは、健全だからね。ガラの悪い人はいないわよ。みんなストレス発散に来てるだけ。だからたまにコベットを鎮めに来るの。見つけたわ、始めるわよ」
鎮めるって、退治じゃないの?
考える間もなく、急に音も人も消えた。
何の説明もないまま領分に入ったらしいけど、一向にコベットの姿が見えない。
「どこ見てるの? もっと上よ」
視線を上げていくと、夜空が見えた。
その中に二つの星が瞬いている。
ん? 夜空? 確かここってビルみたいな建物だったはず。
天上が吹き抜けなんてありえる?
「来るわよ」
いつの間にか戦闘装束に変わっている氷美湖さんは、薙刀を振るう。
僕の目の前を通り、何かを切り裂き、切り裂かれた何かはうにょうにょと天井に戻っていく。
もしかしてこの天井に広がってるのがコベット?
「やっと気づいたの? いいから逃げ続けなさい。これを全部切るのは時間がかかるから」
このサイズのコベットってそんなのあり?
「後ろ!」
咄嗟にしゃがむと頭の上を鞭の様なものが掠め壁に穴を開ける。
確かにこれは逃げないと死ぬかも。
大きすぎてどこから攻撃されるかわからない。
それにまだこのコベットの全容さえ把握できてない。
上からかと思ったら、横から、柱だと思って隠れればそれもコベット、どこがどうなっているのかもわからないまま、必死に逃げ続ける。
「全然駄目ね。伏せてなさい、もう終わるから。鬼石流薙刀術 吹雪」
縦横無尽に走る切っ先がコベットを全て切り捨てていく。
いつの間にかコベットは、僕にも全貌がわかるほどに小さく刻まれ、黒い靄となり周囲に溶けていった。
「これで終わり、帰るわよ」
「はい」
見上げると、天井は元から黒い物だったが、闇夜の様な姿ではなかった。
「全然駄目ね。初撃は避けれないとダメ」
「避けたかったんですけど、どこにいるのかわからなくて」
「怪しいと思ったところ、全て敵がいると思えばいいのよ。物陰や、天井自分の死角には自分を狙う敵がいる。そう思うのが大事なの」
「難しいですね」
「後は慣れよ。私とお姉ちゃんについてくるなら、このくらいはこなして頂戴」
「精進します。ところで、今回のコベットは場所がわかってたんですか? いっつもはもっと周囲を探索してからですよね?」
前回とかは、発生してからしばらく経って場所を探してとかだった。
それなのに今回は、出発の段階からあの場所に出るってわかってたみたいだった。
「あそこは定期的に行くの、ああいう場所って、ストレス発散するところだからね。コベットが定期的に湧くのよ」
「煩悩だらけの人間が集う場所ってことですか……」
氷美湖さんもナンパされてたし、間違ってはいないみたいだけど。
「本当に人間って煩悩の塊なんですね。情けない限りですよ」
あんな、巨大なコベットが沸くくらいの煩悩が集まる場所が、こんな街中に会ってもいいんだろうか……。
「あんたは勘違いしてるわよ。煩悩は悪いことじゃない、食欲がなければ人は一週間も生きられない。睡眠欲が無ければ、一月も生きられない。性欲が無ければ、未来を生きられない。だから、煩悩があるのは当然で必要なのよ。大事なのはそれを暴走させないこと」
「それって難しいですよ」
「あんただって、お腹が空いたからって人から食べ物を奪わないでしょ? その程度でいいのよ」
「それって普通じゃないんですか?」
僕だけじゃなくて、普通にみんながやってることだ。
「だからそう言ってるのよ。神流は、そのうち性欲に任せて私とお姉ちゃんを襲いそうだけどね」
「しませんよ」
二人は大事な友達だし、そんなことできない。
それにそんな度胸僕にはない。
「じゃあ、帰りましょうか。そろそろ眠いでしょ?」
「流石にまだ寝る時間じゃないですよ」




