市房5
高度を稼ぐ。どんどん両側の景色が下へ落ちていく。さっきは同じくらいの高さに見えた峠の向こうの峰も、もはや低い。それとともに木々も低くなっていく。それにより吹き荒れる風。僕らを吹き飛ばそうと右から左から乱舞する。さらに険しくなる尾根道。どんどん両側が狭まってくる。最初は並んで歩けたはずなのに、もう一列縦隊、単縦陣、ドラクエパーティーの行進でしか通れなくなってきた。
振り返っておしゃべりをするような余裕はない。むしろ顔を上げて景色を楽しむ余裕もない。浮いてるシロは余裕かましてるけど。
ひたすら足元を見ながら進む。足を踏み外したら千尋の谷へ真っ逆さまだ。命はない。
さらに追い討ちをかけるように尾根道が岩に置き換わった。下から見たとき鎌の歯のように見えた部分に到着したのだろう。要所要所が巨岩で塞がっている。現代日本の登山路のように鎖が繋がっていたならばまだしもなんだろうが、当然ロープも鎖もない。
岩壁というほどでもないし、オーバーハング(垂直以上に岩壁が傾いていること)もしていないけど張り付いて越えていくたび、僕の冷や汗は増加していくばかりだ。一歩でもかける足や手を間違えたら終わる。その緊張感は消耗を強いる。
僕は慣れているといえば慣れているのでまだなんとかなってるけど、ユウキはかなり体力を削られている。辛そうだ。歯と歯の間に少し広い場所を見つけたので休息をとることにした。
「じゃあ、休もう。」
僕の言葉にユウキはホッとしたように息を吐いて腰を下ろした。
「ユウキ、大丈夫? なんとかなりそう? 」
僕は心配半分に声をかける。
「正直、きついよ。なんで剣が嬉々として登っていけるかわからない。」
ユウキには疲労がにじんでいた。
「その点シロはいいよね。苦労してなさそうだし。」
ユウキの声は少しトゲトゲしさをはらんでいた。まあ、僕もちょっとシロが羨ましかったからな。そんなに登山に慣れていないユウキくらい大変だったその思いは如何程か。
「わしじゃって、お主らが落ちたらすぐに回収する用意をして浮かんでいるだけでかなり疲れたわい。お主らだけが苦労していると思わぬことじゃ。ワシはお主らの命を守護しておるんじゃからのう。」
意外とシロが偉大だったことが判明した。シロのバックアップがあるなら落ちてもなんとかなりそうだと気が楽になるな。
その安心もあったのだろう。少し間食をとった僕とユウキは俄然元気になった。いろいろと現金である。そのあとも厳しい道のりは続いた。不意に現れる大岩。
尾根の上に乗っているのが不思議なほどのそれは乗り越えようとする僕たちを不意にぐらりと揺れることで落下への恐怖を植え付けた。あんまり怖かったものだから、シロにその岩の土台を凍りつかせて安定感を増してもらった。⋯⋯ よく考えたら、シロにどけて貰えば良かった気もする。
「それは嫌じゃ。他の山神の領分を侵してしまうからの。」
「わっ、わかったよ、シロ。だから今話しかけないでくれ。」
岩の中頃に取り付いた僕は懇願した。
「そこにいながらにして、全く関係ないことを思考しておるからじゃろうが! わしの言葉以前の問題じゃ。」
すみませんでした。真摯に向き合うんで許してください。無駄に丈夫の凹凸を減らして登りづらくしてきた岩に向かって懇願する。
「ユウキ、あやつ無生物に向かって頼み込んでおるぞ。笑えるのう。」
「わ、笑っちゃだめだよ、シロ。剣だって、きっと真剣に⋯⋯ 。あっ、ごめん、堪えきれない。」
ユウキも笑い出す。真剣な表情で石を見つめる僕がツボにはまったらしい。くっそー。こいつら、許さないぞ。あとで思いっきり笑ってやる。
やっと岩を登りきった僕は「ユウキ、いいよー。」と声を飛ばした。ユウキは僕がやったのと同じように凹凸を掴みながら登ってくる。シロは安全のために下で待機。落ちてもシロがいる。その安心が僕らを大胆にする。そして注意散漫にもする。
ユウキが足を踏み外した。なんとか手に持つ突起につかまり落ちてはいないが、その一点に全ての力が集中する。腕は長く持たない。シロは素早く対応した。飛び上がり、ユウキを捕まえ空中浮遊。上下に動きはしないが安定した支えになる。それで、一息をついたユウキは、もう一度両手両足を引っ掛ける。
「ありがと、シロ。もういけるよ。」
「気をつけるんじゃぞ。わしがおるとて、油断はするな、じゃ。」
シロの言葉にユウキは頷き、慎重に手足を伸ばして上に進む。危なかった。僕は大きく息を吐く。よかった。シロがいて。笑い返してやろうと思っていた気持ちはどこかへ消え、代わりに安堵だけが残った。
ユウキが岩を登り終え、一息ついた時、僕はもう一度息を吐いた。まったく、最後まで気が抜けないな。
久しぶりに周囲を睥睨する。岩の上からは木々の頭を越え、雄大な風景、360度の大パノラマが広がる。進む方向、向かって右手には昨日泊まった小さな平野。そして、平野に着くまで僕らがその上をたどってきた山塊、その最後の一つが頭をもたげる。
あそこもなかなか楽しかった。信仰の結晶らしく頂上まで石畳が敷かれていて下るのがきつかったけど、それもいい思い出だ。信仰されているみたいだったのにもかかわらず、山神様はいなかったけど。シロが言うにはどこかに遊びに行ってるんだろうということだった。ほんと自由だな神様。この山にもシロ曰く神様いるらしいから、今度は行き違いにならないように祈ろう。
来た方の尾根を振り返ると、両側に切れながら岩々がアクセントを加え続け、さながら恐竜の骨の上のようだ。改めて見ると険しさがよくわかる。
さらに90度回転。そちらには茫々たる山々の連なりが存在している。いつまでたっても終わりの見えない山々の連鎖。うねる大海を思い起こさせる。どの山も裾野を広げ、尾根にて連結する。隙のない体勢だ。越えていくのは至難の技だろう。すごく楽しみだ。僕は期待と興奮で胸を高鳴らせ、舌を舐めた。
そして、進行方向。最後のひと登りとばかりに大きく、こちらにのしかかるようにそびえる主峰。今日のうちに絶対に頂を踏んでやる。僕は決意を固めた。
「剣ー、そろそろ行こうよー。」
しっかり間食をとったユウキが待ちきれなくなったみたいだ。僕も大急ぎで口に詰め込み、返事する。
「ふぁはった。」
「いや、さすがに焦るところじゃないよね今。」
「ごめん、動転してた。じゃあ、気を取り直して進もう。」
歩き出す僕を胡乱な目で見つめてくるユウキ。違うから。取り繕おうと思って行動したんじゃないから。ユウキの視線がさらに強まる。
すいません。取り繕おうとしてました。恥ずかしかったんです。ふっと視線が弱まり、ユウキは口元に少し笑みを浮かべた。なんかエスパーと化したユウキがいるけど気にしたら負けだな。頂上に向け、斜面の傾斜が増した。まあ、尾根を塞ぐように立ちふさがる岩がなくなったのは嬉しいんだけど。それでも、斜度は疲労感に密接に関係する。むしろ岩登りを交えた方が足が少し休める分、楽かもしれない。
ア「石に話しかける主人公がいるらしいよ。」
石「僕の存在は認知されているんだよ。」
サ「ってなんであなたがここに出てきてるのよ! さすがにこれ以上出てきたらみんな混乱するわよ!」
ア「仕方ないじゃないか。書き直しのせいで、僕の存在は不安定になってしまったんだ。安定を図ろうとしてもバチは当たらないだろう?」
石「多分、君は出ると思うけどなあ。」
ア「君の体力が持つかどうかだけが心配だね。書き直しは容易なことではないだろう?」
石「めっちゃいい子だ。」
サ「感動してないで、早く書きなさい。」
ジト目
石「はい」
逆らえない無生物
サ「全く、私がいなくなったらどうなるのかしらこの石は。心配だわ」




