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第一回 人類の誕生なんかどうでもいい

みなさま、はじめまして、ヒスペディアです。今回


『教科書にケンカを売ってみる。(世界史編)』

というものを考案しました。


今や全学時代ともいわれるなか、日本の人々は必ずといっていいほど教科書に接しますが、社会科の科目における教科書には大きな弱点があります。それは、「神」の目線から記述されている、ということです。主要五教科のうち、社会科以外の四教科が教える内容とは主に、絶対の法則であり自然の摂理です。すなわち、何がどうあっても覆らないことが前提になります。数学の公式や理科の法則が典型例です。国語や英語においても、時代によって学説が変更されることはありますが、根本的な部分において変化することはありません。すなわち、典型的な教科書は「知っている主体→知らない主体」というトップダウンの方式で内容が構成されています。いわば教科書が「神」であり、読者(=生徒)は「神」の言葉を疑わない「下僕」なのです。もちろん、内容によってはケースバイケースでありますが。

私が問題としていることは、社会科においてもその「神」の目線というスタンスを崩さないところです。社会科が扱う内容は、そのすべてにおいて、断定できるほど決まりきったことではありません。一定の時期で新たな学説が発表され、内容が大きく覆ることは多々あります。すなわち、およそ「神」の目線で語ってよいものではありません。それは、読者に悪影響をもたらすことになります。その代表的現象が「思考停止」です。「神」の目線を持つ教科書はその立場を背景に読者が抱いた疑問を封殺する力があります。「教科書に書いているのだから」という言葉を誰かが発せば、それで疑問は解決されてしまうのです。

そこで私は社会科の教科書が持つ「神」の目線に挑戦していきたいと考えました。ケンカを売ってみる、という言葉はそういう意味なのです。教科書の内容に疑問を抱いたり、思想的違いから行うつもりは毛頭ございません。

ということで、早速ですが、活動を始めていきたいと思いますが、今回扱う教科書は山川出版社の『詳説世界史B』です。世界史の内容がテーマになります。基本的に『詳説世界史B』の順番に沿いたいと考えています。


第一回 「序章 先史の世界 人類の進化①」


教科書の記述

 《人類が出現してから、文字を発明して歴史を記録に残すようになるまでには、非常に長い年月が必要であった。人類史の99パーセント以上を占めるこの時代を、先史時代と呼ぶ。》


教科書の内容はこの二つの文章から始まるが・・・いきなりケンカを売ります。





進化を客観的に見てるんじゃねえ!





この文章を読んでいる限り、以下のことが前提にあることがわかる。

①人類は動物の一つに過ぎない

②人類が文字を使うことが世界の中で特別である。

この二つ、確かに正論である。人類には「ホモ・サピエンス・サピエンス」という学名がある。文字を使う動物も人類だけだ。しかし、この前提は「神」の目線である。


 《人類は猿人・原人・旧人・新人の順に進化した。》


と文章は続く。では、教科書で扱う当事者である猿人・原人・旧人・新人がこの二つの前提に気付いているのだろうか。それはわからない。証明することができないからだ。私の憶測では、そんなことを考えた猿人・原人は少なくともいないと考えている。なぜなら皆そんなことを考えている余裕がないからだ。旧人は脳の容積が新人(=現代人)と同じなので、判別できない。しかし、現実にこの前提に気付いているのは新人であることは言うことができる。なぜなら、いま生きている人類は皆新人であるからだ。当事者も知らない話を淡々と述べる教科書はまさに、「神」の目線にほかならず、読者を思考停止に陥らせる。

では新人(=現代人)が二つの前提を知ったのはいつ頃からなのか。実は1856年までは知ることができない。1856年に起こったこと、それは、ドイツのネアンデルタールという地で古い人間の化石が発掘されたことである。後にネアンデルタール人と呼ばれる旧人の化石である。


《 旧人は現代の人類とかわらぬ脳容積をもち、死者を埋葬するなど精神文化を発達させた。彼らはヨーロッパから西アジアにかけて住み、また目的に応じて剥片石器を使用したり、毛皮を身につけるなどして、氷期に適応した生活を送っていた。》


旧人について教科書ではこのように解説されているが、上記のことがわかったのは1856年にネアンデルタール人の骨が発見されてからである。それ以降、人々は人類の祖先について真剣に考えるようになった。

当時、人間は動物ではないという考え方がキリスト教世界では主流であった。人間の祖先はアダムとイブと聖書に書かれてあるからだ。もし、ネアンデルタール人を人類の祖先だと決めつけてしまえば、それは、聖書の内容が間違っていたことになり、ヨーロッパ中に波紋を呼ぶことになる。当時のドイツで生物学の権威であったフィルヒョーはネアンデルタール人化石を障害者のものと断定した。先史時代があったということ説は19世紀半ばの段階で少数派であった。旧人の存在が世界的に認められるのは20世紀の半ばであり、ネアンデルタール人の発掘から約100年が経過していた。


まとめ


教科書の「神」の目は、人間観を見通すことはできなかった。


こんにちは。ヒスペディアです。

第一回、読んでいただけたでしょうか。

最後まで読んで下さった方はありがとうございます。


もっと読みたい方は、ブログまで足を運んでください。プロフィールにURLが載っています。

また、歴史系の小説に挑戦されている方はわからないなことがございましたら、何でも私におたずねください。一応、歴史を仕事にしている者です。

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