最終話 その時まで
話しを遮ってしまった俺に猫又は胡乱な目を向けて、手を伸ばしてきたかと思った時には胸倉を掴まれていた。
「おまえが聞きたいつったんだよ、おまえが。じゃあ聞けよ、話」
「だ、だってさ」
「うるさい、このゴタゴタはおまえが貰ってきたんじゃないか」
猫又がどんと俺を突き放す。よろよろと後ろに下がって何も言えない。だけど、こんなに困難なことだったなんて知らなかった。
神様相手だなんて。
「知らなかったんだ、しょうがないだろ」
そうだ、この厄介事を持ちこんだのは俺だ。だからって神殺しはダメだろ?
「おまえ、知らないってことで何でも許されるって思ってやがるのか? やったことへの免罪符になるとでも言うのか。結果に責任持たねえなら、最初っから何にも手え出すな」
猫又がぺっと唾を吐く。
「災いを成すときは、妖狐といい、福をもたらすときはお稲荷様と呼ばれる。つまり、我が国において、妖怪と神は線引きが難しいっていうか、ほとんど同じだ」
「同じ?」
そうだと猫又はこくりと頷く。
「俺サマは違うが化け猫とか言われているものだって齢を重ねたものは招き猫とか、福猫と呼ばれることがある。その違いは何か。それは個性と言ってもいいものだ。
良い方に振れるか、悪い方に振れる率が高いか。それによって属性が変わる……っていうか、呼び方を変えているのは人間だ」
閉じた祠の方を猫又は振り返り、ゆっくりと顔を俺に戻す。
「あれは元々妖しの気が多かった者が術者によって神にされていたんだろう。昔ここいら近辺で悪さをしていたのかもしれん。あの鏡は封印の役目をしていた。
術者は相当な手練だったらしい。そのおかげであいつは善人でいられたんだ。ずっと長いこと神でいられたってわけだ」
だから自分が神だと思っていた。実際そうだったのだろう。それなのに会ったときのあいつはもう神では無かった。鏡を、誰かが奪ったから。
「あの古ダヌキを神にしておきたくない人間がいたようだな。いや、あいつの邪気を利用したかったか。まあ、そのどちらかだ」
「か、可哀そうだよな。人間のせいで……」
いつだって本当に悪いのは人間なのか。猫又だってそう思っているよなと同意を求めるように首を傾げる俺を猫又は冷たい目で見ていた。
「神なら幸福で妖怪なら不幸って、それこそおまえら人間の勝手な思い込みだ。俺サマは神なんぞになりたいなんてこれっぽっちも思ってない」
「で、でも猫又は人のために妖怪をさ、退治してるんだし、それならさ……」
そこで大きな笑い声が猫又からした。
「バカだ、バカだと思ってたけど。悠斗、おまえさ、お人好しも度が過ぎると腹立つんだよ。俺サマが人助け? 笑わせるんじゃない。神や、おまえらが言う徳ってやつを積み立てるために決まってるだろ。俺サマは成仏したいんだ」
びょんと手近な木の上に飛び上がった猫又の姿が猫に戻る。
「なあ、おまえの厄介事は済んだんだ、とっとと家に帰れ」
「一緒に帰りゃいいじゃないか。乗せてやるよ、自転車」
猫又に言いたい放題言われてむかつくが、とりあえず寒いし夜中だし、続きは家に帰ってからだと木の下に行くと猫又に向かって手を差し出した。いつもみたいな言い合いだ。温かい家に帰ってササミの一つでもあげればきっと……。
だが、黒い猫は二本ある尻尾を横に揺らした。
「家には帰らん。今まで世話になったな」
「な、何で? 怒ってるのか? 俺が悪いなら直すよ。家に帰ろう」
いつもだったら、ここで「だったらカリカリ、増量で手を打ってやる」とか言いながら仲直りできるのに、猫又は今度は大きく首を振った。
「俺サマは妖怪だ。人間と価値観が一致するわけがない。おまえの言う通りなんてしてたらいつまでもこのままだ」
同じ――それってダメなのか。成仏ってここからいなくなるってことだろ? 俺のところはそんなに嫌だった? あの世に行くほうがそんなにいいのか?
なんだか悲しいを通り越して怒りが湧いてくる。
「そのままじゃいけないのかよっ。俺はずっとおまえと猫又と一緒に暮らしたいよ。おまえは……そう思ってないのかよ」
俺は猫又が好きだ。オレサマで暴力的で気まぐれだけど。そんなとこもひっくるめて。猫又もそうだと思っていた。だから腹が立つ。だって、そうだろ?
「俺と猫又は友達だろっ」
ざざざっ。
俺の大声に驚いたのか、猫又が後ろ脚を踏み外し、慌てた様子で木の幹に爪を立てて体勢を立て直した。
「おま……こ、こんな時間に大声出すなんてご近所さんに迷惑だろ」
「こんなとこにご近所さんなんかいるもんかっ。おまえはどうなんだよ、俺の事好きじゃないの?」
猫又の尻尾が二本ともビンと立ったまま動かない。体中の毛が逆立ってハリネズミみたいだ。
「答えてよ、猫又」
「うるさいっ、何で俺サマがそんなこと言わなきゃならないんだっ。くそっ、俺サマといるとおまえこれからも厄介事に巻き込まれるんだぞ。今まで大丈夫だったからって、今度は大怪我するかもしれないだろうがっ。普通のガキんちょは普通に生きろっ」
ご近所さんがいたら速攻で文句を言いに来るような大音量。だけどその内容に怒りが消えていく。それって、理由が俺の事心配してるからってこと? それは俺のこと好きってことなんじゃないの? そうだろ?
「猫又、おまえ強いんだろ?」
「は?」
「だったら俺がピンチのときは守ってよ。狐憑きが近くにいるんだぜ。また俺を使おうとするかも。おまえがいなくなったらどうすればいいの?」
ざざざざざっ。
「もう我慢できない、このくそったれ」
大きく枝葉を揺らし、顔面にどかっと猫又が飛び乗ってきた。
「うわああっ」
「どこまで受け身なんだよっ、この雑魚キャラがっ。てめえの身くらいてめえで守ることを考えろよ」
後ろ足で引っ掻くように俺の顔を蹴り上げると猫又は音も無く地面に降りた。
「脳みそが腐りそうな戯言なんか二度と言うなって前に言ったよな。おまえはもう一度きちんと躾ないとダメだな」
躾? なに言ってんだ? いや、そんな事より。
「そじゃあ、家に帰るの?」
俺の問いに猫又はつんと顔を背ける。
「これ以上おまえの泣きごとを聞いていると溶けた脳みそが鼻から出そうだから帰ってやる。自転車持って来い」
うわ……これがツンデレってやつ。せっかくだから格好だけでも人型でやって欲しかった気もするけど言ったら速攻潰されることは明白だったので思うだけにした。
街灯のある大通りに出ると暗さに慣れた目には眩しく思える。人工的な光なんてと思っていたが、明るい光はそれだけでやっぱり人を和ませる力がある。
「悠斗、帰ったら『カリカリ』、食わせろ。腹減った」
「俺もぺこぺこ」
自転車の前かごに前足をかけて風を受けている猫又の二本の尻尾がゆらゆらとゆっくり揺れていた。
いつかは、やっぱり別れる日が来るのかもしれない。お互いの目指す未来は同じ方向を向いていないのだから。
それでも。
それまでは猫又と俺は相棒で、友人で……喧嘩してもこうやって同じ家に帰ろう、そう思った。
おわり