表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界山行  作者: 石化
第一章:山。山? 山!

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/251

閑話「初対面そのに」

 生まれた時のことは覚えている。いや、その瞬間は覚えてはいないけれど、意識を持ってから初めに思ったことは鮮明に覚えている。

 寒い。ただ寒かった。雨が、天から降っていた。みぞれ混じりの雨。冷たい冬の雨。髪が垂れて視界を隠す。それがなくても糸のような雨が私の視界を隠していた。ただただ白く、何も見えない。

 そもそも私ってなんなのだろうか。耳の中に雨が振りこまぬように耳をふせ、そんな根本的なことを私は考え始めていた。それさえもわからない。ただ、この状況がまずいということはわかる。これ以上雨に打たれ濡れたままになっていたら、具合が悪くなるということはないと思うけれど、それでも、惨めであることは間違いない。でも、何をすればいいのだろう。そこに思考を伸ばすと私の試行は止まってしまう。自分というものが確立できない。

 名前⋯⋯ 。名前か。私の名前はイチフサ。うん。イチフサだ。他のことは何一つわからないけれど、それだけは闇の中に光る一条の光のようにはっきりとわかった。それだけで、自分でもおかしいと思うほどに嬉しくなった。何もわからない、何も拠り所がない自分に残された唯一の楔とでもいうべきものであったからかもしれない。




 私はそれからその場所で長い時を過ごした。なぜか知らないけれど、ここを離れてはならないという気がした。雨の日も晴れの日もあった。白くて柔らかな物体が降ってきたこともある。体に触れたそれはなぜだか理由もなしに消えてしまうように思えたけれど、そんなことはなくそのまま積もっていった。



 山頂の周りには緑のもの。仮に緑蒼と名付けたものが成長して大きくなっては茶色へと変色し、土へ帰っていくという動きを飽きもせずに繰り返していた。いつしか、その緑蒼の中からだいぶ大きくなるものが出てきて、それは土に還ることなくずっと周りを取り巻いては大きくなっていった。





 時々私はとてつもなく寂しくなることがある。一人でこの場所にいるのはひどく孤独だ。でも、別のところに行くような勇気は私には持てなかった。




 その日、私は何億回目かの雨に打たれていた。どれだけ回数を重ねてもあの最初の寒いという感じを拭うことができない。体の芯から凍えて行くような恐ろしさ。それでも私はただ自分の体を両手で握りしめて震えることしかできなかった。この日々がいつ終わるのか。私のできることはあるのか。私には何もわからなかった。答えのない闇の中、止むことのない雨の中を一生さまよっているような、そんな気持ちになっていた。




 自分に降りかかる水滴が消えたような感触がして、私は首をかしげた。未だ空はかき曇り、日のさす気配はない。でも、確かに雨が止んだように感じた。私はゆっくりと空を見上げた。私のいる場所はもともと高い。だから、上を見上げる必要性など感じたこともなかった。全ての事象は下界で進行して行くものであり、見下ろすことしかできないものであった。


 そんな私が初めて見上げた空。鈍い灰色に染まる一空。そこに何か、いや、だれかがいた。空へ手を掲げて、その頭上に白いドームを貼り、こちらを見下ろすその影は、この暗い雨空の下で、雲を透過したわずかばかりの光を集めて白く、ひたすらに白く輝いた。私は目を細めた。なんとなく、もう大丈夫だという確信がなんの脈絡もないくせに私の脳裏に浮かんだ。



 その人は、そのまま私のいる場所まで降りてきた。やっぱり何も警戒心など芽生えなくて、私は少し離れたところに降りたその人のところへ歩み寄った。

 その人が私にしたのは静かに私の頭を撫でること。よく見れば私よりも小さいその人に撫でられるのはなんだかむずがゆいものがあったけれど、不思議と条理に合わないことだとは思わなかった。むしろ正しくて適切なことだって。そう思った。


 どれほど撫でられていただろうか。その時間は甘美で体の芯から暖かくなってくるようなそんな不思議な時間だった。後ろの尾も水を吹き飛ばす勢いで動いていることをまるで別の生き物でもあるかのようにやっぱり不思議な気持ちで自覚していた。今まで私にこんな器官が付いているなんて気付かなかった。いや、気付かなかったというのは間違いかもしれない。意識しなかったというのが適切だろう。こんなコントロールを離れて動くことなんてなかったから。



「⋯⋯ なんだか、捨て犬でも拾ったような心地じゃ。まあ良い。お主、名前はなんという。」

 初めてその人が口を開いた。言葉というものは初めて聞いたけれど、不思議と理解できた。幼い顔に似合わぬ年を経た老人のような物言い。でもその中に、自分への心遣いを読み取って私は嬉しくなった。



「私はイチフサです。あなたは⋯⋯ ?」

「わしはシロじゃ。」

「シロ⋯⋯ 、シロさんですね。よろしくお願いします!」

 私はその名前を頭に刻み込むように勢い込んで返した。

 シロさんはちょっと戸惑っていたようだったが、程なく柔らかく笑って、こちらこそと頷いた。

 その戸惑いが気になって尋ねてみると、シロさんは苦笑して教えてくれた。


「ちょっと前にひどい目にあったことがあるんじゃ。初対面の神にいきなり襲い掛かられての。 」

「それは⋯⋯ 災難でしたね。そんなことする神がいるなんて⋯⋯ 神?」

 私は、その呼称に違和感を覚えました。

「まあ、なんでもいいのじゃが、わしらのようなものを総称する呼称として作られた言葉じゃ。」

「なるほど。すると、私も神の一員ということですか?」

「お主、自分がどのように発生したか覚えておるかの?」

「いえ、気づいたらここにいました。」

「普通の生物は姿が変わるものじゃ。そうじゃのう。例えば、この周りの木々。時が経つにつれて大きくなっていったじゃろう?」

「緑蒼です!」

「まあ、その名称はなんでもいいのじゃ。わしも又聞きしてそう呼んでおるにすぎぬからのう。」

 シロさんはすぐに譲ってくれました。なんというか、年上の余裕というやつでしょうか。かっこいいです。


「話を戻すわい。この緑のものは成長する。別の姿に変わりゆく。じゃが、わしらはこのままの姿で生まれ、成長をすることもない。⋯⋯ 正確にいうならば少しは変化が訪れることもあるようじゃ。わしも姿が変わったしのう。」


「というと⋯⋯ ?」

「今のわしはなんというか、真っ白じゃろう?」

「そうですね。あの落ちてきたふわふわした冷たいものとよく似た色です。」

「それは雪じゃのう。そんな風な色じゃ。じゃが、昔のわしは赤じゃった。全身赤で白色など影も形もなかったんじゃ。」

「赤、ですか?」

「赤と言われてもわからぬかのう。そうじゃな、日が沈む時があるじゃろ。その中で空が美しく壮麗で怪しい色に変わるのを見たことがあるはずじゃ。その中でもっとも鮮やかな色、周りではなかなか見ないような色のことを赤というんじゃ。」


 なんかたくさん知らない言葉が出てきましたよ。私がわからずに首をひねっていると、シロさんは呆れることなくさらに解説を行ってくれました。


「空というのはこの上に広がっている場所じゃ。わしらの上の領域をいう。そして日というのは、その空に浮かんでおる物体じゃ。今日は出ておらぬが、普通は照らしてくれておるじゃろ。それが暗くなると変色する。それが、赤という色じゃ。」

「なるほどあれですか。とすると、赤というのも綺麗な色なのですね。今のシロさんも綺麗ですけれど。」

「嬉しいのう。」

 シロさんは素直に微笑んでくれた。その顔を見て私も嬉しくなる。正直、空と日に関しては知らなかったわけではないけど、ちゃんと教えてもらえてよかった。⋯⋯ そういえば、私の知らない言葉と知っている言葉が入り乱れているのはどうしてなんだろうか。まあ、今はあんまり関係のないことだからいいか。

 私はそれきりそのことに関しての思考を打ち切った。


「というわけで、姿が変わることはあるが、年は取らぬ。それが神じゃ。」

「とし?」

「年というのは⋯⋯ 」


 というわけで、そのあともよくわからない言葉に注釈を入れつつシロさんは私が神であること。この下にある山を司っていること。安定したら、別に山を離れても問題ないこと。などの有益な情報を教えてくれました。何も知らないで途方に暮れていた私にとってそれがどんなに嬉しいことだったか。どこにも見つからなかった先が急に開けたのです。嬉しくて嬉しくて。お姉さまと呼びたくなりました。流石に自重しましたが。


 しかし、もう十分だと思ったのでしょう。シロさんはならそろそろいくわいなどと辞の言葉を述べて飛び立とうとしました。


「待ってください!」

 私が出せた、初めての、出しうる最大の音量で私はシロさんを呼び止めました。


「なんじゃ?」

 宙に浮かんだままシロさんは最初と同じように私を見下ろします。

 その瞳にあるのは私の言葉の先を探る純粋な好奇心。敵意や悪意がなくて安心します。


「あの、できれば、私を⋯⋯ 。」

 連れて行って。そう言おうとしていたはずなのになぜだか言葉が出てきません。こんな何も知らない私がついて行っていい訳がないのですから。私は下を向いて黙り込んでしまいました。

 どれほど時が過ぎたでしょうか。私が顔を上げるとすでにシロさんは全てをわかっているように許しを湛えて頷きました。


「そうじゃのう。わしはまた来る。その時、お主が十分成長しておったら、少しだけ一緒にいくのもよかろう。」

「本当ですか!」

 私は嬉しさと戸惑いでおかしくなりそうでした。本当に私はここを離れてもいいのか。考えたこともなかった選択肢を思いついて、でも取り下げようとして、その矢先にこれです。

「まあ、まだ何も定まったとはいえぬ時代じゃて。山が旅をする。そんなことをしてもよかろう。」


 そう言い残してシロさんは今度こそ向こうの山の端へ飛んで見えなくなりました。


「⋯⋯ 山? 神じゃなかったのでしょうか。」

 腑に落ちない部分があって首をひねります。⋯⋯ イヤイヤ、そうでした。教えてもらっていたのでした。私は山を司るもの。私を表現するとしたら山神が適当なのではないでしょうか。きっとそうです。


 私はイチフサ。山の神、イチフサです。これより幾星霜。巡り巡って異世界からの渡来人と共に世界を旅することになるとは思いもよらぬことでした。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ