無くし物と宝物
ゲートが開き、僕らはもう一度、ドールの館に招待された。
昨日の扱いが悪かったとは言わないけれど、今回は下にも置かぬ歓待という言葉がまさに似合うような扱いだ。
危機が静まったのが周知されたからだろう。使用人たちも落ち着きを取り戻していて、優秀さを感じさせた。
すでに、ドールは昼の姿を取り戻していて、あの美少女形態には会えなかった。⋯⋯ おそらく、世に闇の満ちたときみたいな変身条件があるのだろう。それってつまり、冥界ならドールはいつでも少女形態ってことなのか。それはいいな。
この思考は幸いドールに拾われなかったようで、彼女の機嫌が悪くなることはなかった。よかった。ドールはドールなのに、姿の違いだけで扱いを変えるのはどう考えても失礼にあたるからな。
動き回ることのできる自由な環境が用意されたので、僕らはこれ幸いと探検して回った。昨日はそんな余裕はなかったけれど、今回はすれ違う人たちが皆、好意的な反応をしてくれるので、歩き回るだけで気分が上向いてくる。
大きな柱の立ち並ぶ広い廊下が曲がりくねって続いていて、現在位置を把握するのに苦労した。
困った顔をしたオソレが廊下に佇んでいた。どうしたんだろうか。神様が困るなんてよっぽどだと思うけれど。
「どうしたの、オソレ? 」
恒常的に彼女が発する恐ろしさも忘れて、問いかける。それほど、今の彼女は寄る辺なかった。
「昔、ドール様にもらった指輪をなくしてしまったのです。」
こちらを認めたオソレは言うべきか少し迷って、でも思い切ったように、そう言った。
「私には業務があって、探すことも叶いません。」
「なんで? 探せばいいじゃない。」
サクラは不思議そうに尋ねた。
「本当に私的なものなんです。ただ、私が最初にドール様からもらったというだけで。重要でもなんでもない。そんなちっぽけな指輪です。」
泣きそうな表情で、オソレはだから私は探せませんと続けた。
「もう仕事に戻らないと。」
一礼して、オソレは向こうへ歩き出す。瞳に滲む水がキラリと光った。
「僕らが探すよ。」
それが見ていられなくて、僕は彼女を呼び止めた。
「申し訳ないです。」
それでも彼女は固辞しようとする。
「暇じゃからのう。そのくらいやって問題ないわい。」
「そうだよ。オソレにとって大事なものなんでしょ? なら、見つけないと。」
シロとユウキは、そんな彼女の遠慮を切って捨てた。
「大事です。なくしたくないです。このまま失ったままなんて嫌です。」
オソレの叫びは迸った。
「なら、僕らが見つけてみせる。」
彼女の畏れを振り切って、正面から、僕は敢然と請け負った。
「ありがとう、ございます。」
返事は嗚咽交じりで、でも、彼女は、その人形のような顔を崩して確かに笑顔を見せた。
彼女から詳しい形状を聞いて、僕らは捜索を開始した。銀のリングに黒く光る宝石の乗る装飾のない指輪。どこでなくしたかに関しては心当たりがないようで、屋敷のどこかにあるのは確実とだけ言っていた。
執務補佐に向かうオソレを見送って、僕らは捜索を開始した。
五人別れて捜索する。可能性があるのはこの館の全域だ。まずは捜索範囲を広げる必要がある。
最初にドールに会った大広間がわかりやすいということで、集合場所に設定し、僕らの指輪捜索はスタートした。
久しぶりの一人行動だ。この世界に来てからは、最初の山歩き以来だろうか。⋯⋯ 流石にそんなことはないはずだけど。
となるとぼっちを名乗るわけにはいかないな。⋯⋯ いや、でも比企谷くんだって今やあんなに人間関係豊富なのにぼっちを自称しているから、ぼっちの定義は広いはず。
ドールの館は中国風。⋯⋯ 何方かと言えばというだけで、中国そのままかといえばそんなことはないけれど。装飾やらなんやらかんやらがどことなく中華を思い出させるだけだ。
トーンは冥界の玄関口らしく黒を主軸にしたもの。黒い柱。黒い床。流石に黒の種類は違っているけれど、単調な印象は免れない。
ところどころに赤の彩色がなされて鮮血のようだ。⋯⋯ 人の趣味はいろいろだから。あんまり気にしないようにしよう。
建物が何重にも取り巻いて、特異な建て方をされているこの館は風が通らない。気ぜわしげに動き回るドールの配下たちが空気をかき乱すのみだ。
この前の夜、ドールに会った場所のように、ところどころに中庭が配置され、新鮮な山上の空気を上空から届けている。
謎の香りがする。
香が薫きしめられている区画にでも迷い込んだのだろうか。焼香の匂い。線香の匂い。色々な匂いが入れ混じる。人によっては気が滅入る匂いかもしれないが、僕は、結構こんな香りが好きだ。気分が落ち着く。
あてどなく歩き回っているうちに、区画の様子が変化して来た。柱の大きさが小さくなり、高さも常識的な範囲に収まって、見上げる必要もなくなる。
いい匂いがして来た。甘やかな匂いである。
どん詰まりに意味ありげな石扉があった。なんだか館の中でも系統違いに属するような、不思議な扉だ。
興味を惹かれて僕はそれを開く。
⋯⋯ 探検しているだけじゃないから! ちゃんと廊下を見ながら歩いてるから! ちゃんと探してます。
扉の向こうは蒸気の世界だった。ムワッっとした熱気が部屋を埋め尽くしている。
冥界の神の館にこんな場所があるとは。僕は、興味津々で入っていった。⋯⋯ もしかしたら、ここにある可能性もあるかもしれないからな。
石がむき出しで配置されている。
ちゃぽんと水音がした。
⋯⋯風呂? ⋯⋯風呂。察してしかるべきだったか。いや、でもここが女湯なんてお約束はないはずだ。配下の人たちには男の人もいた。ならば男湯だという可能性も十分にある。でも、最悪の場合を考慮して、逃げた方が良いだろう。
僕は踵を返そうとした。
視界の端に黒い輝きが映った。
オソレの言葉が頭をよぎる。黒い宝石の乗った指輪。
湯煙の向こうに煌めくのは確かにその指輪の輝きだ。
僕は唾を飲み込んだ。緊張を抑える。大丈夫。ここが女湯という可能性は薄い。オソレの指輪を回収できるのは、僕だけだ。
こっそりこっそり慎重に。忍び足で僕はいく。
あと5m。3m。1m。
「⋯⋯何やってるの、こんなところで。」
底冷えのする恐ろしい声がした。
ギギギと油の切れたロボットのようなぎこちなさで僕はそちらを振り向いた。
ドールの裸体が、湯煙を透けてはっきりと見えた。
西洋人形のような均整のとれた肢体だ。濡羽色の髪が体にまとわりついて妖しい魅力を醸し出している。
白の肌。黒の髪。煙る白。構成をするのは二色だけなのにどうしようもないくらいその姿は美しかった。
「わしは、怒っているの。いつまでジロジロ見てるのよ。」
ドールは頬を膨らませて威圧した。可愛らしい美少女の容貌に神の威圧が乗る。昼の間は、その姿になれなかったのではないかというような疑問のことはどうでもよくて、僕は慌てて目をそらしてごめんと謝った。
「⋯⋯ 読み取ったわ。全くあの子も、そんなに気にしなくてもいいのに。」
僕の思考を理解して、僕の目的も理解して、ドールは嬉しいという感情を隠せていなかった。弾む語尾は、その証。オソレの気持ちが、彼女の心を動かしたのだろう。それこそ、オソレが純粋に彼女を慕ってくれている証なのだから。
「早く離れなさい。指輪は私が渡しておくから。」
一番最初の誰何の声の調子からは考えられないような優しさで、ドールは僕を無罪放免とした。
此れ幸いと僕は、さっとその場を離れた。ひとまず良かった。オソレの宝物は、ちゃんと見つかった。一件落着だ。⋯⋯ 無罪放免だから、僕にも得しかなかったし。眼福でした。ありがとうございました。
よし。仲間たちの所在を訪ねよう。どこにいるのかはよくわからないから、当てずっぽうということになるけれど。
⋯⋯むしろドールについていったほうがいいのかな。オソレの手に指輪が戻るのを側で見てみたいという気持ちはある。
でも、さっきの事故の後だし、気まずくないと言えば嘘になる。
うん。仲間達を見つけに行こう。
僕は、やっぱりその場を離れることにした。
お前いっつも裸見てるな




