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第三回 歴史は回る、繰り返す。

第三回です。いきなり、ケンカを売りますが、



昔の目線に立っとらん!




過去二回にわたって、人類がいかにして発達していったか、そしてそれを発見していく過程はわかったと思う。ネアンデルタール人の発見から始まり、それが人類の祖先か否かについて長い間議論がくりかえされてきたことはもう説明済みだ。

ネアンデルタール人が発見される1856年まで、ヨーロッパの人間の大半は、人と動物に明確な区別を設けていた。それはユダヤ教・キリスト教の経典『旧約聖書』において人類の祖先がアダムとイブであることに由来する。アダムとイブは経典の内容に疑いを持ってはいけないという宗教の特性上から、ヨーロッパの人々に「思考停止」を起こしていた。よって、古代や中世の人間が、


人類が出現してから、文字を発明して歴史を記録に残すようになるまでには、非常に長い年月が必要であった。


という教科書の文章を読んだとしても、おそらく納得することはないだろう。では、『旧約聖書』が世界的書物となる前、先人たちは歴史を振り返る際にどのような理論を以って、人間と動物は別の存在であると自らを納得させていたのか。それは、円環的時間という考え方である。難しい用語なのでもう少し簡単に述べるならば、人間を時間をスパイラルと考えたのである。過去に起きたことは未来にも起きる。科学的見地はさておき、人間は螺旋の上で同じことを繰り返していると考えたのだ。つまり、歴史において人類の祖先といった根源的発想がないのである。もちろん、神話や伝承といったものは存在していたが。

トゥキディデス、プラトン、ボリュビオスといった人物が円環的時間という考え方を支持している。皆、古代の学問において欠かせない人物である。つまり、古代においては知識を持つ人物ほど円環的時間を支持していたことになる。



まとめ


・『旧約聖書』の世界観では、アダムとイブが人類の祖先である。


・古代の人々の大半は円環的時間を支持し、祖先に対する科学的な考えがなかった。

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