第一二話 シュメールが不思議なのは無理もない
シュメール人の歴史という初めにして大変難解な部分をしています。難解な理由を一言で言うと、シュメール人の活動や行動が後世にわかりやすく反映されないからです。
以前にもお伝えしたとは思いますが、キリスト教世界のヨーロッパの人々にとって、アダムとイブが人類の始まりなのです。『旧約聖書』に書かれてあることが、事実であるというのが、近代に入るまでの常識でした。ある意味では近代歴史学はその常識を打ち破ることからはじまったとも言えます。ちなみにキリスト教がローマ帝国の公認となったのは313年のミラノ勅令からですので、それ以前のヨーロッパはキリスト教の世界ではなかったこととなります。
キリスト以前のヨーロッパでは以前お伝えしたように、円環的歴史すなわち歴史は同じことを繰り返すという考え方が主流でした。よって、人類の起源は特に扱われてきませんでした。一方で、集団生活の共通項として、神話が各地域に存在しました。
神話というものは、法が浸透する以前の社会では便利なもので、ある時は戒め、ある時は道理、またある時は励ましにもなりました。自分たちの見えないところには世界を作った神が存在する。そのことを共有することで、古代の人々は自らの存在を認知していました。ギリシア神話やケルト神話はその典型例です。歴史などなくとも、古代の人々は現状について自己完結していました。
となると、神話を共有している領域より外は未開の地となるわけです。古代ギリシアにおいて自らを「ヘレーネス」、異民族を「バルバロイ」と呼んだのはその最たる例です。
この事実を踏まえると、ヨーロッパの歴史において、メソポタミア、特にシュメール人が眼中に入ることなどありえないのです。では最後に今回は教科書の読者にケンカを売らせていただきます。
ヨーロッパ中心で見たらあかんぞ!
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