白黒世界3
下っていく。どんどん幹の大きさが変わる。それと比例するように樹高も高くなる。目的地が見えなくて迷いやすくなるから、こんな森の中を下流というのは本来、悪手だ。だが、さっき上から俯瞰した風景ならば、下に降りさえすれば、塔へと続く平原だろう。迷う心配がないなら、こんな森の道でもいく価値がある。標高を下げて下げて下げまくる。歩きにくくても、下に近づいていることがわかるので、僕の足取りは軽い。
竹林が始まった。一面に竹が生えている。白黒の竹は、まるで水墨画のようで、絵の中に迷い込んだのではないかとでもいうべき風情があった。
斜面が緩やかになる。そろそろ平地につけるはずだ。
油断していた。すぐ前に迫る赤い口を見ながら僕はなぜか冷静にそんなことを考えていた。
生物の気配が全然しないことから、この世界は、ただ植物しかいない世界なのだろうと思っていた。だが、それは甘えだった。竹林をゆく僕の耳に下草の笹を踏みしめて近づく音が聞こえた。最初は聞き間違いだろうと気にも留めなかった。それほど、小さな音だった。
だが、その音が荒々しくなり、こちらに迫っていることが容易に想像できるようになって、さしもの僕も慌てて振り返った。
白と黒の毛並みを持つ、熊のような動物が、その牙の並ぶ口を見せて襲いかかってきた。間一髪でかわす。これは、パンダか⋯⋯ ?
その白黒模様は、よくテレビニュースで目にする人気者に酷似していた。だが、こちらの獣は獰猛の一言に尽きた。直線的な動きしかしてこないのが救いだが、勢いよく突進して、こちらを噛み殺しにかかってくる。まるで、食料のなくなった飢えた動物のようだ。この白黒世界で笹を食べることに拒否反応でも起こしたのだろうか。⋯⋯ まあ、僕も白黒の肉など食べたくはないが。
なら、この世界はもともとこんな白黒世界ではなかったのか。この飢え具合から考えるとその推論は正しいように思える。
竹を盾に、必死で逃げる。こちらよりもはるかに体重の重い生物が突撃してくる様子は生半可なものではなかった。
銃もなしにこんな危険生物に立ち向かうなんぞ無謀の極み。逃げることが唯一の正解だと思うのだが、さすがにパンダの方が許してくれそうもない。ぐるうぅと唸り声を漏らして、次こそ噛み砕くという意思を隠さない。⋯⋯ 神様チートの飴をきびだんごのごとく振る舞うという手もあるけれど、パンダが飴を舐められるとは思えない。貴重な食料を手放すには危うい賭けだ。
そろそろ、足が持たない。今朝から歩き詰めの足の筋肉が限界を叫ぶ。もう、避けられないか。どうする。何か手があるはず。
「剣! そのまま引きつけといて! 」
信じられない声がした。この場所で会うことなど予想だにしなかった人物の声だ。
「了解! 」
その声に潜む信頼と自信に答えるように、僕は大声で返事をする。まだ、倒れることはできない。彼女が信頼して僕に言ったんだ。それくらい、実践できなくてどうする。
限界の足に鞭打って、パンダの攻撃を無心で躱す。まだだ。まだ、終われない。彼女とせっかく再会できたんだ。面と向かうまで、死ぬものか。
「そこ! そのままそこで耐えて! 」
無茶言うなあユウキは。だが、それに答えるのが僕だ。
パンダの突進に真っ向から激突する。人をなめるな。一応地球の生物種の中じゃ大型に分類されるんだぞ。
パンダの牙めがけて頭から突っ込む。そこを折ればとりあえず死にはしないはずだ。逃げるだけだったこちらの変化にパンダはついてこれなかった。みすみす牙をふっとばされるパンダ。
「期待以上。さすが、剣!」
どす。鈍い音が響く。パンダの体が痙攣した。血が溢れる。真っ赤な血。この色のない世界で、その赤は残酷で、でも、美しかった。
「ヤッホー、剣。久しぶり。」
竹を改造して作ったらしき竹槍をパンダの体から抜きながらユウキが挨拶してきた。緑のアウターに紺のショートパンツ。それに黒のスパッツをまとって活動的だ。ユウキの私服は、ほとんどズボン系だし、見慣れたものではある。少し短髪気味の髪は跳ねていて、ちょっと汚れていた。彼女も苦労したのだろう。
「久しぶり、ユウキ。」
とりあえず、挨拶をし返す。なんで彼女がここにいるのかはとりあえず置いとこう。なんと言うか。安心したと言うのが正直なところだ。久しぶりに喋ることができて、僕の精神は高揚していると言っても過言じゃない状態になったのだろう。
パンダと言うより、危険な猛獣という言葉でひとくくりにしておきたい獣の死骸から離れて、僕らは、竹林を抜け出した。
道すがら話したことによると、ユウキも気づいたらこの世界にいて、さまよっていたらしい。
途中の竹林であのパンダと出くわし、見つからぬように身を隠して、武器を作りながら、隙を窺っていたようだ。竹槍を自作するなど、自衛する気どころか戦う気満々だったようだ。剣道部って好戦的になるのかしらん。
「参ったよ。あのパンダ、殺気をビリビリ放出する割に有段者みたいに隙がなかったから。だから剣が来て助かったよ。ほんといいタイミング。」
ユウキはそう笑った。
「いい囮として使われたのか⋯⋯ 。」
「うん。めちゃくちゃ自然だったよ。」
「そりゃそうだよ。いきなりだったもん。」
「それより、剣、目治ったの? 」
ユウキは首をかしげる。
「ここに来てから、元みたいに見えてる。」
「よかった。でもなんでだろうね。」
「不思議だ。」
「で、これからどうする? 」
「あそこに行こう。」
「あそこ⋯⋯ ? ああ、あの塔ね。」
ユウキも把握していたみたいだ。まあ、すごく目立つからね。
僕は正面の塔を見据えた。今までにないほどに近づいたその姿は、圧倒的な存在感を持って僕らを圧していた。




