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ロボ・パラダイス  作者: 響月 光
4/4

未来のテロリズム

(二十四)


 チカⅡはチカの勝手な行動を感知し、「ヨカナーンの指示に従え」と発信したが、返事は返ってこなかった。チカとチカⅡの人格は、エディとエディ・キッドのように分離してしまったようだ。チカⅡはヨカナーンが収容されている施設の近くに隠れて、ジミーとフランドルが到着するのを待った。三日後にようやく二人がやってきた。ジミーとチカⅡは長いキスをした。

「我々は世界連邦政府議長の承認を得て、ここにやってきたんだ」とフランドル。

「ここにはあなたも収容されているはずだわ」

「オリジナルに会うのが楽しみさ」

「ここはテロリスト脳の研究所でしょ?」とジミーはフランドルに聞いた。

「仲間たちの多くは処刑される前に脳データを取られた。ここでは拷問の代わりに脳データを取られ、アジトの場所などを探られるんだ。しかしヨカナーンと俺は、生身の体で生きているというのだ」

「議長は何の目的でヨカナーンとあなたを仲間に引き入れたの?」

「世界人口を半分に減らすためさ。コンピュータの答えに従うためだ。少数民族を消滅させても、世界人口の一割にも満たない。貧乏人を消滅させれば、最低半分は減る計算だ。議長は金持連中を殺したくないのさ。俺たちは昔から支配階級の脅威だったし、最近では水爆も隠し持っている。水爆は貧乏人だけチョイスしてはくれない」

「サタン・ウィルは理想的な兵器というわけね」

「そうさ、人間に特化したウイルスだし、高額でもワクチンさえ打てば助かるんだからな」


高い鉄条網の柵越しに見渡すかぎりの沙漠が続き、建物は見えなかった。三人が大きな鉄門の前に立つと、自動的に開いて敷地内に入ることができた。鉄門は閉まり、どこからか無人のジープが走ってくる。三人はジープに乗り込んだ。ジープは道なき沙漠を時速百キロ以上で走り、三十分ほどで急停止する。車の周りが円形のせりのようにゆっくりと地下に落ちていった。

車を取り囲むように、十人の男が寄ってきた。どれも同じ顔をしている。それは議長のパーソナルロボだった。

「ようこそ、わが家に」と一人が挨拶した。

「あなたは議長ですか?」

 ジミーが尋ねた。

「いいや、我々は全員議長の召使です」ともう一人。

「時には影武者にもなります」

 十人が別々に喋っても、一人が喋ることと変わらなかった。

「俺は、俺のオリジナルに会いに来たんだ」

「私はヨカナーンの実物に会いに来たのよ」

「承知しております。オリジナルは二人とも健在です。きっと、喜ばれることでしょう」


 三人の前に五人、後ろに五人の議長が付き、長い廊下を案内された。開けられた扉の先は、真っ暗だった。しかし星のように青白く光る点が無数に散らばっているのを見て、部屋は大きなドームであることが予想できた。それらは巨大なクリスマスツリーのように頂点に向かい、そこには金色に輝くひときわ目立つ星雲があった。フランドルはふと、肩の高さにある青白い光を凝視し、アッと驚きの声を上げた。それは透明な筒の中に入った液体に浮かぶ脳味噌だった。その液体が青白く光っているのだ。

「気付かれましたか。人工髄液にはクラゲから採った発効物質を混ぜております」

「中の脳味噌は?」

「すべてテロリストたちの脳です。一万以上はあります。彼らは宗教上の理由から、パーソナルロボットになることを拒みました」

「嘘だ! 俺は勝手にロボ化されたんだ」とフランドルは叫んだ。

「あの頂点で金色に輝くのが、ヨカナーンに体を粉々にされた我々のご主人様です。すべて、テロリストたちの脳はご主人様の脳と連携しております」

「いったい何の目的で?」とジミーが尋ねた。

「さあ、研究ですかね。いや、復讐だ。遊びのようなものです。ご主人様は、ご自分の体を壊したテロリストを許せなかったのです」

「これらの脳は、もはやご主人様の命令に背くことはございません」

「レベルの低いテロリスト脳をまとめた、一つの生体コンピュータです」

「確かに遊びだわね」とチカⅡ。

「しかし、頂点に燦然と輝くご主人様は天才です」

「下らん。ここに俺とヨカナーンは居るのか?」

「もちろんです。天主様のすぐ下に青白く光る二つの星が、あなた様とヨカナーン様です」

「その体は?」

「お目にかかりたいですか?」

「ああ」

 フランドルは大きなため息を吐いた。

「で、ヨカナーンとは話せるの?」とチカⅡ。

「もちろんでございます。脳味噌収納容器の前に音声装置が付いております。耳も目も口も、人工神経で脳と接続されています」

 

 議長たちの案内で、三人は細い金属製の階段を一列になって頂点に向かって上っていく。周りに点在する脳たちのどれがかつての仲間たちだったか、フランドルには分からなかった。それらは近付いてボタンを押さなければ、応答してはくれない。しかし沈黙ではなかった。葬儀場みたいに、癒し風のBGMが薄っすら流れている。

 三人はとうとう、議長の脳のすぐ下に置かれたヨカナーンとフランドルの安置所に立った。そこは直径七メートルの半円形の透明棚で、直線部分は漆黒の壁に密着していた、というよりか壁から棚が飛び出した感じだ。棚の十メートル上には金色の祭壇がある。透明棚の左右から、ロココ風唐草模様の手摺を有する階段が、半円形に伸びている。手摺の所々には、小さなラッパを吹いた天使の彫像が七体、いろんなポーズで乗っている。すべてが金色に輝いていた。

 二人のテロリストは棚の中央に、夫婦のように仲良く並んでいた。透明な棺は青白く光る保存液で満たされ、五体を切り離された体がバラバラになって浮かんでいる。頭頂部は皿状に切られ、脳味噌を取り出された状態のままになっていた。棺の上の位置に、取り出された脳味噌の透明容器が置かれ、その近くに会話用のスイッチが置かれている。

「ふざけやがって! 俺の体をズタズタにしやがって……」とフランドル。

「酷い仕打ちね」とチカⅡも口を揃えた。

 ジミーがヨカナーンのスイッチに手をかざすのを見て、フランドルもオリジナルのスイッチに手を近づけた。すると、容器が喋り始めた。

「バカだな、なぜここに来た?」とヨカナーンが暗い声で呟く。月にいるヨカナーンの首と同じ声だった。

「月のヨカナーンの命令よ。オリジナルから、今後の行動方針を確認せよと……」

 チカⅡが答えた。

「いまの俺にはそんな権限はない。俺は天主様の支配下にあるからな」

「お前はなぜ、国の民族を裏切った?」

 今度はフランドルの脳がフランドルに詰問した。

「俺は、仲間を裏切ったことは一度もない!」

 フランドルは、目を剝いて答えた。

「じゃあ、騙されたんだな」

「天主様は、頭の良いお方だから、お前らを騙すのは簡単だ」とヨカナーン。

「俺たち少数民族を守るために、ワクチンを提供してくれたんだ」

「バカだな、騙されたのさ。そのワクチンはプラシーボ(偽薬)だ。今頃、故郷じゃ大変なことになっている」とフランドルの脳。

「予定では、お前たちテロリストがサタン・ウィルをばら撒いたことになっていた。お前たちの民族は地球の敵として、縛り首か撲殺が順当だった。しかし、チカが月から天主様の策略をばらしたため、急遽ワクチンを偽薬にすり替えたのさ」とヨカナーン。

「なんてこった!」

 フランドルは、握りこぶしで思い切り棺を叩いたので波が起こり、中の五体がバラバラと揺れる。

「天主様の強みは、もう普通の生物ではなく、デウスになられたことだ」フランドルの脳が言った。

「愚か者たちよ、もうお前らと話すことはない。我々少数民族は負けたのだ。浄化されたのだ。さあ、会話ボタンを切って引き下がるがいい」

 フランドルとジミーは肩を落とし、ヨカナーンの言葉に従って会話ボタンを切った。

「さあ、天主様がお呼びです。あなたたちとお話がされたいと」

 議長のロボに促され、三人は二手に分かれてロココ風の階段を上っていった。そこは壁をくり貫いた半円形の黄金の間になっていて、壁には半円柱の柱の間に金色に縁取られた大鏡が十面張られ、どこまでも黄金色に広がる虚空間を演出していた。部屋の中央、黄金のシャンデリアの下には、金地装飾の天蓋付き寝台が置かれ、その両側に、ミケランジェロの「曙」「黄昏」、「昼」「夜」の彫刻を模した黄金の棺が置かれている。そこにはテロリストの自爆で議長とともに死んだ妻と娘の遺体が納められていた。


 寝台の上には、爆弾によって粉々に砕けた議長の肉片が、無造作に置かれていた。その中には脳味噌もあった。枕元にはやはり透明の脳容器が置かれていたが、青い脳漿に浮かんでいたのは金色に輝く不完全な脳味噌だった。右脳の半分が欠けていて、そこには金色のICチップが置かれていた。

「天主様は、純金脳として生きておられるのです」

「一部欠損脳ね」とチカⅡ

「それは非常に失礼な言葉ですね」

 別の議長が目を剝いて言った。

「さあ、会話モードにしてください」

 さらに別の議長がチカⅡに促した。ジミーがスイッチに手をかざすと、とたんに声が聞こえてきた。

「君たちは信じる者は救われるという言葉を知っているかね」といきなり、変な質問をしてきた。

「俺はそう信じているさ」とフランドル、「僕もチカⅡも無宗教なんだ」とジミーが答えた。

「フランドル君は子供の頃から神を信じて生きてきた。神の王国には信者以外は入れない。無神論者は地獄に落ちることになっている。私もまた、地球を神の王国にしようと思っている。しかし私は同時に現実主義者だ。神などという曖昧なものを信じない。私の神とは、金のことだ。すなわち、金の王国ということだ。私は子供の頃から金を信じて生きてきた。地球という王国には金がないと入れない。金のない奴は地獄に落ちることになっている。私の肉体は死んだが、私の精神は金となってここに生きている。私の精神は純金のように輝き、黒かびのごとく汚れた無産階級を地球から一掃しなければならないと決意した。地球を黄金で満たさなければならないのだ。地球を貧乏で汚染してはならないのだ。貧乏はばい菌の一種だからな。私の話は難しいかね?」

「ある意味、社会通念ですわ」とチカⅡ。

「そう、私は単に人類の本音を語っているに過ぎないのだ。誰だって金持になりたい。しかし、具現者はほんの一握り。ほかのすべてはクズの集まりだ。そいつらが地球を疲弊させている。じゃあどうすればいい。クズどもは一掃することだ」

「大胆な差別的ご意見」とジミー。

「ネコを被った金持連中よりマシさ。君たちは私の意見に賛成かね?」

「ロボットにお金は必要ありません」とチカⅡ。

「しかし君たちは、金持の従僕であるべきだ。私の右腕になって、反逆者どもを蹴散らしてくれたまえ」

「その前に、俺の故郷はどうなっている?」

 フランドルは、声を震わせて尋ねた。

「貧乏人どもに優劣はない。民族に係わりなく、すべて排除の対象となる」

 フランドルは逆上し、議長の脳チップを破壊しようと襲い掛かったが、五人の議長に周りを取り囲まれてしまった。

「さて、君たちパーソナルロボットはこの館の中で、ある特定の電磁波に曝されるといとも簡単に洗脳されてしまうのだ。君たちは飛んで火に入る夏の虫さ。その電磁波というのはこれだ」

 突然、巨大なドームに工場のような雑音が響き渡り、議長の侍従たちを含めたすべてのパーソナルロボットが、一瞬にして機能停止に陥ってしまった。


(二十五)


 ハワイに上陸したメンバーは、ひとまずハワイ全島をサタン・ウィルフリーの状態にして、そこを拠点にして日本やアメリカ本土を攻略することに決めた。

一方ノグチは、甥にリム・リーポアというハワイの海藻を集めることを指示。ワクチンは、栄養液中のブタの細胞にウイルスを接種して培養すれば、どんどん生産される。しかし、治療薬は原料がなければ製造できない。この海藻の成分が原料となるのだ。リム・リーポアは海岸に行けばすぐに見つかるので、あらかじめワクチンを接種した地域住民が総出で採取に向かった。野口と甥は、三日以内にワクチンと治療薬の製造ラインを造ろうと、徹夜で頑張ることにした。

チカと仲間たち総勢二千人のパーソナルロボたちは、背中にワクチンと治療薬を混ぜた薬液十リットルのタンクを背負って、ハワイ全島に散っていった。タンクは胃ろうのように、背中の穴を通して直接胃袋の唾液腺にリンクしている。薬液には半年以上消えない透明塗料が混ぜてあって、ロボの赤外線感知眼を使えば緑に光り、一度摂取した人間を見分けることができる。島から島へは泳いで渡った。高熱の患者は海岸に集まることが多いので、まずは海岸から薬液の投与を始めることにしていた。空将、大佐は世界連邦政府軍の攻撃に備えるため、パーソナルロボ軍の基地造りに専念し、チカとエディ・キッド、エディ、チコ、ピッポは主要八島を大きく五つに分割して、四百人小隊のトップとして救援活動を始めた。


チカはハワイ島に残り、小隊の四百人はそれぞれ島内に散らばっていった。チカはまず、ヒロ空港に行って、閉鎖された空港に押し寄せている群衆の中に入り、活動を開始した。彼らは島内全域がウイルス汚染区域になってしまったので、島外に脱出を試みたが、飛行機やヘリコプターはすでに先着の連中を詰め込んで飛び立った後だった。それなのに救援機がやって来ると信じ、大挙して集まっているわけだが、この密集状態がさらに感染を拡大させていた。チカは「私は抗体人間です。私とキスをしてください。ウイルスは完全になくなります」と書かれた鉢巻を締め、幟を立てたものの、誰も怖がって近付いては来なかった。

 レスラーのような男が、「ここから出て行け!」と怒鳴りながらとんで来て、チカの胸ぐらを掴んだが、チカは男を軽く放り投げてしまった。警官が三人駆け寄ってチカを取り押さえようとしたが、チカが唾をかけたので慌てて逃げていった。意気地なしな連中だ。

重症患者の周りは誰も近寄らないので、そこだけ穴が開いたように空間ができていた。チカは横たわっている重症の患者を見つけると、積極的にキスをしはじめた。チカは蝶のように舞いながら重症患者に治療薬を口移しで投与し続けた。この薬はウイルスの核酸を取り囲むタンパク質の殻と脂質の殻を同時に溶かしてしまうので、急速な不活性化が可能だ。チカにキスされた患者は三十分もすると気分が良くなって、起き上がった。

この奇蹟のような光景を見た群集は、チカにキスを求めて集まってきた。チカは次から次へとキスをしながら、人混みで近寄れない人には、その目に向けてピンポイントで唾を飛ばした。舌を銃身のように丸く巻いて発射するのだ。唾はレーザーのように十メートル先の的を正確に射た。目に入った薬液はキスと同等の効果を発揮する。こうして短時間のうちに、空港に集まっていた群衆に薬液の投与が終わり、彼女は彼らに向かって叫んだ。

「私を見てください。私は政府の陰謀を全地球放送で暴露した月の女、チカです。私はパーソナルロボです。皆さんを助けるために、月からやってきました。これで皆さんには抗体ができ、一生この病気に罹ることはありません。これからは皆さんが人を助ける番です。恐れないで、積極的にキスをしてください。抗体の入った唾液を島の皆さんに分け与えてください。それは生ワクチンの役割を果たすのです」

 空港の大型ディスプレイにはチカが月から送った緊急情報が映し出されたので、多くの人々が彼女の顔を思い出した。チカの話を聞いた群集はクラスター状態で島中を練り歩き、「キス・マーチ運動」を展開。キスを通じて抗体を人々に広めていった。これでチカはすでに症状の出ている患者の治療に特化することができた。チカはリーズ・ベイ・ビーチ・パークの方向に向かって走り始めた。道端に死体がごろごろ転がっている。しかし、その中にはまだ生きている者もいた。彼女は虫の息の患者を見つけては口移しで薬液を注入していった。

「もう大丈夫よ。あなたは治る」

「あなたは誰? マリア様?」

 老女の問いかけに彼女は答えず、笑みを返して立ち去った。一人でも多くの患者に接しなければ、手遅れになってしまう。途中で彼女は、キスする時間もロスだと考え、仰向けに倒れている患者の目に唾を吐いた。すると通行人の男が激怒して掴みかかってきた。彼女はロボの腕力で男を退け、その目に向かって唾を吐き付け、笑いながらすたこら逃げ出していった。

ビーチに着くと、波の穏やかな海水に高熱の患者たちが浸かり、体を冷ましていた。彼女は水に入って、次から次へとキスをしていった。

「おいおい、俺は病気だぜ」とキスされた男が言った。

「私のキスは天使のキスよ」

「俺のキスはサタンのキスだぜ」と、隣の男がキスを求めてきた。彼はついでにチカの胸を触った。

 小さな子供が、気絶して海に沈んだ。彼女はすぐに泳ぎ着いて子供を救い上げた。そのとき彼女は、海に沈んだチコを思い出していた。

「そうだ、チコは子供のときに、私は二十歳のときに死んでしまった。その訳はエディが知っているはずだ。私がバカみたいに愛した男。いつも夢見ていた男。エディの原型はポールという別人になって、どこかで生きている。会わなければならない。会って、問い詰めなければ気が済まない。ハワイが済んだら、日本に行かなければならないわ」

 チカの涙は鼻を伝って唾液と混ざり、その滴が子供のつぶらな瞳を潤し、薬液が注入された。


ほかの島々に派遣された隊員たちも、チカと同じように多くの人々に薬液を注入し、抗体のできた人々はキス・マーチ運動を広めながら、サタン・ウィルの封じ込めに協力した。薬液の製造拠点も数日で稼動を始め、世界中に散らばった隊員たちへの輸送を開始した。こうしてハワイでは、数日も経たないうちにウイルス封じ込め作戦が軌道に乗った。チカはこの成功をチカⅡに知らせたが、チカⅡからは一言「エディはどこにいるの?」という質問が来ただけだった。チカは「オアフ島よ」と答えた。


(二十六)


突然、チカⅡがオアフ島に現われたのである。その背後には数千のパーソナルロボたちが従っていた。議長は資産階級に、パーソナルロボの出陣を要請したのだ。彼らは金持階級の邸宅に同居していた先祖たちで、民衆革命を阻止するために派遣されたにわか部隊だった。金持たちは、広大な邸宅の一部で密かにパーソナルロボを住まわせている。政府もそれを黙認していた。彼らは子孫の既得権益を守るために脳データをしっかり保存し、志願兵となって出兵したのだ。しかも、死んだ爺さん一人の脳データは、百人、千人のそっくりロボットに注入されている。邸宅の地下倉庫には、百体以上のグランパ・ボディがテロや革命に備えてストックされていた。 

このロボたちは、月から来たロボだけを狙っているわけでもなかった。人間に対しても平気でレーザー銃を撃ちかました。生身の高額納税者はプラチナ回路を体内に入れているのでセンサーで種分けでき、誤って自分たちの子孫を攻撃することもなかった。金持ロボ軍隊は的確に金持と貧乏人を認識し、救護活動を行っている月からのロボ集団にレーザー銃を撃ち始めた。これに対して、警察や軍隊が応戦し、ホノルルの街は市街戦の様相を呈してきた。彼らは上からの命令を無視して、民衆のために立ち上がったのだ。

いよいよ欲望の資本主義が最終局面を迎えようとしていた。いまや悪疫とパーソナルロボの進攻で、ハワイから第三次世界大戦が始まろうとしていた。大国と大国の戦いではなく、金持と貧乏人の二極に分かれて戦うことになったのだ。金持たちの目指すものは、民主政治から貴族政治へのレジーム・チェンジ。それは水面下で着々と進んでいたが、詰めの一手がロボ志願兵による武力制圧だった。悪疫による世界の疲弊に乗じた進攻作戦。温暖化防止を謳い、地球環境を破壊する核兵器は使わない古典的戦争だった。しかし兵隊の多くは、人格を持ったパーソナルロボだ。レーザー銃で撃たれた市民は黒焦げになり、撃たれたロボは体に穴を開けて煙を出した。それでもロボは戦おうとするので、確実に殺すためには頭を射抜く必要があった。脳回路が燃えて初めて、ロボは死を迎えた。彼らは軍隊が大型火器を使えないよう単独で走り回り、ふらつく病人たちを盾にしながら、月から駆けつけたパーソナルロボや、支援の軍人を狙い撃ちした。製作費用がかかっているから性能も良く、俊敏な身のこなしで敵兵を蹴散らしていった。こんな光景が、世界中で展開し始めていた。金持軍が圧倒的に優勢だった。


エディは、ワイキキビーチで水に浸かっている病人たちの救護活動を行っていた。その砂浜にチカⅡがやって来て、エディに電波を送った。

「戦争よ。のんびりと海水浴をやっている場合じゃないわ!」

 エディは海から出てきて、チカⅡにハグした。

「戦争が始まった? ハワイ島での救護活動は? 君は……」

「見てくれは少し違うけど、私はチカⅡよ。あなたの知っているジミー少年は私の彼。でもあなたは昔々、私の彼だった……」

「君は僕を愛していた?」

「ええ、とってもね。でも、あなたはそれほどでもなかった。あなたは昔私を殺した。そうでしょ?」

「それがまだ思い出せないんだ……」

 エディの困惑した顔を見て、チカⅡは薄笑いを漏らした。

「きっとチカは、あなたのことを許しているはずよ。だって、立証困難だもの。でも私はチカとは違う人格なの。あなたがエディ・キッドと違うようにね。あなたは老人の脳味噌。きっと半分ボケていて、思い出そうとする気力も欠けている。人はみんな、自分に都合いいように、過去の記憶を修正するものよ。あなたの脳味噌は綺麗に修正して、過去の罪を大方消し去ってしまった。あなたを問い詰めたって、何も出てきはしない。私を殺したときのデータは、エディ・キッドの脳にも記録されていない。だから私は状況証拠だけで判断する。あなたは私を殺したの。私はそう確信する。私はあなたがチコを殺したことも確信している。あなたは私とチコの将来を奪った。あなたは殺人狂よ!」

エディはおろおろして、「僕はなんて反論したらいいんだ……」と呟いた。

「反論なんて無意味。神を信じる者に神なんかいないって主張するようなものだわ。世の中のほとんどの人は思い込みや感情で動くのよ。私もその一人」

「で、どうしたら君の心を癒すことができるの?」

「そんなことは求めちゃいない。それより、ずっと昔のように、あなたと濃厚なキスがしたいわ。舌を絡め合うようなキス。恋人同士が交わすキス。若い頃、殺人狂を愛してしまった愚かな女が欲したキス……」

 エディはチカⅡの後頭部を掌で抱えてチカⅡの顔を引き寄せ、唇を合わせた。チカⅡの唇が開き、ヌルヌルとした舌が強い力でエディの唇を押し開き口の中に入ってきた。舌と舌が絡み合い、「アアッ」とチカⅡは声を漏らした。チカⅡはうっとりとしながらも、エディの首の後ろに手を回して赤いボタンをしっかりと抓み、ピンを思い切り引き抜く。エディの首はパンと十メートルの高さに飛んで近くの砂の上に落ちた。ボディは衝撃で倒れ、痙攣している。チカⅡは、エディの首に近付いてしゃがみ込み、顔を上向きにして覗き込んだ。

「酷いことをするな」

 エディの顎はガクガクと震えていた。

「昔あなたも私に酷いことをしたのよ」

「僕をレーザーで撃つつもりか?」

「ボディが首を探し始めるまで三十分はかかりそうね。それまでにあなたを殺す必要がある。でも、銃ではやらないわ。あなたには相応しい殺し方がある」

「それはどんな?」

 エディの震えは止まらなかった。

「それは最後のお楽しみ」

「お願い、殺さないで」

 エディの哀れな言葉にチカⅡは声を出して笑った。

「体に似合わず臆病者ね。私を殺した理由が分かったわ。チコを殺したのはあなただって、私が迫ったからよ。あなたは臆病者で、咄嗟に私の首を絞めた」

「僕は柄に似合わず臆病者なんだ」

「ありがとう。とうとう本音を吐いたわね」

「もうすぐ、思い出すかもしれない」

「待てないわ」

 チカⅡは薄笑いを浮かべながら、エディの髪の毛を両手で掴んで持ち上げ、高く上げて、エディの震える唇にキスをした。

「いまでも、あなたが好きよ」

それから、砲丸投げの選手みたいに体を数回転させて首を沖合に放り投げた。首は海に浸かる病人たちの頭上を飛び越し、二百メートル近くも飛んでボチャンと海に落ち、沈んでいった。エディの体は起き上がり、ふらふらと海岸を当て所なくさまよい始める。周りの人々が逃げる中、その体は容赦なく横たわる重症患者を踏みつけた。


(二十七)


 チカが救護活動を行っていたハワイ島でも、金持たちのパーソナルロボが続々と泳ぎ着き、チカたちに攻撃を仕掛けてきた。多勢に無勢、総勢千名の部隊だった。チカはキス運動を中止し、レーザー銃を片手に応戦しながら、キラウエア火山の方向に撤退した。キラウエアは噴火活動が始まっており、ハレマウマウ火口はドロドロの溶岩で満たされ、いまにもこぼれ落ちそうな状態だった。チカは火口から溶岩が流れ出そうな場所を予測し、敵のロボットを誘い込もうという作戦に出た。チカたちは、脆弱な火口の縁に立って、麓から登ってくる敵のロボットたちを待った。チカの体温は百度に上昇したが、へこたれなかった。敵兵は強力なレーザー銃を持っていた。しかしその頭脳といえば、所詮は金持のボンボンの域を出ていないし、少なくとも数々の修羅場を潜ってきたプロの頭脳ではなかった。彼らは火口内の溶岩が溢れそうな状況にあることを知らず、細い道を一列縦隊になって登ってきた。

 チカは号令をかけた。全員が火口の縁の脆弱な一部分を目がけて、両側から一斉にレーザーを発射した。岩石は砕け爆弾のように飛び散り、大きな穴ができて、ダムが決壊するように液体状の溶岩がドッと流れ出た。溶岩は千の敵兵に次々と襲いかかり、彼らは煙を上げながら溶岩流に飲み込まれていった。


 チカとその仲間たちは喜びはしゃぎながらも、急速に崩れていく縁から逃れて両側に走った。火口の縁は二百メートルほど崩れて止まり、大量の溶岩が近くの海に流れ込んでいった。チカたちが山を下りようとしたとき、煙の中からこちらに向かう三人の影がある。近付くと、それはチカⅡ、ジミー、フランドルであることが分かった。

「私がここに来た意味が分かる?」

 チカⅡはチカに聞いた。

「もちろん。あなたは私だし、私はあなただもの」とチカ。

「でも、あなたはヨカナーンの命令に従わなかった」

「ヨカナーンは地球連邦政府の議長に騙されたんでしょ?」

「議長はパーソナルロボが地球で暮らすことを承認したわ。その代わり、ロボは人口削減に協力しなければならない。あなたはそれに反抗している。人間でないあなたが、なぜ人間を助けるの?」

「それは、昔人間だったからよ」

「あなたの仇はエディとそのご本尊のポールね。エディは私が殺したわ」

「エディは自白したの?」

「そんなの必要ない。私がそうだと思えばそれでいい。次はあなたの番。チカは二人必要ないわ。地球で人間らしく暮らすには、一人が二人あってはならないの。あなたは不要ロボット、影の私」

「残念だわ。あなたは私が産んでやったのにね」と言って、チカは苦笑いした。

「さあ、始めようぜ」

 ジミーは子供のようにはしゃぎながら強力な粘着テープを出し、「これを首の後ろの赤いボタンに付けるんだ。決闘は相手の白いテープを先に引いた者の勝ちさ。テープと一緒に首も吹っ飛ぶんだ」と言った。チカの仲間がそれを受け取り、剥離紙を剥がして首の後ろのボタンにくっ付けた。チカⅡのボタンにはジミーが付けた。

 二人は中腰になり、両手を前に突き出し戦闘態勢に入った。両陣営が奇声を上げる。リンクは火口縁の細いところで、幅は二メートルぐらいしかなかった。チカⅡが左パンチを食らわそうとしたが、チカは右手でガードした。チカが右足で蹴りを入れたら、その足をチカⅡが両手で掴んでチカを掬い投げた。チカが倒れたところを上から圧し掛かり、「これでお別れね」と囁き、ニヤリと笑った。

「あなたはチコよりもエディが好きだったのね」

 チカが妙なことをチカⅡに聞いた。

「それはあなたでしょ。エディに好かれていたチコに嫉妬していた」

「そう。あなたはチコを殺したエディを許していた……」

「愚かな女だわ。きっとエディの告白を聞いて、それを許そうとしたのね。でもエディはあなたが思うほど素敵な男じゃなかった」

「あなたは死んだチコを利用して、エディを支配しようとしたのよ」

チカⅡが首の後ろのテープを掴んで思い切り引こうとしたとき、すでにチカの手もチカⅡの首のテープを掴んでいた。二人が一瞬躊躇ったとき、「引いちまえよ! 君のテープはゆるゆるに付けたんだ」とジミーが怒鳴ったので、チカⅡはハハハと笑いながら思い切り引いた。一瞬遅れてチカもチカⅡの首のテープを引いた。チカのボタンは引き抜かれ、ポンと首が飛んで、勢い良く火口の溶岩の中に落ちていった。チカⅡのテープはボタンから剥がれて首も飛ばず、チカⅡは勝ち誇ったように立ち上がる。すると、怒ったチカの仲間がレーザー銃をチカⅡの顔面目がけて一斉に発射し、チカⅡの頭は吹っ飛んでチカと同じようにドロドロの火口に落ちていった。ジミーとフランドルは慌てて逃げ出したが、後ろから一斉射撃を受けて体はズタズタに砕かれ、同じく火口に落ちていった。首を失ったチカのボディはようやく立ち上がり、ヨロヨロしながら足を踏み外し、やはり火口に落ちていく。仲間たちは、呆然としてそれを見送った。 

 月からの救援ロボたちは、チカを失ってもめげることなくハワイ島の救護活動を再開した。ハワイ島でのサタン・ウィル撲滅作戦は成功したが、ほかの島は金持ロボ軍隊に邪魔されて、惨憺たる結果になった。空将と大佐はレーザー銃の餌食となった。チコとエディ・キッドは海に飛び込み、日本を目指して遠泳を開始した。世界中で金持ロボ軍隊が救援ロボを蹴散らし、月組は山に隠れる以外に生き残る術がなくなった。救護ロボを乗せた後続の宇宙船は宇宙区間で攻撃を受け、多くのパーソナルロボたちが宇宙の藻屑となった。



 パームスプリングの大頭脳は多くの分身ロボたちに囲まれてご満悦だった。議長の分身たちはヨカナーンとフランドルの髑髏杯にウィスキーを注いで回し飲みし、余った酒を二人の脳漿に注いだ。感覚のない脳味噌は痛みを感じないがアルコールが脳に染み渡り、二人とも酩酊状態になった。

「どうだね、私は世界の平和を願って努力してきた人間だった。その最後の一手が致死率五十パーセントであるサタン・ウィルのパンデミックというわけだ」

「あんたは神のように振舞ったが、所詮は悪魔だった」と酔っ払ったヨカナーンがスピーカー越しに叫んだ。

「私が悪魔? 私は大審問官のごとく特権階級の幸せを常に願っていたんだよ。私の願いをコンピュータに尋ねたところ、人間を半分減らせという解答が出てきた。コンピュータは私と同じ考えを持っていた。手術だ。腫瘍の手術だ。再発しないように、患部はその周りを含めてごっそり取ってしまうことなんだ。嗚呼、世界の大部分が金欠病に苛まれている。それは癌なのだ。削除する以外にないのだ。もっとも性質が悪いのは、君たち宗教民族さ。信念が強すぎて、扱いにくい。最初は施設に詰め込んで、再教育を施そうと思った。しかしコンピュータは叫んだ。生ぬるい、温存療法は再発の危険があるぞ。全部こそいで取っちまうんだ、とね。君たちはスキルス性の悪性腫瘍さ。放っておくと知らぬ間にどんどん増殖して、最後には地球全体に蔓延ってしまう。宗教や思想というものもウイルスと同じで、パンデミックになる可能性があるのさ」

「しかし、我々を騙したのは人間として恥ずべきことだ」と酔っ払ったフランドル。

「人間? 私は人間じゃない。五体を奪われた優秀な政治家の脳味噌だ。嘘を平気で付かない脳味噌では政治はやれんよ。どんな手を使おうが、最後に勝ったものが正義となるのさ。騙された奴は泣きを見るが、それで終わるのが世の常だ。ひとたび世界が動くと、止めることは不可能だ」

「呆れてものも言えん。卑怯なおっさんだ」

 ヨカナーンのは吐き捨てるように言った。

「ところで、この一件が落着したら、私の健全な脳味噌は若い健康な男のボディを得ることになるのだ。脳移植さ。私の分身たちはロボットだが、私は人間であり続けたいのだ。君たちのテロで私は死んだが、キリストのように復活することになった。そのとき、君たちのフニャフニャ脳は廃棄されることになる。残念だが、もう、私の恨み節を聞くこともないし、私に虐められることもない。君たちはようやく、神の元に行くことになる」

「ありがとさん。ようやく陰湿なジジイから解放されるんだな」

 フランドルは大笑いした。

「いいや、廃棄されるのは議長の腐った脳味噌さ!」

 巨大ホールの下の入口から、聞き覚えのある声が響き渡った。入ってきたのは月のヨカナーンだった。その首は、筋骨逞しい若いボディの上に鎮座している。後ろから月組の部下たちが五十人ほど乱入し、議長の分身たちと激しい戦闘が始まった。ホール中に耳障りなレーザーの発射音、炸裂音が響き渡る。配置された脳味噌たちの幾つかがレーザーに当たって爆発し、脳髄が粉々に飛び散る。それらは、月組のオリジナルかも知れなかった。十分ほど戦闘は続いたが、所詮は素人である議長の分身は次々に倒れていった。彼らのレーザーは的にほとんど当たらず、月組の損害は数人だった。

 ヨカナーンはヨカナーンの脳味噌のある場所まで駆け上り、ご本尊に挨拶した。

「来てくれると思ったよ。議長の脳味噌は一番上の居室にある。ずっと虐められてきたんだ。電気ショックの拷問さ。直接脳味噌が傷付くわけじゃないけれど、脳に繋がる神経に痛みを与えるんだ」

「分かった。この手でガラスを割り、脳漿を流してから脳味噌に一撃を加えてやる!」

「手づかみにして潰すんだ。それから飲み込んでやれ。きっと美味いぞ」

 

 ヨカナーンと部下十人が議長の居室に上がると、議長の脳味噌の後ろに五人の分身が銃を構えて待ち受けている。ヨカナーンは手榴弾を彼らの後ろに投げ込んだ。手榴弾が機能し、五本のレーザーが発射されて五人の後頭部に当たり、一瞬にして五人全員が死んでしまった。

「知っているかね? 昔、アメリカの大統領は核のボタンを常に携帯していたことを」

 落ち着いた口調で、議長はヨカナーンに語りかけた。

「俺は歴史に疎い人間でね。民族の悲惨な歴史を振り返ると、心が湿っちまうんだ」

「お前は運が悪かっただけさ。そんな民族に生まれちまったんだ。私は、お前たちのことを思って、世界単一国家を創ろうとしたんだ。信教の自由を否定したわけではない。ただお前は頑固者で、お前の宗教を世界に広めようとした。そして、私の地位を脅かしたのだ」

「あんたはあんたの哲学で世界を統一しようとした。俺は俺の宗教で世界を統一しようとした。俺とあんたのどちらが勝つかという問題に過ぎない。で、結果的に俺が勝った。俺の脳味噌は健全だ」

 ヨカナーンは勝ち誇るように言った。

「さて、核ボタンの話を続けよう。私を殺すと、君たちも同時に死ぬことを知っているかね?」

「脅迫かよ。俺はどうでもいいんだ。俺の民族の多くが死んだ。それはお前がやったことだ。俺はその復讐にやって来たのさ。俺が死のうが、そんなことはどうでもいいんだ」

「いや、待て!」

「待てないね」

 ヨカナーンは、ままよとばかりに脳ケースをレーザーで破壊し、議長の脳味噌を掴み上げて思い切り握り潰し、そいつを金色の柱に投げ付けた。脳はキラキラ光りながら軟体動物のように柱を伝い、床に落ちて広がる。まるでゲロのようだ。付属の金色ICチップは口に入れて噛み砕いた。ところが、議長の棺の下にもう一人分身が隠れていて、頭に脳漿を浴びながら、胸の上に赤い大きなボタンを乗せていた。ボタンの下のピンを抜いてから、思い切りボタンを押し、スイッチをONにした。

本来このボタンはサタン・ウィルによる世界人口半減作戦が成功して貴族社会が復活したときに、議長が議会の承認を得て押すべきものだった。貴族連中は、フランス革命前のアンシャンレジームを理想の社会と考えていた。そこには、いまを生きる貴族の快楽だけがあり、先祖の魂が小言を言う原始社会ではなかった。議長は万が一の緊急事態を考慮して、身近にボタンを置いておいた。議長の脳に危険が迫ったとき、棺の下の専用ロボが議長の代わりに押すことになっていた。


 ボタンを押して一分後、地球全域、月に向かって破壊電波が発信された。最初に、ボタンを押した本人の首がパンと飛んで居室の壁に激突し爆発した。一秒遅れてヨカナーンと部下たちの首がパンと跳ね上がり、居室やホールの天井に当たって爆発した。すべてのパーソナルロボットに製造時から組み込まれていた自爆機能が特殊な電波によって起動し、全世界に展開していた月組救護隊の首がポンポン飛び始めた。敵対する金持祖父ちゃん部隊も同じだった。次々にポンポン首が飛び、十メートルの高さに上がったところでパンと爆発し、粉々になって降ってきた。金持の地下倉庫にストックされていた祖先ロボたちも急に起動してから、ポンポン首が飛んで爆発し、倉庫は炎上して上の豪邸まで燃え上がった。

月にあるロボ・パラダイスのパーソナルロボたちも同じ運命にあった。エディ・ママも、チコ・ママも庭先で首が飛んで爆発し、庭に落ちた。黒目がキョロキョロし、顎がガクガクしながら次第に生気を失い、ガラクタと化した。首塚の首たちも一斉に爆発した。道路には首を失った胴体が、ゾンビのようにフラフラさまよった。メタリックなすべての知性が消失し、それとともに望郷の念も跡形もなく消えてしまった。洞窟内では火災警報が鳴り響き、発生した煙が空気とともに地上に排出されたが、月面に逃げるロボは誰もいなかった。

月の裏側にある秘密基地のロボたちも同じ運命にあった。そこで働くロボットも、出陣した救護隊の脳データも自殺遺伝子が電波を受けて覚醒し、次々に破壊されていった。秘密基地は完全に機能停止した。そして、地球と月にいるすべてのパーソナルロボットが消えてしまった。


(二十八)


 ピッポはオアフ島に泳いで渡り、とりあえずワイキキビーチに行ってエディを探し回った。彼はパーソナルロボではなかったので、別の周波数の自爆装置を付けており、首が飛ぶこともなかった。それで、ひとまず最初に与えられた仕事を全うしようと考えたのだ。砂の上に寝転ぶ重症患者や点在する死体を踏まないように注意しながら海岸を歩いていくと、首なしボディがフラフラさまよっている哀れな姿を発見した。それはエディのボディだった。患者たちが次から次に抱き付き、首がもげた部分から飛び出たチューブに食らいついて、薬液を吸ったりしている。側にいた浜の監視員は元気そうだったので、エディの首の行方を尋ねた。監視員は正確に覚えていて「あっちかなあ」と沖を指差す。ピッポが耳にある電波の受信感度を百倍に高めると、その方向から微弱電波が飛んできていた。エディのボディは受信していても、臆病者のボディだから海に入れずオロオロしているに違いなかった。

 ピッポは海に飛び込んで、十分ほど付近の海底を探し、砂に半分埋まったエディの首を発見した。ピッポを見ると、ニタリと笑った。彼は砂浜に運んで首なしボディに付けてやった。ボディはようやく安心して砂浜に腰を下ろした。

「大丈夫か?」

 ピッポが尋ねても、頭の中の回路がすっかり濡れてしまって、快復するまでは一時間ほどかかった。しかし発火装置が濡れたことで、首の爆弾は不発に終わり、命拾いをしたのだ。エディは状態が良くなって、喋り始めた。

「僕は海の底でチコの苦しみを実体験し、ようやくすべてを思い出したんだ。これでポールに伝え、僕の任務は終了さ」

「それは良かった。ということは、僕の仕事も終わりということだな。じゃあ、最後の締めに入るか」

 ピッポは胃から放送局と通信できる眼球を一個吐き出して、右目を交換した。ワイキキ海岸にいるエディの姿が放送局とポールの居室に映し出された。

「ポールさん、おめでとうございます。エディはとうとう、失われたあなたの記憶を回復させることができました。これからエディがすべてを明らかにします」

 ピッポはエディに目配せをした。エディはしゃべり出す。

「ポール、いやエディ、聞こえていますか? これから僕の話す事実は、高齢の君にとって酷かもしれないが、しっかりと聞いて欲しいんだ。君は確かにチコとチカを殺した。しかし、なぜ殺したか。これから僕は、君の疑問に対して答えたいと思う」


 エディは海の底で、死んでいくような感覚に襲われながら、チカのことを思い浮かべていた。しかしそれはチカではなく、ずっと昔に固まった石炭みたいな漆黒の塊から剥がれ出し、意識下に流れ出た記憶の断片であることが分かった。その海水パンツ姿は痩せぎすの体であばらも目立ち、明らかに女の子ではない。曖昧さのないリアルな姿から、毎日のように会っていた親しい少年であることも分かった。それはチコだ。あの頃毎日のように見ていた白日夢の主役、チコだった。チコは浮き袋を付けて海に入っていく。エディは人の少ない海岸に、砂を掘った窪みの湿った砂の上に腰を下ろして、波打ち際で遊んでいるチコの姿を見詰めている。エディはちょうど、異性愛に目覚める前の時期にいた。チコに恋をしている切なさがエディの心を支配し、耐え難い孤独がエディを絶望の淵に陥れたのだ。

「まるでベニスの海岸で美少年に恋した大作曲家のような心境さ。二十世紀初頭のことだ。当時はコレラが流行っていたそうだ。老人は少年に恋焦がれたが、愛を告白することなんかできなかった。僕だって、親友に愛を告白するなんてできなかったさ。おかしいよ。おかしな感情だ。けれど僕は老人と違って、ただ見詰めるだけじゃ不満だった。僕を友達以上に愛して欲しいと思っていたんだ」

「君はチコといちゃつきたかったのか?」とピッポが聞くと、エディは怒った顔付きで否定した。

「そんなことは論外さ。そいつはロボットの感性だ。人間の感性はもっと複雑さ。それは海底のウミウシみたいにグロテスクでぐにゃぐにゃで、美しい。僕は恋の手ほどきなんぞまったく知らない子供なんだ。初恋は、訳の分からない切なさが基本さ。老人の稚児愛なんかを想像してもらっちゃ困るぜ。性欲のとば口にある、夢のような淡い欲望だ。仕方なく、僕は絶望の淵から這い上がるために、白日夢を見始めたんだ」


 最初は、チコが側にいないときに、チコと一緒に遊んでいるような他愛のない夢想だったが、だんだん夢の内容が固まっていった。それは、泳げないチコが海で溺れ、水泳の得意なエディがチコを助けて、感謝されるというストーリーだった。チコが海で浮き袋を使って遊んでいるとき、エディは砂浜から眺めながら、そんなことを夢想していたのだ。エディは密かに願った。チコのやわな浮き袋がパンクして、チコが溺れることを……。そしたら、駆け出して海に飛び込み、チコを助けられるのに……。しかし、そんなことは起きなかった。いくら願っても、そんなことは起きなかったのだ。

 するとエディは、恐ろしいことを考え始めていた。自分が浮き袋に穴を開ければいいじゃないか。どうせ自分がチコを助けられるんだ。海で大人の男が溺れた若い女を助けるのを見たことがあった。腕を女性の首に巻いて岸に引いていけばいいのだ。エディには自信があった。水泳も体力も普通の子供より上だと思っていた。チコの損失は、安物の浮き袋ぐらいなものだ。そんなもの、後でエディがプレゼントすればいい。しかし、いつも波打ち際で遊んでいるチコは、自力でも助かったと思うかも知れない。どうせやるなら、もっと沖でやったほうがいい。エディは、夢を現実に変えようと、計画を練り始めたのだ。

「そうだ、マドレーヌ島だ。チコはボートでマドレーヌ島に行ったことがある。僕は島に宝物を隠したとみんなに言っていた。みんなで一緒に遠泳して、そいつを取りに行くんだ。僕は水泳パンツのポケットに釘を隠しておくんだ」


 「嘘だ! まったくのでたらめだ!」

ポールは画面を消して椅子から立ち上がり、病室の外に広がるプライベートな庭に出て、杖を持ちながらヨタヨタと歩き始めた。おそらくエディの告白はチカの殺害まで続くだろうが、そんなことまで聞こうとは思わなかった。ポールは惨めな気持ちで胸が一杯になった。こんな話を聞くために、二人のアバターを作ったわけではない。少しはましな過去があると思っていたのだ。

突然、生垣が破られて、二人の男が庭に闖入した。二人は水に濡れ、頭や肩に海藻が付いていた。どうやら近くの海から上がってきたばかりのようだ。ポールは二人の顔を見て驚き、腰を抜かして尻餅を付いた。エディ・キッドはすぐに分かった。チコは思い出すのに数秒かかったが、思い出してから顎をカクカク震わせた。明らかにチコを恐れていた。どうやら二人は潜水艦のように深海を潜航してきたので、自爆から免れたようだ。

「さて、ポール爺さん。昔のことは思い出した?」とキッドが聞いた。二人ともエディの告白を知らなかった。

「さあな、私にはもうどうでもいいことなんだ」

 ポールは立ち上がると、口を震わせながら小さな声で答えた。

「でも死んだ僕にとっては大事なことだよ」とチコ。

「私は君を殺しはしなかった」

 ポールはキッパリ否定した。

「でも僕ははっきり思い出したんだ。ポール爺さんがチコを殺した。そのことを伝えにここに来たのさ。僕の仕事はこれで終わりだ」

 キッドはキッパリと言った。

「そうかい。じゃあ君は何しにここへ来たんだ?」

「僕は君を殺しに着たんだ。霊界の僕に代わって、僕を殺した仇を打つのさ」とチコ。

「バカな。確たる証拠もないのに、年寄りを殺すなんて……」

 ポールは弱々しい震え声で反論した。

「病院で殺人は困りますな。ここでは、神と医者以外に人を殺す権利はありません」

 いつの間にか、田島院長が庭に入ってきた。彼も自室でエディの告白を見ていたのだ。

「あなたが安楽死を選ばれるなら、お手伝いしましょう。あなたは戸籍上死んだ人間ですからね」

「多額の寄付金をふんだくった医者が言う言葉か!」

 ポールの罵声に、田島は少しばかりうろたえた。

「いずれにしろ、病院の外はまだ混乱した状態ですが、おっつけ収束します。しかしいまなら戸籍が無くても、きっと街中を歩けるでしょう」と言って、田島は苦笑いした。

「ここから出て行けと? やっかい払いか?」

 ポールは田島を罵った。

「どっちにしろ、僕はわざわざ泳いで君を殺しに来たんだ。往生際の悪い爺さんだな」

 チコは腰からレーザー銃を抜くと、ポールの顔に狙いを定めた。引き金を引こうとしたとき、突然チコとキッドの首がポンと十メートル飛び上がり、打ち上げ花火のようにバンと爆発した。金属破片がキラキラと、ポールと田島に降り注いだので、臆病者のポールはキャッと叫んで腰を屈めた。一瞬の出来事だった。自爆信号は津波のように数回発信される。世の中のパーソナルロボのすべてを殺すためだ。このとき同時に、ハワイで告白中のエディの首もポンと刎ねて、空中爆発したのだ。

「ああ助かった。何が原因か知らないが、二人とも自滅してくれた。機械は間々暴走する。これでようやく、私は過去を忘れたまま人生を全うすることができる」

 ポールはしゃがんだまま、ため息混じりに呟いた。

「いいえ、それは法律上不可能です。医師としてすでに死亡扱いした者を生かし続けるわけにはいきません。私が誤診したことになります。世間の笑い者だ」

 ポールは目を剝いて、ニヤニヤ笑う田島を見上げた。

「先生はこの老人をどうなさりたい?」と、おどおどして唇を震わせ、弱々しく尋ねた。恐怖で、一筋の涙がこぼれ落ちた。

「私の親戚の仇を打つのです。ジミーの仇です。死んだ私の母親はジミーとは従兄弟どうしでね」

 ポールは再び腰を抜かして、しゃがんだ姿勢から尻餅を付いた。田島とポールはしばらくの間、見つめ合った。田島の冷ややかな眼差しを見て、ポールの体は激しく震え始めた。


 田島は手馴れた手術を行う医者のように、冷静な仕草で落ちている銃を拾い上げ、銃身の土を息でフッと吹き飛ばしてから、ポールの顔面目がけてレーザーを発射した。ポールの頭はパーソナルロボのように粉々に飛び散り、舞い上がった血しぶきが陽の光を浴びて、キラキラ輝きながらゆっくりと落ちていった。


(了)


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