思い出
雨が降る。家の外で激しく水音が鳴っている。鉄砲でも撃ってるような凄まじい豪雨で、下の地盤が心配になる。崩れたらどうしようか。どうしようもないから気にしないことにしよう。
そんなわけで、今日は歩くのはお休みだ。停滞することにしよう。さすがに危ないからな。
リビングにみんな集まって、ゆっくりする。何かゲームをしてもいいけど⋯⋯ 。
「そう言えば、お二人がこの世界に来た話、聞きたいです。」
「ぼんやりとは知ってるけど、確かにちゃんとは知らないわね。」
イチフサとサクラが興味津々になっている。
「大変じゃったのう⋯⋯。」
シロがあの時のことを思い出したのか、遠い目をした。
「僕らも、シロがどんなことしていたのか知りたいな。」
「確かにね。」
おおよそは知ってるけど、詳しくは知らないから。
「まあ、まずはお主らが話すのが筋じゃろう。特に剣、お主はなぜ、そこまで山に執着するのじゃ。」
「僕の話か。わかった。」
そうだな。みんなには伝えておいたほうがいいだろう。僕は唇を舐めた。
———
僕はずっと普通の山好きな高校生だった。幼い頃、父に山へ連れて行かれて登山を始め、山岳部に入った。あの時は今のように異常なほど山を愛してはいなかったと思う。ただなんとなく登って景色を楽しんでいるだけだった。もちろん、何度も登っていくうちに、どんどん山のことを好きになっていたけど、まだ常人の範疇だった。
だが、転機が訪れる。それは、転機というにはあまりに辛いものだった。悲劇と言った方がいいかもしれない。それは1年間で50万件発生するありふれた出来事。でも、自分がその当事者になるなんて想像したこともなくて。
つまり、なんだ。僕は自動車にはねられた。飲酒運転だったらしい。幸い死にはしなかったけれど、後遺症は残った。四肢の機能の低下と、失明だった。四肢の方はリハビリをすればよくなるらしいけど、目の機能の回復は絶望的らしい。
僕は何も見えなくなった。学業、部活、今まで僕を構成していたものが全て意味をなさなくなった。よくお見舞いに来てくれたユウキに愚痴をこぼしてばかりだったように思う。
時々、自殺を考えた。これからみんなに迷惑をかけて生きていくしかない僕に、生きる意味はあるのかってどうしても考えてしまっていた。
「剣、山に行こう。」
ある朝、ユウキがいきなりそんなことを言い出した。
「いきなり、なんだよ。」
確かに事故に遭うまでの僕は、山に登るのが好きだった。でも目が見えなくなって、登るなんて無理な話だと諦めていた。
「大丈夫。きっと楽しいよ。」
「迷惑、かけたくない。」
今の僕は一人で山に登れない。絶対に誰かを頼ることになる。
「俺はお前を迷惑だなんて思ったことはないぞ。」
暖かな、力強い声がした。父の声だ。僕は見えない目を動かした。ユウキの横に、父さんがいる。
「でも。」
「俺はお前を信じている。大丈夫だ。行こう。」
父の言葉は僕の心の中に刺さった。幼い頃、連れられて見た景色と父の背中が記憶の中から鮮やかに戻って来た。
「うん。」
なんだか幼くなって、僕は頷いた。
父が車に乗せて連れて来たのは、何度も来たことのある賑やかな山だった。遠足だったり、家族旅行だったり、部活だったり。何度となく僕はこの山に登った。今は目に映らなくても、覚えている。その道のり、その景色。全て懐かしい。
僕はストックをついて登り始めた。ユウキと父さんが適切な指示を出してくれて、僕はなんとか登ることができた。頬を撫でる風や踏む落ち葉の感触、獣の鳴き声まで鋭敏に感じ取れた。僕の前には山がある。これまでもこれからも、ずっと変わらない姿でい続けるのだろう。
山頂の景色は素晴らしい。何度来ても感動を覚えた。だからこそ、この状態が悔しくてたまらない。僕の目が風景を映すことはもうないんだと、理解しても納得したくない。ユウキと父さんは、どんな風景か説明してくれるけど、自分で見たい。この僕の目で、この山の景色を見たい。でも、どれだけ焦がれても叶わなかった。
「どうだった?」
帰る車の中で、隣に座ったユウキが僕に尋ねた。
「何一つ見ることはできなくて、辛かった。」
「ごめん。」
「でも、ありがとう。楽しかった。」
未来が見えなくて、何もできないと思っていた。その感情は暗くて、怖かった。
だけど、こうなった僕でも山に登れた。成し遂げることができた。これで、終わりじゃないんだって、思えた。
明日、また来るねって約束して、ユウキは帰っていった。
父さんにもお礼を言って、僕はベッドで横になった。今夜はいい夢を見れるような気がした。




