第一一話 最初はシュメール。なぜ?
こんにちは。ヒスペディアです。いよいよ、教科書にケンカを売ってみる(世界史編)は具体的な歴史へと入っていきました。第一節「古代オリエント世界」から項目「シュメールの都市国家」へと入ります。ん?
なんでいきなりシュメールが出てくるねん!
エジプトでもなく、地中海でもなく、ペルシアでもなくシュメールである。全く聞いたことのない言葉、場所なのか国家なのか人名なのかわからない謎のワードが出てくる。世界史好きの読者(学生)でもここまで引っ張られるとさすがに気持ちが萎えるのではないだろうか。教科書にはこうある。
灌漑農業の発達したメソポタミア南部では、前3500年頃から人口が急激に増え、神殿を中心に数多くの大村落が成立した。
チグリス・ユーフラテス川を中心に発達を遂げた文明は都市国家を形成するようになった。以前に伝えたゴードンの二つの変革では第二の変革「都市国家革命」にあたる。
前3000年頃には、神官・戦士・職人・商人などの数が増え、大村落はやがて都市へと発展していった。各都市はそれぞれ独立の道を歩み、前2700年頃までにウル・ウルクなどシュメール人(民族系統不明い)の都市国家が数多く形成された。
前回までの流れでゴードンの話を知っているこのブログの読者ならばついていくことが可能であるが、そうでない人からすれば、何のことかよくわからない。そもそも、「民族系統不明」な民族を紹介されたところで、いまいちパッとしないだけだ。そこで今回はシュメールが重要な理由を考えていこう。
そもそも、「シュメール」という言葉は『聖書』を筆頭とする既存の史料には存在しない名前であり、19世紀にヨーロッパ諸国が中東の発掘調査を開始してから知ることとなった。活動が実証されたのは1877年にイラン南部のテルローで王の碑文が発見されたことがきっかけである。テルローはかつてラガシュという名で繁栄していたシュメール人の都市国家であることがわかった。以降、発掘調査がメソポタミアで進み、ウルやウルクといった都市の遺跡が発見されたのだ。
シュメール人の歴史は『シュメール王名表』という楔形文字の文書が最も重要なテキストとなっている。簡単に言えば、メソポタミア一帯を取り仕切る王の名前と王が拠点にした都市が記載されているものだ。ただし、最初の王は在位年数が一万年を超えており、架空の存在であることがわかる。この点は日本の天皇も同じようなことが言われている。
次回もシュメールをしよう。
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