第2話
さらに5、6分時が経ち、6時10分前。再び鐘の音が鳴り、
「こんばんは」
心持ち遠慮がちに、美鈴が入ってきた。とたん、パアン、パアンと盛大にクラッカーの音が鳴り響く。色とりどりの紙テープが宙を舞った。
「美鈴先輩、誕生日おめでとうございまーす!」
俺たちはいっせいに声を上げる。美鈴はしばし呆然と立ち尽くしている。9月23日6時にツィベリアダに来てほしい、と告げた時点で、何があるかはバレてしまったと思っていたが、まさか気づかれていなかった? 意外にそういうところには疎い人だから――。
「みんな……」
ようやく美鈴が口を開いた。
「これは、もしかしてわたしの……?」
「誕生日パーティーですよ。決まってるじゃありませんか」
雪子が器用にウィンクしてみせる。美鈴の頬が次第に赤く染まっていき、
「ありがとう……」
何だか泣きそうな声が唇から漏れた。
「本当にありがとう……」
ここまで感動されるとは思っていなかったので、俺たちはむしろあわててしまう。美鈴ははっとしたような顔をして、
「すまない。始まって早々、しんみりした空気にしてしまったな。こんなふうに友人たちに誕生日を祝ってもらうなど、今までなかったことだから……」
草壁の里で生まれ育ち、里を出てからも一心不乱に陰陽道と剣術の修行に励んできた、そんな彼女の境遇なら、それも十分納得のいく話だ。
「今日は存分に楽しませてもらうよ」
そう言って、美鈴は温かい微笑を浮かべた。見慣れているはずなのに、俺は心がとろけていくような感覚に見舞われる。
「そうこなくっちゃ!」
雪子が元気よく言い、わあっと拍手が沸き起こる。俺は立ち上がって美鈴に近づき、
「先輩、こっちへ」
自分の隣へ案内した。みんなの前では、未だに俺は美鈴を「先輩」づけで呼び、敬語で接している。呼び捨てにタメ語で話すと、俺たちは恋人同士ですと誇示しているようで、何だか気が引けるのだ。
「ありがとう。ところで……もしやわたしはみんなを待たせてしまったのか?」
美鈴が声をひそめて訊く。自分が現れたとき、すでにほかのみんなが席に着いていたことを気にしているらしい。
「違いますよ」
俺はただそう言って首を振った。律儀な美鈴のこと、6時より早く来るだろうと思い、ほかのみんなには少し早い時間を指定しておいたのだ。主役がひとり先に来てぽつんと待っている誕生日パーティーなんて、淋しすぎるじゃないか。
めいめい、グラスに好きなドリンクを注ぎ合った。
「何がいいですか? オレンジジュース、りんごジュース、ぶどうジュース、カルピス、麦茶……。ジュースはマスターお手製なんですよ」
美鈴に訊く。
「それはすごいな。じゃあ、ぶどうジュースをもらうよ。駆くんは?」
「俺は……りんごジュースで」
答えると、美鈴は唇をほころばせて、
「案外可愛らしい好みなんだな」
「そう……ですか?」
「可愛らしい」の基準がいまいちわからないが……。
「だって、ここで麦茶じゃちょっと味気ないですよ」
「同感だよ。ああ、何も非難したわけじゃないんだ……」
あわてたようにフォローする美鈴に、
「わかってますよ」
俺は微笑を返した。
すべてのグラスが飲み物で満たされたところで、
「では、草壁美鈴さんの19歳の誕生日を祝って、乾杯!」
マスターが音頭を取り、
「かんぱーい!」
全員がグラスを高く掲げ、手近なグラスとぶつけ合った。
乾杯が終わるやいなや、賢久が早速チキンにかぶりつく。
「ん、うめえ!」
人間離れしたスピードでチキンを平らげる賢久。負けじと匡もあとに続く。
「もーっ、主役の分がなくなっちゃったらどうするのよ」
そう言いつつ、香央里が自分もチキンに手を伸ばす。
「わたしのことは気にしないでくれたまえ」
美鈴が笑って言う。最初に箸をつけたのは筑前煮……。よし、俺の読みは当たったようだ。
「ははは、やっぱり若い子は肉が好きだねえ」
マスターが豪快な笑い声を上げる。
「わたしも肉は好きだがねえ、若い子の肉体のほうがもっと……」
「……自重してください、マスター」
俺は苦々しい顔を作って、続きを遮った。
「おや、今日は無礼講じゃないのかい?」
「そういうことは、せめて賢久や匡の誕生日パーティーで言ってください」
そう言って、俺はちらと美鈴を盗み見た。視線に気づいて、美鈴が目をしばたたく。
「どうかしたのか? 駆くん」
「いや……何でもないです、何でも」
聞こえていなくてよかった。
「ゆかさーん、最初からお菓子ばっかり食べてちゃ体に悪いですよ」
ひときわ高い雪子の声が響く。
「うゆ……。だってすごくおいしいんだもん」
ゆかは赤くなって、マドレーヌのカップを外す手を止めた。
「これもマスターの奥さんが焼いたんですか?」
決まり悪さをごまかすように訊くゆか。
「もちろん! あとでケーキも出るんだから、それだけの余裕は残しとくんだよ」
「はあい」
ゆかはたちまち満面の笑みを浮かべた。甘いものを食べ尽くす気でいるに違いない。
そんな中、黙々と食べているのは栞だ。それもサラダばかり――。小柄な体からの連想か、何だかうさぎやハムスターといった小動物めいて見えてしまう。
「栞……。そんなにサラダが気に入ったのか?」
栞はちらと上目遣いに俺を見上げ、こくんとうなずいて、
「……野菜も新鮮だし……ドレッシングも絶妙」
「本当?」
マドレーヌを食べ終えたゆかが、サラダに手を伸ばす。
「ゆかの健康に一役買ってくれたな、栞」
俺が笑いかけると、栞はかすかに赤くなった。
「わたし、普段からお菓子ばっかり食べてるわけじゃないよ?」
ゆかがささやかに抗議する。
「しょっちゅうここのケーキ食ってるやつが言っても、信憑性ないぞ?」
「そ、そうだけど……ごはん代わりに食べてるわけじゃないってことだもん」
苦しい言い訳に、一同に笑いが広がる。
「みんなにぎやかだな……何よりだ」
ふと、隣の美鈴が満足げに言った。
「美鈴先輩がいちばん楽しまなきゃダメですよ」
俺が言うと、
「心外だな。わたしは十分楽しんでいるよ」
美鈴は子供を優しくたしなめるような顔で言った。その言葉に嘘がないことはわかるが、これでは本当に、誰の誕生日パーティーだかわからない。こんなときでも羽目を外す人ではないからなぁ。




