ある種の人間の末路(一人称使用不可シリーズ)
姉の問いはこうだった。
「ねぇ、玲磁?同じ種類の……そう、例えば同じ色の、同じ大きさのチワワがそこにいたとしてあなたは見分ける事ができる?」
勿論、答えはNOだった。例えそれが飼い犬であったとしても、おそらく見分けることはできないだろう。犬は犬だし、見分ける必要がないと思っているからだ。全世界の愛犬家に対して失礼かもしれないが、それはそれぞれの価値観の問題だから目を瞑っていただきたい。
とにかく、姉の暮葉は突拍子もなくそんな問いをしてきたのだ。いやはや、突拍子もないのはいつものことだが、流石に呆気にとられた。こんな質問は中学生に、ましてや実の弟にするものではないはずだ。
正直、姉の事は苦手だし、こんな事に意味は無いと判断していたので軽く「ハイハイ」と流そうと考えていたが、それは許してもらえなかった。
彼女は、次々と「じゃあ蟻は?ネズミは?」などと、似たり寄ったりな事を問い詰めてくる。
「そんなもの、見分けがつけられる訳がないだろう?!蟻だろうネズミだろうと犬だろうとそういうものなんだから!わざわざ見分ける必要もないじゃないかっ!蟻だとわかれば、ネズミだとわかれば、犬だとわかれば、それでいいじゃないか!」
ついに、怒鳴ってしまった。そんな様子を見て、姉は酷く安心したような緩みきった表情でこう言った。
「そっかぁ……そうだよね。見分けること事態、面倒だもんね。よかったぁ……
人間が見分けられなくても何も変じゃないわ」
そんな姉の発言に驚いたが、どこか納得した。
姉はよく、人間違いをする人だった。それは友人・先生だけに留まらず、弟や両親さえも間違えていた。まだ幼い頃は姉の目が悪いのだろうか?程度にしか思っていなかったが、流石に成長するにつれて彼女の異常性に薄々ながらも気付いていった。目が悪いわけでも無いのに、なぜ?と考えた年頃もあったしもしかしたら姉はどこかで周りの人間に不満を抱いていたのではと不安に思った時期もあったが中学に上がる頃にはどうでもよくなっていた。それこそ、「そういうもの」として見るようになっていたのだ。
そして今回、彼女は初めて他人に指摘を受けたのだ。
「周りの人間を見分けられない暮葉《》は異常だ」と、そう面と向かって言われたらしいのだ。
どこの誰かまでは言わなかったが、おそらく友人だろうと勝手に想像する。
毎日のように顔を会わせ、机を並べて生活しているにも関わらず、一向に人を見分けることのない姉に対して限界がきたのだろう。
それこそ、本当の意味で毎日間違えられたら諦めもつくだろうが、中途半端に一緒にいる友人だからこそ燗に触っていたのだ。いつまでたっても相手を認識することのできない姉に鋭い指摘をしたのだ。
だが、本人からすればその友達の方が異常に見えるらしい。
姉では無いから解らないが、彼女にとって"認識する"と言うことは面倒で面倒で仕方がないことなのらしい。
出来物が落ちた様に清々しい笑顔をこちらに向け、部屋を出る姉を見送る。
この時、何故か恐ろしいほどの後悔に襲われた。 ・・・・・・・・・ ・・・・・
今、自覚は無かったが確かに姉の意見を肯定してしまった。見分けられないことを当たり前だと言ってしまったのだ。初めて言葉の重みについて気づかされたが既に遅く此れからの姉の行く先をただただ見ていることしかできないのだと悟っていた。
事件が起きたのは数年後………………だなんて言い切れたのなら、楽なのだろうが実際は二日後だった。
この日、初めて学校内で姉に遭遇した。両サイドに友人と思われる女子を連れて仲良さげに談笑しながらこちらに向かってきていた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは、先輩」
先に気付いたのは右端の先輩だった。続いて僕の声に反応したのか反対側の先輩が慌てて会釈をしてくれた。恐らく、言葉を発するのが間に合わなかったのだろう。
そして姉は、最後まで気づかなかった。
弟の玲磁という存在は、姉の目の前には存在していなかった。
「あれ?暮葉、弟君と喧嘩でもてしいるの?」
「え?玲磁と?していないわよ?いつも通りの仲良し姉弟!」
衝撃だった。
家でおかしな質問をした時も、家で会話するときもてっきり姉は弟の存在を認識しているのだとばかり思っていた。が、実際は逆だったのだ。
"弟だから、家にいる。"のではなく、"家にいる自分よりも年下であろう男の子だから弟。"だったのだ。
いや、初めから解っていたことではないか。最初に、友人・先生だけに留まらず、弟や両親さえも間違えていた。と、言ったではないか。
事件と言うには些細なことだが、これは確かに事件なのだと認識した。
この日から、必要以上に姉に寄り付くこともなく、会話もなく、顔を会わせることもなく、お互い別の高校へ進学していった。姉がどうなったかは、全寮制の学校へ行ったので解らないがかなり不安だ。
part1 顔を認識できない姉
後輩の、先輩の顔が覚えられない。
顔と名前が一致しない。
何てことはありませんか?外を歩けばそこには数え切れないほどの顔と個人が存在しています。その全ての人を認識・見分ける事は不可能に近いですが、身近にいる人物ならできます。
ですが、そんな認識や見分けが極端にできないのだとすれば、人はどのように生活するのでしょうね?
そんな疑問から書き上げました。多少気味が悪い短編シリーズですが、最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。
余談ではありますが、このシリーズは題名にもあるように、「私」「俺」「僕」「自分」「うち」などの一人称を使用しないという勝手なルールで書き上げました。それでは、またお会いできることを楽しみにしております。