1話 最悪の一日
やぎ座のAB型はきっと今日の占い最悪なはずだ。
そうじゃないとこんな状況になるはずがない。
「神流、いつまで逃げるつもりだよ」
クラスメイトの間山が、威嚇の様にガラガラと金属バットを地面にこすりながら近づいてくる。
「誰か! 誰か、助けて!」
僕が何度も声を上げ叫んでるのに、警官どころか人が家から顔を出すことさえない。
見慣れている町がまるで別の町に迷い込んだようだ。
「ぐっ……、はぁはぁ……」
息は上がり、さっきから何度も自分の足に躓きながらただひたすらに逃げる。
しかしその逃亡は不意に終わる。
「えっ、なんで? 何だよこれ!」
道の途中に透明な壁が現れた。
向こう側には道が続いているのに、先に進めない。
だまし絵のような壁が僕の行く手を遮る。
「そこがこの領分の終わりだからだよ。ここからは逃げられないぜ」
どこか楽しそうに間山は音を立てながら僕の元に近づいてくる。
ガラガラ、ガラガラ。
間山が一歩近づくごとに金属が地面に擦れる嫌な音が周囲に響く。
死刑を宣告されたような諦めが僕を走馬灯に導く。
なんでこんなことになったんだ?
少しはいい日になると思ったのに。
†
今日の昼休み、僕をいじめる間山と大口を避けるように、人があまり来ない校舎の端にある空き教室、昼食を食べていた。
それでも彼らは僕を見つける。
何が彼らをそうさせるのか僕にはわからないが、見つかった僕には抗う術はなく、いつも通りに暴力を振るわれた。
そんないつも通りの途中、投げ飛ばされた拍子に目からコンタクトが落ちてしまった。
不味いと思ったが、思った時にはもう遅かった。
「こいつの目変じゃね? 左の目赤いぞ」
踏まれないようにとコンタクトを拾い上げたが、胸元からネックレスが出てきてしまった。
「うわ、マジだ。今までカラコンしてたのかよ、しかもこいつ生意気にもアクセもつけてやがるぜ」
「これは、爺ちゃんの形見で――」
「カラコンもアクセも校則違反だろ? これは死刑だな。大口そいつの体抑えとけ」
「あいよ」
ニヤニヤ笑いながら僕は身動きを封じられ、衝撃に身構える。
「何してんの?」
突然開け放たれたドアから綺麗な人が入ってきた。
いかにも不良ですと言わんばかりに着崩した僕と同じ制服、その獰猛な雰囲気を体現している様な赤い髪、僕は彼女に見惚れてしまった。
そんな彼女の登場に僕をいじめる二人も動きが止まる。
「こいつが校則違反してたから少しな……」
「正義感が強いらしいけど、あたしにも殴りかかるか? まあ、こっちも反撃するけど」
「流石に殴ったりしねぇよ、ただびっくりさせただけだよ。おい、行くぞ」
彼女が来ると、二人はそそくさと逃げるようにその場から逃げて行った。
「ありがとうございました」
「感謝されるほどの事はしてない。ああいうのを見ると胸糞悪くなるだけ。まあ、あたしのためだから」
「それでも助けてもらいましたから、お礼くらい言わせてください」
「それもそうだな。ところであんたのその目は素? その前髪も」
「はい。両方とも生まれつきです。目は隠せるんですけど、髪はどういうわけか染めても意味が無くて」
左目だけ赤く、その上の一房だけが白い。
爺ちゃんも同じだったから隔世遺伝ってやつだ。
髪色が調子に乗ってるって言われたのがいじめの始まりだったっけ。
「今度から気をつけな。そのアクセもだけど、いじめられるのが嫌ならそういうのをバレない様にしたらいい」
「そうします。お名前聞いていいですか? 僕は神流秋良っていいます」
「鬼石焔だ精々気をつけてな」
この人が鬼石焔なのか……。
僕にすら届く伝説の数々を作り上げ、ついたあだ名が赤鬼。
同年代どころか高校生にも恐れられている中学生……。
「えっと、その、ありがとうございました」
「そんなビクビクしてるなよ、もっと胸を張れ」
悪名高い赤鬼は噂よりも怖くなかったし、なによりあんな美人に助けてもらうなんて今日はいい日かもしれない。
そう思った放課後、いつも通り塾が終わった帰り道。
後ろからコンコンと軽い音が聞こえた。
最初は気にしていなかったその音は僕の後をついて来た。
今まで騒がしかった町中は静まり返り、軽い音だけが響く。
「神流、おい、聞こえてるんだろ?」
肩を掴まれ振り向くと間山が金属バットを持って笑っていた。
「間山、くん? 家ってこっちだっけ?」
「反対側だ。ただお前に用があったからお前が帰るのを待ってたんだ」
「用って何?」
そこにいるのは僕の知っている彼じゃない様に思えた。
手に持っている金属バットも、浮かべる笑みもどこか黒く見えた。
「ズルいと思わないか? お前の目、凄く綺麗な赤色だったよな。凄く澄んでて宝石みたいだ」
「そんなこと言われたのは初めてだよ、ありがとう」
何が言いたいのかわからない。
でも、間山がおかしいのははっきりわかる。
笑顔とは裏腹に肩を掴む力が強くなり、僕を逃がすまいとしている。
「俺の目を見ろよ。色なんてない黒だぞ、お前がしているカラコンと同じ真っ黒だ。お前みたいに隠すような奴の目がそんなに綺麗なのに、なんで俺の目はこんな色なんだ? お前だけってズルくないか? そんなにいらないならその目、俺にくれてもいいんじゃないか?」
ふっと笑顔が消え真顔に変わった瞬間、カランと音が聞こえ文字通り目の前に彼の指が見えた。
反射的に体が動くと、体が自由に動く。
「それはちょっとやりすぎじゃないかな?」
間山は僕の目を躊躇いなく指で抉ろうとしていた。
「やっぱり逃げるのか。そうだと思ってたよだからこれを持ってきたんだ」
僕と話をする気はさらさらないらしく、足元に転がる金属バットを握った。
「これで動けなくしてからお前の目貰うことにするよ。ズルいお前に罰は与えなきゃいけないし、丁度いいか」
間山は何のためらいも無く凶器を僕に向けて振り下ろす。
カンと甲高い音を立て地面とぶつかる凶器は、深く凹みわずかに折れ曲がる。
それほど本気の攻撃を彼は僕に向けてくる。
「何避けてるんだよ、悪いことをしたら罰を受けるって当然だろ。やっぱりお前はズルくて悪いやつだな」
考えるより先に体が動いた。
この状況は拙い、もういじめとかそんなレベルを超えてる。
とにかく誰か大人に助けを求めないと、警察に連絡して、それから、それから……。
「圏外ってなんでだよ!」
スマホは町中にも関わらず何の電波も受け取ってくれない、右上には虚しく圏外の文字が表示されている。
でも、このまま走れば家だ。
家になら電話もあるし、母さんもいるはずだ。
†
走馬灯が現実に追いつき、ひしゃげた金属バットが振り下ろされる。
ゴンと鈍い音がしたのに体には何の衝撃も来なかった。
「領分を知らないってことは、何も知らないでそれを持ってたってことか」
目と鼻の先にまで迫った凶器を受け止めていたのは鬼石さんだった。
「鬼石さん?」
「神流秋良だったよな。説明は後でするからあたしの後ろに隠れてな」
「えっ? はい、わかりました」
鬼石さんはそういうと金属バットを握りつぶし、間山の顔面を殴りぬく。
金属バットが地面を殴る音よりも遥かに鈍い音で殴られた間山は、スーパーボールを弾くように飛んでいく。
「鬼石さん、間山死んじゃったんじゃないですか?」
「あのくらいじゃないとあれは出てこないからな」
吹き飛ばされた間山から黒い靄が浮き出し、それは徐々に人の形に変わる。
異様な長さの腕を鞭のようにだらんと垂らし、左右に揺れている。
「こっからが本番だ。秋良、絶対私の後ろから離れるなよ」
鬼石さんが拳を構えると、その手が炎に包まれる。
あまりにも現実離れしたその光景に僕は思う。
やっぱり今日は最悪の一日だ。