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『僕』と『君』の話

夜空ノ話

作者: hibana

 君は、素敵なひとでした。

 どれほど素敵だったかは、僕の凡庸なボキャブラリィでは形容しがたいものがありました。それでも説明しようと試みるのなら、君は月のようでありました。そして瞬く星のようでもありました。そう、君は夜がとても似合う女の子でしたね。

 ある日君が告げたのは、たった二文字の言葉。たった二文字のくせにその言葉は、僕の脳を支配しました。君が誰と一緒になるかはよくわかりませんでしたが、誰でも同じことです。その誰かは、けして僕ではないのですから。それでも僕は祝福の言葉を述べました。それは本心ではありませんでしたが、同時に偽りのない言葉でもありました。

 幸せになってください。本当に。

 君は微笑んで頷きましたね。どうしようもない胸の痛みのなか、それでも僕はほっとしたものでした。君が幸せそうだったから。僕も君を忘れられる、と。

 それなのに、どうしたことでしょう。式の前日、君は沈んだように見えました。いいえ、僕はほとんど確信していました。僕は友だちの特権を最大限に利用して、君に聞きました。

“なにかありましたか?”

 君は寂しそうに笑って、なんでもないよと言いました。それでもしばらく黙ってそばにいると、君は夜空を見つめ、言いました。

“どこかに、連れ去ってくれればいいのに”

 僕は驚いて君を見ました。君はいつものように笑って、ごめんと言って背を向けました。そんな君の手を引いて僕は、夜空の下を駆け抜けました。

 どこまで行ったのかはわかりません。でもふと立ち止まったとき、君は声をあげて笑いました。そして僕らはただただ笑いあいました。なにが楽しかったのでしょう。しかし夜空がかけた解放感という魔法は、僕らにずっと微笑みかけていました。

 幸福とはきっと、あの夜のことをいうのでしょう。幸福と夜は似ています。昼と夜は同じくらいなのに、なぜだか夜と呼ばれる時間は短い。明けない夜はなく、そしてほとんどの人間は、それに気づかず眠り過ごす。そして夜は明け、微かな静けさと温かさと冷たさを残して明け、幸福の時間ときは過ぎました。

 朝方の喧騒のなか、君は買ったサンドイッチを食べながら、笑いました。

“ありがとう。人生で一番幸せな夜だった”

 君はそう言ってサンドイッチを食べ干しました。もう帰りますと君は言って、やはり僕に背を向けました。僕はとっさに君の腕をつかみ、そのまま力いっぱい抱き締めました。と、自分では思っていたのですが、きっと腰がひけていてとても間抜けな格好だったでしょう。

 しばらくすると、君の泣き声が聞こえました。まるで慰めあうように、不格好な抱擁をして泣き叫んでいる僕らは、はたから見れば不器用な芸術活動をしているように見えたことでしょう。

 その日、君は白いドレスを身にまとい、僕の知らない誰かに愛を誓いました。僕の知らない君が、そこにはいました。

“幸せですか”

 僕がそう聞くと、君はこくりと頷きました。僕は友だちの特権を最大限に利用して、君に言いました。

“なにかあったら僕に言ってください。いつでも相談を待っていますから”

 君は少しだけ寂しそうに微笑んで、言いました。

“まるで、友だちみたいね”

 その一言が、すべての答えのような気がしました。それでも僕はなにも言いませんでした。前の日、君の手を取った僕のあの勇気はどこへ行ったのか、君の瞳さえ見られませんでした。

“お幸せに”

“ありがとう”

 それはもう、本心でも偽りない言葉でもありませんでした。僕らは本心ではない言葉を口にし、偽りの笑みを浮かべたのです。

“さようなら”

 きっと僕らは、痛々しく抱き合っているのが本当で、それでも生きていかなきゃならないから。


 だからさよなら、友だちじゃない君。あの夜見た夢は、とても綺麗だったから、だからすべて忘れてしまいましょう。さよなら、愛しの君。

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