市房10
滞在4日目。僕らは、意外と開いていて広いイチフサの家の前の山頂広場にて模擬戦を始めようとしていた。無論、僕とユウキの対決だ。この前峠で絡まれたのを思い浮かべてみるまでもなく、シロという絶対的な保護者がいてもなお、この世界で命を落とさぬ保証はどこにもない。ならば、できるだけ力をつけようというのも当然のことではないだろうか。
⋯⋯ 剣道の実力ばかりが伸びているような気もするけど、気のせいだろう。ユウキの深謀遠慮による策略などではないと思いたい。⋯⋯ そうだよね。信じてるからね、ユウキ。だから、そんな好戦的に舌なめずりしないでください。僕は君の将来が心配です。
「何してるんですか。」
呆れたようにこちらを見下ろしながらイチフサは一段高い建物の上に座っていた。いわゆる縁側らしきところだ。
「戦闘訓練だよ。イチフサもやるー?」
何言ってるんだユウキ。神様だぞ。基本スペックからして違うぞ多分。
「いえ、やりませんよ。しかし、あなたたちはそういう職業についておられるわけではないですよね。そしたら、そんなことする必要もないんじゃないですか?」
確かになー。僕たちの職業が何かって問われたら多分職業、遊び人って言わざるおえないだろうし。⋯⋯ 登山家を名乗るのはおこがましすぎる。あれはもっとこう、レベルの高い人がなれるものであって、僕には無理だ。
「やりたいからやるの。行動を起こすのはその程度の理由だけでじゅうぶんだよ。」
ユウキは、イチフサの方へ向き直して、まっすぐに言った。その瞳は綺麗で透明で、混じり気なしの真実を写していたことは想像に難くない。イチフサは打たれたように固まった。何か彼女の中で、違う価値観を作り出すようなそんな大きな一言だったと彼女はのちに語ってくれた。
言いたいことを言うだけ言ってユウキはこちらへ向き直った。
「それじゃあ、行くよ、剣。」
そう言ってユウキは竹でできた刀を振りかぶる。竹刀ほどうまくはまとまっていないそれは、それでも、殺傷力のあるシロの刀を使うよりもはるかに安全で、思いっきり力を確かめたい時は重宝する。
⋯⋯ しなりを考慮に入れないといけないのが玉に瑕か。本来の刀にはないはずのしなりが、竹という柔らかな材質のおかげで大きく作用する。今も胴を狙ったユウキの刀が受け止めた僕の刀の脇をさらに曲がって追撃している。必死に、受け止めた刀をスライドさせ、なんとか完全に防いだ。全くもって油断も隙もない。
楽しげに笑いながらユウキは必殺の一撃を雨のように浴びせてくる。防ぐことで精一杯だって、そんな泣き言を漏らしてしまいたくなるような隙のない攻撃だ。なんとかユウキの刀に僕の迎撃を合わせそらして、仕切り直す。
一旦、お互いの刀が届かない間合いへと、二人の間が離れた。ふう。少し気をぬく。
だが、それを見逃すようではユウキは天才と言われない。すぐさまに間合いを詰め、神速で僕の頭を狙って刀を振る。ダメだ、一瞬の油断が命取りになる世界だ。ここは。
幸い、元々の距離が離れていたため、なんとか受けることができた。そのまま互いに刀を胸の前に持って来て、押しくらべだ。さすがにここでは負けたくはない。男女の力の差だろうか。この鍔迫り合いとも言えぬような攻防は僕がユウキを少しづつ押し出すことで決着を見るかに思われた。
瞬間、ユウキの体が開く。己の体を、横へずらし、僕の力を宙へと放出させた。勢い崩れる僕の体。そこを綺麗に狙い撃たれた。綺麗に、面。頭、それも頭頂部あたりに一撃。防具をつけていないこともあり、かなり痛い一撃が、天辺から襲う。
「まだまだだね。このくらいの体重移動は常識だよ。お相撲さんだってよくやってるよ。」
腰に手を当てて、少し自慢げにユウキは胸を張った。⋯⋯ そこでお相撲さんですか。まあ、確かに一番印象的だけどさ。
「じゃあ、もう一本やろうか。」
「お、オッケー」
疲れを見せぬユウキに僕の声は少し震えていたと思う。
ユウキが、全てを出し切った後には、物言わぬしかばねであるところの僕が転がっていた。
「大丈夫かの。しかし、この基本スペックの差はひどいものがあるのう。」
気遣うようでからかうようなシロの声が、頭上から降ってくる。
いつもならば、すぐさま反論を試みたいところだったが、あいにく僕にそんな元気は一的たりとも残されちゃいない。全てユウキに搾り取られ、今の僕はレモンの絞りカスみたいなもの。
「お疲れ様です。⋯⋯ さすがに同情しますよ。」
あまり僕に好感情を持っていないはずのイチフサがこんな優しい言葉をかけてくれるくらいには僕はボロボロだったのだ。
「もうしょうがないなあ剣は。」
ユウキの言葉が天から降ってくる。
僕の頭は抱え起こされた。そして、何か柔らかいものの上に。目の前には普段よりもはるかに近いユウキの少し汗に濡れて、凛々しくも可憐な顔。その顔に慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、ユウキの手が僕の頭を撫ぜる。⋯⋯ これはなんでしょう。特にこの頭の下に残る柔らかな感触は。
⋯⋯ うん。わかってる。膝だね。膝枕だね。めちゃくちゃ嬉しいけれど、どこか照れくさくもある。見れば。ユウキも、ちょっと照れくさそうな顔をしている。でも、撫でてくれていて、頂を吹き過ぎる風が気持ちよくて、僕は、今、最高に幸せだって感じていた。
ーーー
二人のいないイチフサの家のある部屋。そこでイチフサとシロは向かい合っていた。話があると言って、イチフサがシロを連れて来たのだ。
「あの、シロさん。確か、明日にはここを出発するんでしたよね。」
イチフサは不安げにそうシロへと尋ねた。
「そのつもりじゃ。わしらも、さすがに長く滞在しすぎたわい。これ以上いて、お主の迷惑となるのも嫌だしのう。」
シロは静かな眼差しだった。別れの時は来る。それは必然で、悲しくて、でも、それがあるからこそ再会の喜びもまた大きなものになる。長年の経験で、シロはそのことをよくわかっていた。
「迷惑だなんて。⋯⋯ でも、そうですね。私にはシロさんたちを引き止める権利なんてありません。」
イチフサの言葉は憂いを帯びていた。
「また、じきに会うことにはなると思うがのう。」
ちょっと気まずくなったのか、シロはイチフサから顔をそらした。
「でも、私は、変わりました。さっきのユウキさんの言葉で。」
イチフサは、決意を伝える。先輩へと。師匠へと。己が胸に抱いたものを確認し、再構成するがごとく彼女は、そこで息を切った。
山神は、皆、主神たるヤーンから、おのれの土地から動かず、世界を傍観することを求められる。これまで会った神、例えばホウミツは、それを破って、しばしば外出しているが、イチフサは基本的に真面目である。
ヤーンの言葉をよく守り、外へ出かけたことなど、シロに連れられていった数回しかないほどであった。まるで深窓の令嬢、箱入り娘のごとく、イチフサは外の世界を知らない。だが、それも今日までの話。イチフサは、その決意を舌の上に乗せ、尊敬する人へと届ける。
「山神としての使命よりも、私は、私のやりたいこと、行きたい道を選びます。私は、シロさんと、あの二人と一緒に旅に出たい。あの二人は、寂しかった私に温かな交流を運んでくれました。あの二人の力に、私を変えたユウキさんの力になりたいんです。」
決意を眦に宿して、イチフサの言葉は重かった。それを嫌する権利が自らも山を離れているシロにあるはずもなく。
「わかったわい。好きなようにせい。まあ、ヤーンならば許してくれるじゃろう。」
諦めたようにそう、希望的観測を述べて、自らを慕うイチフサの頭を撫でた。
尻尾を振り、耳をピクピクさせて喜びをあらわにするイチフサ。異世界からの客人たちのあずかり知らぬところで一人の山神が、旅を、世界を見て回ることになった瞬間であった。
サ「なぜか私の章の話数が少ないって聞いたんだけど。」
石「はい。」
サ「原因は?」
石「一話の文字数が多すぎることです。」
サ「わかってるのね。なら分割しなさいよ。ストックないんでしょ?」
石「でも、君の登場は一気にやっておきたいなって。その方が印象的だろうし。」
サ「⋯⋯ 悩ましいわね。」
石「どっちがいいんだろう。」
サ「教えて!偉い人。」
石「誰だよ!」




