市房2
ご飯を食べ終わった僕らは出発することにした。家を出て、シロが畳むのを見物する。一瞬にして家が消えた。シロのお腹に吸い込まれる。まるでシロが食べてしまったかのようである。そうなのかもしれない。可能性としては割と高いだろう。家を食料とする山。火砕流でも発生させて飲み込んでそうだな。
はい、では出発。街道であるかのように道が、昨日僕が引き込まれた山の方、その左側へ向けて伸びている。とりあえず峠まで行ってそこから稜線を登る。そうしようか。
一応道が引かれているわけで、いつもに比べると歩きやすいことこの上ない。不思議と両脇に民家は見えず、ただまっすぐな道が続いているばかり。道の両脇の緑もあらわな常緑樹は、日差しを遮り、熱い木陰を提供する。落葉樹ならもう少し木漏れ日が漏れてきそうなものであるのだが、常緑樹は、ひたすらに緑で、日光を下に一滴たりとも通すものかと頑張っている。
木々を風が吹き抜ける。音の聞こえない静かな空間に変化が生まれる。そよそよと涼しくていい気候だ。登っているうちに上がる体温をうまい具合に冷やしてくれる。
この頃、道中ではあまり会話をする機会がない。そんなことをしなくても、心は繋がっていると思うからね。⋯⋯ これが、夫婦喧嘩の遠因になるってどっかで聞いた気がする。そうだな。もっとコミュニケェーション取らないと。言っていることが百八十度変わったぞ。まあ、いいじゃないか。人間だもの。科学というものであれ、数学というものであれ、躍進は既存の知識の否定の上でこそ成り立っているのだから。
途中にちょうど腰掛けることのできるくらいの大きさの岩がいくつかあったので、休憩を取ることにした。
なぜだか知らないけど、この後、休憩を取るペースが落ちた気がする。前よりも長く歩けるようになっているみたいな、そんな感触がある。慣れて体力がついたってのも、もちろんあるんだろうけど、どうもそれだけじゃないようだ。どう考えても伸び率がおかしい。試しにシロに聞いてみたら目を泳がせて吹けない口笛を吹こうとしていたので、シロがなんらかの関与をしているのは確定的だけど。⋯⋯ まあ、実害はないし、疲労を感じることなく歩けているのは確かでありがたい。これで1日の走行距離が伸びるぞ!
「⋯⋯ そういう使い方になってしまうんじゃのう。」
困ったような声がシロの方から聞こえてきた気がするけど、気のせいだ。問題ない。
さて、ユウキともっとコミュニケーションをとると誓ったわけだが、話そうと言っても何を話していいのかよくわからない。
よくわからないままに、向こうの岩に座るユウキを眺める。今日のユウキは、いつもは括っている髪をおろして、ロングストレートヘアーと言うのだろうか? そんな風に垂らしている。いつもの活動的なポニーテールもいいものだけど、今のように女の子らしい髪型もユウキを魅力的に見せてくれる。整った顔立ちがこちらを見つめて、首をかしげた。それに合わせて髪が肩へ移動する。
サラサラとした柔らかそうな髪だ。女の子の綺麗さを表現するのなら、日本人はすぐに髪を用いる傾向にある。古く平安時代は、地を這うほどの長髪が美人の条件とされていたわけだし、今でも、黒髪の乙女と聞くと、美人が連想される。何が言いたいかというと、そっちに目がいくのは日本人として仕方のないことだよねってことである。僕は悪くない。悪いのはこんな価値観を育んだ日本の風土と文化だ。
「どうしたの剣。」
あんまりまじまじと見つめていたものだからユウキに疑念を持たれてしまった。
「いや、ユウキが可愛くて、見惚れてた。」
「えっ。⋯⋯ あっ、ありがと。」
虚をつかれたように口を閉じたユウキだったが、すぐに頬を赤くして照れてくれた。かわいいなあ。
「成長したのう。やはり、昨日わしが忠告したのが良かったんじゃろうな。」
シロは勝手なことを言ってはウンウンと頷いていた。前で組まれた腕が、押し付けがましさを象徴しているように見える。
「⋯⋯ 比喩を使ってオブラートに表現したつもりなのかのう。わしの機嫌を損ねて良いのか? 先ほどお主が目撃した幸せに満ちた一幕がなくなっておるかもしれんのじゃぞ。」
「やだ、シロって時を操れるのかよ。」
「まあ、ヤーンに頼めばのう。」
「⋯⋯ ちょこちょこ思ってたんだけどさ。ヤーンが時間を操れるんだったら後から事象を改変してしまえば良かったんじゃないの?私たちをわざわざ呼び出す必要なんてなかったと思うんだけど。」
ユウキも会話に参加する。シロが真ん中で浮いてるから入りやすい。
「あれじゃ。ヤーンが動けるようになった時はとっくに問題が解決しておったじゃろう? その上さらに原因を除く必要はないのではないかと思ったのじゃろう。時間遡行には割と厳密な条件があるらしいしのう。」
解説ありがとうございます。まあ、そんな強力無比な能力、簡単に使えたら苦労しないよな。並行世界への分岐とか普通にありそうだし。そんな面倒なこと、僕が能力持っていたってやれないよ。
納得したところで休憩は終わり。僕らは再び峠へ向かう一本道を歩き始めた。だらだらとした上り坂が一本調子に続いている。まあ、車道歩きのように無駄にぐるぐると回り道をさせられる上にアスファルトで足裏に負担がかかるような道じゃないからだいぶマシだ。よきかな車発明前時代。⋯⋯ 馬車とかは山に来ないからね。もっといい道あるからね、多分。
道の両側に広がっているのはさっきまでとは打って変わって細くてまっすぐな針葉樹の幹からなる森林だ。進むにつれ徐々に木々の配置が変わっていくが、全ての幹が個性のないまっすぐな苔むした木肌を晒しているため、何ひとつ意味がない。
ようやく峠に到着することに成功した。最初から見えていたにしては結構長かった。それだけ裾野を歩いてきた山が大きな山であることがわかる。嫌が応にも期待が高まる。峠から見上げるその山はナタ部分の最初の突起が大きく聳えたち立ちふさがっているのが見て取れた。その後ろは見れない。鉄壁とでもいうべき守備陣形だ。峠の向こう側は山に次ぐ山、これまできたところよりもさらに山深いと言って過言でない土地が広がっている。目立つ山はないが、どれもかなり大きな山だ。良い感じ。こんな景色を待っていた。
峠にはやっぱり岩があったので休憩に入る。地面に座るのと岩に座るのとでは心理的ハードルが段違いだ。やはり、重心の移動が少ない方が気が楽になるのは仕方のないことだろう。
飴というかただの砂糖の塊、金平糖みたいなものを頬張ってみる。砂糖を溶かしてくっつけ固めたそんなお菓子だ。糖分補給は大事ってずっと言ってるからね。




