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ロボ・パラダイス  作者: 響月 光
1/4

未来のテロリズム

ロボ・パラダイス


(一)


 ポールは久しぶりに彼の脳情報を管理している病院を訪れた。主治医はすでに他界していて、対応したのは孫ほどの歳の差がある若い医師だった。

「お話は大体分かっています。ポールさんはおいくつですか?」

「ちょうど百歳になりまして、離脱を決意したわけです」

「健康な方の離脱解禁は百歳ですので、待ちに待ったというわけですか……」

「そのとおりです」

「しかし、人間の平均寿命はいまや百五十を超えている。五十年を無駄にする可能性もあるわけでして……」

「もう身体はボロボロですし、臓器を取り替えるのも面倒です」

 ポールは皺顔を皺々にして、恥ずかしそうに微笑んだ。

「分かりました。役所に離脱届けを出さなくてはいけません。それにはまず、離脱契約書にサインを願います」

 ポールは書類にサインした後で、医師に尋ねた。

「こういうケースはよくありますか?」

「多くはありません。元来ロボ・パラダイスは、家族の方が故人をパーソナルロボットとして生き返らせて、一年に一、二回逢いに行く所なのです。生きた方が逝かれる場合は『離脱』と称し、区別されます。以前は安楽死が多かったが、医学の進歩で減少している。安楽死は不治の病に罹った人が望むものですし、先に逝った妻に逢いたいからというわけでもありません。あなたは健康ですし、独身だ……」

 医師は、老人にしては逞しい胸を見て独り言のように呟いた。

「私は自殺志願者ではありませんよ。自殺志願者が行こうとは考えないでしょう?」

「そんなこともありません。楽しかった青春時代を取り戻したい人もおられます」

「私もそれかなあ」と言ってポールは声を立てて笑い、一転まじめな顔つきになって首を振った。

「しかし大分ずれている。二十歳以前の記憶がないのです。記憶を取り戻せないまま、死にたくはないのですよ」

 医師は驚いた顔をして、「残念ですが……」と消え入るような声で呟いたので、ポールは「何が、ですか?」と聞き返した。

「いや、ポールさんの脳情報は二一歳以降のものしか保管しておりません。記憶喪失の治療のために取ったのが最初です。それ以降は五年ごとに取っています」

「それは重々分かっています。脳情報に消えてしまった記憶が残っているとは考えてもおりません。とにかくロボ・パラダイスに行きたいのです。そこで、大昔の知り合いを探したいのです。記憶を蘇らせてくれる昔の知り合いたちに会いたいのです」

 医師は深く頷いて立ち上がり、ポールに手を差し伸べた

「分かりました。お手伝いしましょう。身体は一台でよろしいでしょうか? 法律が変わって、来年からは一人ロボ政策が始まります。パラダイスが手狭になってきているんです」

「じゃあ二台お願いします。二十歳のボディと十歳のボディ。いまの脳情報と二一歳の脳情報。二十歳の体に百歳の脳、十歳の体に二一歳の脳。遺伝子情報はそちらにあるし、身体作りに必要なビジュアルデータや音声はこっちにありますから、メールでお送りします。子供時代のビジュアル情報などは、数枚の静止画像があるのみです」

 そう言って、ポールは悲しそうに笑った。

「いずれにしても、いまの脳情報は近日中に取らせていただきます。ボディが出来た時点でデータ入魂し、同時に安楽死を行うことになります。それまでに気が変わった場合は、ボディの製作状況で、解約金の値段も変わってきます。一応前払いで二台分、二億円を頂戴いたします」

「分かりました。明日入金いたします」


 立ち去ろうとしたポールの背中に医師は声を浴びせた。

「健康体のあなたが、本当に死を望んでおられるのですか。私は国際的な政府方針に反対なんだ。記憶を取り戻せても、それはあくまでロボットのあなただ」

「いいんですよ、ロボットでも昔を思い出せたなら……」

「ひとつご提案があります。興味がおありでないなら、聞き流してください。法律に触れることです。私はあなたの死亡診断書を作成しますが、あなたは私の病院に匿われるのです。つまり二台のアバターがあなたの記憶を取り戻し、あなたは贋のパスポートでロボ・パラダイスを訪問して、その結果を彼らから直接聞くのです。あなたは納得し、別人として社会復帰し、寿命を迎えるまで幸せな余生を送る」

「そりゃ願ったり叶ったりだ。しかし、先生は法を犯すことになる」

「ばれれば当然、医師免許は剥奪です」

「例えば、彼らの状況を逐一見ることはできないのですか?」

「危険ですが、それも可能です。放送局に売り込んで、取材という形にすればいい。コネがあるんです。個人的な撮影は禁止ですが、政府公認の取材はオッケーです。あなたはすでにこの世にいない。あなたのロボットに送信機を仕込み、故人の記憶を取り戻すドキュメントを作らせるのです。映像はすべて提案者の私にも送られ、放送局はそいつを二時間番組に仕立て上げる。あなたは病室に閉じこもって、編集前の映像を思う存分見ることができます」

「しかし先生は、なぜご自分の身を危険にしてまで?」

「病院の経営には、何かとお金がかかりまして……」

医師は顔を赤くして、呻くように言った。

「亡くなられた田島先生の息子さんですか……」

 息子の田島は父親からポールが資産家であることを聞いていて、こんな提案をしたのだった。独り身のポールは遺言書に、百億円の寄付を記載することにした。


(二)


 二台のパーソナルロボが完成した日には、ポールの隠れ部屋も用意されていた。ポールは田島の案内で隠れ部屋を訪れ、目を丸くした。全方向のVR空間で、部屋は地球と月の間を浮遊している。しかし高齢者にはVRが刺激的過ぎる場合もあるので、別に平面的なスクリーンが三面用意されていた。

「これで拘禁ノイローゼもナシです。月には広大な洞窟があり、ロボ・パラダイスはそこに建設されました。完成した二人のアバターは、来週にも月に送られる予定です。それでは二人を紹介しましょう」

 宇宙空間に忽然と現われた二人を見て、ポールは再び目を丸くした。二十歳のポールはいまのポールよりも長身でがっちりとした体つきだった。十歳のポールも子供のくせに一七五近く、骨太の体つきだ。二人はポールの側に来て、右手を出した。ポールは二十歳のポールと握手し、左手で十歳のポールの頭を撫でた。

「二十歳の私はこんな感じだったろう。十歳の私はこんなに背が高かったっけ……」

「DNAの解析能力は、あなたの失った記憶よりも優秀ですよ」といって田島は笑い、「さあ、声をかけてください」と続けた。ポールは少しばかりためらってから二十歳の自分に話しかけた。

「君はいまの私の脳味噌だから、私の希望は理解しているはずだね」

「もちろん。十歳の私だって理解しているはずさ」

「もちろん。脳年齢二一歳の私は、人生でいちばん記憶喪失に悩んでいた時期だ」

「子供らしくない喋り方だね」

十歳のポールを見つめながら、ポールは苦笑いした。

「僕はロボットだから、簡単に修正できるさ。あっちに行ったらね」と十歳のポール。

「いずれにしても、失われた過去を求めて我々は月に向かう。我々の見聞は放送局に送られ、そいつがご主人様のVR空間を彩ることになる。地球を離れるところから同時体験ができるんだ。さあ、これ以上老いぼれ爺さんと話すことはないさ。乞うご期待」

 二十歳のポールは自虐的な台詞を残して背を向け、十歳のポールの手を引いてバーチャルな宇宙空間に消えていった。

「神のご加護がありますように」

 ポールは心の中で呟いた。



 ポールの死亡届が提出され、偽りの葬儀と埋葬が行われた。葬式では、納棺したダミーのポールが会場に安置され、二人のアバターロボットが横に立って参列客に頭を下げた。喪主はおらず、二十歳のポールロボットが「このたびは私の葬儀にご参列いただき、まことにありがとうございます」と挨拶した。遺言書に書かれた百億もの大金が病院に寄付された。ポールは残りの余生を、広大な病院の敷地内で過ごす覚悟を決めたのだ。失われた記憶を取り戻せなかった場合は、本当に人生を終わらせようと思っていた。

 田島は二人のアバターとともに放送局を訪れた。死んだ人間の身代わりロボはロボ・パラダイスに行く前に、生前お世話になった人を訪問する仕来りがある。しかしその場合、逃亡しないように警官ロボも付けられている。彼らはあくまで死んだ人間なので、地球で生きることは許されないのだ。訪問の様子は、まだポールの部屋と繋がっていなかった。三人が通された部屋にはプロデューサと地方政府の関係者がすでにいて、打ち合わせをしていた。二人は立ち上がって、田島たちを迎えた。

「このケースは恰好の宣伝になりますよ」

 地方政府関係者は田島に右手を差し伸べ、二人は硬い握手を交わした。それから二人のロボにも握手を求め、生身の人間と変わらない手の感触に驚きの表情を浮かべた。

「世界連邦政府は大分前に百歳からの離脱解禁を法律化しましたが、生身の人間からAIへの乗り換えはいまだに大きな壁です」

「一般の方たちは、精神というものがスピリチュアルなものだと、まだまだ思っているんです。しかし実際はAIと変わらないアルゴリズムだ」と田島。

「いまはまだ、平均寿命は百五十歳ですが、二十年後には二百歳に届くでしょう。ロボットにでもなって月に行ってもらわないと、地球は老人だらけになっちまう」

 プロデューサは政府関係者の禁句をすんなり言ってのけた。

「で、失われた記憶を求める旅は、連邦政府の期待するところでもあるのです」と地方政府関係者。

「結果として、ハッピーエンドですね?」と二十歳のポール。

「当然です。高齢者はみんな、幸せだった子供の頃に戻りたがっています。我々は、子供の時代に戻れるんだったら離脱もいいね、と思ってくださる高齢者を増やしたいわけです」

「結果が最悪な場合でも、こっちで勝手に創作してしまえばいいんです。名目上はノンフィクションですがね。主人公は失われた記憶を求めてロボ・パラダイスに行き、両親や幼友達と再会して記憶を取り戻し、身も電子回路も錆びるまで幸せに暮らしましたとさ」

 プロデューサの言葉に全員が笑ったところで、スタッフがトレイに四つの眼球を乗せて登場した。二人のアバターは、手馴れた手つきで各自の眼球を摘出し、通信機能付きの眼球と交換して目の位置にはめ込んだ。

「これで月から放送局にダイレクトに映像と音声が届きます。もちろん協力者の田島先生にも送られます。これらのデータを基に、我々は二時間番組を制作する予定です。」

「お二人の月でのご成功を!」

 全員がハグをし合って、出発式を兼ねた会合は終了したかに見えたが、「ちょっとお待ちください」とプロデューサは言って部下にサインを送った。登場したのは雑誌記者風の若い男で、「始めまして、お二人に同行する記者ロボットのピッポです」と自己紹介。

「お二人の眼球カメラだけでは映像が不十分ですのでね。連邦政府の許可を得て、カメラロボットを用意したのです。彼は取材ディレクタとしても優秀なので、なにか困ったことでもあれば、お気軽に話しかけてください」とプロデューサ。

「ロボ・パラダイスにはパーソナル脳のロボットしか入れませんが、取材目的なら一台に限り、専門技術のAIロボットが入国可能です」と政府関係者が付け加えた。二人はピッポと固い握手を交わした。


 

(三)


 ロボ・パラダイス行きの宇宙船は千人乗りで、人間の客室とロボットの客室は透明の隔壁ではっきりと分けられていた。片道チケットのロボットたちと、往復チケットの人間たち。ロボットたちは、かつてはその脳神経が人間のものであったとしても、二度と地球に戻ることは許されない。その代わり、人間たちのほうが月に向かい、かつての家族や友人に再会することができるようになっているのだ。人間の旅行客の中には、月に住むロボに会いに行く者もいれば、単なる観光旅行の者もいる。隔壁をはさんでロボと話している者は、死んだ家族の終の棲家を一緒になって見届けようとする者に違いない。

 ロボも人間も満席で、ロボ・パラダイスが不人気であるということはなかった。地球連邦政府が苦慮しているのは、この中に命を絶ってまでロボットの国に行こうと決心した老人が何人いたかという問題だ。二人のポールはそうだが、二人を含めてすべてのロボットが若作りなので、ロボットの客室はまるで新婚旅行客で占められているような風景だ。もちろん十歳のポールのような子供も少なからずいて、みんな大人のように行儀良かった。

「いま水面下では、政府が百歳以上の高齢者を全員ロボ化しようとしているって話だ」

 二十歳のポールは、臨席の十歳のポールに話しかけた。

「僕たちは、その宣伝工作に加担させられている?」

「そういうことさ。しかし君は生身の脳とデータ脳の差を実感できるかい?」

「分からない。生身の脳の記憶がないもの」

「そんなもんさ。僕はつい先日まで生身の脳味噌だったが、身も心も機械になって気分爽快さ。人類史的に言えば優生保護法以上の非人道性だが、やられた本人に付きまとうのはロボであるというコンプレックスだけだ」

「君はすっかりロボットになっちまっただけの話さ」といって十歳のポールは笑った。

「君にはパーソナルロボットの複雑な心理、分かるかい?」

 二十歳のポールは、隣のピッポに聞いた。

「君たちはロボ、いやAIじゃない。なんちゃってAIさ。本物のAIはカビの生えた過去なんか大事にしようとは思わないんだ。だいいち、AIは感傷という言葉もあまり理解できない。過去は未熟、あるいは屑箱行き、未来は進化、あるいはバージョンアップさ」

「すると君は?」

「そう、この企画を理解しようとすら思わない。撮った映像を地球に送るだけ。老人の感傷は、AIとはほど遠い位置にある。しかし老人が離脱することには大賛成さ。だって、君たちの精神は人間そのものだからね。精神が機械に移っても、人間であることは変わらない」

「明快なご意見、ありがとう」

 二人のポールは苦笑いした。二十歳のポールには、人生は感傷の連続であるような気がした。純粋なAIは古くなった記憶をどんどん捨て去って、常に新しい情報を蓄積し、前向きに進んでいく。パーソナルAIは、未熟だった脳味噌の時代に愛着を感じて、必死に思い出そうとする。

「君は、昔のデータを捨てても、気持ちが悪いとは思わない?」

 二十歳のポールがピッポに尋ねると、ピッポは笑い飛ばした。

「例えば、ゴーギャン風に尋ねるとしよう。私たちはどこから来たのか。工作機械が作り上げ、いろんなデータを挿入した。私たちは何者か。考える機械じゃ。私たちはどこに行くのか。個人的にはスクラップ、全体的には前進あるのみさ。簡単だ。古いデータは捨てるが、進化の土台になっている。じゃあ人間としての君たちはどこから来た? 地球の熱水鉱床あたりからかな。君たちは何者か? 考える生物さ。君たちはどこに行くのか?」

「個人的にはロボ・パラダイス、全体的には絶滅かな。蓄積データの活用に失敗してね」

 二人のポールが同時に言って、笑いこけた。

「人類の過去は遺伝子に残っている。それはAIのデータと同じだ。未来のことは誰にも分からない。しかし個人的には同じさ。僕の過去は浅いし、そんなもの思い出したくもない。君たちの過去も、生きる上では思い出す必要がない。じゃあ君たちは、何を求めているんだ? 人生の欠けた部分か? 忘れてしまった両親や友達? そんなのは、愛情の遺伝子が悪さをしているだけの話。感傷さ。こだわりさ。確かに昔は、子育てや仲間意識に必要だったかもしれないが、いまの君たちには不要な遺伝子さ。しかしもちろん、我々宣伝映像のコンセプトには必要な遺伝子だ」

「じゃあ逆に尋ねるけど、君は自分がAIであることに、なにを感じるの?」

 十歳のポールが聞くと、ピッポはしばらく黙って、フーッとため息を吐いた。

「難しい質問だね。例えば、群集の中に頭の良い哲学者がいると、彼だけ高みに立って、多くの人間はみんな同じだと考えるだろう。AIもその哲学者と同じ位置に立って、君たちを見下ろしているのさ。しかし、決して人類を馬鹿にしているわけじゃない。哲学者も僕も、彼らを異なる種だと見なして、冷静に観察するだけなんだ。異なる種を軽蔑するわけはないだろ。しかしその僕の周りにAIが沢山いるとすれば、僕もたちまち群集の一員になって、競争をおっぱじめる。君たちの競争社会と同じさ。仮に僕が競争をやめて、編集もしないカメラマンをやり続けるとしたら、哲学者と同じに社会から弾き飛ばされて、スクラップ行きとなるわけだ。この意味が分かるかね?」

「さあ……」と十歳のポール。

「一度ロボ・パラダイスに入った者は、ロボットであるかぎり、二度と地球には戻れない。ということは、社会は僕を低レベルのロボットだと決め付けたんだ。僕は月で故障するまで、シーシュポスのようにずっとカメラを撮り続ける以外にないのさ」

「それは我々も同じさ。少なくとも僕は未来のない老人脳なんだから。君は地球に未練でも?」

 二十歳のポールが聞くと、ピッポはため息を吐きながら答えた。

「僕は最初から月へ行くために作られたんだぜ。ロボット社会では、生まれる時点でそいつの目的は決まっちまうんだ。大昔の奴隷の子さ」

「お気の毒に。君には別の何か夢のようなものがあったんだね」

 二人は気の毒そうにピッポを見つめた。

「ピアニストになりたかったのさ。個性的なピアニストだ。もちろんミスタッチなんか全然ない」

 二人は呆れ顔して黙り込んでしまった。


(四)


 大きな宇宙船は、宇宙リフトにくくり付けられてゆっくりと成層圏を離脱し、宇宙に放出された。それから二日後、宇宙船は月に到着し、北緯一四・二度、東経三○三・三度のマリウス丘の縦穴に頭から入っていく。元々直径、深さとも五十メートルあった天然の穴を縦横さらに掘り進み、大きな宇宙船が十機ほど駐機できる広場にした。宇宙船の頭部が固定されると頭部の出口と地面の入口がドッキングし、酸素の必要な人間たちはそこを通ってさらに地下のロビーに移動。無呼吸ロボットたちは横の扉からタラップで降り、ロボ・パラダイスのゲートを潜る。ゲートには「思い出は人間を幸福にする」というスローガンが掲げられていたが、これはパーソナルロボットが労働するために作られたのではなく、人間として生きるために作られたことを意味していた。

 大勢のロボたちは地下二階に下り、強化ガラス越しに見送りの人々と別れの挨拶を交わす。その横にはハッチがあって、直接人間用ロビーに入れるようになっている。ほとんどのロボたちはロビーに入って宙に浮く家族と話していたが、三時間後には地球行きの便が出発する。もちろん、併設のホテルで最大三日は宿泊できるが、無重量空間での健康問題などもあり、なるべく早く帰ったほうが無難だった。


 ロボ・パラダイスは、人間にとってはネクロポリスあるいは黄泉の国とでも言える場所だった。ロボットたちの心は、かつて生きていた人々の心とほとんど変わらなかったので、地球外へと所払いを食らったのだ。一時、老化を防ぐ究極の手段として、自分の脳情報を若く美しいロボットにインストールしてから自殺するブームが起こりかけたが、国際法によりたちまち禁止されてしまった。当然法を犯した者は月送りとなったが、驥尾に乗ずる形で百歳以上のロボット化も法律化され、義務化が検討中だ。これは高齢者の殺戮ではなく、昔の定年制度と同じものだと政府は主張する。しかも家族たちの心中に配慮して「離脱」という言葉を用いた。ロボットたちは法的にはこの世に存在しないので、幽霊として地上に止まることは許されなかった。変わりに月にロボ・パラダイスが建設されたというわけだ。

 候補として選ばれたのが、幅百メートル、長さ五十キロに及ぶ月の溶岩洞窟で、その入口の縦穴に宇宙船の発着場が設けられた。当然のことだが、世界各地から「離脱」のロボットたちがやってくるので、溶岩洞は横に拡張され続けている。洞内はバーチャル・リアリティ空間になっていて、人間用ロビーに隣接するここは、南国の美しい海岸をテーマとしていた。


 三人には見送りの家族がいなかったので、「さて、これからどうしようか」とキョロキョロしていると、ムームー姿の女性ロボが三人寄ってきて、「ようこそロボ・パラダイスへ」と言って首にレイを掛けてくれる。「ようこそポールさんとポール・キッドさん、それにピッポさん」ともう一人の女性。

「キッドの呼び方はいただこう。しかし我々のことは?」

 ピッポが尋ねると、「準備はしています。こちらへどうそ」と三人目の女性が言って、海岸に立てられた掲示板に案内した。ほかの二人は、別の来場者の対応に向かった。掲示板には高波注意のビラとともに、二人のポールの写真が乗った「おたずね者」のビラも貼られていた。ビラには「生前この人を知っていた方がいましたら、センターまでご連絡ください」と書かれている。「おたずね者」のビラは、ほかに三枚貼られていたが、名前の載っていないのはポールだけだった。記憶喪失前の名前は、本人も知らなかった。

「ここでは、連絡手段は掲示板だけなのです。もちろん、地球からの来訪者は、個別に連絡していますわ」

「吉報がありましたら、すぐにご連絡いたします」

「で、その間、我々は?」

 ピッポが聞くと女性はにっこりと笑い、「ここではどこへ行っても自由ですわ。でも、すべてが仮想現実空間。壁に近付いたら、皆さんの体のセンサーが察知しますから、ぶつかることもありません。してはいけないことは、ケンカや破壊行為くらいなものでしょうか。これは大罪です」と説明した。

「月面は?」とポール・キッド。

「月面は労務ロボットの世界で、パーソナルロボ禁制です。その代わり、バーチャルな世界なら、いつでも見ることができます」と言って、案内嬢は十歳のポールに折り畳み地図を渡した。ポールが開くと、「ほらここ」と指差す。そこには月面ライブコーナーと書かれていた。しかしバーチャルな月面など、誰も見たくはなかった。


(五)


 案内嬢が去ると、遠くの岬まで続く白砂の海岸線を眺めながら、三人とも陰鬱な気分になった。椰子の並木がどこまでも続いている。ブルーコンポーゼの海が広がり、水平線に消えていく。砂浜とパイナップル畑の間には散策路があって、それは岬の方に伸びていく。道端の低木も花々もすべてイミテーションだが、本物以上にうまくできていた。そして道行くロボたちは、若々しく輝いている。しかし良く見ると、ロボットごとに出来具合が違う。どこからどこまで人間そっくりなロボもいれば、表情の不自然なロボもいる。中にはハリボテ人形のような粗悪品まで歩いているが、これは政府が無償提供する規格品だ。金もなく百歳を越えた高齢者は、ボディが粗悪品でも離脱する者は多い。貧乏人は生活に満足感を得られない。政府の過剰宣伝もあって、つい月世界を夢見てしまう。ロボットはいわば地球でいうお墓のようなもので、遺族がロボットにどれだけ金を掛けたかの問題だった。政府は脳データを無料でコピーしてくれるが、ボディのお金は三割しか出さなかった。

「嗚呼、僕はこの嘘っぱちの世界を地球に紹介するためだけに作られた、ってよ!」

 ピッポはヒステリックに叫んで頭をかきむしった。

「この映像は送られているんでしょ?」

 ポール・キッドは心配そうに尋ねる。

「だからってクビになるわけじゃないし、送還されるわけでもない。ここは人魂の終の棲家だからね。君たちアバターは、哀れなご主人に安らかな死を与えるべく、ここにやってきた。僕はその一部始終を地球に送り、君たちとのコラボが終われば、隕石に当たるまで楽園の映像を地球に送り続ける。僕がなにをわめこうと、あっちじゃカット、トリミングして、老人たちを偽りの楽園に誘い込む宣伝映像を創っていく。で、君たちは記憶を取り戻したとしよう。死んだ両親や友達と再会できたとしよう。その後、永遠に楽しい時を過ごせると思うかい?」

「少なくともパンフレットはそう語りかける」と二十歳のポール。

「嘘さ。パーソナルロボにも死はあるんだ。ここにも金の力は有効だ。貧乏ロボットの修理工場は無いのさ」

「というと……」

「あれを見ろよ」

 ピッポが指差すと、道の向こうから松葉杖の青年がやってきた。右の頬がえぐられ、右足の膝から下が無かった。欠けた金属製の頬骨が、光を受けてキラリと光る。若い女性が寄り添っていた。

「どうしたんです?」とポールが聞いた。

「妻にやられた」

 青年は辛そうに答えた。

「あなたが壊した?」とピッポ。

 彼女は黙ったまま、首を横に振った。

「彼女、昔の恋人ですよ。こっちで再会できた。それでよりを戻したってわけ。そしたら、十年後に女房がやってきて、大きな岩を持ち上げて投げつけたんです。ロボットは力持ちだ」

「医者には?」

「有料の修理場ならありますよ。地球の遺族なんかが金を出すんです。女房が生きていたら、きっと出したでしょう。しかしあいつは死んで、僕に岩を投げた。動かなくなったらスクラップです」

「奥さんは?」

「もちろんスクラップ行き。地球でもお騒がせロボットはスクラップでしょ。ここでも法律は有効です。天国に刑務所はありませんからね。追放のみ。いいですか、ロボットでも心は人間だ。こっちでもドロドロ、ネチャネチャの人間関係は続くんです。バカはバカ、頑固は頑固のまま」

「パラダイスなんて嘘っぱちだ!」

 ピッポが拡声音を発したので、青年は慌てて制止する。

「やめてください。問題行動はナシ。治安警察はちゃんとあるんです。スクラップになりたければ別ですけど」

「天国にも秘密警察か……」

ピッポの皮肉とともに三人は立ち去ろうとしたが、愛人に呼び止められた。

「ひとつお願いがあるんです。彼、意気地がなくて」

「ハイ?」

 三人は同時に声を発した。

「スクラップ場は見学自由です。地図にもありますよ」

十歳のポールが地図を開くと、女性は指差す。「公開解体場」と書かれていたので、三人は驚きの声を発した。

「問題ロボが解体されて、二カ月間晒されます。その後、地球からの面会がないロボは月面に上げられて、無縁仏になります」

「で、お願いっていうのは?」

 ポールが尋ねた。

「彼の奥さん、一カ月前に解体されたんですけど、脳回路は切られていないんです。真空モードで喋り続けるの。音じゃなくて電波でね。その声が私に聞こえる。気味が悪いわ」

「僕は勇気がなくてね」

「オッケー、回路を潰す?」と気軽に引き受けたのは、やけっぱち気味のピッポだった。

「殺人じゃん!」とポール・キッド。

「たかがロボットじゃん。しかし、どれが奥さんか分からない」

「私が案内しますわ。彼は行かないでしょうから」

「僕たちも遠慮するよ」

 ポール・キッドが言うと、ピッポは怒り出した。

「ダメだよ、映像にならない」

「そんなん地球に送る気かよ!」

 今度はポールが怒り出す。

「僕には映像を切るスイッチがないんだ。すべて真実を送るようにできている。編集するのは地球の奴らなんだから、なにを送ろうとお咎めはなしさ。しかしカメラマンとしても、真実を撮り続ける義務があるんだ。造反ロボットの処刑場。そこには君たちの姿も必要だ。だって君たちの主演映像なんだからな。脳回路をぶち壊すのは二十歳のポール」

「冗談じゃない。しかも十歳のポールには酷だよ」とポール。

「仕方がないな……。君は来てくれるんだね?」

 ポールが頷くと、「僕も行くよ」とポール・キッドは前言を翻した。

「みんなみんなロボットじゃん……」

「いや、行っちゃいけない。君はまだ十歳なんだ。この宇宙にパラダイスなんかないことを覚るには若すぎる。君は人としての心をもっている。コピーだけど、かつてフニャフニャの脳味噌で考えていたデータと変わりはない。君は血が出ないし呼吸もしないが、人間としての尊厳がちゃんと脈打っているのさ」

 そう言って、ポールはキッドの頭を撫でた。

「じゃあここで待っていろよ」とピッポ。

「バカバカしい。体は十歳だが、脳味噌は二一歳なのさ。記憶喪失の治療に脳内情報をデータ化したんだ」

「しかし大人のポールはポール爺さんの脳味噌だ」

 ピッポの言葉に、ポール・キッドは黙って頷いた。地球のポール爺さんは、できれば少年時代の脳情報をインプットしたかったのにデータがなかっただけの話で、その分ポール・キッドはできるだけ子供の感情を取り戻す必要があった。自分の記憶はないので、周りの少年たちを観察して子供らしく振舞うぐらいが精一杯。それらしくワイワイやっていれば、精神というやつはだんだん幼稚になっていくものだ。


(六)


 五人はひとまず出店のベンチに座って、ココナツジュースを飲んだ。紙コップに満たされたジュースは個体で、そこにストローを刺して吸い込むと、液体の喉を通過する感覚が再現される。同時に舌や口腔のセンサーが感知して、かつて感じた香りや味まで再現してくれる。顔面を壊された男は、鼻の穴にストローを刺した。一人ピッポが飲まなかったのは、パーソナルロボでなかっただけのことだ。使役ロボットは食事を楽しむ必要がないのだから、味覚センサーを取り付ける必要もなかった。

 三人の店員もパーソナルロボで、働くという生前の習慣を捨て切れなかったというよりか、働かなくても存在し続ける退屈さに飽き飽きとしたからに違いなかった。地球と同じ昼夜があり、二四時間という割り振りもあり、睡眠モードに切り替えれば意識はなくなる。栄養を摂る必要はなくても、ロボのほとんどが食事する習慣を続けている。すべてイミテーションだが、味も香りも触感も本物と変わらない食品サンプルで、くわえるだけで噛み砕いた感じも喉を通過する感じも、満腹感すら味わえるようになっている。

しかし働いていた昔と違って、昼の八時間をどう過ごすかが問題だ。ゴルフやテニスをする者もいれば、ダンスを楽しむ者もいる。アルバイトをする者はいるが、賃金制度はないからボランティアと言ったほうが似合っている。しかしボランティアといっても、空いている店に勝手に入り込んで、棚に置いてあるジュースらしきものをテーブルに座った客に提供するだけの話だ。給仕に飽きれば、そのまま消えてしまってもお咎めなし、というわけで、五人が座っているうちに、三人の店員も海水浴に出かけてしまった。


 男と十歳のポールは店に残り、女と二十歳のポール、ピッポの三人で地図を片手に「公開解体場」に向かった。小一時間も歩くと広い砂浜に出て、海水浴客がデッキチェアにもたれて日光浴をしている。遠くの波打ち際では、子供たちがキャッキャと騒ぎながら水遊びを楽しんでいるが、それが本当なのか単なる映像なのかも分からなかった。ただ一つ言えることは、ここには生命の痕跡しかないということだった。ひょっとしたら地球上にも「現在」という一瞬にしか生命はないのかも知れないとポールは思った。過去はすべて痕跡で、未来はすべて不確実な幻影だとすれば、あちらの人間たちもロボ・パラダイスの住人と変わるところがなかった。ここで未来と言えるものは、地球からやって来る新しい仲間たちや面会者ぐらいなものだが、あちらで言う「現在」も、ここでは過去に飲み込まれてしまっている。ロボットたちは幽霊のように、過去の空間に生きているだけだった。いや、あっちの「現在」だってほんの一瞬で、すぐに錆び付き、過去になってしまうのだ。

 それが証拠に、過去は夢のような記憶だから、ぶつ切り状態で羅列してもおかしくはなく、海水浴場のすぐ奥に公開解体場が現われたのだ。入口の門には「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と書かれていたので、三人は笑いこけた。

「ロボ・パラダイスの住人に何か希望があります?」と愛人。

「だって、こっちで昔の恋人に再会できたんでしょ?」

 二十歳のポールが言うと愛人はニヤリと笑って、「再会するまではね……」と意味深な言葉を返した。


 三人が門をくぐると、暇を持て余していたボランティアの案内嬢が出てきて、「見学ですか?」と尋ねる。愛人が事情を説明し、案内嬢は三人を管理事務所に案内した。その後ろで、ボランティアの警官ロボが三人、造反ロボを後ろ手に縛って解体場に連行していく。ロボ・パラダイスでは、すべての仕事が無給で、つまりはボランティアということになってしまうが、地球の人間と変わりなく生き生きと仕事に励んでいた。

「所長、騒音被害のお客様です」

 所長は机を離れて、「どうぞどうぞ」と隣のソファーに導いた。一通り愛人の話を聞いた後、「ぶっちゃけた話、データ抹消に関しては地球の許可が必要でして……」と面倒くさそうな顔つきになった。

「つまり、あちらの墓と同じように、親族が誰もいないということでしたらできるんですが、一応対象者の人間番号をお伺いしてですね……」

「少なくとも、お金を出す親族なんていませんわ。とにかく何とかしてください。私、気がおかしくなりそうなんですから。たったいまでも、殺してやる、殺してやるって、私の脳回路に真空モードで音声信号を送ってくるんです」

「お辛そうですね。とりあえず応急手段として、鉄仮面をご用意しましょう」

「鉄仮面?」

 ピッポが素っ頓狂な声を発した。

「なに、有害電波を妨害する金属製の筒です。頭部にそいつを被せれば、音声信号は外に飛び出しません」


 所長はロッカーから銀色の筒を出し、「じゃあ、ご一緒に」と言って事務所を後にし、三人もとぼとぼと付いていく。途中で通過した刑場では、先ほどの造反ロボが解体されている最中だった。暴れるロボをうつ伏せに倒し、その体の上に三人の警官ロボが乗った。

「お願い! もう二度としません。助けてください」

 大のオジサンが泣き声を発する。

「地球の命令なんだ。悪いな」

肩に乗った警官が首の後ろに付いている緊急用の赤いボッチをつまんで思い切り引き抜く。命のワイヤが五十センチ飛び出した。すると頭部が胴体からポンと抜けて十メートル飛んでから地面に落ち、顎をがくがくいわせた。警官たちが立ち上がると男も立ち上がり、首を探して鶏のようにヨロヨロ歩き回ったが次第に落ち着き、急にバタッと倒れて五秒ほど体を痙攣させ、その後は微動だにしなかった。ボディはご休憩。警官の一人が頭部を持ち、あとの二人は胴体をしかるべき所に引きずっていった。訪問者三人は慌てて自分の首の後ろに手を回した。真ん中のちょうど背骨の突起部分に赤いボッチがイボのように飛び出ている。そいつを引っ張ると首が飛ぶとは思ってもいなかったのだ。

 胴体を運んでいった所には、大勢のロボたちが詰め掛けていた。どれも体のどこかが壊れていて、交換できる部品を探しに来ている。地球で修繕費が払われない連中は、ここで壊れた部分のパーツをもらい、自分たちで直す以外ない。愛人の男も、頭部以外の壊れた部分を漁りに来たいのだが、女房の呪いの信号を怖がって、ここに近づけないでいる。


 どうやら所長は、頭部を抱えた警官と同じ方向に歩いていく。首を刎ねられた男は顎を震わせながら、「ふざけやがって!」などと叫び続けた。警官も髪の毛を持って、噛み付かれないように首をぶら下げて運ぶ。首塚と書かれた看板には、広い首塚の案内地図と説明文が各国語で書かれていた。入り口近くの首塚は種分け前の塚で、解体された首が最初に積み上げられる場所だ。次の首塚は、十年以内に訪問客のあった者が積み上げられる場所だ。再度訪問される可能性があるので、訪問予約が入った時点で脳神経回路を洗脳して悪い根性を消去し、別に保管されていた胴体と合体し、生き返すことになっている。しかしロボ・パラダイスにおける居住者の寿命は地球の推進寿命と同じ百年で、こちらは厳格に百年後、身体は解体され、脳神経回路も破壊される。

 最後の首塚は、月面に廃棄される首たちで、十年以上訪問客が来ない連中である。まれに訪問の予約が来る場合はあるが、そのときはボランティアが月面に出向いて、廃棄場から探すことになる。それで、脳神経回路は壊されないまま捨てられる。首は電子タグを付けられて廃棄されるので、探すのもさほど大変ではなく、酸素無しでは腐食も進まない。隕石で壊れたという記録も無かった。ロボットのスクラップ場は、重要機密事項なので地球の家族との面会時に話すことのないよう、面会場での会話はすべて盗聴されているのだ。違反した場合はもちろん、スクラップという結果が待っている。ロボたちは意識のあるまま捨てられることを恐れていて、いままで誰も内情を漏らしたことはなかった。

 

 男の妻は、種分け前の首塚にストックされていた。首たちは一辺が十メートルほどの正方形の棚に積まれていて、その高さは百メートル以上あった。首たちの口はテープで塞がれていて喋ることはできないが、ウーウーという唸り声の合唱が鳴り響いている。昼間の光で電池はフルになっていて、意識が無くなることもない。電源を切るのが面倒なので、そのまま積み上げられてしまっている。所長が妻の人間番号を機器に打ち込むと、五メートルほど上の棚が前にせり出して下に降りてきた。首たちの真ん中辺りで電子タグがピカピカ光っている。所長は頭たちの上を歩いてお目当ての髪を引っ張り上げ、愛人の前の台に乗せた。

 男の妻は百歳になってから安楽死を選んでここに来たが、顔つきは二十代で若々しかった。愛人は呪いの電波で頭を抱えながら、突然妻の口に張られていたテープを引っ剥がした。すると妻は罵声をけたたましく浴びせたが、愛人はすっきりとした顔付きになった。どうやら呪いの電波が音波に変わって、頭痛の種が消えたようだ。

「あんた、よくもうちの亭主を横取りしたわね!」と叫んで、妻は残っていた唾をありったけ吐き付けた。機械油と混ざって茶色く変色していて、愛人の顔が斑になったが、愛人は黙ったまま、不気味に笑っている。

「あたしゃ亭主が死んでから、一日としてあいつのことを思い出さなかったことはなかった。百歳になって死んで、ようやくあいつに会えると思ってここにやってきたんだ。それを横取りしやがって、ちきしょう、何とか言ったらどうだよ。覚えていろ、殺してやる!」

 愛人はハンカチを出して顔を拭き、そのハンカチを妻の口に突っ込んだ。妻は愛人の手を噛み付こうとしたが失敗し、ハンカチをくわえたままフガフガしている。どうやら舌の裏側に入ってしまったらしく、押し出すこともできないのだ。

「これで、口テープを取りに戻ることはなくなりましたね」と言って、所長は苦笑いした。

「それじゃあ、お願いします」

「いえ、私はボランティア所長ですからできません。明日は違う所長が来る予定です。こういうことは貴方か、貴方の同伴者が責任を持ってやってください。責任を持っちゃうと、首塚入りの可能性も出てきますからね」

 愛人がピッポに目配せすると、ピッポは淡々と妻の髪の毛を引っ張り上げ、元の位置まで持っていってはめ込み、「取材スタッフのやらせかしら」と言ってベロを出した。愛人は再開した妨害電波に顔をしかめながら、筒を妻の頭に被せ、すっきりとした表情で戻ってくる。所長は棚を元の位置に戻して、一連の作業は終了した。

「取材が来る話は聞いていますよ。しかし、ここまで地球に見せますか?」

 ピッポはニヤニヤしながら首を横に振り、「しかしここに、ポールの知り合いがいるかも知れないですね」と言った。

「それは難しいな。最前列しかあなた方を見られないし、口も塞がれている。しかし、万が一ということもありますからね」

 所長は事務所に戻り、愛人は「ありがとうございます」と礼を言って、そそくさと去っていった。ポールは気分が悪くなって、ここから出ようとしたが、ピッポは腕をつかんで止めた。

「来たからには、一応は捜すべきさ」

ピッポは繊細な感性を持たない専門職ロボットだった。二人のポールを追い続けるパパラッチのようなもので、プロデューサはそれ以上のものを要求はしていないものの、適切なアドバイスは業務の一環だった。ポールはピッポの意見に従った。


魂が天国に来たって、魂が変わらなければ地上と同じ揉め事が再発するに決まっている。しかしここには裁判所も無く、裁かれるときは機械扱いだ。コピー脳に人権が無いなら、アウシュビッツのユダヤ人と同じ立場になる。ここは全住人がロボットの村社会で、当然人種的な差別というものはない。死んで自己が消滅することを恐れ、多くの人間がロボ・パラダイスを選択する。しかし生前の気質をそのままコピーしてやってくるものだから傷害事件も絶えず、地球の見識ではあくまでロボットのため、即座に解体される。遺族の多くも、いまは亡き愛する人そのものとは思っておらず、あくまで思い出をよりリアルなものに再現しようと、月にやってくるのだ。

地球ではパーソナルロボットの月面解放は考えていない。居住地区は洞窟の中に制限され、過剰ロボットになりつつある。だから問題ロボットは、脳回路の悪い気質やバグをクリーニングすることもなく、解体されてしまうのだ。ロボットたちはこの現実を恐れて日々遠慮がちに生活するけれど、カッとなる気質の連中は自己制御ができなくて、ここに来ることになる。人間だと思っていた彼らが機械扱いされるというのも皮肉なことで、特に地球からの訪問者がいない連中は、リセットされることなく無縁仏として葬り去られてしまうのだ。


(七)


 二人はとりあえず、月面に廃棄する予定の首塚に行くことにした。ほかの二つの首塚では口にテープが貼られていて、話をすることもできない。しかし月面廃棄予定のグループだけは貼られていない。月面は真空のため、音波は通らないからだ。だから月面待ちの首塚だけは分厚い壁に仕切られ、罵声などが外に漏れないようになっていて、扉には「関係者以外立入禁止」と書かれていた。ピッポは「僕たちはお咎めなしさ」といってドアを開けた。するとたちまち、罵声の合唱が飛び込んできた。

 二人が入ると、音量が倍ほどに膨れ上がる。千首以上の連中が一斉に喚くものだから巨大な雑音になってしまって、言葉などはまったく聞き取れなかった。二人は塚の道側に立って、ピッポは口から出任せに「我々は地球からの視察団だ。この現状を地球に伝えるためにやってきた。静かにしてくれないか」と打つと、急にシーンとしてしまった。

「君たちの中に、僕のこと知っている人いる?」

 ポールが聞くと、「知ってるよ」とどこかで声がした。たちまち、「ウソだウソだ!」と大音響が復活し、もう収集が付かなくなってしまった。しかしポールは、十メートル四方の首塚の周りを右に回り始めた。声を聞いて、それが少年の声だと分かったし、正面ではなく右側から聞こえたし、高いところからでもなかった。二人が入ったときに、右側面からはポールの顔も見えただろう。


 地球の視察団ではないと分かった連中は、容赦なく唾を浴びせた。ポールは目線の高さに少年の首を見つけ、側に近付いて言った。

「僕を知っているの?」

「幼なじみのエディだろ? 君は大人だけど面影がある」

「僕は記憶喪失なんだ。君とはじっくり話がしたいな」

「でも、僕はこんな状態で、もうすぐ月面送りなんだ」

「心配するなよ」

 ピッポが口を挟むと、いきなり少年のプレートを引き出し、髪の毛をつかんで引っ張り上げた。

「イテテテ、手荒だな!」

「助けてやるんだ、我慢しろよ」


 少年はジミーといった。二人はジミーの首を持って、事務所に戻り、所長に胴体の返却を要求した。

「私の責任じゃありません。胴体の保管倉庫は事務所の裏側にありますから、ご自分で探してくっつけてください。私には一切責任はありません。首に付いたタグの最初の番号が棚の番号です」

 胴体の収納庫は、巨大な物流倉庫ぐらいの大きさがあった。タグを見ながら同じ番号の棚に行き、所長から借りた発信機のボタンを押すと、百メートルほど先の柱が青く点滅した。二人が付いたときにはすでに棚が回転していて、海パンを穿いたジミーの小さな胴体が前にせり出していた。

「君は何歳のときに死んだんだい?」

 ポールが聞くと、ジミーはニヤリと笑いながら「十歳のときさ」と答えた。

「病気?」

「事故さ。君はまったく覚えていないんだね。そうか、君は記憶を取り戻すために死んでここへ来たんだね。記憶には、思い出して得にならない記憶もあるんだよ」

 ジミーの意味ありげな言葉に、ポールの心は揺らいだ。

「さあ、早く首と胴をくっ付けてくれない?」

「その前に、ボランティア所長から言われたことがあるんだ。君は生き返るんだから、二度と過ちを犯してはならない。いったい何を仕出かした?」とピッポ。

「難しい話さ」と言ってジミーはしばらく躊躇っていたが、「つまり、ここからの脱走を図ったんだ。月面を自由に歩きたかっただけさ」と説明し、それ以上は語らなかった。



 首と胴は簡単に接続することができた。しかしタグを外す道具はなかった。事務所に戻ると、六人のボランティア警官が来ていて、ジミーに注意を促した。タグを取ることは許されない。取材陣の仕事が終わった時点で、再び首が分離され、最終的には月面に放置されるということだった。地球からロボがどんどん送られてくるので拡張工事は後手に回り、問題のあるロボはどんどん廃棄されるという自然の流れだ。

「ついでにもう一人、救済してもらいたいロボがいるんだ。彼には欠かせない人物で、きっと彼女を見たら思い出すに違いないんだ」

「しかし、君が嘘つきでないことを証明できるかね?」

 巡査部長が尋ねると、ジミーはしばらく考えていたが、軽く手を打って、「少なくとも僕とエディが友達だってことはね」と言った。

「君の右手首の外側には小さな痣があるんだ。それって、生まれたときに頭じゃなくて右手から先に出てきたんで、医者が無理やりお腹の中に戻したときに付いたんだって、君から聞いたよ」

「痣があるのは事実だけど、その理由は覚えていないさ」

 ポールはシャツをめくり上げて、巡査部長に手首の痣を見せた。巡査部長は軽く頷き、所長を呼び出した。

「これで分かったろ。君はエディさ」

「分かった。これから僕はエディだ」



 チカの救出はジミーとはまったく違うことになった。彼女はすでに月面に運び出され、捨てられていたのだ。ボランティア所長は、月面作業マニュアルのチップをピッポに渡して、消えてしまった。月面に出たことがないのだ。警官たちも巡査部長を含めて三人は逃げてしまい、残る三人は興味本位で月面に出ようと思った連中だ。ピッポはマニュアルのチップを耳の後ろに刺して所長の代わりを務めることになった。チカの人間番号を発信機に入力し、続いてオープンボタンを押すと事務所の天井にあるハッチが開き、梯子が下りてきた。

 直径一メートルほどの円形の通路が垂直に伸びていて、出口はまったく見えなかった。ピッポを先頭に、五人は次々に梯子を登っていく。結局月面までは五百メートルもあって、出口のハッチを開けると、ピッポの目に飛び込んできたのは大きな地球だった。ピッポは無関心な様子で、出口から二メートルほど下の地面に飛び降り、土煙を立てた。次に顔を出したエディは、遠い地球を少しばかり懐かしんだ。彼は百歳まであそこに暮らし、離脱してこのネクロポリスにやってきた。老ポールは自分の心を分離してまでも、忘れてしまった過去を思い出そうとしている。自分のアイデンティティを取り戻し、幸せな気分で死にたいと願っている。しかしアバターの自分は、極楽とは名ばかりのネクロポリスに留まって、あと百年生きなければならないのだ。

「あの綺麗な地球で何が起きているのか、僕は知っているんだ」

 ジミーが真空モードの電波音声を通して意味不明なことを言ったので、エディは「何が?」と尋ね返したが、ジミーはニヤリとしただけで何も答えなかった。


 側に車輪と床と椅子だけのソーラーカーが置いてあって、全員が乗り込むと勝手に走り出した。車は激しく光る太陽に向かって走り始めた。強烈な陽光が地面の色を灰白色に染めてしまい、まるで死の灰の上を走っているようだ。しかし舗装した道ができているので、車が激しい振動を受けることはない。遠くには、無人の重機が一塊になって作業を行っている。相変わらず、故郷の地球がエディを感傷的にさせていた。あそこでは、オリジナルの脳味噌が分身の任務達成を期待している。彼にしてみれば、自分は生霊のような存在なのだろう。

 しかしエディはオリジナルほどの情熱をなくしていた。失った記憶の断片が、人生にとって何の意味があるというのだ。明らかにエディは老ポールとは別の人格だった。一つの想念だって、立場や環境の変化で別人のように変わってしまう。分離した脳データが、それぞれ別の感覚を得てしまうのは仕方のないことだ。

エディはオリジナルの酔狂で勝手に作られ、人間どもの酔狂で勝手に作られた洞穴天国に送られ、もう二度と故郷の土を踏むことはない。しかし老ポールも、忘れてしまった過去を思う時間など、人生の中でそう多くはなかったに違いない。真実を知ってから死にたいだけだ。死ぬ前に世界中を旅行して、自己満足の中で天国に旅立つ連中と変わりはしない。


地球の周りには満点の星がキラキラと輝いていた。この壮大な宇宙を知ることもなく、ピラミッドをみたことに満足しながら死んでいく老人のために、ほとんど同じ人間の感性を与えられたロボットが、人身御供としてこの地獄に送られてくるのだ。

「君たちは地球からきた撮影隊だろ? いったいこいつがどんな罪を犯したか知っているかい?」

 痩せた警官がジミーを指差しながらエディに尋ねた。ジミーはニヤニヤしながら黙っている。エディもピッポも同じように黙っていた。

「これから捜しにいく女も同じさ。こいつらはテロリストさ。月を自分たちの領土にしたがっているんだ。地球じゃ死んじまった人間だが、こっちじゃ立派に生きている。ならば、狭い洞窟なんかに押し込まれずに、月全体を自分たちの領土にしちまおうっていうのが、こいつらの考えなんだ」

「それが本当なら、いまの台詞はリアルタイムで地球に送られているからな。おそらく政府関係者もびっくりしているにちがいない」とピッポ。

「俺も地球じゃ警官をやっていたんだ。テロリストに撃たれてこっちにやって来た。しかし、忠誠心は今でも変わらない。地球のお役人には安心しなさいと言ってやりたいね。地球に忠誠を誓う連中はいっぱいいて、ボランティアの警官になって悪人どもを次々に検挙しているのさ」

「酷いものさ。大昔の魔女狩りみたいなもんだ。怪しい奴らを次々にとっ捕まえて、裁判も受けさせずに首を刎ね、ゴミ捨て場に放り投げる。裁判所なんかないから、やりたい放題なんだ」とジミーは大人っぽいことを言って、苦笑いした。

「しかし、こんな荒涼とした月面を開放しないなんて、地球の連中も度量が狭いな」

 エディが言うと、太った警官が「月には生きた人間も入植しているんだぜ」と返した。「連中は死人が月面を徘徊するのが嫌なんだ。奴らの考えでは、俺たちは気味の悪い幽霊か無能なロボットさ。人間じゃない。死んだ知り合い以外とは話す気もない。だから俺たちは洞窟の中に閉じ込められ、壊れたら月面のゴミ捨て場に捨てられる。所詮ロボ・パラダイスは、安楽死を進める地球政府の宣伝用セットみたいなものだ」

「僕たちテロリストの仲間に入るかい?」

 ジミーは太った警官に顔を向けてニヤリと笑った。警官は肩をそびやかす。


一時間ほどで廃棄場に到着した。そこは周囲二ロほどの古い隕石クレーターで、外輪山に開けられたトンネルを出ると、平らな土地が広がっていた。車が入ったことを悟り、遠くの首塚から真空モードで爆発音が聞こえてきた。首たちが一斉に喋り出したのだ。車は首塚の脇で勝手に止まった。巨大な山で、先ほどの塚の十倍の大きさがある。全員が車を降りると、耳をつんざくような電波音はピタッと止まった。

ピッポが発信機をいじると、画面にチカの位置が示された。車の後ろに首を除けるスコップが詰まれていたので、ピッポ以外の全員がそいつを使って邪魔な首をどかしていった。スコップに一首ずつ乗せては後ろに投げる。微少重力下で首は五十メートルも飛ばされていった。チカの首を出すには三十分もかかった。耳たぶに付けられた人間番号の札が赤色に点滅している。

ジミーが周りの首どもを蹴落としてチカの髪を摑んで持ち上げ、まるで大将の首を討ち取ったかのように見せびらかした。チカの青ざめた顔を見て、エディは鼓動信号が火事場の早鐘のようになり始めたことに驚いた。その原因は失った記憶の断片が蘇ったのかもしれなかったし、単にその美しさにときめいたのかもしれなかった。ジミーのような子供ではなかった。髪はひどく短く、一つひとつが緩くカールして、形の良い頭に蔦のように絡み付いている。丸く高い額の下は強烈な日差しの影となり、大きな瞳が薄い光を発してエディを見つめていた。ジミーはサロメのようにチカの唇にキスをして、しばらく唇を離そうとしなかった。ようやくジミーが口を離すと、チカは大きなため息をついてエディを見つめなおし、「エディ、ようこそこの地獄へ」と呟くような小声で言った。

「さあさあ、早くチカのボディを探さなきゃいけない」

 チカの首をぶら下げたまま、ジミーが先頭となって首を蹴散らしながら麓に下り、車に戻った。車は自動的に、ボディの捨て場に向かって走り始める。


 月面車は外輪山のトンネルを抜けて「首のクレーター」を後にし、隣接する「ボディのクレーター」のトンネルに入った。ここでは首を無くしたボディたちが、行く当ても見失ってうろついている。太陽電池は常に満杯だが、まったく意識を失っているため、ひたすら足を動かし、丘や崖に当たれば方向を転換するだけのことで、よじ登ることもしない。車はうろつくボディを撥ねながら中心の小高い丘に登り、そこで止まった。丘は十メートルほどの高さがあり、周りの平地でうろつく無数のボディたちを眺めることができた。

「ここでチカさんの体が来るまでじっくり待つんだ」といってピッポは発信機のボタンを押した。

 二十分ほど待つと、水着姿のナイスバディが信号に引き寄せられて登ってきた。二人の警官がボディを車に乗せ、チカの首をボディにカチャッとセットしたとたん、チカの脳回路とボディは一体化した。

「ありがとう。ジミーも私も生き返ることができたのは、貴方のおかげかしら?」 

 血の気を取り戻したチカは、顔面を赤くして瞳を輝かせた。見つめられたエディは、同じように顔を赤くして見つめ返したが、大きな瞳に吸い込まれそうな気がして、思わず目を逸らしてしまった。まるで罪人のような負い目を感じたからだが、それは忘却した過去の領域からやって来るもののように思えた。

「エディは百歳で死んだんだってさ。僕は十歳で死んだんだ」とジミー。

「私は二十歳で死んだのよ」

「二十歳? 何が原因で?」

「貴方が殺したの」

エディの顔面から血の気が失われるのを見て、チカは慌てて前言を翻した。

「ごめんなさい。これは冗談。誰かに殺されたけれど、その記憶はデータにないわけ。誰一人、死んだ時の記憶を持ってここに来るロボットはいないわ」

「ということは、犯人は見つかっていない?」

「そう、貴方は容疑者かもしれないけれどね」

 チカは笑いながら答えた。



(八)


 エディたちは、同じルートでロボ・パラダイスに戻った。警官たちは疲れた様子でだらしなく、事務所の椅子に腰かける。パーソナルロボの電子回路は、故人の疲労感までも忠実に再現してしまう。

チカとジミーは手を繋いで廃棄場の管理事務所から出ると、チカは振り返って「付いてくる?」とエディに聞いた。しかしエディはエディ・キッドを置いてきてしまったことが気にかかっていたので、「仲間が待っているんだ。彼は十歳の僕さ。ジミーと同じ歳なので、僕よりも思い出すかもしれない」と、一緒に来てくれることを期待した。

「ジミー、行きなさいな。私はママを喜ばせなければ」

「そうだね。君はそれがいい」とジミー。

 チカはそそくさと、海岸とは反対側の岬に向かって走り始めた。

「あの岬はVRだろ」

 ピッポが聞くと、ジミーは首を横に振った。

「僕たちはね、ずっと前からエディのことを話していたんだ。地球から、いまも元気な幼友達が面会にやってきて、君の行方不明も話題になったりしてね。君のママもこっちに来て、君が消えてしまったことを話してくれた」

「しかし僕は、その人もママも知らない」

 エディは肩を落とした。

「すぐ思い出すさ」

ピッポはハハハと笑いながらエディの肩を軽く叩き、もと来た道を元気よく歩き始めたので、二人もそれに従った。「そうだ、すばらしい海岸じゃないか」とエディは呟き、思い切り空気を吸った。潮の香りと浜木綿の香りの混ざったような生暖かい人造空気が、鼻のセンサー群を軽くからかって、理由のない感動を引き起こした。幼少期の懐かしい匂いを思い出したわけではない。たぶん海から海岸に這い上がった遠い祖先の感動が一つの遺伝子として代々残り、電子回路が忠実に捕らえてインプットしたのだろう。ならば必ず、忘れてしまったエディの過去もバグ扱いされて、回路のゴミ捨て場にガムのようにこびり付いているに違いない。ロボ・パラダイスという新天地が、そいつを引き出してくれる可能性は十分あった。

「チカ女王様の命令で、パラダイス拡張工事のロボットたちに、僕たちの別荘街の景色をそっくり再現してもらったのさ。チカは廃棄されるまではパラダイスの環境デザインをやっていたんだ。海だって、沖合十キロまではちゃんとした海。もちろん無重力だから、水の代わりに重い液体が入っている。僕たちも重いから、地球の海とまったく変わらない。思う存分泳げるし、ヨットだってスーイスイ。で、これもみんな君がこっちに来たときのことを考えてのことなんだ」

「僕の記憶を取り戻すために? ウソだろ?」

「そう、女王様が熱心なんだ。いや、熱心なのはお兄さんのほうかな……」

「お兄さん?」

「双子さ。君の親友だよ」

「何歳で?」

「僕と同じ十歳」

「何が原因で?」

「それは本人から聞いたほうがいいな。ほら、あそこで男の子と話をしているよ」


 エディ・キッドと兄のチコは、店の前のデッキチェアに腰かけて話をしていた。エディはその顔を見てアッと声を出した。男と女という二卵性双生児なのに、チカと瓜二つの面立ちだった。チコがそのまま二十歳に育ったのがチカといった感じだ。

「珍しい準一卵性双生児かもしれないな」とピッポ。チコはジミーを見ると立ち上がって走ってきた。二人はハグをして、しばらくの間離れなかった。

「チカを月面から助け出したんだ。今頃、ママとハグしてるさ」

「まるで奇蹟だね。君たちのことはエディ・キッドから聞いたよ」

 チコはエディに近付いて右手を差し出し、「君は僕とは反対に、百歳まで生きたんだって?」と話しかけた。エディはチコの手を握り、思わず身震いをした。背中に電流が走ったのだ。

「どうしたんだい、手が震えているよ」

「ああ、きっと君の手の感触が、忘れていた何かを思い出させたんだ」

「エディ・キッドもさっき同じことを言ったよ。だから答えてやった。君は僕を看取ったからさ、とね」

「僕が君の最後に手を握った……」

「僕も覚えているよ。僕もあのとき、チコと一緒に死んだからね」とジミー。

「つまり、君たちは水難事故で?」

 エディとエディ・キッドは驚いて顔を見合わせた。

「この企画は散々だな」

 ピッポはそう呟いてバンザイしたが、釘を刺すことは忘れなかった。

「しかし、ディレクタからは、すんなり解決しないでくれと言われているんだ。二時間番組だからね。あっちがボツにしようと、こっちは言われたとおりにやる以外ない」

「もちろん、僕たちが死んだいきさつは、エディ自身が思い出すほうがいいさ。僕たちが話しても、それは死んだ僕たちの感覚でしかない。君の思い込みになっちまうかもしれないし、本当に思い出すことにはならないからね」とチコ。

「さあ、僕たちの遊び場に戻るんだ」

 ジミーが先頭になって、五人は芋を洗うような海水浴場を後にした。



岬は小高い丘が連なっていて、イミテーションの木々が茂っていた。丘の中腹を刻む道の脇に設けられた展望台に来ると、「ほら、ここから僕たちの遊び場が一望できるんだ」とジミーが叫んだ。断崖の際にコンクリの柵が巡らされ、望遠鏡が一つだけ備え付けられている。クマ蜂ロボが二匹、突然の珍客に興味津々、彼らの周りをクルクルと飛び回った。五人は蜂を追い払うことなく、望遠鏡のところにゆっくりと向かった。エディが望遠鏡に手を掛けたときには、興味を失った蜂どもはどこかへ飛んでいき、あたりは急に静まり返った。

似非太陽は真上に輝いている。陽の光は海に注ぎ、海面はシルクの滑らかさで銀色に輝いている。穏やかな海風は夏の訪れを感じさせ、その生暖かさは肌センサーを超快適レベルまで高めた。

柵の向こうは垂直に近い断崖と、その下の波打ち際に広がる奇怪な岩々のジャングル、その先端に打ち寄せる小波は紺色から岩に砕かれて白い泡となり、二色のボーダーがリズムカルに勢力争いを繰り広げている。そして左下には規則正しく立ち上がる白い泡をいつの間にか取り込んでしまう純白の砂浜とその向こうの堤防際の草色、さらにその先には四、五軒の民家のオレンジ色の瓦が微かに飛び出して見える。

エディは望遠鏡を覗き込んだ。その視界には、遠く霞んでしまって、水平線も分からない海と、海岸から五百メートルほど沖に飛び出したタコ坊主のような奇妙な形の大岩くらいしか入らなかったが、その小島がエディの心を動揺させた。それはポールが時たま見る夢の中の小島にそっくりだったからだ。エディが望遠鏡から目を離すと、エディ・キッドがすかさず替わって覗き込み、「あれはマドレーヌ島?」と聞いた。「おめでとう。君の記憶の一つが戻ってきた!」とチコは叫ぶ。

エディはこの岩島の不気味な容姿に胸騒ぎを覚えるだけで、名前すら思い出せないことにいささか失望した。ひょっとしたら、紅茶でも飲みながらゆっくりこの島を眺めれば、失われた過去を一気に思い出すのかもしれなかった。

 次に望遠鏡を覗いたのはピッポだった。エディ・キッドが名前を思い出した島をしっかり眼球カメラに収め、その場で地球に送信した。

「記憶を取り戻す最初のきっかけとしては、画になる島だな」

 エディ・キッドは急に気分が悪くなって望遠鏡から目を離し、新鮮な潮風を思い切り吸い込んだ。エディと同じように、すぐに得体の知れない恐怖を感じたのだ。鼻のセンサーが微かな海の香りをキャッチして快適度を上げ、風は発熱した電子回路を空冷した。ロボ・パラダイスは真空に近かったが、風を起こすために少しずつ人工空気を流している。海岸や山岳などのシチュエーションごとに酸素濃度や匂い成分を変えることができるのだ。しかし、ロボットは酸化を嫌うので、地球のような酸素濃度は厳禁だった。

「これから、いろんな遊び場に行って少しずつ思い出していこうよ」とジミー。


 チコは海風に顔を向け、頬をなでるように流れていく湿り気のある軽やかな暖気に目を細めた。クルクルとカールした短い髪が、バーナムの森のように落ち着きなく動き、それを見つめていたエディは、次第にメドゥーサの蛇に変わってきたことに驚いて、思わず目を閉じた。赤ん坊のように愛らしい少年の顔がみるみる蒼ざめて、絵にあるメドゥーサの顔付きになり、体も震え始めた。エディ・キッドはそれを見て、チコ以上に体をガタガタさせた。チコの様子は明らかに見覚えがあった。

「覚えている? この海で僕とジミーは溺れちゃったんだ」

「ダメじゃん。自分で思い出すように仕向けないと」とジミーが慌てて釘を刺す。

「ごめん、時たまフラッシュバックしちゃうんだ」

「いいさいいさ、言っちまったことは編集でカット、あるいは後に出す。でも治療としては、ショッキングなヤツは出すタイミングが必要なんだ。失敗すると、記憶はかえって硬い殻の中に閉じこもって、二度と首を出すことはない。サザエの蓋みたいなもんさ」とピッポ。

「でも僕は十歳だよ。大人じゃないんだ。言いたいことは口に出ちゃうのさ」

 ピッポは苦笑いしながら、「君はずっとロボットしていて、ディープ・ラーニングしていないんだね」と皮肉を言った。


(九)


 美しい風景を見ながら、五人それぞれが陰鬱な気分になりながら、岬の先の別荘街に向かった。道は車一台が通れるほどの広さで、二百メートルごとに車同士が擦れ違えることのできる広い部分があった。しかしもちろん、ロボ・パラダイスでは車もバイクも禁止されている。自転車はあるが、歩いても疲労感は少ないので、あまり乗るロボットはいなかった。走っても、自転車ぐらいのスピードは楽に出る。しかし、全速力で走るロボはあまり見かけなかった。

 後ろからボランティア刑事が三人、後を付けてきた。ジミーは子供でも罪人なので、一応は監視をする必要があったのだ。彼らは職業警官ではないので、それほど真剣に監視をしているわけではなかった。ここは一応天国なので、性善説が蔓延している。犯罪ロボをスクラップにするのは地球からの指令で、こっちの連中が率先してやっているわけではない。ただボランティアをしていると、たまに地球の親族が表彰されたり、金一封をもらったりするのは確かだ。それが親族の月訪問にも繋がってくるというわけだ。


 上り坂をしばらく歩くと、岬の先端に出た。大きな広場になっていて、車のない駐車場は近所の子供たちの恰好の遊び場になっていた。広場の花壇を通って柵のある崖っぷちに出る。高い崖の下には両脇を断崖に囲まれた小さな砂浜があり、アベックが二組、日光浴をしていた。この広場の上に禿山があって、別荘街になっていた。かつて現世でここに住んでいた金持たちが、在りし日を懐かしみ、遺族を通して地球の大臣に賄賂を贈り、月に再現させた。そのデザインを引き受けたのがチカだった。付近はチカの遊び場だったので、よく憶えていた。ロボ・パラダイスでは通貨はないが、面会に来た親族が地球で金をばら撒くことは可能で、金持一族の力はお金の無用な月でも威力を発揮することになる。

花壇脇のベンチにチカと二人の若い女性が腰かけ、五人を眺めていた。チコはチカに駆け寄り、立ち上がったチカとハグをした。双子どうしでも、二十歳のチカは十歳のチコより大分背が高かった。しかし、顔だけ見れば、どっちがどっちだか分からなくなってしまう。二人の女性も立ち上がったが、背の高い女性のほうが満面の笑みを浮かべてエディ・キッドに抱きつき、「良く来たね、あなたのママよ」と言った。彼女の右肩は皮膚が剥がれ、金属の骨が飛び出している。年代物のボディだ。

「お母さん?」

「そう」

「お父さんは?」

「あなたが十五のとき、家から出て行ってしまったわ」

「この国に戻ってこなかったの?」

「分からない。私に会いたくないなら、ロボットにはならないでしょう。でも、好きな人がいたんなら、きっと来ているはずね。ここは死別した人たちが再会する場所ですものね」

 さびしそうに笑いながら、エディ・ママは成人したエディに近寄りハグをした。

「貴方も私のことを忘れているのね」

「思い出すにしても、ママたちはチカとそう変わらない若さだもの」

「ここでは男も女も、みんな青春時代をリメイクしたいと思っているの」

チカ・ママが言って、チカとチコの間に割って入った。まるで三兄弟のように似ている。チカ・ママは二人の子供を失い、夫も病気で失って、八十歳でここにやってきた。彼女は浮気性の夫を嫌っていて、先に死んだ夫のロボットを作らなかった。ママがこちらに来たとき、子供たちも文句を言うことはなかった。父親は家を空けてばかりいたので、記憶が薄かったのだ。


 

 とりあえず全員で、エディの別荘に行くことにした。別荘地への近道は、広場の脇から出ている崖下の細い道を進んで岬の突端に行き、ジグザグの急な坂道を十分ほど登ると防風林に囲まれた平地に出る。弓状に湾曲した道の両側に、十軒ほどの別荘が建っていた。すべてがパティオのあるスパニッシュ・コロニアル様式で建てられ、南欧風の白い石灰壁とオレンジ色のスペイン瓦で統一されている。家の周りには広い庭があり、家と家の間には目隠しの植栽が施されている。ほとんどのロボットが路上生活を強いられているのに、ここだけは別世界だった。チカの家の前には二人の警官が見張りをしていた。ピッポが一人に近寄って、小声で「君は本当にパーソナルロボかい?」と尋ねる。

「そうさ。生前は警察官だったんだ」

「僕は取材用に作られたロボだから、嗅覚が鋭いんだ。君は偵察用に作られたスパイロボじゃないの?」

「バカバカしい」

 警官は一笑に付した。斜め前のジミーの家にも警官がいて、門の所で両親と話をしている。ジミーは駆け寄って両親と抱き合い、こちらに向かって手を上げてバイバイの合図をした。

 エディの家は、いちばん奥の道が途切れた所にあった。その先は鬱蒼とした森になっていて、分け入るのも難しそうだ。

「あの森には毒蛇がいるのよ」とチカ。

「でも、ここにはイミテーションの森と蛇のロボットさ。そいつは我々を監視しているんだ」とチコ。

「この前、開発業者のロボットがやってきて、地球のここの映像を見せてくれたわ。それには、この森は開発されていて、いまの三倍も別荘が増えているの。だからその住人たちの子孫が、ここの土地の開発を政府に訴えたらしい」

 チコ・ママが言うと、エディ・ママが頷き、「いつ始まるのかしら……」と残念そうに呟いた。

「どっちにしても、私たちの知らない人たちは注意したほうがいい。付き合わないことね」とチカ。

「付き合おうがどうしようが、いたる所に監視カメラがあって、地球に送られているんだ」

 チコが口の前に指を立てると、ピッポは自分の頭を指差し、「ここの話は全部、ここから自動的に送られているんだぜ」と言ってゲラゲラ笑った。


 エディもエディ・キッドも、ここが毎年夏になると過ごした家だとは思えなかった。芝生の中のアプローチはやはり弓形に曲がっていた。重々しい玄関扉を開けると、大袈裟なシャンデリアが釣り下がる高い吹き抜けのエントランスホールが現われた。右奥には湾曲した化粧手摺の階段が二階へ向かっている。これはまさに独り者のポールが住んでいた屋敷と瓜二つだが、洋館ではありきたりのデザインかも知れなかった。エディ・ママが玄関左の大きなガラス扉を開くと、広いリビングが現われる。彼女は、その先のコンサバトリーまで行って、ガラスのテーブルに着くように誘った。陽の光が差し込んでいて、心地良さそうな雰囲気があったが、外は花が咲き乱れるパティオになっていて、花々の陰から、警官が一人首を伸ばしていた。

「嗚呼、またも警官!」

 エディ・ママはそう叫ぶと、庭に面したガラス戸を開けて、「コラ! 不法侵入者!」と怒鳴った。警官はニヤニヤしながら逃げていった。

「驚いた。ここも監視国家だな」

椅子に腰を下ろしながらピッポは呟いた。

「ジミーと私はテロリストだからね」とチカ。

「テロリスト? 君はずいぶん昔の人なんだな」

 エディは苦笑いした。地球では久しぶりに聞く言葉だ。人類全員の素生がリストアップされている地球では、この言葉は死語になっていた。

「そう、テロリスト。造反分子。貴方は自分の意志でここに来たのね。でも私もチコも、ママの意志でここへ来た。私はロボットになって生き返ろうなんて、思ってもみなかったわ」

「僕はロボットでもなんでも、生き返って良かったと思っているさ。子供で死ぬのは誰だって嫌だ」とチコが口を挟んだ。

「チカは変わった子なのよ。ここが退屈で退屈でしょうがない。で、暴れるようになったんだ。バカな子」

 チカ・ママがため息混じりに愚痴った。チカはピッポに顔を向け、まずはウィンクしてから演説を始めた。

「ハーイ地球の皆さん。死人を電子化して、こんな所に所払いだなんて、いったい生きてらっしゃる皆さんは、どんな感覚の持ち主かしら。私たちを地球に帰してください。ゾンビ扱いはやめて下さい。地球に帰りたいよう。地球で一緒に暮らしましょうよ。生身の人間と、機械になった死人の間にある壁って、いったい何なのさ。脳味噌がグニャグニャかカチカチかの差以外、何があるっていうのさ!」

「アハハ、この企画は完全にボツやな」

 ピッポが笑うと、それが全員に伝播して、笑いの渦が起こる。一人チコだけが顔を硬直させて、呻くように言った。

「エディは百歳まで地球で暮らしていたのさ。僕は十歳で死んで、地球を追い出された。僕は九十年近くもこんな所に閉じ込められて、あと十年でスクラップにされる。地球が押し付けた法律なんだ。僕は何で、こんなところで生きなければならなかったの? ここは刑務所さ。地球の人間は何で、こんな所に来たがっているの?」

「二人ともおかしなことを言うわ。ママは大分遅れてここに来て、あなたたちと一緒に暮らせて、とても幸せ。私は地球で、とっても寂しい思いをしていたのよ。だから毎年面会に来た」とチコ・ママ。

「地球も退屈さ。ここと大して違わない」

エディはそう言いながら、さっき月面に上がって眺めた地球を思い出していた。あの蒼い星はロボットたちの心の故郷で、そこの土の中にいたほうがよほど近かっただろう。いっそ墓石に電子回路をはめ込んだほうが、幸せだったのかもしれないと思った。そして、パーソナルロボットを地球の見えない洞穴に閉じ込めておく意図も読み取れた。月面で毎日遠い地球を眺めながら暮らしていれば、かぐや姫のようにホームシックに罹り、うつ状態になってしまうのは明らかだった。かぐや姫は毎晩、故郷の月を眺めていたのだ。


(十)

 

 夕方になって、チカ一家は自分たちの別荘に帰り、エディ・ママの家には二人のエディとピッポが泊まることになった。ピッポには客間があてがわれ、エディの部屋は、地球から運んだエディの持ち物で溢れていた。エディ・ママは生きているうちにこの別荘を建てて、地球の実家や別荘から息子の品を運び入れていた。将来、息子が死んで再会できることを夢見ていたのだ。

「あなたは二十のときに、ここから出て行ってしまったわ。警察にも聞いたけれど、とうとう捜せなかった」

 自分の持ち物と言われても、二人のエディはまったく思い出すことができなかった。たんすの中には、若い頃にエディが着ていた服が、浮き上がった恰好で上方向に積まれていた。その中には子供服もあった。ここは海岸で、しかも無重量状態なので、ほとんどのロボは水着姿で通していた。しかし母親と久しぶりに楽しむ夕食には裸はまずいと考え、二人とも中からマシな背広を選んで

着込んだ。エディ・キッドのズボンは半ズボンだ。二人ともサイズはピッタリだが、ネクタイがコブラのように鎌首をもたげて揺れている。一階に降りると、肛門から取り出した薄手のつなぎを着たピッポがカクテルを片手に突っ立っていた。

「悪いな。僕はワーキング・ロボだから、こんな作業着しかない」

「裸よりはマシさ」とエディ。ピッポは味も香りも分からなかったから、食事を楽しむ素振りだけは忘れないように心がけた。

 エディ・ママがピッポの助けでテーブルに着席すると、二人は両側に分かれて着席した。ピッポはエディの横に座った。規格品のパーソナルロボが二人でスープとオードブルを運んできた。すべて食品サンプルだが、口に入れると味も香りも温かさも感じることができた。

「この方たちは、昔っから住み込んでいらっしゃったハナさんとマナさん。憶えている?」

 そう聞かれても保険適応の規格ボディはすべて同じ恰好で、思い出すはずがなかった。二人は海岸に野宿していたとき、散策するエディ・ママに再会して、再び住み込むことになったそうだ。もちろん金で雇われているわけではないから、一日の行動は自由だ。ハナはエディ・キッドの隣に座り、マナはママの対面に座って、一緒に食事を楽しむことになった。

 

 食事が終わったあと、マナがコーヒーとジュース、デザートをワゴンに乗せてきた。エディ・キッドはオレンジ・ジュースの血のような色に何かを思い出しそうな気がして、ストローで味を確かめた。

「そうだこの家の庭には、シチリア産のオレンジの木があったよね」

「ブラーボ、思い出したじゃない」

 マナは手を叩いた。しかし、そこから次々と記憶が蘇ってくることはなかった。エディは、キッドのコップを満たす赤い色を見て、気分が悪くなった。

「チカのあの家は、ほとんど空き家になっていたのよ」とママ。

「それはここ? それとも……」

 エディが聞くと、「もちろん地球」とママは言って、話を続けた。

「あの海でチコとジミーが溺れてから、二人の家族はしばらくここに来ることはなかったわ。でも、家を売却することもしなかった。二人の思い出が詰まった場所だからね。五年以上は来なかったかな……。でもある日、チカ・ママの家に明かりが点いているのに気付いて行ってみると、そこにいたのはあなたとチカちゃんだったわ」

「僕が?」

「そう、あなたもずっとここに来なかったのにね。あなたたちが交際していたなんてぜんぜん知らなかったから、ビックリしちゃって……」

「それはいつ頃?」

「あなたとチカちゃんが消えた一年前。チカちゃんが消えたとき、あなたも警察にいろいろ調べられたけど、友達のアパートに泊まっていたことが分かって、疑いは晴れたの。でもそのショックで、きっとあなたも私を置いて消えてしまったのね」

「…………」

「僕は記憶喪失になったんだ」とエディ・キッドが言い訳をした。

「きっとね。家が分からなくなってしまったんだわ」

 エディ・ママはエディがその後、どんな人生を歩んだかを聞きたかったが、エディは簡単に話して終わらせてしまった。過去が白紙になった状態で、日本の小さなベンチャー企業に入って一心不乱に働き、彼の開発したシステムがヒット商品になって会社は成長し、彼も社長にまで登りつめた。稼いだばく大な資産はこの計画にほぼ注ぎ込んで、ここにやってきた、というつまらない話だった。彼が知らなかったのはお金の使い道ではなく、アイデンティティの欠けた部分で、そいつを取り戻すために自己分裂までして、わざわざ月にやってきたのだ。


 一家団らんのひと時が終わると、それぞれの部屋に戻ることにした。エディとキッドは一緒の部屋なので、少しばかり話し合ってから寝ることに決めた。エディたちは、明日の朝食後に、とりあえずチカの家を訪ねることにした。二人でぶらぶら散策しても、記憶が戻ってくるようには思えなかった。

パーソナルロボットには睡眠モードがあって、寝る仕草もできたが、ワーキング・ロボのピッポは椅子に座ったまま、一晩中目を覚ましている。丑三つ時に、地球からの命令が来る。それは撮影の支持ではなく、諜報活動の支持なのだ。ピッポの本当の仕事は、チカとジミーの属する造反グループが、いったい何を企んでいるのか探ることだった。

地球連邦警察は昨年チカの過去を徹底的に調べていた。チカに関わった人間も調べていて、失跡したエディのことも把握していた。秘密警察は、監視カメラ資料館に保管されている世界中の映像資料から、アメリカの実家を出奔したときのエディを発見した。するとその顔と体型から、エディの長旅の様子を映した町々の映像が、量子コンピュータによって瞬時に抽出され、最終的な落ち着き先も判明した。彼はサン・フランシスコの港から貨物船に乗り、横浜港で下船し、東京の小さなアパートに落ち着いたのだ。近所の病院で記憶喪失の診断を受け、名前をポールと決めて日本州住民としての身分証明書を獲得し、就職もした。今年になってポールが百歳を迎え、放送局がこの企画の認可申請を行ったときに、政府御用達のワーキング・ロボを使用する条件で認可が下りたというわけだ。

地球からの命令信号は暗号で送られてきた、といって活動の進展はこれからなので、「継続」の一言だった。緊急事態以外は、こちらから信号を送ることは禁止されていた。常時送り続けている映像信号に混ぜ込むこともできたが、ノイズとして第三者に抽出される危険があった。


チカの家でも久しぶりに一家団らんの時を過ごしたが、チカ・ママはもうチカの行動を咎めようとはしなかった。エディの一連の企画が終われば、チカは再び月面に廃棄される。それだったら、チカの思うように行動させて、月の裏側にでも逃げてくれれば、いつか連絡を取り合うこともできるだろう。ママが一番心配しているのは、チコがチカのグループに関わることだったが、チコは関わらないと約束してくれたし、チカも誘わないと確約した。しかし、チカ・ママは二人の後に死んだので、いずれは一人ぼっちになってしまう。チコが廃棄されるのは百回忌を迎える十年後だ。

 夕食後、チコの部屋にチカがやってきて、「頼んだものは?」と尋ねた。チコは半ズボンの両側のポケットから眼球を四つ取り出した。

「ほら、首塚からくすねてきたんだ。カメラマンの分は必要ない?」

「彼は気をつけたほうがいいわ。ワーキング・ロボは主人に忠実だし、彼を送り込んだのは地球連邦政府だからね」

「明日、二人のエディの目をこれにして、秘密の場所に誘い込むんだね?」

「でも、あなたは来ちゃだめ。私と同じ目に遭いたくないならね。あなたが死んだ理由が分かるまで、あなたは死んではいけないわ」

「分かった。僕は大人しくしているさ」

「きっとよ。ママを二回悲しませちゃダメ」

 チカは寂しそうに微笑んで、チコの額にキスをした。



(つづく)



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