市房7
頂上。それは神のおわすところ。元の世界ではそう考えられていたし、信仰の盛んな地域では頂上に奥殿と称して社を立てることもあった。こちらの世界でも紛うかたなくその通り。神は実在するし、だいたいは頂上に住んでいる。とはいえ、社を持たぬ者も多い。特に火山系列の神様はいかに信仰を集めていたとしても立てるのは不可能なのだ。まあ、しょうがないよな。立てたところで丸焦げになるのがオチだし。
「イチフサー、おるかー。 」
シロが社の前で大きく呼ぶ。社の姿は小さくまとまりつつも確固とした存在感を放っていた。四方にしっかりとした材を配し、神の品格が偲べるような抑え気味の装飾がなされている。それでいて、要所要所の作りは手を抜かず、どっしりとした風格も形成している。
しばらく待つと、いや、待つまでもなくすぐさま、答える声がして社の中から一人の影が小走りで、嬉しそうに駆けてきた。
「お久しぶりです! シロさん。」
彼女は元気に言った。
「ああ、久しぶりじゃのう、イチフサ。元気じゃったか? 」
「はい、もちろんです。ところで、こちらのお二方は? 」
イチフサの視線が僕らに向く。
「こやつらは剣とユウキじゃ。故あって今わしが守護しておる二人じゃ。」
「そうでしたか。よろしくお願いします。」
イチフサはそう言って頭を下げた。僕らも慌てて挨拶を返す。礼儀正しい人だな。イチフサがこちらを向いたことでようやく彼女を正面から見ることができた。
神特有の整った容姿。どちらかといえば神女っぽい白の上衣に緋袴。奈良時代の系統が入った衣装だ。身長はシロよりも少し高いくらいか。肩口まで伸ばしているユウキ以外では久しぶりに見た黒髪。そして、ひときわ目をを引くのは頭から飛び出た白い犬の耳。獣耳っ子だ。
ファンタジーにはつきものだが、それにしても不思議な光景だ。髪に隠された人の耳のある部分はどうなっているんだろう。昔読んだある作品で耳が4つある描写がなされているのがあってここまで踏み込むのかと感心したことが思い出される。
「私の耳はこれだけですよ。」
イチフサは自分の耳を無意識に触りながら首をかしげた。
やっぱり神様はみんな心の中読めるんだな。強い。
「シロさん。積もる話もありますし、どうぞ社の中へ。」
僕らから視線を外してイチフサはそう言った。犬耳がピクッと動く。うーん、なんだかなあ。無視されてるわけじゃないけど、シロ第一という姿勢がうかがえる。シロの後輩的な立ち位置なのだろうか。
僕らは社の中に通された。シロのところと違って、ちゃんと地上部分に畳を持った部屋がある。障子ふすまといった日本家屋の特徴を色濃く備えた部屋だ。僕らが正座をして待っていると、白犬がお茶を背に乗せ入ってきた。なんというバランス感覚だろうか。僕は密かに驚嘆した。
「ありがとう房。」
イチフサが礼を言って受け取り、畳に置いた。さすがに犬のみでは床に置くことはできないか。確かに重力魔法でも使いこなさないと難しいだろうな。
「どうぞ、粗茶ですが。」
イチフサはそう言ってシロに勧める。 まあ、シロが主で僕らが従でも全然気にしないけどね。傷ついてなんていないんだから。
「剣、お主拗ね方がめんどくさいの。自覚した方が良いぞ。」
「確かに、それは私も思ってたよ。剣ってめんどくさいよね。」
「おっ、おう。そうか、いや、そうでしたか。気をつけます。」
「心こもってなさそうだね、シロ、どうなのこれ? 」
「何も考えておらんの。適当に言っておるだけじゃ。」
「やっぱり。もう、剣はそういうところがダメなんだよ。」
ユウキは小さく頬を膨らませる。
「そんなこと言われても⋯⋯ 。なぜかツンデレっぽい口調になるのは、それはもう癖というよりないし。でも、本気で嫌なら頑張ってやめるよ。」
僕がそういうとユウキは慌てて遮った。
「そっ、そんなことないよ、面白いなーって思ってるよ! 」
「必死か! 」
僕は突っ込む。
「まあ、確かに、面白いことは確かじゃのう。じゃがのう、わしらが剣のそばに長くおりすぎたせいでただ慣れただけかもしれんぞ。どうじゃ、イチフサ、剣の先ほどの思考、どう思った? 」
シロはイチフサに水を向けた。イチフサは僕らのやり取りに疎外感を覚えていたようだったが、ようやく自分にも話す機会が巡ってきて嬉しそうだった。
「そうですね。私としては剣さんは死ねばいいのにと思いましたね。」
「思ってた以上に低評価! 」
「あなたの世界でツンデレというのは、照れ隠しに本心と逆のことをを言ってるだけってやつですよね。それを知っていながら使うなんて、私の対応に文句をつけているのと変わらないです。」
イチフサは冷たく言い放った。確かにその通りだな、うん。
「すみませんでした。」
誠心誠意謝った。全面的に俺が悪い。
「まあ、良いですよ、これくらい。」
イチフサは難しい顔を和らげた。
「まあ、そうだよな。いうて、僕頭の中で考えてただけだし。」
「許されたと思ったらそれを笠にきますか。」
イチフサははあとため息をついた。
「ごめん、うちの剣が。」
ユウキもため息を吐きながら謝る。
「情けないのう、剣は。」
シロの言葉も辛辣だ。
「思い人に謝らせるとは、男の風上にもおけんわい。」
容赦ない追撃が僕の心を抉ってくる。
「ユウキ、シロ、ちょっと性格変わってない? かなり黒くなってない? 」
僕は震える声で言う。
「そんなわけないじゃん。」
ユウキとシロは顔を見合わせてねーと笑い合う。怖い。僕の良く知る二人が別のものに変貌したかのようだ。これはどう考えてもイチフサのせいだな。こいつめ。目力を込めてイチフサを睨む。
「シロさん、なんかあの人逆恨みしてくるんですけど⋯⋯ 。」
イチフサは正面から移動してシロとユウキの間に隠れた。これで僕らの並びがわかったなやっと。イチフサを正面にシロ、左に僕、右にユウキだった。まあ、過去形がつくわけだけど。
「まあ、それはともかくじゃ。」
シロが話の流れを切ってくれた。ありがとう、シロ。助かった。
「その思考もわかってますけど⋯⋯ 、まあ、あなた相手にいちいち目くじら立てていてもしょうがないですね。」
イチフサは諦めたように息を吐く。
「それで、シロさん、なんですか? 」
「今日、わしらをここに泊めてはくれんか? 久しぶりにお主とも語らいたいしのう。同じ家で寝起きするのも飽きてきたことじゃったし。」
「それはいいね! 私もちょっと家事に疲れてきてたし。」
ユウキも賛成。というか、ユウキにすべての家事負担のしわ寄せ言ってる。僕もシロも壊滅的に料理できないけど、他の家事は今以上にユウキの負担を減らすために頑張ろう。
「意外と偉いんですね。」
イチフサは驚いたような表情だった。これで評価が上がったな! じゃなくて、僕がしっかりしてないからこんなにユウキが疲れてるんだ。当然、僕が悪い。イチフサの評価よりユウキの負担軽減だ。
そのあとも僕らは色々な話をした。イチフサは僕らがここにくるまっでの冒険を面白そうに聞いてくれた。僕とユウキもシロの恥ずかしげな顔を肴にイチフサのシロとの出会いの話を楽しんだ。なんでも、まだ生まれたばかりだったイチフサにシロが山神としての色々な心構えを教えてくれたそうだ。
「あの時から、私にはシロさんに返しきれないほどの恩があるんです。」
イチフサは幸せそうな表情で言った。⋯⋯ だいぶシロ、美化されてるなー。
「正当な評価じゃろ。」
「そうですよ。シロさんは素晴らしい方です。」
シロはいつも通りだがそこにイチフサも加わるとかなり面倒くさい。それにユウキが会話に入れてないし。
「確かにそれはダメですね。私のせいでしょうか。すみません。」
素直にイチフサは頭を下げる。まあ、いい子ではあるんだよな。シロに一途すぎるだけで。
「まあ、私としては、剣が頭の中だけで言わないようにすれば、解決すると思うから、どちらかといえば剣が悪い気がするけどね。」
ユウキはとりなすように言った。
「そうですよね! やっぱり全て剣さんが悪いですよね! 」
「⋯⋯ いや、全部悪いはさすがに言い過ぎだと思うけど。」
イチフサの勢いに引き気味のユウキだった。
話は弾みに弾み、気づけば日が落ちる時刻となった。
「もう、こんな時間ですか。時が経つのは早いですね。」
我に返って驚いたようにイチフサは言った。僕らも同感だ。楽しすぎて時が経つのも忘れてしまっていた。開いた縁側から山々の間に落ちる壮麗な夕日が僕らを照らす。
「そういえば、お二人は食事というものが必要なのですよね? 」
イチフサが首をかしげながら言う。
「当然だろ。」
僕は答えを言う。
「やはりそうですか。どうしましょう。私たちは食事の必要がないので、料理などは用意できていないんです。」
非常に申し訳なさそうな表情でイチフサは告げる。
「⋯⋯ と、なると、今日も私が作らないといけないの⋯⋯ 。」
ユウキが絶望の表情になってしまった。外食の約束を撤回された奥さんみたいだ。
さすがに気が咎めたのか、イチフサは自分で作りますといったのだが、シロに止められた。
「お主の実力はわしと同じくらいなことはこのわしがよくわかっておる。客人を傷つけるような行為はやめたほうが良いわい。」
そうだな。シロに色々教わったんなら料理については知らないと考えたほうが良さそうだ。目も当てられない結果になりそう。
結局ユウキが作ることになった。涙目を浮かべるユウキのために何ができるだろう。必死に考えるも何も浮かんでこない。調理場に立つと邪魔するなって言われるしな。僕は足を引っ張るだけですかそうですか。とりあえず僕らが日頃から勇気に頼りきっていることが浮き彫りになるばかりだ。
「ごめん、ユウキ、それと、いつもありがとう。」
調理場へ向かうユウキに深々と頭を下げる。
「私がそんな言葉だけで嬉しくなると思ったら大間違いなんだからね! あと、剣ももっと修行して私に並び立てるくらいの料理人になってね。」
ユウキはそうちょっと拗ねたように言って、立ち去った。その足取りが心なしか軽くなったのを見て僕も嬉しくなった。しかし、まあ、あれだ。お手伝い程度じゃダメなんだな。
⋯⋯ よく考えたら、歩く距離は同じなのにユウキにばかり料理させてるぞ。はっ、これが噂の女性差別?! ナチュラルにユウキに家事を任せる習慣ができていたことを考えてみると、社会的に作られた女は家庭、男は仕事の価値観がこの僕の中にも色濃く巣食っていたのか。怖いな、バイアスって。僕は根強く残る女性蔑視の意識に戦慄した。
僕が調理場に立ち入れるのは食事が終わった後しかない。ユウキが片付けをする前に頼んで練習させてもらおう。かたづけ変わるからさ。いいだろ、なあ。
「なんかあの人何もないところに向かって語りかけてますよ。気持ち悪いですね、シロさん。」
「いや、あやつもあやつなりに頑張ろうという決意じゃろう。」
目を泳がせながらシロは言う。まあ、シロもユウキに悪いとは思ってるだろうし、ここで僕の決意を笑えば自分にとばっちりが行くってことはわかってるだろうからな。シロは料理できない。これは厳然たる事実だ
「シロさんの悪口は許しません! 」
「いや、いいのじゃ、イチフサ。」
今日はいつになくシロが大人だ。イチフサにいい格好をしたいのだろう。
「そこ、勝手に納得するんじゃないわい! 」
さすがにつっこみが飛んできた。




