槍の穂先
剣がこういうやつだからこそ、この物語は動いて行くんだと思います。
疲れているはずなのに、目が冴える。すぐ近くでサクラの寝息が聞こえてドキドキするというのも確かにある。彼女も絶世の美少女だし、男として気になるのは仕方ない。距離も随分縮まったから、最初の気後れというやつもないし。⋯⋯ まあ、さっきユウキに注意されたからそんなことはしないけれど。
いや、それも原因であるのは間違いなんだけど、それよりも何よりも、僕の頭にあるのは、ヤリの山の頂上のことだ。このまま登らないで行くのはあまりに切ない。このまま朝になったら、ヤリは僕らを案内するのを再開するだろう。そしたら、頂上に登るのを許してくれるとは思えない。ヤリは口調こそ丁寧だけど、大事なところは曲げない強さを持つ人だ。うん。やっぱりどう考えても今行くしかないな。危険度に関していうとかなり高いが、それがまた、逆に燃える場所だ。
僕はサクラに気づかれないように注意して、テントの外に出た。夜風が身にしみる。夕方とは比べ物にもならないくらいの低気温だ。一瞬でテントの中に戻りたくなる。
月光が岩に降り注いで、青く反射光が槍の峰を浮かび上がらせている。それはとても幻想的で、僕の心を一瞬で奪っていった。
先ほどまでは厳しいとしか感じられなかった寒さも今ではこの光景を彩る一つのスパイスにすぎなくなっているように思えた。轟々と風は吹いて、耳を聾している。だが、それを上回る深い静けさがこの山全体を包んでいた。
さあ、落ちたら終わりの岩登りを始めよう。久しぶりに命を張った冒険になりそうだ。
星明かりと月明かりがあるとはいえ、岩の影は随分暗い。どこに足がかりがあるのかを判別することさえ難しくて、何度か足を踏み外しかけた。仕方なく僕は月光を背にして登れる方向へ回って行く。まだ本格的に取り付いてもいないのに、すでに岩がたっぷりで移動することさえ一苦労だ。なんとか半分回って、青く照らされた部分に到着した。見上げる。相変わらずすごい岩の塊だ。ほんとこんなものがこんな山の上に乗っているという事実だけで驚嘆に値するだろう。
傾きはひどいことになっているが、近づいて見ると、思っていた以上にヒビやら出っ張りやらがあって、気を抜かなければなんとかなりそうだった。気合を入れるべく頰を両手で叩いた。よし、行こう。
今回は神様のサポートがない。僕の技術だけが頼りだ。慎重に行こう。思っていたよりも冷たい岩に並行しながら、僕は、岩壁を登って行く。動かす手足は常に一本。落ちたら全てが終わるんだ。いくら慎重を期しても足りない。
途中に岩棚のようなところを見つけて小休止をとった。暗くてよくわからないが、おそらく下から三分の一ほどだろう。結構登ってきたと思うが、岩登りにそれ相応に時間を食った。まあ、妥当なところだろう。問題は、これがまさしく岩棚にすぎないこと。ここからもまだ情け容赦ない岩壁が続く。あんまり休憩していると、風が体温を奪ってしまう。ちくしょう。やってやるよ。僕は引くに引けなくなって、槍の上部を睨んだ。再出発だ。
それからも厳しい岩壁との戦いは続いた。なんとか頂上によじ登った僕だったが、それまでにかかった時間のことは正直考えたくなかった。
頂上は、想像していたよりはるかに広かった。畳10畳くらいはありそうな広々とした岩で覆われていて、安定している。とりあえず腰を落ち着けた。とにかく今は疲労を取り除きたかった。座り込むと、星の位置が移動した。この山がここら辺で一番高い。下からでは、山に遮られていたが、ここからならば、全天の星を眺めることができる。キラキラときらめいて、小さな宝石のようだなんて、陳腐なことを言ったら笑われるだろうか。星空は、ただ広々としていて、底抜けに吸い込まれてしまいそうで、ひたすらに美しかった。
目線を下に移すと、黒い稜線が目に入る。空と地の境界は同じ黒色で、でも確かにどうしようもなく分かたれていた。国生み神話が頭をよぎる。それほどにその光景は雄大で荘厳であった。
この天を指す絶頂にたった一人で、周りの絶景を独り占めだ。登ってきた時の苦労のぶんだけ、この喜びと興奮は極上のものになると断言できる。人が山に登る理由はたくさんある。でも、その中でも、多くの人を魅了してやまないのがこの頂上からの景色なのは間違いないだろうと思うのだ。鬱屈たる登山路を抜けて、視界が一気に開ける尾根道の喜び、それを何百倍か濃縮したものがここにある。
⋯⋯ ただ、ここが無人な訳ではない。いや、視界には入っていたけれど、あえて無視をしていたとでも言ったほうがいいだろうか。
ヤリだ。彼女は、頂上の真ん中に陣取って正座をして目をつぶっていた。背筋がピンと伸びていて、美しい。僕が動いても気づかないっていうことは眠っているのだと思うけれど、そんな姿勢で眠る奴がいるかというのは全力で突っ込みたいところだ。
恐る恐る、近づいてみる。一歩、二歩。
数歩近づいたところで、彼女はそっと目を開けた。




